国際オリンピック委員会(IOC)は2日(日本時間3日未明)、当地で開いた第121次総会で16年夏季五輪の開催地にリオデジャネイロ(ブラジル)を選んだ。南米大陸で五輪が開かれるのは夏冬の大会を通じて初めてである。都市に開催権を与えるのが原則だが、近年は、財政保障を求めるあまり、各国とも国家元首級が登場する国家間競争の観がある。しかし、今回IOC委員の多くは住民の支持率が高いリオとマドリードの決選投票を選択し住民の開催意欲を重視したようだ。最後は、「南米初の五輪」を掲げたリオが選ばれた。五輪開催の意義や目的が問われ、都市住民の支持が重視された決定であった。
コペンハーゲンで2日、2016年夏季五輪開催が決まり、喜ぶリオデジャネイロの代表団=ロイター]
1964年以来2度目の開催を狙った東京は2回目の投票で落選した。コンパクトな会場配置、環境対策、安定した都市インフラなどを強調したが、支持は集まらなかった。日本は88年大会で名古屋がソウルに、08年大会では大阪が北京に敗れており、夏季五輪招致で3連敗となった。
今回東京は、「どうして東京開催なのか」という点について、最後まで共感を広げることができなかった。石原知事のトップダウンで計画が作られるとともに、五輪を口実にした数兆円もの大型開発、道路づくりを打ち出し、強い反対世論があるこの計画に最後まで固執した。どうしても五輪を開催したいという思いが、人々の間からわき上がらず、支援の輪が広がらなかった背景に石原都知事の不遜な態度があったと思うのは、私だけではないだろう。
今回、立候補4都市はシカゴ(米)、東京、リオ、マドリード(スペイン)の順にプレゼンテーション(招致演説)に臨み、開催意義を訴えた。投票は日本時間3日未明に開始。過半数を獲得する都市が出るまで最下位の都市を振り落とす方式で無記名の電子投票が行われた。1回目はマドリード28票、リオ26票、東京22票、シカゴ18票でシカゴが落選。2回目はリオ46票、マドリード29票、東京20票で東京が落選。決選投票となった3回目はリオ66票、マドリード32票だった(「朝日」2009年10月3日2時48分)。
東京はIOC委員の2割程度の支持しか得られなかった。4年前に「成熟した都市の姿を示す」と石原知事が唐突に立候補表明したが、2度目の五輪開催の意義や目的を巨額の税負担する都民や国民に明らかにすることはなかった。とってつけたように「平和への貢献」や「環境にやさしい」などと訴えてみたが、内実は住民向けスポーツ予算を削減し、外郭道建設や築地市場移転に熱中する石原流ごまかしを住民の多くが見抜いていた。無茶苦茶な金を使ったプレゼンはそれなりのものだったかもしれないが、独善的な開発五輪がIOCに受け入れられる筈もなかった。
日本共産党東京都議団の吉田信夫幹事長は、次のような談話を発表している。
「わが党は、スポーツの祭典であるオリンピックには反対ではありませんが、都民の暮らしがこんなに困難なときに、莫大な財政負担をともなう今回のオリンピック招致はおこなうべきではないという立場をとってきました。わが党は、今回の招致にかかわるさまざまな問題について全面的にただしていきますが、何よりも東京都がこれを機に、4000億円のオリンピック基金をはじめとする財政力を、大型開発中心ではなく、都民の暮らしや福祉、教育、中小企業対策を中心に使うことによって、本来の自治体としての立場を取り戻すことを強くもとめます」(「しんぶん赤旗」2009年10月4日)。