プロメテウスの政治経済コラム

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黒田日銀「異次元緩和」  場当たり的な経済政策の将来は悲劇的なカタストロフィー

2013-04-13 21:27:06 | 政治経済

日銀は4月4日、黒田東彦総裁の下で初めてとなる金融政策決定会合を開き、新たな金融緩和の枠組みとして「量的・質的金融緩和」を導入すると発表した。金融調節の操作目標を、現在の「無担保コールレート翌日物」から、資金供給量にあたる「マネタリーベース」に変更する。長期国債に加え、上場投資信託(ETF)などのリスク性資産の購入も拡大する。日銀は2001年から、世界に先駆けて量的金融緩和策を実行してきた。財政政策はすでに行き詰まり、金利ゼロでも長期不況から脱却できない。資本主義の根本矛盾である消費と生産の不均衡(過剰生産)は、通常の不況対策では解決できないところまで追い込まれたのだ。「無制限の金融緩和」をアナウンスすることで、内外の投機資金を株式市場や外為市場に呼び込み、株高・円安の「ミニバブル」を煽って、カンフル剤的に人びとの景気浮揚感に頼ろうというわけである。しかし、このカンフル剤に一度手を染めると、なかなかそこから抜け出すことができない。行きつく先は、日銀が狂ったようにあらゆる資産を買い、国債を無制限に引き受け続ける悲劇的なカタストロフィーへの道である。

 

安倍首相は、「デフレは貨幣現象ですから、金融緩和政策で克服できます」と、したり顔に答弁している。浜田宏一内閣参与の受け売りである。浜田教授によれば、「インフレやデフレは貨幣量の需給で決まる現象」だから、中央銀行が貨幣供給を増やしたり減らしたりして操作できる管理可能な問題。しかし、それほど単純な話なら、誰も苦労はしない。ここから分かることは、「世界的権威」の経済政策的発想は意外と単純だということだ。それもそのはず、現代の経済学世界の分業化や数理経済学化が極端に進んだ結果、現実経済を知らない学者が多い。「権威」とは狭いモデル分析の世界の中だけのこと。単純な前提にもとづくモデル分析のほとんどが現実経済の分析に役立たない。だから、抽象的なモデル分析に特化していた学者が現実の経済問題で発言し始めると、浦島太郎のような発言になる。素粒子論からすぐに気象現象を説明しようとするのに似ている(盛田常夫「イデオロギーと化した『金融緩和』と『物価目標』」)。

 

「物価目標を明確にすれば、目標率に応じて消費者は買い控えを止めて、消費を拡大するようになる」というのが、「物価目標」論。1%であれ2%であれ、日銀が物価目標を掲げたら、消費者が将来の物価上昇を見込んで、早めに消費する方が得策と、消費を拡大するというのだ。日銀が2年間に物価上昇率2%を達成するという目的でいっそうの金融緩和を行えば、多くの企業や国民はインフレ期待感をもって、設備投資や消費を増大させ、デフレ脱却が可能というわけである。普通の消費者の感覚とはかなりずれていると思わないか。物価目標設定を主張する経済学者は本当にこのような論理を信じているのだろうか。期待感という主観的判断をもとにするデフレ脱却論―このような理論的根拠のない政策を、あたかも起死回生の政策と思い込まざるを得ないほど、現代資本主義の危機は深化しているのだ。一部の経済学者の知性の低下について、宇沢弘文氏は適切に次のように指摘している。「その共通の特徴として理論的前提条件の非現実性、政策的偏向性、結論の反社会性をもち、いずれも市場機構の果たす役割に対する宗教的帰依感をもつものである」(『経済学の考え方』岩波新書1989) この指摘は、旧来の日銀を批判し、大幅金融緩和を求める「アベノミクス」にそのままあてはまる(今宮謙二「『アベノミクス』のねらいは何か 財界と架空資本家の利益実現」)。

 

経済記事や株式・為替相場で良く使う言葉に、「市場が反応する」という表現がある。あたかも日本経済の市場全体が、ひとまとめに反応しているような表現だが、この「市場」は「金融市場」のこと。しかし、金融市場だけで国民経済が動いているわけではない。実物経済市場は金融市場とはまったく別のメカニズムで動いている。実物経済の一面は金融市場に反映されるにしても、ほんの一部にすぎない。なぜなら、金融市場で日常的に動いているお金は余剰資金や「あぶく銭」で、しかも巨額の「あぶく銭」の動向が証券や為替の相場に影響を与えているが、「あぶく銭」は実物経済とはほとんど無関係に動いているからだ。金融投資の世界では、「損が出れば、次の投資で取り返せば良い」と目先のことでよいが、実物経済では「資金借入と倒産リスク」は背と腹の関係にある。いくら目の前に貸出利率がゼロにちかい資金があっても、先の需要の見通しがなければ、簡単にお金を借り投資することができない。だから、金融緩和が進んでも、実物経済の投資は活性化しない。
円安の進行や株式市場の上昇を見て、「やはり経済は期待で動く」と主流派経済学の正しさを主張するエコノミストは多いが、それは金融市場だけに通用する話。製造業や消費者が「将来期待」で動くと想定するのは現実を無視した非現実的な分析だ。金融市場の論理を国民経済全体のメカニズムにまで普遍化して、「期待」で経済行動を説明するのは間違いである。だから、専門外の学者に、「経済学はニュートン力学以前」と軽んじられるのだ。実物経済は金融投機の論理で動く世界ではない。製造業復活の戦略もないのに、通貨量だけを増やせば、悪性インフレになるだけだ(盛田常夫「目先の損得に一喜一憂する愚かさ」)。


「アベノミクス」はいずれ「アベノリスク」に転化するだろう。このリスクは大きくみて三つある。①円安と赤字財政拡大(長期金利上昇)、②不況激化と物価上昇、③富裕層と貧困層の二極化の拡大であり、その先にあるのは日本経済の悲劇的なカタストロフィーである。


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