”お二人様の老後”


 年寄り夫婦の”日常”や”戯言”そして”泣き言”を書き連ねてみます。

絶景の富士山・・・幾つになっても努力はするもの。

2011-11-08 14:47:28 | 生活

 念願がかなって絶好のコンデイションで富士山を見ることが出来た。
9月の後半以来ずっと天気予報とにらめっこしながら富士山を見に行くのに最適なのはいつになるかと検討していた。 身延山の参詣もしてきたいと思っていたので、さらにその上”ハル”を連れて行くので4日間は雨に降られないようにしなければならない。 なかなか日取りを決められなかった。

 健康な人たちなら「富士山と身延山」は一泊二日で行って来られる行程だと思う。 しかし、私たち”お二人さん”は病人で年寄りで犬連れである。 どんな旅行も普通の人の二倍以上の日程を組まなければ無事には帰ってこられない。 だから、3泊4日の行程を組んでいた。
 問題はその4日をいつにあてはめるかということだった。 そして長く検討して待っていたかいがあって、10月末の天気予報に4日連続の晴れマークがついた。
 そこで早速日程を10月26日から29日までに決めて宿の予約をした。 日が迫ってからの予約で、しかも”犬連れO.K."の宿の予約である。 ”空き”がなくなっていて思ったようにはならなかったが、あらかじめ”犬連れO.K.”の宿は目途を付けておいたのであちこち連絡をとりなんとかなった。 河口湖、精進湖そして身延町の下部温泉にそれぞれ1泊ずつすることに決めた。

 26日、青空のもと妻とハルを乗せて中央自動車道を諏訪の方向に向かって出発した。 中央道の諏訪I.C.まではこれまでにもう10回以上は走っていて道路やS.A.などにも親しんでいた。 夏に蓼科や霧ヶ峰などの高原に出かけていたからである。
 それでも行ったことのあるのは小淵沢I.C.まででそれより東は「未知との遭遇」である。 いくらかの不安もあったが「行くしかない」と決めて出かけた。

 最初計画したときは東名高速で清水まで行き国道52号線で身延へと向かうことを考えていた。 しかし、旅程を妻に話したところ、東名高速は危ないから ”よく知っていて通行量も少ない”中央高速を使っていこうと言った。 中央道なら自分もときどき少しは運転できるが東名は怖くて運転が代われないというのである。
 そこで中央高速の双葉J.S.経由で増穂I.C.まで行き、そこから国道52号で身延へ向かう行程に変更した。 そして、出発の日が近付くにつれて”お天気”のことがますます気になりだした。 というのは、身延山は久遠寺の参詣であるから雨に降られなければそれでよいが、富士山の方は曇っていては肝心の富士山が見えない。 河口湖から本栖湖へかけての行程は絶対に晴れて貰わないといけない。 そこでまた天気予報と旅程が気になってきた。 

 天気予報によると26日と27日は”晴れ”28日と29日は”晴れ時々曇り”である。 前半の方がお天気は良いのだから富士山を見に行くのを先にして身延山の久遠寺参詣を後にした方がいいように思えてきた。 妻も同感だと言った。
 そんなわけで26日と28日の宿を逆に変更してもらうことにしてそれぞれに宿に電話してみた。 結果は「問題なし」ということだったので”富士山”を先にすることにした。 組んでおいた旅程をまったく逆に走ることにしたというわけである。
 若い人たちからすれば「そんなことどうでもいい」ということになると思うが、われわれのような古い世代の人間は「お寺詣り」を後にするということは「ついで詣り」にするようで、なんだか心苦しい思いがしないでもないのである。

 しかし、結果は大成功だった。 河口湖からも西湖からも精進湖からも、さらには28日に身延山へ向かう途上の本栖湖からも富士山は秋晴れの空の下にそのすそ野までくっきりと姿を見せてくれた。 その絶景には感動した。 ハルはさておき妻も大いに喜んでいた。 
 身延山も雲はあったが晴れた秋空の下で参詣することが出来、いったい誰の心がけが良くってこんな好天に恵まれたのかと帰りの車中で妻と語り合ったのだった。

 ”古稀”を過ぎて、それこそ”余生”の毎日に計画だの予定だのということはなしにしてしまった方がいいのではと思ったりもしたが、今回のようなことがあると 「生きてあるかぎり日日は大切に」 思い、衰えた能力ででも「可能な限りの準備や計画」を怠らないように生きなければ”もったいない”のだと思いなおしてみたりしている。