この地とともに。
しんくうかん
第24話・祖父信夫の話から 「人魂」
“人魂”の話も、たくさんたくさん、あらゆる場面で登場した。
自分たちが小学生のころの昭和30年代までは、「いま見てきた」と、隣近所や家族からもよく聞いたものだが、どういうわけか40年代頃になると、自分の周囲ではぴたっと聞かなくなった。
◇
現在より、当時の豆刈の時期はひと月ほど遅かったように思う。昭和30年代でも新聞で、霜対策として藁やタイヤを燃やし、刈入れ前の豆が霜にやられるのを防ぐ記事をよく目にしていた。
祖父の代は、もちろん刈り取りも鎌での手刈りである。月夜の日は、晩飯を済ませてからも夜遅くまで皆で刈り取作業を続けた。
そんなある夜のこと、〇〇君の家の方角から丸い少し赤みを帯びた月のようなものがゆっくり上ったかと思うと、ふわぁふわぁと小ガシワの防風林沿いにこちらへ向かってきた。
信夫と四人の子供たちが刈り取りをしていて、見つけたのは長女である。
つまり自分の母親である。
信男は「あぁー、あれは人魂だ。遊びに出ているか、もしくは誰か亡くなるのかなー」と、にべもない。
皆が作業の手を止め、眺めていると、その丸い球はやがて青白い、いかにも薄気味の悪い光を放ち、挙句に長い尾を引いてさらにふわぁふわぁと近づいてきた。
何を思ったのか、信夫はその人魂に向って行った。
人魂は、手が届きそうになるとすーと離れ、またゆっくりと近づく、を繰り返し、離れてみている子供たちの目には、まるで信男と戯れているようだった。
そのうち誘うように、ゆっくりと畑の切れたところの林に向かっていった。
普段は、やさしい口調でゆっくりと話すが、短気なところも併せ持つ信夫だ。
だんだん腹が立ってきたのか、小走りに追いかけるようになった。ときどき飛びついて捕まえようとしている。
間もなく林の縁に至った。
その林の中に人魂は、パャパャパャとまるで線香花火のようにチリチリになって消えた。
見ていた子供たちの目にはにはそう映ったそうである。
戻ってきた信夫は「誰か知っている人かな」と、一言。
やがて農作業も終わり、冬囲いや長い冬眠のための準備はすべて終わり、周囲が白一色になったある日、〇〇君の父親が訪ねてきて、ジンギスカン鍋を突っつきまた酒盛りが始まった。
雪が降ると、冬山の造材に出稼ぎに行く者もいたが、広い畑を持ち稼ぎ手になる子供の多いところは冬眠で、集まった仲間とよく昼から酒盛りをしていた。
〇○君の父は「この前病院に行ったら○○の奴『昨夜は、信夫君に追いかけられて本当にこわかった』と話していた」と…。
〇○君は病に倒れ、もう何か月も町の病院に入院しているのだ。
つづく
◇
この話は祖父と、その長女である母親からと何度か聞いた。話の前後、少し違うところもあるが、ほぼ一致した内容である。
第23話・祖父信夫の話から 「荼毘」
当時キツネつきなど、動物の霊が宿る(祟りともいうらしい)ことも結構あったようである。
の集会で皆が話し合っているとき、出された熱い甘酒をすすった途端、ケーンと叫びわずか10センチほどの窓の隙間から、80歳にもなるおばあさんが外へ飛び出し、以来地べたにつくほど曲がっていた腰がしゃんとし、ボケも治り、そのあと何年も元気に生き延びた。云々
◇
で人が亡くなると、川原もしくは原野で「荼毘」ということになる。一般的には川原が多かったようである。焼いた後の灰など、雨が降ると流してくれるからであろう。
まだ40年ほど前までは、日高山脈で遭難などすると、下までおろすのに大変な時間がかかるため、「荼毘」をして下した。などの新聞記事を目にしていた。
人間一人を、骨を拾うまで焼き尽くすのに、どれだけの薪や木炭が必要なのか、聞いた記憶はあるがその量は覚えていない。
ただ「夕方から火をつけ明け方まで、一晩かかった」らしい。
いずれにしても相当量の薪が必要で、現在ではとても無理な話である。
その日も、つい先日まで元気だったおばあさんが亡くなり、上げての通夜そして葬儀と滞りなく行われ、野辺送りとなった。
いつもの川原に遺体を馬車で運ぶ。
すでに青年団が、柏の中径木で作った焼き台が用意してあり、傍らには山のように、やはり柏の薪が積み上げてある。柏は固く、火持ちがよく、火力も強い最良の薪である。
しかし当時は耕作地を広げるのに邪魔者扱いで、切り倒した柏は何ぼでもあったのだ。
準備が整い、火をつけたときには夕闇が迫っていた。
これだけの量の薪を燃やすと、かなりの高温である。喜んで人を焼くひとはさぅはいない、遠巻にして、怖さを紛らわす意味でもある酒盛りが続いた。周囲には、肉の焼けるにおいが漂いだしていた。
当然獣たちは、周りの暗闇でひそかに機会を狙っている。
やがて、何人かの寝ずの番を残し帰ろうと立ち上がった時のことである。
ごうごうと燃え盛る炎の中で、ばあさんが突然、片手をグーと突き上げたかと思うと、がばっと上半身を起こしたのである。
そして次の瞬間、バーンと大きな音を発し (音が出たように思ったのかもしれないとのこと)炎と火の粉を曳きながらロケットのごとく、彼らの頭上を越えて暗闇に消えたのだ。
ウワー、何が起きたのか理解はできないが、あまりにも異様な出来事に、皆はわれさきにと逃げ帰ったのは言うまでもない。
やがて集会場に集まった皆は、いったい何が起きたのか、なんだったのかを話し合った。いろいろと話を統合し分析していくと『固く縮こまっていた遺体が、焼けることで暖められ今度は伸びる。一気に反り返った反動で腕を上げ、飛び出したのではないか』という結論である。
いわば、するめが焼けるときくるっとまるくなる状況である。
皆が納得したが、〇○君一人だけ「その前、暗闇に大きな狐が炎に照らし出されていた」と言っていた。とりあえず明るくなるまで捜索は待とうということになった。
捜索は夜明けとともに始められ、皆のいた背後の川原で、遺体はすぐに見つかった。
生焼けではあったが、獣などにいたずらされた痕はなかった。丁重に坊さんがお経をあげ、再度荼毘に付し、無事骨も拾いとりあえず一件は落着した。
しかし当然のごとく「今夜は出るぞ…」と。
それから数日間は、必ず決まった時間に「熱いよー。コンコンジージー、コンコンジージー(意味は不明)」とそれぞれの家の戸口を叩くばあさんが、をさ迷い歩いたとか…。
つづく
◇
何もない時代は、人の生死そのものが自然と一体でなければ生き抜くことすら難しかったことをうかがい知る話でもある。
第22話 「秋の夜長は信夫じいちゃんの話・その2」
じいちゃんの話を思い出していると、尾のフサフサとした大きい狐は、ここ何十年も見かけなくなったな。
山道で、草むらからスーと尾の大きな一匹の狐が目の前に、出てきた。こっちは見向きもせずに、自分の行く方向へ、タッタッタと狐は先になって歩いて行く。
<オーッと、こうやって知らないうちに化かされるんだな。危ない!危ない!>
立ち止まると狐も立ち止り、振り返ってジーとこっちを見ている。また少し歩いて振り返り、すーと草むらに消えた。なんかその時、一瞬狐が笑ったように思えた。
◇
最近はほとんど見なくなったが、広い牧草地に、鉄杭を打ち長いロープにヤギや馬をつなぎ、草を食べさせているのを見かけた。ある程度食べ尽くすとまた場所を移動し、杭を打ち直し食べさせる。というものだ。
「馬は、絶対に夕方、馬小屋に移さなければならない。なぜなら必ず夜中に狐に化かされて、朝行って見ると同じところをぐるぐると回っていて、使い物にならなくなってしまうのだ」。
馬は頭の良い動物である。どうも頭の良いものが騙されやすいようだ。
自分は半世紀以上山の中をさまよってきたが、いまだ騙されてはいない。
農繁期になると夜の学校が始まる。の青年団が昼間子供たちが勉強した校舎に集まって勉強し討論をした。その日信男は夜学の日で、いそいで晩飯をかきこんでいた。
〇○君が迎えに来るからである。
おーい、おーい外で呼ぶ声が聞こえる。
窓から見ると、畑の向こうの道端でカンテラの明かりが揺れている。
「なんだ〇○君、あんなところで…。いつもは家まで来るのに…」
いつもとは違う行動に、ちょっと変だと思いながらも、慌てて残ったご飯を口に入れると、勉強道具を包んだ風呂敷包みを小脇に抱えて、家を飛び出した。
外へ出るとその明かりはどんどん先になって歩いて行く。
「おーい待ってくれー!」いくら声をかけても、ある一定の距離を空けて先へいくのだ。そしてこちらが立ち止まると止まり、歩きだすと向こうも歩く。走るとやはり同じ感覚を保ったまま走るのだ。
<なぁ~んかおかしいな>と思いだしたころだった。
太い柏は伐採し、広く広がった子柏が残った林でフッとその林に明かりが入ったように見えた。走っていくと、その林の中で明かりが、まるでおいでおいでと手招きをするように、揺れている。
<糞でもしているのかな>
少しして、ありったけの声を張り上げ「おーいどうした」。
するとその明かりはフッと消えてしまった。
少し待ったが一向に出てくる気配がない。
変だとは思いながらもそのまま学校へ向かった。
学校へ着くと○○君は来ていなかった。
そして間もなく息を切らして「信夫君、家に寄ったら先に行ったというし、どうしたんだ…」
あのまま林に入ったら、間違いなく化かされていたべなぁー。
しょんべん樽に浸かった〇○君仲が良かったらしく、よく話に出てきた。最後〇○君が亡くなる話まで続いた記憶がある。
つづく
◇
「狐がな、何度も振り返って見るのは『今度会ったら化かしてやろう』と思っているからだ」と信夫じいちゃんは、茶碗に残った酒を一気に飲み干した。
第21話 「秋の夜長は信夫爺ちゃんの話・その1」
母方のひい爺は、明治41年、岐阜から家族を引き連れ十勝へ入植する。
多分にもれず、言葉にできない思い出は多く、祖父で息子の信夫は凡ての農作業が終る晩秋を迎えると、一升瓶の栓を抜き、茶碗になみなみと酒を注ぎ、当時の話をいっぱい聞かせてくれた。
◇
入地したところで、まず拝み小屋を建て開墾に着手するのだが当時は、羆、エゾ鹿、キタキツネなど野生の世界に人がどんどん立ち入っているわけで、しかもアイヌコタンのように『共に生きる』という考えは全くないわけで、片っ端からどんどん大木を倒し、そのあとどうしょうもないから火をつけてバンバン燃やす。
そして、わずかに空いた根株の間に種子を撒き、少しの収穫物と山菜など自然の食い物で、一年一年と命をつないできたんだ。
獣と同じく、開拓者も必死だったと、振り返ると思うよ。
拡がった土地は、後から入植してきた人に売り、その現金を手にしてまた次の入植地へ、と少しづつ大きくしていった。
獣で一番困ったのは羆でもなんでもない、キツネだったなー。
頭が良くて、挙句にすばしっこい。
寝ている間にスーと、音も立てずに小屋に入ってきて、鍋の中や食い物を漁る。何度追っ払っても、寝入った隙を見てやってくる。
特に古狐がよく悪さをして、たくさんの人がだまされたもんだ。
芽室に移ってからは、ある程度蓄えができたので、家を建てた。
近隣はまだ掘立小屋が多く、仲間が良く風呂を借りにきたもんだ。
みんな苦労を共にしてここまで来た仲間だ、風呂から出た後、一杯やりながらお互い日々の艱難を癒したもんだ。
あるときのこと、いつも来る〇〇君が時間になっても来ない。
もうとうに、寝る時刻は過ぎてしまった。
「きっと今日は、疲れて寝てしまったのだろう」と小便をしに外へ出た。珍しく木枯らしも止み、その日は一日穏やかな日だった。薄曇りで、ほんわかとやわらかい大気が、周りをやさしく包んでいた。
小便樽(当時は庭先に穴を掘って樽を埋め小便用としていた)に向かい用を足していると、下から鼻歌が聞こえるではないか? ?
「信夫君、いつもすまないねー。アーいい湯だ♪♫♪」
そこには、わしの小便を浴びながら、樽に首までつかり、気持ちよさそうに鼻歌を歌う〇〇君がいた。
慌てて樽から引きずり出し、何がなんだかわからずにすっとんきょーな顔をしている彼を促し、裏の川で体を洗い、追い炊きした風呂に入れたのである。
風呂から出た彼は、やっと我に返り、差し出した湯呑茶碗の酒を一気に飲むとポツポツといきさつを話しだした。
どうやらここに来る途中、だまそうとしている古狐を見つけとっちめてやろうとして、逆にだまされたようだった。
つづく
◇
祖父の話にはこんな話もたくさんあった。
しかし、聞いていて「じいちゃんそれはウソだろ」とは言えない、飲んでいるとはいえ真剣なまなざしと雰囲気を、今も思い出す。