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第55話 「きれい」


「ことしはキノコの豊作」と、地元のキノコ名人が新聞記事ではなしていた。
わたしもそうおもっていたが、でかけた場所と時期がわるかったのか、収量はたいしたことなく、結局満足するキノコの写真を撮ることもかなわなかった。

 10月下旬の早朝、何年もいまだ撮(採)れないキノコを、今年も探し求めて出かけた。
フロントガラスは、ねっとりとまとわりつくような霧がへばりつき、数メートル先しか見えない。

「そろそろ日が昇るころか」
右手ひがし側のもやが、うすいオレンジ色に変わりだしたときである。
「危ない」突然左から、黒い影が飛びだし、寸前のところでわたしの車に気付きあわててまた引っ込んだ。
鹿か…?でもどうも違うようだ。少し先で停まる。
バックミラー越しに見ていると、大型の三脚にとりつけた長玉をつけたカメラをかかえてまた道路を横切るひとが。
でも身のこなしはおぼつかない。

「こんなガスのなか何をしているのだろう」と、車を降り近くまでいってみる。
やがて、雲のようにたなびく霧の切れ間から、すっかり黄色づいたカラマツの防風林をとおしたそのさきに、虹のリングを背負うかすみがかった太陽が顔を出した。
そして、かたわらの私にはまったく気付くようすもなく、畑の道の脇でしきりにシャッターを押す御仁が、ひとりふたり…三人と。昇る朝日と絶妙な霧の動きにあわせて、彼らもまた、それぞれおもいの構図を求めてか、あちこちと移動する。
重い三脚をもち、下草に足を捕られながら歩くすがたから、老境近いひとたちのようで、いまそんな光景は日常らしく、写真は老後の趣味のひとつの部門を確立しているようだ。
新聞紙上では、サークル名をかかげた多くの風景写真が詳細なデータと共に紹介され、個展の案内も絵画をはるかにしのぐ。
そして、皆じつに上手で、
「苔むす山間を流れる、真っ白な綿のような清流に、散りばめられた彩り鮮やかな木の葉」など、きれいな写真がいつも紙上に氾濫している。

 十勝川がまたきれいになってきた、と思う。
一時期
は、よどみに油のような膜や茶褐色の泡が渦巻き不快な臭いが漂っていたが…。
でも、何年も水質調査を続けている知人が
「きれいなのは見た目だけだね」と。
河口近くでは、堤防を守るためのしゅんせつで川床が海水面より下がり、そこにたまった冨栄養素が海水とともにいつまでも動かず、
「シシャモなどさかなの遡上や、産卵を大きく阻害している」という。
“見えないきれいなところを観る”のは難しいな。

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第54話 「ふつう」


「風景は、見た目ほど迫力あるものが撮れないなー」いっしょに撮影にでかけた仲間の写真家は、ポツリとひとこと。

自然界の動きを、連続してとらえる動画とちがいその一瞬をきりとるスチールは、私たちのもつ視覚き能でみる画像と、ときにおおきなちがいがでてあざむくのである。

 ど・う・し・て・も、ふつうに写真が撮れない。
ど・う・し・て・も、見た目にきれいに撮ろうとかまえて、角度や前景やそこらにある小物を使ってカッコつけてしまう
自然を撮るのにそのこころは、しぜんではなく実にふじゅんなのだ。

ふつうにいろいろとへんかする自然界。
美しく、ときにはげしく、また恐ろしく感ずるのは私たちの見かた、すなわちこころ、心象で、それがふつうなのだ。
なのに“
すぅーとふつうに”できないのである。

かつては、カッコよく生きることを信条としていた時代もあった。
「人生は劇である。だから日々をどう演ずるかだ!」なんてネ。
そして“自然体で”なんていいながら、無意識のうちにもうすでにカッコつけてしまっているのである(それもわたしのなかではしぜんなのか)。
むかしから基礎的なこともだめで、撮る写真は大方ピンボケでブレが多い(最近は、あまいピントも手ぶれもカメラの性能のおかげですくなくなったが、なくなってはいない)。
若いころは、コンテストも二度ほどだしたこともあったが…。
現役カメラマンのときいちばんカッコわるかったのが、「腕試しだ!!」と弟子とともにコンテストに出品。弟子は入選でわたしは、箸にも棒にもひっかからなかったことである。
だから、もともとくじ運?がわるいと、そういうたぐいのものは早くからあきらめている。
とにかく「じっくりと考え、まずは勉強をして」が、こどものころからできない。
それで学生時代はずーとビリケツ。一生けんめい勉強しようとはするのだが、すぐに気持ちがあっちにいってしまい、まったく頭にはいらない。カメラをつかみ、兎に角わけもわからずにでかけてしまう。
撮りながら、試行錯誤して、それも他人のなんばいもの歳月をかけて、ほんのすこしづつやっとおぼえていく。

ようやく機能や性能がわかり応用までができるようになるのは、なん十年もたってからで、その間に機械の方が発達して助けられている。
つい最近も、寝ていて随分まえのことでようやくわかったことがあった。なんのことだったかは、思い出せないが…。

そうかんがえていると、なにからなにまでカッコつけて生きてきたようにもおもう。

 兎に角、ふつうに生きてふつうな写真が撮りたいのだ。
奇をてらったど肝をぬくものじゃなく、ふつうな写真が…。
ところで、「ふつう」ってなんなのだろう。わたしには難題である。

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第52話 「酒に酔う」


仲間に無類の酒好きがいる。
今風に言えば完璧なるアルコール依存症」と、本人はいっている。
「アルコール依存症だと、暴れだしてやがて病院行きだべ」
するとすかさず
「飲みたいのに酒を取り上げるからヨ」と彼。
ナ・ル・ホ・ド。

 五歳としうえで、新聞記者時代の先輩である彼は、とうじ会社内部でごたごたがおきたとき「焼酎の酒場をヤル」と、早々と退社。手慣れた包丁さばきで、奥さんとふたり念願の酒場を開くが、客より飲み過ぎたのか三年ほどで店を閉めてしまう。
それからは長い間、随分と悩んだらしい。

ふだん飲んでいないときは(仲間では「見たことがない」という者も)、用件以外は多くをはなさない。が、ひとたび酒を口にすると、たちまちのうちに饒舌になり世情から歴史、はたまた女の話、人生論と、つぶれるまで弁舌ゆたかにはなしが止むことはない。
著述家で、自称詩人でもあることから、弁のたつことこのうえない、知ったかぶりをして横やりでも入れようものなら、たちまち目は三角に吊りあがり、いい負かすまで徹底的に論破する。
でも、仲間内では皆優しく次々と酒をつぐからか、ときどき奇声は上げるものの暴れることはまだない。

自然に抱かれるとのんべーに拍車がかかり、キャンプ取材は酒を切らしてはなりたたない。たとえ何日居ようとも…。
2000㍍近い山が連なる大雪山系にこもったとき、途中で酒が切れ、けっきょく彼は焼酎を買いに下山し補給するとまた登ったほどである。
たき火を囲み良いだけ飲み、そのまま眠りこけ、朝目を覚ます。と、まずは一升瓶の栓を抜きカップになみなみとそそぐと“くぅー”と、うめきながら実にうまそうに飲む。
取材がはじまると、空のペットボトルに焼酎を満たし、ぐびぐびやりながら野山をさまようのだ
兎に角、いくら飲んでも具合が悪くならないというから始末がわるい。
そんな彼が最近
「怖くて病院へ検査に行けない。俺が死んだら葬式頼むね」と。
思わず笑ってしまった。
だっていつも飲むほどに
「なにぃー。おれは誰を頼ることなく全部自分の判断でこれまで生きてきた。いつ死んでも構わん。怖いもんなんかあるかい―」と、大口叩いていたではないか。

 あげくに「だけどおれは多分、あんたより生きるべな」だと。
もう40年以上の付き合いになる。
「どっちが行く末を見届けるのか」楽しみな仲間のひとりである。

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