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第5話「捕まえる・1」

を走ると、よく、わき見運転をしてしまう。
昔からの悪癖で、撮影の題材に気を取られるからである。山道は幅も狭く、野の花や山菜、キノコなど気が引かれる素材も俄然に増えて、これまでに藪や道路下に何度突っ込んだことか。齢を重ね、動体視力をはじめあらゆる機能が鈍ってきている今、十分に気をつけなければならないと思っている。

                              ◇

 夏も盛りとなったある日、車で林道を走っていた。砂利道が終わり、地表面をはぎ取っただけのくねくねとした道は異様にでこぼこしていて、ゴトンゴツンと車の底を突き上げる。車の往来で削られ、土の中の岩や木の根がところどころに露出しているのだ。
 ふと整備工をしている仲間が「山道を走ることが多いのだから、車に石鹸を常備しておけョ」
と言っていたことを思い出した。一度彼が勤める工場で、車を持ち上げボデー下を見たことがある。マフラーはあちこち潰れ、穴こそ空いてはいないものの底はいたるところがボコボコで、見る影もない。
 石鹸は“応急措置”で、オイルが漏れるような穴が開いときは穴に石鹸を擦り込むと、市街地の工場までは持つというのだ。
 そんなことを考えながら、道の中に時々頭を出す尖った岩をかわしながら、ほんの少しよそ見をした時だった。
 ガタン、突然大きな音とともに車が左に傾き、つんのめるようにして止まった。降りて見ると、丸太を横に何本も並べて上に土や石を乗せて固めた土橋の端が腐っていて、左に寄りすぎた車が乗り上げた途端に崩れ落ちたのだ。
 さてどうしたものか・・・。
 

 FRのバンタイプ乗用車の前半分が、べたっと、土橋と路肩に底がついてしまっている。左の前輪は、小さな沢の流れに落ち宙に浮いた状態で、ジャッキは入る隙間もない。
 麓まで歩くと、優に3時間はかかる。
 “確か2キロほど下に飯場があった”と思いつき、撮影しながら頼みに行くことにした。
 飯場は、林道脇から少し奥に入った木を伐採した跡の高台にあった。南に面していて見晴らしが良く、正面にはドーンと日高の峰々が迫る。
 学校の校舎を思わせる平屋で板張り横長の建物は、中心に玄関があった。挨拶をしながら、開け放れたままの戸口から入ると、中から割烹着を着た賄いらしい女の人が出てきた。
 事の仔細を話す。
 「いまみんな山へ行っていて2時間ほどは帰らないのよ。帰り次第にそこに行かせます」
 「すみません」とお願いして、苔むす沢の流れや草花などを撮影しながら時間をつぶし、ややして来た道を戻り始めると、前方からがっしりとした体格の若衆3人を荷台に乗せた、小型トラックが一台やって来た。慌てて手を挙げ、車を止めて、運転している中年の男の人に事のお願いをしようとすると
「嗚呼、飯場に来たのはあんたかい。今上げてきた」
 そして「送ってやるから乗ってけ」
 車は鍵をかけてきたはずだったが、屈強な男4人、きっと軽々と車を持ち上げたのだろう。
 車は、すれ違うことのできる道脇まで移動させてあった。
 運転していた人が、カメラに興味がある様子でいろいろと聞いてくる。
 道端の倒木に腰をかけて、一服しながら問いかけに答えたあと、山での四季の生活を聞いた。
 自分は、この一時が大好きで、人と出会うといつも同じようなことを聞く。
 「冬は、麓の民家までしか除雪はしないので、大半を飯場で過ごす」とのことで、山菜やキノコ、川魚など豊富な食材に事欠かないという。そして
「中でも一番のごちそうは、やっぱり鹿肉だべな」
「鉄砲で捕るのですか」
「いや、素手で捕まえるのよぉー」
「エッ、ど.ど.どうやって」
 

 それはこうだ。時期は3月中ごろから4月の上旬で“硬雪”(※かたゆき:春先の日差しが強くなる頃、日中気温が上がり夜に冷え込むを繰り返した朝、雪の表面が凍って固くなること。冷え込んだ朝は、大人が走っても大丈夫なほど硬くなる。)になる頃が最適らしい。
 この時期の積雪は、深いところでまだ1.5メートルほどあり、ひもじい鹿は南斜面に顔を出す僅かなササの葉や木の皮を食べている。
 朝、群れで、楽に動ける硬雪の上で餌を食べる鹿を、狙うというのだ。
 大声を出して、みんなで追い立てると、鹿は慌てて逃げる。でも鹿は、爪が尖り足が細長いので、びっくりして走りだした途端、硬雪に足が深く突き刺さって身動きが取れなくなる、そこを捕まえるという寸法だ。
「いいときはナ、一度に2、3頭は捕まえることができるんだ」
「ぜひ一度見てみたいです。そんな写真を撮りたいな」
「おぉいいゾ」
 そんな話を聞いて、トラックを見送ったのである。
 その何週間かあと、酒一升を下げて、お礼かたがた飯場を訪問した。最初に顔を見せたのはやはり賄の女の人で、奥へ声をかけると、運転していた中年の男の人が出てきた。
 あの時のお礼を丁重に述べて、酒を差し出すと「そんなこといかったのに。わざわざなー」
と少し照れくさそうに受け取ってくれた。
 すかさず「鹿捕りの撮影の件なんだけど…」と切り出すと、申し訳なさそうに
「年内でこの飯場は閉鎖と決まったのサ」
 と告げられた。

                               ◇

何年かあと、車を入れ替えることになり車内を整理していると、ビニール袋に入った石鹸が出てきた。
ひび割れて半分砕けている。
なぜ石鹸があるのか・・・捨ててしばらくしてから、仲間の言っていた“応急措置”を思い出したのだ。
しかし時代の進化は、そのことを試すことはなく、今に至っている。

                              次は・2

 

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第4話「天空の園」最終回

「畑作物は低温多湿で大半がいまだに開花せず、根腐れがはじまっている」というようなことが、時折電波が入るラジオから流れてくる。
しかし山は、いつもと変わらないように見えた。森の木々は濃い緑色の夏葉を隙間なくつけた枝を伸ばし、競い合うように川面を覆っている。山ブドウも枝いっぱいに小さな実をつけているし、フキは背丈を超す勢いですくっと空を向き立派な傘を広げて林道沿いを埋めている。タモギタケは立ち枯れたヤチダモの木の天辺まで、びっしりと出ている。

                                                           ◇

 斜面を下り始めるとハイマツ帯はすぐに抜けた。
 急峻な斜面は下に行くに従い深くVの字に切り込まれ、眼下の雲の海に飲み込まれている。目の前の視界が開けると、今までイライラしていた気持はどこかに行ってしまった。渓の草の張り付く斜面の底はごつごつとした石ころの傾斜地で、雪解けや大雨の時水が流れるのだろう。石の上で休んでいた一匹の小さな蛇があわてて草むらに逃げ込むのが見えた。
 「あれ!マムシでないかい」確かに茶の地肌に焦げ茶の蛇紋が見えた。
 「青大将の子だ。小さいうちはそんな模様がある」などと、知ったかぶりを交わしながら3人は、このときはまだ楽しそうに沢筋を下って行ったのである。
 雲間に入るころだと思う、頭ほどの大きさの岩が重なり合う急斜面の間から、ゴボゴボと掘り抜きのように勢いよく水が湧き出している、この川の源流部だ。3人はかわるがわる何杯も水を飲み、顔を洗い手拭いで首筋をぬぐった。水を掬う手が切れるように冷たい。
 元気よく吹き出す水源を囲み暫時休憩。周囲の険しい斜面は深い霧が漂う渓間の森に向かって一直線になだれ込んでいる。
 「天幕なんか張れる場所はないな」この源流部でビバークするつもりだったのだ。
 「まだ時間がある。できるだけ下がろう」
 どこから流れ込んでくるのか、下るに従いどんどん水量は増えて、ごつごつした石は丸くなり表面に付着したヌルに足を取られる。おまけにビムラム底の登山靴は滑りやすく、ひとりが何度も転び沢で体を濡らしている。
 当初の計画では沢登りは全く想定していなかったので仕方がない。
 霧雨と沢水で濡れた服は体熱を奪い、手先がかじかんでくる。やがて、何度も転んだ一人が「疲労が激しい」というので激しく流れ落ちる沢の傍らの僅かな空間にビバークした。張り綱を沢の石に括り付け天幕を張り濡れた服を着替えたころ、夕闇が迫り霧雨は本降りになった。
 激しく流れ落ちる沢音に混じりか細い声が・・・、ふと隣を見るとひとり泣いている。
 「家に帰りたい…クックック」なだめてもいつまでもザメザメと泣いていた。
 夜半に、泣き虫を挟む両脇の寝袋はずぶ濡れになり目が覚めた。彼は起きた二人に気づかず、泣き疲れて軽く寝息を立てている。
 その時である。天幕がガバーと強く沢の方に引っ張られ、同時に天幕の内側に着いた水滴がザーと降り注いだ。
 「うわーっ」泣き虫も飛び起き「どうしたんだ。何があったんだ」。
 入口を開けて恐る恐る周りを見回したが真っ暗で何も見えやしない。流れ落ちる沢と雨の音以外何も聞こえない。
 明るくなって外へ出てみると張り綱の一本が外れ、周囲のフキや草がなぎ倒されている。石の上の苔にくっきりと付いていたのは、羆の鋭い爪痕だった。羆の足に張り綱が引っ掛かったのだ。
 「こりゃー羆もあわてたべな」
 早く羆の縄張りから脱出しなければと、また濡れた服に着替えて急ぎ下山を開始する。途中、渓谷を覆う巨大な雪渓のトンネルや落差が優に10㍍は超す滝と出くわし崖を伝い迂回したりと、驚きと緊張の連続であったが、そのたびに「だめだもう行けない」と座り込む彼の介護に、かなりの時間と労力を使ったと思う。
 滝は大小3本はあったと思う。真夏の晴れた日の沢登りはこの階段状の沢が快適であろう、と思った。
 やがて尾根筋や斜面に背の高い広葉樹が多くなったときである、足もとの流れの中に明らかに自然にはない水色の物に目が止まる。それは果物の缶詰の錆びて朽ちかけた空き缶だった。何気なく見上げると斜面の藪が不自然に削られたようになっている。登ってみると古い作業道で、藪をかき分けると林道の終点だった。
 あとから分かったことは、すぐ先は両岸が切り立った崖が続く深い渓谷で気づかずに沢を下っていると、事故につながったかもしれない。
 またこの数年後、この場所に来てみると〇〇岳登山口と書いた地元山岳会の標柱が立っていて沢登りコースが開削されたようだったが、その標柱も今はない。
 林道に出てからは極めて順調に予測通りに途中一泊、バスが来る景勝地で一泊し翌日バスと気車を乗り継ぎ無事帰宅したのである。
 ただ疲れていたのに熟睡できない夜には参った。原因は三つ。その一、寝袋がいつも濡れていたこと。その二、夜になると「家に帰りたい・・・」と彼が泣くこと。その三、最終日の景勝地のキャンプ場では運悪く30人ほどのボーイスカウトの餓鬼どもがキャンプに来ていて、夜は遅くまで朝は早くから騒ぎ走り回っていたことである(すごく楽しそうだったけど)。

                                  ◇

 最終日は珍しく朝から陽が差し、気温もぐんぐんと上がった。
 お日様の顔を拝むのは何か月ぶりだろう。泣き虫の彼は「駅に着いたらとにかくラーメン食べるべ」と急に元気になったようだ。
 駅は活気にあふれていた。これまでの天候のうっ憤を晴らすかのように。
 ひとは、地獄のような場面に出会うと「早く抜け出すことを願い」天国のような状況の時は「いつまでも続くように」と思う。
 過ぎ去ってみると凡ては一瞬のことで、わが胸中のとらえ方次第で良くも悪くもなるようにも思える。
 「旅をする人よ決して嘆くな。雲の上にはいつも陽が輝いている」。
  アレ!“どっかで聞いた言葉でないかい。”

                                 おわり

 

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第4話「天空の園」その二

相次ぐ自然災害は、自分たちの生活にも当然影響はあったと思う。しかし、そんな大人たちの苦闘を知ることもなく極楽とんぼの三人は、不謹慎にも山登りに明け暮れていた。最も当時の我々には、まだそのことを理解し受け入れる器はなかった。
一概には言えないが、自分の思うがまま無鉄砲に突き進んでいくのもまた、若者である。でもそこに、家庭、社会での年代の違いによる温度差が生まれ、ときとして歪みとなっていく。
その溝を埋めるのは、時の経過しかないのかもしれない。
 
 遥か彼方に広がる雲とその海に浮かぶ峰々の島。3人は頂上の大きな岩の上に腰を下ろし、交わす言葉も時のたつのも忘れて眺めていた。暑くも寒くもない、優しいぬくもりが今いる園すべてを包み込んでいる。
眼下の雲は不思議と、少しも漂うことなく時が止まったように動かない。やがて日が西に傾くと天空は藍色となり、雲の海はゆっくりと茜色に染まっていく。
沈む夕日を見届けてやっと3人は腰を上げた。

                                  ◇

 この山の頂上部は、一番高いところが大きな岩が重なり合い、その下に広がる低い草丈の草原には大小の岩塊とハイマツが点在している。そしてその周囲を、種類は少ないがキバナシャクナゲなどの高山植物は花を咲かせて、草原の起伏に合わせて群落を創り、見事な絵になる自然の造形を成している。
 「今夜は風が吹くぞ!」
 夜中に突風が吹くのを予想して、ハイマツの影のすこし窪んだ草地に天幕を張る。途中で採取してきた三つ葉を入れた味噌汁と、炊き上がったご飯だけの夕食を済ませ外に出ると、黒とは違う濃い藍色の空を無数の星が埋めている。
 確か月は出ていなかったと思う、なのに明るい。
 草原も岩もハイマツと傍らの天幕も手に取るように分るのだ。目を凝らすと雲の海が光っている、理由は分からないがポワーと雲の中が明るいのだ。
 天幕に潜り込むとやわらかい下草は、日中のぬくもりが貯えられているのか温かく心地よい。
 蒸れるような暑さで目が覚めた。
 もう太陽が昇ったのだ。一つの寝袋に1時間交代で寝るはずがそのまま寝むってしまったらしい。
 天候は今日も、昨日と同じで変わらない。
 時折聞こえる鳥のさえずり以外に何も聞こえない。風もなく、雲は動く気配すら見せない。
 水が残り少なくなったので残雪を探しに行く。縦走で一番悩むのは水の確保だ。炊事はもとより登坂中の水分補給は不可欠である。北側の斜面を少し下ると笹原のくぼみに小さな雪渓を見つけた。
 上の汚れを取り除き、キラキラと光る透明な粗目状の雪をほおばると木臭い味がした。仲間のひとりがポリタンの口からその雪を入れ、ポケットから取り出した袋を開け中の粉末を入れて上下に振っている。ほど良く溶けたころみんなで回し飲んだ。ソーダラップ(炭酸の粉末ジュースの元)だ。口の中でシュワシュワと泡がはじけ、そのあとに残った冷たい氷の粒を噛むとそれなりに旨い。
 ポンチョに包んできた雪をコッヘルに入れてラジュースで溶かし、水を作る。雪は1年の半分以上もいろいろなものをため込んでいる。解けると薄茶色の水となり、手拭いで濾すもののゴミは取れたが色はさほど変わらない。でもこれでまた元気に登山を続けることができるのだ。
 高山蝶のコヒオドシがエゾコザクラの花の上を飛び交い、温まった岩の上で羽を広げて太陽の力を体に取り込んでいる。
 岩の上に濡れた寝袋を広げ、思い思いに好きな場所で寝転っている。
 何をするでもなしに…。
 シマリスがすぐ近くに何度(匹)も遊びに来た。
 結局「濡れた寝袋を乾かす」という口実で2泊したが、ここを去る時まで天候は変わらなかった。きっとそれで下界は2か月も、低温と長雨が続いているのだろう。
 今振り返ると「天国と地獄」か、と思う。こんな体験は後にも先にもこの時だけである。
 3日目も変わりはなく穏やかな朝だった。すっかり乾いた寝袋や天幕、そしていくらか減って軽くなった食料と2日間の充電で身も心も軽くなった3人は、元気よくハイマツ帯の中に飛び込んだ。目指すピークは尾根伝いに峰を三っつ超えた先で、目をやると花崗岩の尖った山頂がきらりと光って見えた気がした。もちろん道はない。
 ハイマツは思ったより背が高く、グニャグニャと曲がりくねった枝が邪魔をしてなかなか先へ進むことができない。枝がザックを引っ掛け、何度も身体を後ろに引き戻す。地面を歩くというよりも枝を掴み幹から幹を渡り歩くという状態で、時折跳ねた枝が顔面や体を打ち、吹っ飛んだ帽子を拾うだけでも大変だ。4,5時間が経っても僅かしか進んでいないことにいら立ち、作戦会議を開いた。噴き出す汗が目に入り広げた地図にポタポタと滴った。                                    

                                 ◇

 「このままだと何日かかるか見当がつかない」
 「尾根は大方ハイマツ帯だろう、しかし戻るのもなー」。
 急遽予定を変更し、登ってきた反対側の沢に下りて源流部付近でビバーク。そして沢沿いに林道まで下って途中で一泊。次の日、15キロ先の景勝地のキャンプ場で一泊して翌日バスで二つ先の駅まで行き汽車で帰還する。
 そうすれば予備日一日を残し、計画通り予定日には帰宅して大騒ぎにはならずに済むだろう。

                                つづく

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第4話「天空の園」その一

ミツガシワ

1934(昭和39)年の7月から8月にかけて、北海道は未曽有の大冷湿害に襲われる。十勝の農家18.516世帯のうち被害農家は17.061世帯に及んだといわれる。そして翌年の9月、2つの台風が相次いで上陸10日もの間荒れ狂い死者も出たほどの災害で、田畑の冠水など甚大な被害を受けた。このときを境に多くの離農世帯と、畑作から酪農業への転換があったといわれている。

 春休み、夏休みそして冬休みと山登りに明け暮れた。当時の日高山脈は登山道のある山が少なく、岳人達憧れの「近くて遠い山」であった。夏休みに入り前々から計画の日高山脈縦走に、1週間の予定で挑戦した。レトルトはもとよりインスタント食品もお金もない我々は、一週間もの山歩きになると主食と非常食以外の食材は、荷を軽くするためにすべて現地調達となる。
 「入山届はどうしたか」って、もともと引率の先生なしでは禁止である。すなわち「無願登山」である。

                               ◇

 ディーゼルカーの車中で、昼食のおにぎりをほおばり3人が降りたところは、冬山などで時々宿泊に無断で利用させてもらっている駅である。駅と言っても、ホームの中央にうすい板を張りめぐらせた掘っ立て小屋と思しき6畳ほどの建物で、保線区の人たちの事務所と官舎が線路を挟んだ向かいにあるが、駅員はいない。
 1754mのこの山は唯一登山道があり、この山頂から南にある山の頂まで縦走する計画である。晴れているとここから目指す山頂が見えるのだが、どんよりとした厚い雲がすそ野まで覆い、さむい。
 今年は春先の数日は気温があがったが、その後は陽の差さない日が何日も続き、あげくに夕刻になるときまってシトシトと霧雨が降る。
 「今年は蝉の声を一度も聞いていないな」
 「もう鳴かないうちに死んだんでないかい」
 軽く40キロを超えるキスリングザックが、両肩にグッと食い込む。登山口まで約3時間、歩き始めてようやく体が温まってきたときうしろから声がした。
 「そんな大きな荷物しょって・・・。乗ってけ」
 振り返ると、麦わら帽子の上に日本手ぬぐいで鉢巻をした馬車追いのおじさんだ。
 「いや結構です」
 「いいから…乗ってけ。そんな重いのしょって死んじゃうぞ」
 実は歩かないと寒いと思ったのだが、また断ると怒られそうで仕方なく乗せてもらう。荷を下ろしての帰りなのか、囲いのない荷台の上にはおじさんの座っている折りたたんだムシロ以外は何もない。
 3人が乗ると馬はまた歩き出し「カッポカッポ」と砂利道を踏むひずめの音にあわせて、荷台の前と後ろが少しだけ上下する。歩くよりは少し早いくらいでなんと心地良いことか、今もこの光景が記憶から消えない。
 行き先が分かれるT路地で、丁重にお礼を言って馬車を降りる。
 「気をつけて行けよ」と愛想のない表情に、当たり前の優しさを感じた。訳わからず怒られることも多かったけど、こんな出会いもたくさんたくさんあった。

 登山口についたときはまだ十分に明るく、テント設営を二人に任せて食材の調達に川へ行く。濁りはないが水量が多い。さっそく流れの落ち込みの淵に、出掛けに母親が「これは釣れるょ」と出した塩で固まった鱒子を、千切って釣り針つけ何度も流し込むがアタリはない。
 川面を覆うように張り出した枝葉がしっとりとぬれて光り、滴が落ちる。また霧雨が降り出しすこし薄暗くなってきた。
 流れの石を裏返すと、何匹もの川虫が散らすように走り回る。大きいのを捕まえ餌を付け替える。
 尿意をもよおしので竿を置き、小便をしていた時だ。何気なく竿先を見ると「グッ、ググーッ」と深みに引き込まれているではないか。あわてて左手で自分のサオを摘んだまま、右手で咄嗟に竿をしゃくる。
 「キュィーン」すごい引に、テグスが流れを切り叫ぶ。ようやく岸に引きづり上げたのは20㎝は優に超える幅広やまべだった。

 質屋で見つけた、進駐軍払い下げのズック地の小さなテントのなか、3人が背中を丸めて肩を寄せ合い、ラジュースに乗せたコッヘルを囲んでいる。結局釣果はこの一匹だけで「どう分けるか」思案の末、フキと一緒に味噌汁にすることになったのだ。
 それは本当に旨かった。
 夜半に霧雨が本格的な雨になったのか、テントをたたく雨音で目を覚ます。
 「わぁー」川の字になって寝ている向う端で、寝袋がびしょ濡れだという。テント地は、当の昔に防水効果がなくなっていて寝る前に新聞紙を張りつけて予防しておいたのだが、気休めだったようだ。
 今回の山行はこの初日を境に、真ん中の唯一濡れなかった寝袋ひとつに最終日まで、3人が交代で寝る羽目になったのである。 
 翌朝、雨は上がり少し薄日が差して表面は乾いたものの、ずっしりと倍の重さにはなった荷物を分け合って、早めの昼食を済ませ登坂を開始した。
 すぐに雲の中に入ったのか、霧がまとわりついてくる。
 七合目あたりに来た時「こんちわー」、上を見るとわれわれよりは大人びた青年が、同じくらいの大きなザックを背負ったままひとり、登山道わきにへたり込んでいる。共に疲れ切っていたのか挨拶を交わしただけで、どこへ行って来てどうだったのか、互いにかわす言葉はなく通り過ぎる。結局今回の山行で出会った人は、この人だけだった。
 高度があがるにしたがい、どんどん気温が上がってきた。這い松が霧の中に現れて間もなく、突然目の前に抜けるような青空が広がった。

                              ◇

 雲の上に出たのだ。
 頂上に立つと、周りはどこまでもどこまでも雲の海が広がり、尖った頭だけを出した山脈の峰々が南北にずーと向こうまで連なっている。すこしの風もなく、何の音もしない。

                              つづく

 

 

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