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第126話 「執念か!?」


山菜とキノコの本、「十勝の自然と友だちになる!ために」が出版されて早くも3年が経つ。これ以上のものは―。と、意気込み、穴が開くほど見まわして脱稿したのだが―。

頁を開くたびに、“たいしたことないナ、もう少し何とかならなかったのか!!”と、どんどん色褪せてくる。
それで、山野へ出かけると山菜やキノコの撮影を欠かさない。いずれまた、自分が満足いくものをまとめ出版したいと思っているからだ。
ところがなかなか撮れない、キノコが…。理由は3つ考えられる。
その1、植物ではなく菌類のキノコは、山菜に比べて発生すると間もなく溶けてしまうなど出会う機会が短い。
その2、左目の視野が狭くなりつつあるわたしは、加えて老化に伴う眼球の白濁した濁りが少しずつ増えて、すなわち、多くのキノコの住処である薄暗い森のなかなどは見えずらく、見逃すことがきっと多いのだろう。
その3は気候の変化だ。特に今年は異常に雨が多いし、急に気温が上がったりまた寒くなったり、そして翌日は桜が開花するほどの夏日になるなどめまぐるしく、生物もサイクルがおかしくなっている―。
そんなことを考えていて、待てよ。
<ちょっとあんた、言い訳ばかり探していないか>。
撮影に、5年の歳月を費やして完成させた「十勝の自然と―」は天気が―とか、眼が、足腰が―なんて思うことなく、只々「これまでの集大成を―これで最後だ」と、一心不乱に取り組んだ。
20代30代40代のときもそうだった。年代に伴う様々な壁が立ちふさがり、たとえ躊躇する気持ちが一瞬頭をよぎっても、引くことより前へ進むことの思いのほうが遥かに勝った。
ということは「なかなか撮れない」のは執念の差か!?

ただ、ずいぶん後になってから「亜ぁ~あそこは…。ここは…。」と…。
往々にして、わたしは「後悔の念」が多い。
そういえば親しい仲間もよくそんなことをのたまう。彼が云うと「過ぎ去ったこと、どうしようもないべ」と簡単に言い放つわたしも、いざ自分のことになると―
いやだね。

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