活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

長崎・五島のキリシタン史1

2015-01-22 10:20:33 | 活版印刷のふるさと紀行

 ひどい風邪をひいてダウンする前、1月13日でしたか、新宿の朝日カルチュアセンターで東大名誉教授五野井 隆史さんの『長崎・五島におけるキリシタンの歴史』の講義を受けました。

 今年は少し日本のキリシタン史をかじろうという殊勝な気持ち半分と、私を二度にわたって五島をひきまわして下さったSさんが昨秋から重篤な病で臥せってしまわれていることからもう少しいまのうちに五島について勉強しておきたいという考え半分からでした。

 五島はキリシタン版の印刷については直接関係がありません。しかし、今年9月ごろから始まるイコモス(国際記念物遺跡会議)による現地調査にも期待されている「長崎の教会群トキリスト教関連遺産」でも五島は大きなウエイトを占めていますし、なによりも私自身、五島に惹かれているところが大きいのは隠しようがありません。

 五野井さんの講義は遣唐使船や遣明船の寄港地だったり、倭寇の一部「五島倭人」の時代からはじまり、宣教師の来島、宣教活動そして弾圧、潜伏キリシタン、キリシタンの復活、明治になっての各地の教会建設と時代を追って丹念なものでした。たまたま、正月に五野井さんの『島原の乱とキリシタン』(吉川弘文館2014・9)を読んでおりましたので、「五島はそうだったのか」と興味深くききました。

 実際にいま、五島の島々を歩いてみますと、ひなびた漁村の小さな入り江に小さな教会が建っていて、明治のはじめ地元の人たちが教会建設に心血を注いだ話をあれこれ聞くことが出来ます。けれども私がもっと知りたいのは宣教師がはじめて現れたころの五島です。五島の宣教の最初は1566年1月、ルイス・デ・アルメイダと日本人ロウレンソが福江に上陸したときだといいます。五島の島主宇久純定がイエズス会のコスメ・デ・トルレスに派遣を依頼したのがきっかけと聞きました。当時島民の生活はカツオ・マグロ・イカなどの漁業と塩づくりだけの貧しさ、そのなかでいかに島主のすすめといってもアルメイダの話に耳を傾け、キリスト教に改宗する人が出るはずがありません。

  悪いことに純定の大病、島の大火、平戸からの海賊の来襲、そのほかミステリアスな事件が頻発して100日経っても入信する人はおらず、しまいには宣教の話を聞く人もいなくなったといいます。まさにアルメイダの危機です。(この項つづく)


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