活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

戦記ものを輪転機で印刷

2008-03-13 12:56:28 | 活版印刷のふるさと紀行
明治はじめの活版印刷は和紙に印刷して袋とじという、まるでそれより250年もさかのぼって、天正時代の「キリシタン版」顔負けの体裁のものが結構、多かったらしいのです。

 大半の印刷物が洋紙に印刷され製本装丁も欧風になったのは、日清戦争が終って博文館の「日清戦争実記」が評判を呼ぶころとほぼ一致しています。
 造本装丁ばかりではありません。それまでは挿絵も西洋木版や石版に頼っていましたが、写真銅版とよばれた、網目のある写真版にとってかわりました。

 戦線で活躍した将兵の写真や戦場風景がより鮮明に再現されるようになったのですから「実記」は引っ張りだこで読まれたのです。
 つまり、日清戦争が引き金になって、出版が盛んとなり、出版社の数が増し、印刷所が急激に増えたのでした。。

 まさに、日本の印刷業の黎明期が戦争によってもたらされたのです。発展ぶりは、民間だけにとどまらないで、政府も印刷局を増強して、1883年(明治16)から官報を発行しだしまた。そうした背景から活版印刷組合がさかんに活躍するようにもなりました。

 さて、日清戦争の次がちょうど十年後に勃発した日露戦争です。
〝柳の下のドジョウ〟ではありませんが、博文館は「日露戦争実記」を企画しましたし、他の出版社でもぞくぞく画報的な戦記物を出版するようになりました。

 とくにこの頃になると人工のカラーもの、三色版が発達し、三色版口絵が読者の人気を呼ぶようになって来ました。それに、印刷機も「日露戦争実記」の印刷を請け負った小石川の博進社工場が日本の民間第一号としてのマリノニ社の輪転印刷機を入れて消化したといいますからスゴカッタといえます。





 
コメント (1)
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