ドクダミダイスキ

新聞、著書で勉強しています。「60にして耳順う」。バカにつける薬があるかしら?

雑想〜『一歩の我慢』と『一歩の勇気』

2017-01-30 17:14:04 | 日記
昨日、「高尾山」に登山して来ました。「富士山」登山の予行練習でした。
息子の言い分によりますと登山の訓練には、登山をするのが一番だと聞いたからでした。今迄、下から登山なんかしたことないです。まして、今迄、登山らしきものをした記憶がありません。
「高尾山」の標高は、599mであります。先ず、1/4で最初の辛さを感じ、1/2で、これでは「富士登山」は無理かなと感じました。やはり、登山は普段使っていない筋肉を使うようです。
他の登山者を見ると、平気で登っているので、自分が情けなくなりました。それでも、休み休み、後ろに息子がいるので、みっともない姿は見せたくなく頑張りました。
息子の話では、「富士登山」は「高尾山」を4回登る計算になるそうです。あゝ、なんてことだ。
約3/4がケーブルカーの到着地であります。もう、そこで、やけくそでビールを一杯と「天狗ドック」を食べて、たっぷり休息したのです。
そこで撮った景色であります。生憎、曇り空でしたので、東京都心は霞んでいました。

本当は、東京都心の夜景と、運が良ければ少しの星も映せるかと期待していたのですが、それは挑戦できなくて残念でありました。結局、この日のためにカメラを勉強し、三脚や赤道儀、そして広角レンズを約13万円で買い揃えたのでありまが、それは次回の楽しみにしたいと思っております。まあ、他に趣味はないので、これくらいの贅沢は許されるでありましょう。
北島三郎氏の歌が流れていました。その歌詞であります。

なかなかいい詩ではないですか。天下なんかとらなくても、一庶民としても、この心がけは大事でありましょう。
今の私にとって、「富士登山」は大きな夢であります。私にとっては『一歩の勇気』であります。
次は先日掲載した新宿御苑の「シモバシラ」です。

その詳しい説明が、頂上の男子トイレに、張り紙してあったのです。この縁は不思議な感じであります。

上の方には、「シモバシラ」を守るために、『一歩の我慢』をして下さいと書いてあります。

当分、このブログは休もうと思っていたのですが、この『一歩の我慢』の言葉に惹かれました。
確かに、悪い誘惑には大切な言葉でありましょう。悪から自分自身を守るためにも、また大自然を守ることは人類を守ることにつながるでしょう。
でも、人生なんて、『万歩の我慢』が必要なのでしょう。大きな夢を抱いて、我慢我慢で頑張って、ずうっと気長に待つしか方法はありません。
失礼致しました。


雑想〜『楽しい目標は頑張れる』

2017-01-16 18:30:25 | 日記
この夏、富士山に登ることを計画しました。今年69で、初めての富士登山であります。
先日、牡鹿半島に旅行した時、星空に感動したのですが、その話を息子にしたら、「それなら富士山が最高だ」
との話を聞いた訳です。
「一緒に登ってあげるよ」と言われても、最初は、絶対に無理、と考えたのですが、それを考え直したのであります。
そうだ、一生に一度は富士登山をしてみようと。
それで、最近は、トレーニングを始めたのです。最近は、歩くのも面倒で、犬の散歩も、ほんの近場だけでした。
初心者の訓練としては、ネットで、5kmのウォーキングと5分間のスクワットが書いてありました。
それではと思い、昨日の日曜日は長距離のウォーキングに挑戦したのであります。
先ず「東郷神社」に行き、次は今年はまだ詣っていない「明治神宮」に行き、そこから「新宿」のカメラ店と本屋さんに行き、「新宿御苑」を散策して、約16km、約3万歩弱を歩きまし。約6時間のゆっくりのペースでした。
これは、息子にスマートフォンに万歩計のアプリを設定してもらったから、多分間違いないものだと思います。
これで、多少の自信はついたのですが、登山となれば、もっともっと辛いものでしょう。
まだ富士登山までは半年弱あります。このような訓練が継続できれば、富士登山に挑戦しようと思っております。
歩いている時、昔の人びとのことを思い出しました。私の小さい頃などは、自家用車をもっている人など少なかったです。
兵隊の新兵などは、30kgの荷を担いで、一日100km?を早走りで歩かされたようなことを聞いたことがあります。それを考えると楽なものです。
平日の目標は、5kmの歩きと300回のスクワットであります。
私の写真の実力は、「バカチョンカメラ」程度であります。すべてオート撮影であります。
そうしたら、その牡鹿半島の星空は、全然取れなかったのであります。
カメラを再勉強しました。星空はマニュアルでしか撮れないことも、三脚と手振れを防ぐためにシャッターをコードで操作するリモートコードも必要なことが分かりました。
早速、今朝、試してみました。残念ながら、空は晴れているのですが、月の明かりで余り星は出ていませんでした。
最初の写真はシャッター開閉が30秒、次は1分、3枚目は約2分であります。よく分からないのですが、星を撮ると2分で位置がずれてしまいます。当然ながら、地球が自転しているのが解ります。二つの星を映しています。



本当は、赤道儀という機械がありまして、それを使うと上手く撮れるそうですが、そんなにたくさん撮る気がないので、悩んでいます。2~3万円はかかるでしょう。

明治神宮で、初めて氷の彫刻を観ました。20体位ありました。





新宿御苑で珍しい写真を撮りました。
何か「紫蘇の葉」のような野草に「霜柱」ができるそうです。とても珍しい「霜柱」らしいです。

根から出ている「気根」も、初めて観ました。


最近、目が「かすみ目」になって、妻に聞いたら、老眼の前兆らしいです。本もなかなか読むのが辛くなりました。
とにかく、一発奮起、体力増強と老眼の防止に全力を尽くそうと考えていますので、このブログも休みが多くなると思います。すみません。

雑想〜「『松島』と『金華山』」

2017-01-09 00:32:24 | 日記
年一回の5回目の一泊一人旅で、日本三景の一つ、『松島』に行って来ました。
遊覧船に乗って回ったのですが、特別な感動はなかったです。これほど有名な景勝地なのに、情けない男であります。でも、自然の偉大さは感じたのであります。そして、天気には恵まれたので良かったです。






松島に限らず、往復の仙石線の車窓から観るリアス式海岸の素晴らしさの方が、素晴らしく感じました。
松島駅の近くの消防署にこんな字が書いてありました。何と読むのか分からないので、ちょうど通りかかった女性に聞いたら、「火用心」との答えがありました。どうなっているのか、さっぱり分かりません。

次は石巻駅に向かいました。
仙石線から観て、先ず驚いたのは、ずっと民家が多かったことです。後で調べて分かったことは、石巻市は宮城県で2番目に大きな都市だったのですね。
漫画家の石森章太郎氏の出身は、石巻だったのですね。漫画も不得手です。

石巻駅から、牡鹿半島南端で『金華山』の見えるところまで、バスを利用しようと考えたのですが、困ったことに2時間先でした。タクシーでは片道12,000円かかります。そこでレンタカーを借りることにしました。8100円でガソリン代(往復80Kmで420円でした。ホンダのフィット?のハイブリッド車でした。安かったことに感動しました)です。
先ず向かったのは、前日満席で断られた「ホテルニューさか井」であります。このホテルは『金華山』に面してるただ一つのホテルであります。もし、また断られたら、どこか民宿を探そうと思っていたのですが、幸運にも空きがあり、朝食付きの素泊まりで8100円でした。夕食は売店で買ったカップ麺と鯨の大和煮ですましました。
明け方の金華山であります。東日本大震災はこの『金華山』の沖合で発生しました。




今回の旅行で、一番感動したのは、朝4時過ぎの星空でありました。東京都心では見えにくく、あえて見ることもしなかったので、これを見たのは55年超ぶりだったのではないでしょうか。小学生のころ、父の島根県出雲の実家で見た夜空以来であります。星座にも詳しくはないのですが、オリオン座、カシオペヤ座、北斗七星と北極星くらいは分かりました。とにかく嬉しかったです。
『金華山・黄金山神社』にもお参りしたかったのですが、昼までに帰りたかったので諦めました。

『金華山』の「黄金山神社」に3年続けてお参りすれば、一生お金に不自由しない、といわれており、参拝できなかったのは残念でありました。
今からおよそ1260年前の聖武天皇の御代、陸奥の国主・百済王敬福が朝廷に黄金を献上したそうであります。
大仏建立に黄金を必要としていた天皇は大いに喜ばれ、年号を「天平」を「天平勝宝」と改めたそうであります。これが、日本最初の産金であったそうであります。
えっ、「百済王敬福」とは、初めて聞いた名前です。百済王???ネットで調べましたがありました。
果たして、明治天皇の御料馬『金華山」の名前は、この陸奥の『金華山』から取ったのでしょうか。それとも岐阜城の『金華山』だったのでしょうか。

「牡鹿コバルトライン」は、急な坂道はないのですが、曲り道が多く、緊張しましたが、まあ、リアス式海岸も見え素晴らしい景色でありました。ただ東日本大震災の傷跡らしきものも多くあり、心から楽しめるものではありませんでした。「牡鹿半島」には、たくさん鹿がいるのでしょうか。「鹿に注意」の交通標識をたくさん見ました。
往復28時間の急ぎ旅でありました。新幹線は本当に有り難いものです。
ありがとうございました。さようなら。





学習ノート〜『正しい教育とは?』

2017-01-03 14:36:02 | 日記
[塩野七生『マキアヴェッリ語録』]からです。
【☆《力量に欠ける人の場合、「運命」は、より強くその力を発揮する》。
なぜなら、《「運命」は変転する》。
国家といえども、「運命」の気まぐれから自由であることは難しい。
《頼れるのは自力のみ》、ということに目覚め、運命が自由勝手に振る舞うのを牽制する必要があるのだ。
でなければわれわれ人間は、いつまでも「運命」の命ずるままに流されてしまうことになるだろう。】・・・
「頼れるものは自力のみ」。これは大切な言葉です。
日本を守護できるのは、日本人だけなのであります。いくら日米同盟があると言っても、米国が本気で日本を守ってくれるとは、考えが甘いです。
個人だって同じであります。どんなに困っていても他人は助けるどころか、陰で笑うものです。
【☆「運」は、制度を変える勇気をもたない者には、その裁定を変えようとしない。
「天」も、自ら破滅したいと思う者は、助けようとしないし、助けられるものでもないのである。】・・・
いつまでも、憲法改正をしないと、そのうち日本の運命は下降するでありましょう。


【☆《衆に優れた人物は、「運」に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである》。
「運命」が変転しても、優れた人物は毅然とした精神を保ち続けているので、他人の眼には、「運命」もこの人々にはなんの影響も与えていないのではないかとさえ見えるほどだ。
反対に、弱い人間にとっての「運命の変転」は、表に現れてしまう。
好運に恵まれたときは有頂天になり、まるで自分個人の力量の為であるかのように得意がる。
そして、周囲には堪え難い存在になった挙句憎まれる。
ところが、ほどなく「運」にかげりが指し始めるや、とたんに沈み込んでしまい、卑屈な人間に変わり果てる。
・・・・・・・・・
古代ローマの英雄スキピオは、次のように言ったものだった。
「ローマ人は、負けたときも挫(く)じけず、勝ったときも傲(おご)らない」

しかし「運命」に振り回されやすい性向は、受けた教育の結果であることが多い。
教育が正しくなされない場合は、「運」に振り回されやすい性格になる。
反対にそれが正しくなされていれば、逆境にも動じない強い人間になる。
なぜなら、教育は人間社会を知ることを教えてくれるものなので、その変転のはげしさを理解できるようになり、そのいかんに関わらず、動じない性格を作り出すことになるからだ。

一個人に言えるこのことは、国家についても適用可能なことである。
ただし、国家の場合は、精神上のことだけ論じているのでは不十分だ。
逆境に立っても動じないですむような、制度づくりが必要になってくるのである。】以上でした。
「正しい教育」とは、知識だけを学ばさせる教育でないことは確かでありましょう。人間の社会教育を学ぶことが大切なのではないでしょうか。善だけでなく悪も教えるのです。まあ一種の道徳教育なのかもしれません。
それには、やはり、親の教育が大切ということになるでしょう。
戦前の修身教育は、「正しい教育」だったのかも知れません。艱難辛苦を乗り越えて偉大な人物になったことなど、子供心には大切なような気がします。
あの悲劇の女王の韓国大統領・朴槿恵も、どうやら「正しい教育」を受けていなかったようであります。
確かキリスト教徒だったと思うのですが、頑固に「信じるものは救われる」だったようです。
そして、その父、朴正煕は、国を一つにするために、反共教育と反日教育を同時に行ったようです。
本当は親日だったようですが、その日本の良さを娘には教えなかったようです。だから大統領になった最初の頃は、日本に対しては、本当にひどいものでした。でも、やっと良くなったと思ったら、現在の状態であります。
大体が、自分の父親を否定して、大統領になったのが、運を落としてしまったのかも知れません。
信じた人が、自分を騙した、となれば、こんな悲しいことはありません。人間学が足りなかったようであります。だけど、私は朴槿恵さんのことは好きですから、陰ながら応援します。
そしてそれから、その韓国や中国の反日教育は、絶対に「正しい教育」ではないと確信します。
それらの教育を受けた世代が、国民の大半になったら、それらの国は悲惨な「運命」が待ち受けているでしょう。
失礼しました。
昨日1月2日に撮った写真です。ちょっと珍しいな、と思って撮ったのですが、本日のNHK天気予報で、これと似た映像があり、火星だそうです。私は随分明るい一番星だと思っていました。



学習ノート〜『絶望しても、希望を持てば運命が微笑む』

2017-01-02 13:39:16 | 日記
[塩野七生『マキアヴェッリ語録』]から、昨日の続きであります。
【古代ローマの歴史家ティトゥス・リヴィウスはこう言っている。
《「運命は、自分の考えが中絶されるのを望まない場合、その人を盲にしてしまう」》と。
これほど真実を射た意見はない。
だからこそ、好調を謳歌する者も、逆境に泣く者も、賞賛されたり、貶(けな)されたりすることはない。
なぜなら、好調も逆境も、ある人には好機を恵み、ある人からは取り上げるというふうに、天が与えた境遇に浸っているに過ぎないからだ。
運命は、何か偉大なことを為そうとするとき、運命の与える好機に気付き、それを活用する気概にあふれ、才能にも恵まれた人物を選ぶものである。
反対に、破滅を呼びたいと望むときは、それに適した人物を選ぶ。
そして、もしも誰かがこの運命の意思に反旗を翻そうものなら、殺してしまうか、それとも運命に逆らうことなどできないように、その人のすべての力を奪ってしまうかするのである。

《人間は、運命に乗ることはできても逆らうことはできない》というこのことは、歴史全体を眺めても、真理である、と断言できる。
人間は、運命という糸を織りなして行くことはできても、その糸を引きちぎることはできないのである。
ならば、絶望するしかすべてはないかとなると、そうでもないのだ。
運命が何を考えているかは誰にもわからないのだし、どういうときに顔を出すかもわからないのだから、
《運命が微笑むのは、誰にだって期待できることだからである。
それゆえに、いかに逆境に陥ろうとも、希望は捨ててはならないのである》。
・・・・・・】簡単ですが、本日は以上です。まだ続きはあります。
これを転載して、私が一番に思ったのは、あの電通の24歳の女子社員と青森県黒石市の「黒石よされ写真展」で受賞した中2の女子中学生のイジメによる自死でありました。
「もったいない」が私の肌感覚でありました。本当に悲しい話です。なんであんなに美しく生まれたのに、自ら命を捨ててしまったのでしょうか。生きていれば、必ず好い事があるはずであります。
絶望から心神喪失をしてしまったのでしょう。
人間とは、すべての人びとは、他人には言えない苦しみも楽しさもあり、すべて自分の思い通りにいかないものです。でも「笑う門には福来たる」であります。
私は今年のテーマは、常に「ニコニコニコ」することであります。
一人でいるときは、どうしても沈鬱になり暗い顔をしている時が多いので、一人でも微笑を浮かべるようにしています。
昨年11月に新車を購入したのですが、プレートナンバーを「2.2.2」にしました。
皆様にありましても、「ニコニコニコ」していると、必ず幸運がやってくると、私は確信するものであります。
失礼しました。