ドクダミダイスキ

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学習ノート〜『夫婦喧嘩の守護神』

2016-11-15 15:33:42 | 日記
[塩野七生『ローマ人の物語』〈ローマは一日にして成らず〉]からでです。
【(〈1巻〉前文、読者へ
古(いにしえ)のローマには、多いときで30万にものぼる神々が棲(す)んでいたという。
一神教を奉ずる国々から来た人ならば眉をひそめるかもしれないが、八百万の国から来た私には、苦になるどころかかえって愉しい。・・・・・・・・・・・・〈P19〉
〈二代目の王ヌマ〉
第2代目のローマ王ヌマの業績で特筆されるべきことは、宗教に関しての改革であったろう。
ローマ人はすでに多くの神々をもっていたが、ヌマは、それらの神々を整理する。
後にはギリシャの神々と混同していくにしても、神々の王であるユピテル神〈ギリシャではゼウス、英語だとジュピター)、その妻のユノー女神(ギリシャではヘラ)、美と愛を司る女神ヴェヌス(ギリシャではアフロディテ、英語ではヴィーナス)、狩の女神ディアナ(ギリシャではアルテミス、英語ではダイアナ)、それに学芸の神アポロも知の女神アテネも戦いの神マルスも、ローマでもギリシャ同様重要な神々であった。
第二代の王ヌマの行った整理は、これらの神々にヒエラルキー(ピラミッド型の階級支配制度)を与えたのである。これこそがローマの神だと、一つを決めなかった。それでいて、神々を敬う大切さは教えた。
ギリシャ・ローマに代表される多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。
ユダヤ・キリスト教を典型とする一神教では、それこそが神の専売特許なのである。
多神教の神々は、ギリシャ神話に見られるように、人間並みに欠点をもつ。道徳倫理の正し手ではないのだから、欠点をもっていてもいっこうに差し支えない。
だが、一神教の神になると、完全無欠でなければならなかった。放っておけば手に負えなくなる人間を正すのが、神の役割であったからである。
・・・・・・・・・
では、ローマ人は神々に何を求めたのか。
守り神である。守護を求めたのだ。
首都ローマを守るのは最高神ユピテルをはじめとする神々であり、戦場では軍神マルスやヤヌス神が守ってくれ、農業は女神ケレス、葡萄酒神はバッカス、経済力向上はメリクリウス〈マーキュリー)、病気になればアスクレピオス、幸福な結婚と女性の守護神はユノー女神。・・・・・・
抽象的思考を得意とするギリシャとは比較もできないくらい多くの神々が棲むようになる。ローマ人の具体的で現実的な性向の結果でもあった。また、ローマでは、他の民族の神々でも排除されなかった。それどころか、積極的に導入された。守り神なのだから、多ければ多いほどいいと考えたのかもしれない。
ただし、古のローマでは、守り神とはいっても、何もしない者まで守ってやるほどの面倒見のよい神は意味しなかった。努力を惜しまない人間を側面から援助するのが、守護神のあるべき姿と思われたからである。
その愉快な例が、ヴィリプラカ女神だ。『夫婦喧嘩の守護神』とされていた。・・・
ヴィリプラカ女神を前にして決まりとは、「女神に向かって訴えるのは一時に一人と限る」、であった。
こうなれば、止むを得ずといえ、一方が訴えている間は他の一方は黙って聞くことになる。
黙って聞きさえすれば、相手の言い分にも理がないわけではないことに気づいてくる。これを双方が繰り返している内に、興奮していた声の調子も少しずつ落ちてきて、ついには仲良く二人して祠を後にする、ことにもなりかねないのであった。
神に守神を求めるギリシャ・ローマ的な考え方は、考えれば人間生に自然な欲求不満である。これに、ユダヤ教よりは柔軟性に富んでいたキリスト教が、特にカトリックのキリスト教が注目した。とはいえキリスト教は一神教である。それで守り神的な役割は、聖者たちの受けもちとしたのである。〈P66~72〉
・・・・・・・・・】以上でした。
お久しぶりです。もう止めようと思っていたのですが、やはり少し淋しくなりました。
休んでいる間、吉川英治著書『源頼朝(1)(2))』『新・水滸伝』(1)~(4))『三国志』(1)~(8)、北方謙三著書『水滸伝』(5)~(19)『楊令伝』(1)~(15)、司馬遼太郎著書『項羽と劉邦』(上中下)を読み、今は塩野七生(・・・ななみ)著書『ローマ人の物語』を読み始めたところです。全部で43巻あるので大変なことになります。
これは小説ではなく歴史書であります。ただ物語風で読みやすいです。
先ず、最初に知ったのは、自分が西洋の古代史を全然知らないことでした。
古代のギリシャ・ローマが多神教というのも驚きました。
日本にも夫婦円満の神はいると思うのですが、『夫婦喧嘩の守護神』とは恐れ入ります。
まあ、考えてみますと、夫婦円満も夫婦喧嘩も裏表の関係にあるのでしょう。
諺の「ローマは一日にして成らず」は知っておりましたが、それが建国から五百数十年かかっているとは!
初代ローマ王はロムルスと言います。ロムルスの名前からローマと名付けられました。
これは日本の神武天皇が大和を平定した頃と同じ頃であります。…
日本では11月22日が「いい夫婦の日」であります。男は常に敗戦投手、空振三振の心掛けが夫婦円満の秘訣ではないでしょう。
これから、またボチボチやります。さようなら。


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