ドクダミダイスキ

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雑想ー『御真影』

2015-05-03 11:06:53 | 日記
昨日は上野の東京芸術大学美術館を拝観いたしました。
この美術館では、『ボストン美術館×東京芸術大学美術館ダブルインパクト』を掲げ、明治期の近代日本美術の胎動を展示しております。
と言っても、私は恥ずかしながら美術の門外漢であり他のものには興味はなく、ただ「神武天皇立像」を肉眼で観たかっただけであります。でもすべて素晴らしいものぐらいは分かりました。

ポスターです。

美術館パンフレットでの「神武天皇立像」の顔の拡大写真です。明治23年.竹内久一・作
以下も同パンフレットでの「明治天皇『御真影』」のお顔の拡大写真です。明治6年初代五姓田芳柳・作


「神武天皇立像」のお顔と「明治天皇『御真影』」のお顔、まことにそっくりであります。
彫刻作家・竹内久一は、明治天皇を神武天皇の再来と考えたのでしょう。
下記は同パンフレットの「天皇のすがた」からであります。
【慶応3年(明治元年)、明治天皇により「王政復古の大号令」が発せられ、天皇親政が宣言され、同年の「神仏分離令」や、続く明治3年の「大教宣布の詔」によって祭政一致を掲げ、神道を国教と定めて天皇の絶対化を推し進めていった。
明治天皇は近代国家日本の神聖なる君主として国民から畏敬されたが、このような意識を定着させるのに重要な役割りを果たしたのが「教育勅語」と『御真影』である。
明治23年に発布された「教育勅語」は、国民が守るべき徳目を明治天皇によって示された教育の基本方針で、忠君愛国を奉ずる天皇制の道徳心的支柱となったが、この「教育勅語」と共に『御真影』が各学校に下賜され礼拝の対象となったことにより、神格化された天皇像が国民に浸透していくこととなった。
『御真影』の天皇は、陸海軍を統率する最高指揮官である大元帥として、威厳に満ちた軍服姿である。しかしこの『御真影』は明治天皇を直接撮影したものではなかった。明治天皇は写真撮影を好まなかったためである。・・・・・・】以上でした。
明治期に天皇が神格化されたのは、時代の要請で仕方なかったのでありましょう。でも、これが日本の独立を守り、富国強兵ができたのです。でも、左翼はそれが先の大戦の敗戦に繋がったと非難します。これも時代の要請で仕方なかったのです。
島崎藤村『破戒』にも、この学校の『御真影』の記述がありました。
当然ながら、敗戦後天皇の『御真影』は学校にはありません。しかしながら驚いたことがあります。私の近所にタイ料理の店があるのですが、その店内に「タイ国王夫妻」の『御真影』が飾られておりました。
ああそれなのに、どうしてタイは国が分裂しているのでしょうか。・・・・・・
「神武天皇立像」は台座を含めて3メートルぐらいあり、とても立派であり、威厳がありました。
西郷隆盛像と同じぐらいだったでしょうか。


ありがとうございました。さようなら。
《追記》先程、妻と義母とお昼の後『御真影』の話が出ました。義母の実家は富山県の旧家、屋敷なのですが、そこには「昭和天皇と皇后の『御真影』」が飾ってあったそうです。私の妻もそれを覚えており、以前靖国神社にお詣りしたとき売店に飾ってあり、大変懐かしく思ったそうであります。私は戦後間もなくから東京に住んでいたので、その記憶はありません。一般の家にも飾ってあったなど、少し、驚きました。失礼致しました。

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