女性管制官がアメリカで医者になった場合ーアメリカンドリーム

アメリカでアメリカンドリームを達成するには?
マーティンもと子(旧姓多尾もと子)の場合は?

診療代の取立て その1

2010-08-31 06:23:27 | Weblog
こちらは日本と違って皆保険ではありませんから 保険のない人たちはほんとうにたいへんです。

保険のない人たちのための Indigent Clinic 低所得者用クリニックなるものがエルパソには何箇所かありますが、もちろんたくさんの人が押しかけるのは想像がつきますよね。

http://www.tachc.org/about/membership/member_directory/centro_de_salud.asp

たとえばこのラフェクリニックですが、通常ものすごく高い歯科サービスも1回30ドルという低額で提供しています。
薬も政府の援助により決められたものは無料で提供、レントゲンや血液検査のできるラボも設置されています。

いわゆるNPOなので、余ったお金は低所得者用の住宅提供にあてたりとそれはそれはすばらしい組織です。
私もその理念に大いに賛同。
一年だけでしたが以前パートでお手伝いしたことがあります。

ただ診てもらえるのに2,3ヶ月待つなんてことはざらなわけで、お金も保険もないけど今日具合が悪いという場合はERへ、ということになるわけですね。

我々は保険の種類や有無で患者を差別することはしません。
開業医は保険の種類や有無で患者を拒否できますが、我々はEMTALAという法律によりどんな患者さんでも受け入れ、最低限Medical Screeninngという初期診療をしなければいけない義務があります。
たらいまわしはしませんね。というか法律が厳しくて不可能です。

当然、ERでは診療代が高いわけですが
もう少しわかりやすく説明しましょう。

歯痛で急にどうしようもなくなったけど、歯医者に行くお金がない。
ERに駆け込むが もちろん虫歯の治療はしてもらえませんよね。
そこで、痛み止めをもらって ドクターによってはデンタルブロックなんかを施されておうちに返っていただく・・・
病院からの請求書ー600ドル也。(約6万円)ドクターフィー別途

子どもが急に熱を出した。104度もあるけど(すみません、こちらは華氏を使うので・・・)明日まで待てない。アセトアミノフェンを買うお金もない。

ERに夜中駆け込むが たぶんウィルス性の熱でしょう。イブプロフェンをERで飲ませてもらって アセトアミノフェンの処方を受けておうちにしぶしぶ返る・・・あのう、アセトアミノフェン薬局でおいくらなんでしょうか?
病院からの請求書ー800ドル也。(約8万円)ドクターフィー別途

公園のジャングルジム、楽しいですよねぇ。
ところがちょっと目を離した隙に4歳の息子が落っこちた。
手首が痛いと泣きわめく。
それで、骨折かもとERに駆け込みレントゲンの結果ご両親の診断は確認され、副子を施してもらって痛み止めをもらって、「整形外科に明日行ってね~」と言われておうちに返る・・・
病院からの請求書ー3,000ドル也。(約30万円)ドクターフィー別途

15歳の女の子。
母親が夜お買い物から帰ってきて ボーイフレンドが娘のお部屋の窓から抜け出すのを目撃!
憤ったこの母親、娘を連れてERへ。

「この子、妊娠していないかテストしてください!!!」

「おかあさん、落ち着いてくださいよ。
ウォールマートで妊娠テストキットが2組入りで6ドル(約600円)で売っていますけど、
ほんとうにいいんですか?」

「もちろんです!今すぐ決着をつけたいのです!!!」
病院からの請求書-600ドル也。(約6万円)ドクターフィー別途
ひぇ~ 明日に続きます。

私は産みたい

2010-08-28 13:40:59 | Weblog
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100825-00000600-san-pol


野田聖子氏が体外受精で妊娠 週刊新潮に手記発表 8月25日18時53分配信 産経新聞 野田聖子氏が体外受精で妊娠 週刊新潮に手記発表 拡大写真 自民党の野田聖子元郵政相(写真:産経新聞)  26日発売の「週刊新潮」に、自民党の野田聖子元郵政相(49)=比例東海=が第三者提供の卵子で体外受精し、妊娠したとする「手記」を掲載することが25日、分かった。   [フォト]野田氏の著書「私は、産みたい」に三原じゅん子氏も感動  「手記」によると、野田氏は今年5月、米国で卵子提供を受け、事実婚状態にある飲食店経営者の精子との受精卵を子宮に移植、妊娠したという。現在、妊娠15週目で、来年2月中旬が出産予定という。  野田氏は平成13年に鶴保庸介参院議員との事実婚を発表。不妊治療を続け、16年には著書「私は、産みたい」を出版したが、18年に関係を解消していた。  「手記」によると、法が整備されている米国の州で治療を受け、費用は「数百万円」。「『おばさん妊婦』を、出産まで温かく見守っていただければ幸いです。何があっても『それでも私は産みたい』のです」と締めくくっている。  野田氏の事務所は「事実関係を把握しておらず、本人からも確認のしようがない」としている。  日本には代理出産など生殖補助医療に関する法律がなく、今回の野田氏のケースは「合法とも違法ともいえない」(厚生労働省)という。法務省によると、日本ではこれまでの判例で、子供を出産した女性が母親と認められる。


もう20年近くも前の話なのですが、NCStateというノースカロライナの大学に在学中のことです。
遺伝学のクラスで、リサーチをすることになり、私は日本人にとって耳新しい代理母というものをテーマにいろいろとリサーチをしました。
英語で、surrogate motherというものなのですが、つまり母親に何らかの理由がありどうしても妊娠することができない場合、
契約を交わした女性が金銭のやりとりをした上でその妊娠を引き受けるというものです。
つまり、精子は依頼人のパートナーのものですが、卵子は妊娠することを引き受けた代理母のものなのですね。
受精はもちろん人工的に行われます。

仕事とはいえ、生んだ母親、当然情が移りますよね。
産んでから拒否、なんていう問題もおこらないわけではない。

そのあたりの最近の事情には詳しくないのですが、この野田氏のお話はそんなことを思い出させました。
日本ではまだ代理母のようなコンセプトは法律が整備されていない模様です。

また、こんなこともありましたよ。
そのノースカロライナの大学に在学中、知り合った中国系アメリカンがいたのですが 彼女は受け口であごが出っ張っていてとても気にしていました。

そこで、整形手術を思いついたのですが、もちろん学生にはとてもじゃないけど手の出る額ではありませんよね。

彼女、どうしたと思います?

彼女、チャペルヒルの大学病院で、自分の卵子を何回か売ってお金を得ました。
1回で、1,000ドルもらえたと喜んでいました。

それを聞いた時は憤りを感じないでもありませんでしたし、彼女を見る目が正直言って少し変りました。

・・・ただ野田氏のように困っている女性の夢をかなえられるのなら、と思うと
なんか複雑な思いで一杯ですね。

野田氏の場合は超高齢出産で思いがけないところで体がいうことを聞かないなどということはあるわけで ほんとうに命がけの妊娠と言えます。

無事に赤ちゃんを産まれますようお祈りしたいと思います。


原点に返る その3

2010-08-26 17:02:05 | Weblog
現在テキサステック大学の救急科のレジデンシーに日本人医師が活躍されています。
私が卒業して以来初めてのことでとてもうれしく思っています。



これは新しくできたPICU(小児集中治療室)の一部屋です。
私がレジデンシーをしていた時はこのPICUは存在しませんでしたので見学させていただいて光栄でした。

私はERで重症小児患者を安定化させこのPICUに送り出す立場にいます。
ですから、通常はERでの段階がコードブルーであることが多く、まだ正確な診断はつかない段階なのですが 
PICUにいる間にいろいろな検査や治療の結果診断がつくというわけですね。

私の勤めるデルソールERからPICUへ搬送されてくる患者はいつもほんとうに重症なケースが多いんです。
これからも期待をうらぎらないように研修医のためにも役に立ついいケースを送り込まなくっちゃ。

私はこの新しいPICUでこの日本人医師にお会いしました。
救急科の研修の一環でPICUを一ヶ月研修で回るそうです。

最近は昔に比べてほんとうに臨床留学をされる日本人医師が増えました。

そのほとんどの先生が日本の米軍病院(横須賀海軍病院や沖縄海軍病院)で一年インターンをされた方です。
期限は1年だけだそうですが、もちろんアメリカ流の医療を行っている施設ですからアメリカの雰囲気が味わえることは確か。
そして特に千葉にある亀田メディカルセンターや、沖縄県立中部病院などではアメリカへの臨床留学をサポートする制度がしっかりできています。

亀田メディカルセンター
http://kameda-resident.jp/junior/message/expectation04.html

沖縄県立中部病院
http://www.hosp.pref.okinawa.jp/unihawaii/index.html



PICUトランスポートチームのスタンバイルーム。
うちのERから搬送依頼があれば30分以内にERに到着します。
トランスポートチームは特別に訓練されたナースと呼吸療法士で成り立っています。
すばらしいトランスポートチーム、感謝します。



PICUの専門医が抱えているパネルの写真は、エルパソタイムズ新聞で大きく取り上げられた
エルパソ初の小児専門病院設立にあたる記事に使われたものです。

2012年開院をめざしてちゃくちゃくと大きなビルの建設が進められています。
ほんとうにすばらしい小児病院になると期待しています!

今回私の原点を訪れ、ミイラ取りがミイラ取りになった感はありますが、
小児救急の講義を研修医のために何回かに分けてして欲しいとたのまれ、10月に行うことに・・・

ついに私の学んできたことや経験を研修医と分かち合う時がきたようです。
全力を尽くしてがんばります!

原点に返る その2

2010-08-26 15:46:37 | Weblog
あとから聞いたことなのですが、その当時のプログラムディレクターは南米チレの出身で、お母様がチレ初の女性パイロットだったそうです。

私の履歴書に書いてあった一言

「日本初の女性航空管制官」

という部分に興味をもたれたディレクター。
この人にかけてみようと即座に心を決めたそうです。

ほんとうに人生、何が役に立つことやら。



この写真はUniversity Medical Center of El Pasoのメインエントランスから中央廊下につながる通路の壁に展示されている
私の原点の原点ともいえるNICU(新生児集中治療室)の教授回診の模様です。
なんかとてもなつかしくてなつかしくて思わずシャッターを押しました。

中央に見える方が現プログラムディレクターの新生児科医です。
すばらしい教授で、ほんとうに教育熱心。
私も彼の元でよく学びました。
朝一番にNICUに行って受け持ちの赤ん坊の世話をしたのがついきのうのようです。

もともと家庭医志望でどちらかというと大人のケアに興味があったのもあって
小児科に関する知識はほんとうに基本的なものだけという状態で小児科専門の環境に放り込まれましたので、レジデンシーが始まってすぐに行われたInーService Exam という小児科認定医のための模擬試験では撃沈しました。

すると、さっそく先のディレクターが

「この結果にはがっかりだねぇ・・・」



もうひとつレジデンシーしょっぱなでつまずいたお話。

1年目はインターンと呼ばれるのですが、レジデンシーの始まった7月のある日自閉症の息子を学内の神経内科の教授のところへ診察に連れて行きました。
フロリダでもう診断がついていたのでこれと言って急な問題があったわけではないのですが、初診でいきなりこう言われたのです。
「君、インターンをとっととやめて うちでこの子の面倒を見なさい。
こんな子を抱えてレジデンシーは無理だ。」



私は泣いている暇もなく その次の日から4時起きを決め、毎日毎日病院に出勤する時間まで自習。
当直のあとを除いて夕方仕事が引けたあとも図書館か、マクドへ行って6時半まで勉強。
有給もバケーションには一度も行かずに朝から晩まで図書館にこもって勉強三昧。

そうやって2年目、3年目の模擬試験ではいい得点を稼ぎ、レジデンシーの終わったその年に一発でBoardに合格。
努力の結果 小児科の認定医となりました。

レジデンシー3年目にはみんなの信頼を集めてチーフレジデントと呼ばれる研修医の長を務めるまでになりました。

きのう、NICUの教授にお会いした時こう言っていただきました。

いまだに君の事をすばらしい研修医の見本だとみんなに話していると・・・

そう言われたときは胸がじーんとしました。

明日に続きます。





原点に返る その1

2010-08-26 14:18:00 | Weblog
人間、時には自分の原点に返ることが必要ですよね。

今日、私はその原点を訪れる機会を得ました。

私の医師としての原点はやはり研修医として3年間過ごしたテキサステック大学と
その研修病院のUniversity Medical Center of El Paso(旧 Thomason General Hospital)です。

私はフロリダにあるメディカルスクールを卒業し、マッチング後、マイアミの循環器センターに就職が決まっていました。
もともとは家庭医志望でしたが マッチングの結果一般内科に決まりました。
ところが彼がエルパソの陸軍病院(内科)に引き抜かれたため 急に予定を変更せざるをえない状態となりました。

マッチングの終わったあと、就職先を探すことをスクランブルと言いますが、あいているポジションは残り少なく、ほんとうに難しい状況に追い込まれたわけです。

エルパソにあるテキサステック大学には2箇所オープニングがありました。
それは精神科と小児科でした。

精神科医もおもしろそうだと思っていたので、聴診器を使えないのが残念でしたが まず電話で問い合わせますと、な、なんと
1名の空きに100人が応募!!!

いくらなんでも運命の女神様が微笑んでくださるとは思えず、仕方がないので小児科に問い合わせました。

すると、履歴書をファックスした次の日 小児科のチーフレジデントから面接の電話が入ったではありませんか!

忘れもしない4月の2日のことです。

私は、これはチャンス!と躍り上がりました。

その私がまずしたことは、いったいなんだと思います?

私は学校のスタッフで、最近赤ん坊を出産したユダヤ人のある女性にお願いの電話を入れたのです。

「あのう・・・妊娠中に着ておられた黒いドレスを貸していただくわけにはいきませんか。」

7月に出産予定日を控えていた私の少し目立ってきたお腹を隠すため私は彼女に電話をかけたのでした。
7月というとレジデンシーの始まるちょうど最初の月です。
レジデンシーのしょっぱなから戦力にならない私なんかより妊娠していない医師を選ぶにちがいない、と考えたわけです。

ユダヤ人のスタッフの女性は快く彼女のお腹の目立ちにくい黒いドレスを貸してくださいました。

こうしてプログラムディレクターを見事あざむき?!手に入れたポジションでしたが予定通り7月の中旬、私は元気な男の子を産みました。
それが現在11歳になるマークです。






これがUniversity Medical Center of El Pasoの本日のお顔です。
すばらしいエルパソの青空もぜひご注目ください!
私はこの病院の中を3年間走りまくりました。



これはテキサステック大学のヘルスサイエンスセンターのフロントです。
ガラス張りになっているのが私が3年間時間を見つけては勉強した図書館です。
今は亡き、私もお世話になった教授、小児精神科医のお名前にちなんで図書館がDr.Gallo Libraryと名付けられています。

ふつうは亡くなってから記念にと偉い先生のお名前を拝借することが多いのですが、
このDr.Galloは膵臓ガンでもう余命があまりないことがわかっていたので亡くなる直前に図書館の名前を変えたため、
彼女もとても喜んでいました。
そういうのってすばらしいですよね。
 
明日に続きます。

シートベルトの正しい装着法

2010-08-25 07:18:05 | Weblog
毎月第3週火曜日の朝はいつもミーティングがあり仕事から朝方帰ってほんの少し仮眠してから8時からの会議にでかけることにしています。

みんなばらばらのシフトで勤務しているせいか出席率はそんなに高くありません。
まあそれはそれでしかたがないことなのですが そもそも朝の会議は日勤の人用にできているので私のように夜働いている場合は けっこう負担が大きいですね。

今日はTrauma M&Mというミーティング。
うちは傷害センターなので、傷害に関するミーティングです。
M&Mは、Mortality & Morbidity のMをとったもの。
簡単に言うと Mortalityは死亡、Morbidityは病気です。

アメリカではどの研修病院でも なんとかM&Mというミーティングは盛んに開催され いろいろなことを学びあいます。

今日のプレゼンはTrauma Surgeon 外傷専門の外科医によるものでした。

私はこの外科医にはまだ研修医だった頃からお世話になっていて、とてもなじみの深い外科医で、とにかく切れる!かっこいい!まるでどこかの映画俳優のような先生なんですが写真をご披露できなくて残念。

今日の Take-home lesson 学習ポイントは シートベルトの正しい着用の仕方。
なんじゃそれ? と思われるかも。
そんなもん、言われんかて知っとるわい!とおこられそう。

でも一応ご紹介しますね。

今年の6月に実際にあったケースです。

26歳女性。

午前2時半 時速100キロ同士のヘッドオンの衝突で彼女は助手席に座っていました。
ドライバーは飲酒もドラッグの反応もゼロ。
すべての乗客はシートベルトを着用、エアーバッグはちゃんと広がりました。




我がERチームは救急車で運ばれてきたこの女性のお世話をすることに。
彼女は右上腹部に痛みを訴えるほかは 極めて安定しています。
これと言って大きな外傷は見られません。
100キロ同士のヘッドオンですから もっとすごいことがおきても不思議ではないですよね。

ドクターも看護師も彼女のお腹に見えるシートベルトサインに気が付きました。
シートベルトサインは彼女の訴える腹痛のある辺り、つまり上腹部にくっきりついています。

お腹のシートベルトの位置が異常に高い、ということですね。

腹部造影CTが撮られました。
すると、小さいですが肝臓に裂傷が、そしてその周りに腹腔内出血が見られました。

ふつう、肝臓や脾臓などの裂傷はすぐに手術ということにはなりません。
ICUで24-48時間モニターすることになります。

事故から4時間後、彼女は腹痛もかなりおさまり、ICUへと搬送されました。

12時間後、腹痛は最小。容態は安定。
24時間後、ほぼ同じ容態で安定しています。

そして、な、なんと事故後36時間後、彼女の容態が急変。
呼吸が早くなり、脈拍が急にアップし始めたではありませんか。

Trauma Surgeonチームが緊急手術を行うことに。
Laparoscopic surgery腹腔鏡下手術が行われた結果、なんとCTで見られた肝臓の裂傷は存在しなく その代わり空腸の壊死が確認され、20cmほど切除されました。



これが正しいシートベルトの装着法です。
彼女の腹部のシートベルトはかなり高い位置にゆるく着用されていたようで、事故の衝撃で小腸の一部がループ状に圧迫されたのが原因でした。

みなさん、シートベルトは必ずお腹の低い位置にしっかり装着しましょう!!


太郎君も一年生

2010-08-23 06:10:43 | Weblog


うちの9ヶ月になる太郎君、シベリアハスキー犬が、毎週土曜日に開かれる学校へ通うことに。

これは、うちの近くにあるペットショップ、PETSMARTの入り口です。

PETSMARTというと、PETSのMARTという意味なのか、それともPETが、SMARTという意味なのかと
うちの子供たちが議論していましたが 店内には自分のペットと入れるのでとても人気のあるペットショップです。





健君とマークの連れている犬が太郎君。
この砂漠のエルパソにシベリア犬は似合いませんが 今までかわいそうな親なしの雑種犬ばかり育てていたのですが 
今回は思い切って近所のブリーダーから購入。
9ヶ月ですがとても大きいです!

夏の間は長い毛が抜けてたいへんです。これも暑い夏を乗り越えるための適応のひとつなんでしょうね。





ペットショップの中央に設置されたトレーニングルーム。
プラスティックの壁越しに写真を撮りましたのでうまく撮れていませんがあしからず。
お犬様は全部で6匹なり。



こちらは店内にある養子縁組センター(Adoption Center)。
雪ちゃんの後ろに見える2歳になるわんちゃん、雪ちゃんがどうしてもうちにつれて帰りたいとごねました。
この春になくした犬に似ているからなんだそうで・・・

この犬の学校、8週間続きます。
さて、教育の成果はいかに??

夏休みの終わりに。

2010-08-21 18:06:11 | Weblog
こちらでは日本より一足お先に新しい学年が始まります。
日本より倍以上ある夏休みでしたが、この週末でおしまい。
学年が替わるため「夏休みの友」のような宿題がまったくないので子どもたちはそれぞれ思いっきり遊びましたよ。

うちは雪ちゃんが校区の変った関係で新しい小学校に移ります。
昨日、オリエンテーションに行ってきました。



学校の入り口です。



雪ちゃんも2年生に進級。
ここが雪ちゃんのお席です。
お隣同士がくっついた配列でカタカナのコの字に机が並んでいました。
数えたら14。
ということは、ひよこちゃんが14羽ね。

前にいた学校の3分の2くらいの生徒数です。
目が行き届いていいかも。
先生もとても優しそうな先生でさっそく雪ちゃんもハグをもらいました。

な、なんと同じクラスに日本人のお子さんも・・・
前にいた学校では駐在ファミリーがひとりもいませんでしたのでびっくり。




お部屋にはトイレまで。
至れり尽くせりね。
雪ちゃん、がんばってね。



マークは、小学校を卒業して今年中学生となります。
健君といっしょにバス通学で新しくできた中学校へ通う予定。
小学校は5年生でおしまいなので、こちらでは6年生というと中学生なんですよね。

マークに関してはちょっとした逸話があります。

マークは3歳まで言葉がほとんど出ませんでした。
小児神経内科の先生は私の長男が重い自閉症(このお話はまだ後日ゆっくりさせてもらいます)なのを知っていて 
言葉の遅れを心配して診てもらったところ

「お母さん、お気の毒ですがマーク君も自閉症にまちがいないですね。」

と言われたんです。

うちに帰って私は泣きました。
大声を上げて泣きました。
一日中泣いたけどそれではいけないと歯を食いしばって次の日には助けを求めてあちこち電話をかけました。

こういう面ではアメリカはいろいろな援助がすぐに得られるのでほんとうにすばらしいと思います。
まずは、ECIというところに電話をして助けを求めました。

ECIというのは、3歳以下のお子さんの発達障害の疑いのある場合、いろいろな援助をしてくれるありがたい組織です。
ECIは、Early Childhood Interventionの略です。

http://www.elpasoeci.org/


ECIからは、すぐに調査員が来てくれてスピーチセラピーが始まり そして公立の小学校に設置されているPPCDという障害児用のクラスに発達障害3歳児として通い始めました。周りは重度の小児麻痺のお子さんやダウン症のお子さんばかり。

すると、PPCDのクラスに入って一月もしないうちに今まで出なかった言葉があふれるように出てきたではありませんか。3歳6ヶ月のことでした。

これには周りの先生も私たちもびっくりぎょうてん!
おまけに先生がマークが数字に興味があるのを見抜いて1年生の算数のクラスに特別参加させたところ、あれまあ足し算引き算、自由自在。

私は、しばらくして学校専門の心理学者にお願いしてマークを評価してもらうことに。

すると自閉症のかけらもないという診断で、スピーチが遅れている理由は特に明らかにされませんでした。

その後、数年経ってもう一度念のため評価をお願いし、自閉症の診断はまた否定されました。

小学校に上がってGifted Talented Classという進度の高いクラスに入れてもらい、新しくできた中学でもHumanitiesとAdvanced mathematics のクラスに選ばれました。
この二つのクラスはとても進度が高くて試験に受からないと入れないんです。
健君も長女の博子もHumanitiesでしたが、Advanced Mathematicsには受かりませんでした。

幼くして一旦は障害児のレッテルを貼られた子でしたが、今や何とかふつうの子以上に巻き返したようで、さすがは私の息子!なんてひとりそう思っています。

お友達もいっぱいで、ピアノもチェロもとっても上手なんですよ。
僕はなんで同い年の女の子にはもてないで幼稚園児から好かれるんだろうなんて言っていますけどね。

あの神経内科の先生、今のマークを見たらいったいどう思うでしょうね。






甲子園野球児もびっくり!

2010-08-21 12:05:26 | Weblog


ついに17日間連続投球を終え、たった一日だけですが本日はお休みをいただき、ほっとしています。
ERでのお仕事を野球にたとえれば私は、やっぱりピッチャーかな。

毎シフト、夕方5時から明け方の3時までの勤務ですが、気になる患者さんや結果待ちなどがあるときっちり3時に帰宅できるとは言えず・・・正直言って17連投は疲れました。

昨夜はまたまた”真夏の夜の悪夢”とでもいいましょうか、ERの中はたくさんの重病患者であふれていました。

生後7ヶ月のアナフィラキーショックのケース。こんな若いお子さんのアナフィラキーショックのケースは初めてでした。

アナフィラキシーというのは、広辞苑によると

アレルギーの一種。抗原抗体反応により急激なショック症状を起こし、著しい場合死にいたる現象。平滑筋の攣縮により血液循環障害、呼吸困難などをきたす。

とあります。


このショックの原因はこの赤ん坊が、もともといろいろな粉ミルクにアレルギーで、唯一アレルギーでないアミノアシッドというタイプの粉ミルクがなくなって Nutramigenという比較的低アレルギーの粉ミルクをあげたのが原因。

お顔が膨れ上がって呼吸ができなくなって、みるみるうちに唇が真っ白に・・・血圧がとれないくらいになって私もその場で失神しそうになりましたよ。

それで、こういう場合はまずエピネフリンの筋肉注射です。

昨日ほど、エピネフリン様が偉大な幸運の女神様に思えた日はありませんでした。

それと同時に救急車がメキシコ国境から運んできた1歳の痙攣重積状態の女の子。

救急車の中でジアゼパムというお薬をお尻から注入したそうですがそれでもまだ痙攣している・・・でも右手だけが激しく痙攣していて左側が麻痺しています。

左側の麻痺はお薬(Ativanと、Cerebyx)のおかげで痙攣が納まった後もそのまま。

CTスキャンは 左の頭頂骨の骨折(陥没はしていませんでした)が発見されたものの 出血は見られませんでした。

この赤ん坊、痙攣したままメキシコのフアレスから国境を渡ってきたんですよ。信じられます?

父親は同伴していましたが、フアレスに住んでいるのはこの赤ん坊とメキシコ人の母親のみだそうで、いったいフアレスで何がおきたのかさっぱりというややこしい状況。

というわけで、傷害事件か、虐待事件かとまたまたわけのわらないことになって・・・この同時進行だった二人の幼い重病患者のおかげで、私自信何度も失神しそうになりつつも 「これが終われば花のおやすみだ~」とばかり お隣同士のベッドを行ったり来たりしていました。

こうやって花の甲子園以上のガッツ、17連投はみごとに終わったのでありました。

万引きプロフェッショナル

2010-08-20 05:28:02 | Weblog

午前3時のEMERGENCY。
やっと患者の流れも一息ついたという感じ。 現在駐車の救急車は一台だけ。



46歳女性。

警察官によりERに連れられてきた万引きプロフェッショナル。

近くのウォールマートというスーパーの試着室で盗んだ衣料品を何枚か自分の身につけていたTシャツの下に着こんで外に出ようとして 警備員が警察に通報、御用となりました。

彼女の名前は Senora Loca、セニョーラロカ。
スペイン語ですが、ミス クレージーということ。
(私がつけたあだ名です)

さて、こういうケースはよくあるのですが、警察官が逮捕したものに病気や怪我のある場合、Medical Clearanceと称して我々のところに連れてくるんですね。

それで、犯罪者は我々とご対面、ということになるわけなんですが、要は刑務所に放り込む前に安全であるかを我々にチェックしてもらうということなんです。

たとえば警察官から逃げようとしてフェンスを飛び降りて頭を強く打ったけどだいじょうぶか? とか 刑務所に行く前に切り傷の縫合をして欲しいとか、どうもふらふらしているけど刑務所に放り込んでも耐えられるか?などなど・・・

ふつうは、ぜんぜんたいしたことのないケースが多いんですが、このセニョーラロカさん、かなりお熱がありました。

よく見ると、麻薬常習者らしく右腕の内側が腫れあがっていて 小さいけれども何箇所かに膿瘍があり、Lymphangitis、リンパ管炎をおこしています。
リンパ管炎は脇の下までずっとたどれるくらい広がっています。

はは~ん、ヘロインだな。

ヘロインの打ちすぎ。こういうケースは気をつけないとエイズだったりします。

セニョーラロカさん、お熱のあるわりにはお元気で、何かわけのわからないことをスペイン語で言っては担当の白人看護師を困らせていましたよ。

私は、点滴と血液検査と抗生物質をオーダーしました。

私はセニョーラロカばかりにはかまっておられませんので次の患者を見るべくその場を去りました。

担当の看護師は私のオーダーをコンピューターに入力するために一瞬でしたがその場を去り、男性の警察官は私が病院用のガウン一枚の彼女を頭から足の先まで診察しなければいけなかったため 部屋の外で待っているうちにどうやらトイレに行ったらしい・・・

セニョーラロカは、これはチャンス!とばかりにお部屋を抜け出したのです!
たまたま彼女のお部屋のとなりが救急車専用のエントランスで、すごい勢いでERをあとにし、彼女はその場に駐車してあった救急車に飛び乗ったのです。
どの救急車もそうですが、駐車中はエンジンを止めないんですね。
たまたま その救急車のパラメディックは搬送してきた患者とともにまだERの中にいて不在でした。


救急車に飛び乗った彼女、前に進みたいのだけども もう一台の救急車が縦列に駐車してあってじゃまになって進めない。
そこで 猛スピードで後方へ・・・

救急車はけっこう大きいトラックですから、後ろがよく見えない。
それで、その時間帯に働いていたフィジシャンアシスタントの車がドクター用のパーキングに止めてあったんですけど その車に激突して 猛スピードで逃げ去りました!!

私の車はその2台先に止めてありましたので無事でしたが・・・かわいそうにアシスタントの車。

救急車は無事に数ブロック先の通りで発見されましたが、彼女はみごとにドロン!

現在捜査中だとか。

彼女は万引きプロフェッショナルです。
万引きして物を売って、ヘロインを買い込んでいたのねぇ。

でも、救急車の万引き、聞いたことありませ~ん!!

ちなみに万引きは英語で shoplifting と言います。