中米のそば放浪

中米、エルサルバドルの発見、おかしいと思うものなど写真と紹介。ふらふら放浪の bagabon 今は日本でのんびり生活中。

クリスマス飾り

2009-12-25 | エルサルバドル
 

メリー クリスマス !

町では一か月以上前からクリスマスの飾り付け、プレゼント準備で賑わいます。

 


紙で作ったサンタクロースが街中で売られます。
これは身長60cm で1,5ドルでした。少し小さなものは1$。

軸は針金で体の芯になっている部分は新聞紙を巻いてあります。
提灯と同じ作り方と言ったほうが分かりやすいでしょう。

外に赤、白の細い短冊を張り付けてあります。
中は空洞の部分が作ってありキャンディー、チョコレート、菓子、ガム
また小さな玩具などをお腹に詰めます。

天井からこれをつるし、こどもたちが 棒などでこの人形をたたき壊します。
お目当ては中に詰まっているキャンディー。人形を壊すのは残酷な気もしますが、
物を破壊する快感と嬉しいものが得られる達成感は子どもたちには
大きな楽しみに違いありません。

誕生日の会やお祭りの時にもこの張りぼての人形はよく使われます。
普段は普通の人形、ピカチュウやミッキーマウス、スパイダーマン など
人気キャラクターを模したものが使われます。
この人気の人形を ピニャータ と 言います。

PINATA (ピニャータ)= くすだま(割り)は楽しいお祝いのシンボルです。

 

ハリケーン アイーダ

2009-11-11 | エルサルバドル
エルサルバドルで洪水、124人死亡60人不明(朝日新聞) - goo ニュース


エルサルバドルではハリケーンIDAの低気圧の影響で先週末から各地で
激しい雨が降り続いていたが11月8日早朝には、大雨による洪水が各地で起き、
少なくとも140人が死亡した。まだ60人が行方不明になっている。 

 


 報道によると、首都に近い地区ではサンサルバドル東部のサンマルティン、
イロパンゴ、サンヴィセンテで大規模な土砂崩れが起き、河川域での堤防決壊に
よる大きな被害が発生した。

更に全国でどこまで被害状況報告が拡大するか心配である。


以下はEL DIARIO DE HOY新聞社のWeb Newsより
(いつまで掲載され続けているかは不明です)

(写真) 
サンヴィセンテ土砂崩れ、洪水
(ヴィデオ)
ハリケーン イダ の爪痕

ホヤグランデ:イロパンゴでの崩壊
(記事映像)
サンサルバドル南部 マラガ地区

独立記念日

2009-09-16 | エルサルバドル
1821年9月15日にグアテマラ総督領が独立すると、中米の
エル・サルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ
もスペイン支配から解放された。


9月15日はエルサルバドル188年目の独立記念日を祝い
通りでは学生のバトンやマーチング曲の演奏行進、
スタジアムにて式典の後、軍楽隊パレードや軍隊の演習や救助活動、
ヘリコプターからの降下などが開催された。

新聞社映像→独立記念日の式典パレード

HIMNO エルサルバドル国歌 のビデオ

3人の作曲家が作った曲をそのまま採用したために 
異なるメロディーのつなぎ合わさった長い編成曲になっている。
中にはウィリアムテル序曲のような部分も聞けます。

火の玉祭り(3)

2009-09-04 | エルサルバドル
BOLAS DE FUEGO (火の玉祭り)の起源についてはいくつかの説がある。

元はサンアンドレスに近い所にネハパの村があったが
1658年プラヨン火山の噴火により村の半分が火山灰の影響を受けた。
その後、新しい地現在の場所へと村を移した、この新生を祝福したもの。

1917年のサンサルバドル火山の噴火においては事前に
聖人の像を被害を避けるために村人たちによって運び出された。
おかげで村は熔岩の影響を受けなかった。これに感謝記念しての行事となった。

サンヘロニモと悪魔の戦いを真似て互いに火の玉を投げ合う。

などが発祥と伝えられている。
いずれにしても火の玉は火山噴火や熔岩を象徴していることには
違いないようである。  







このページの写真を撮影した友人は果敢にも現場へ近付き過ぎ、火の玉を被弾、
足首の部分にやけどを負いました。  

ここから生まれた諺が 火中の栗を拾う ?


You Tube にも以前の火の玉合戦のビデオ映像がありました。大騒動の様子をご覧下さい。
          
Nejapa se prende en bolas de fuego  こちらも激しい!!



一見、危険なこの祭りも今が平和な国であればこそ
火の玉が飛びかうのをのんびりと楽しんで見ていられると言える。
世界の他の国にこの様な火の玉を扱った奇祭はあるのだろうか?
無ければ ギネスブックもの
 

火の玉祭り(2)

2009-09-03 | エルサルバドル
町の名前のネハパ NEJAPA とは原住民のナワット語で灰の川の意味
住人はネハペンセス NEJAPENSES と呼ばれる。
字面からすると一見、英語のJAPANESE 日本人のようにも見える。

隣の町にアポパ APOPA と呼ばれる町があるがアポパは霧・霞の町、
水蒸気の村の意味。ここへは首都から唯一列車が走っている。 



玉に火を付けて  

球の掴み具合、火の加減を確認


 出陣の準備




相手からの玉も飛んでくる  危険な雪?合戦


ケロシンを含んだ球から煙が立ち上る 

ある程度投げ終わるとチームの体制を整えに戻る  


手に火の玉が当たったり、シャツに火がついたりすることも勿論ある
水で火傷の部分を冷やしたり、頭からかけてシャツもずぶ濡れ

火から逃げ回りながら遠目の素人写真ではこの程度
友人の撮った迫力ある写真は 次回(3)で紹介 

火の玉祭り

2009-09-02 | エルサルバドル
サンサルバドルから北へ15kmの近郊都市 NEJAPA ネハパ

ここでは毎年8月31日に 火の玉を投げ合う祭が行われている。

昨年は一体どんな奇祭なのか興味があって見に行った。

昼間も出店や食べ物屋が出たりしているがハイライトの火の玉投げの
開始時間は夜9時からと遅く出かけるにも公共バスはもう走っていない。

帰りのこともあるのでタクシーをチャーターして40分近くかかった。
見物には近郊の人々はマイカーで来るので駐車場らしい場所のない中心部近くでは道路脇に停める車の列で大渋滞が起こり車が動かなくなる。

町の中心街に近づいたようだが祭りの現場がわからないまま車を降りる。




とにかく人の沢山いるほうを目指して進む。丁度9時になったところで前方に
花火が上がり始めた。あたりの人に祭りはどこで行われるのかを尋ねたところ
すぐそこだ、間もなく始まるとのことで人混みの中でしばし待つ。 


やがて顔に黒く色を塗ったり、独特の化粧を施した若者が現れた
手には火の玉を掴むために耐火性の手袋をはめている



玉入れに使う様な布の玉に灯油を染み込ませ火をつける


各々10名ほどの人数が二手に分かれて投げ合うようである。 
その道路わきの歩道や階段には見物人が溢れて見守っている。







日本のテレビで取り上げられ紹介されているので映像をご覧ください。
(FNN フジニュースネットワークより) 

  街で若者たちが火の玉を投げつけ合う  
エルサルバドルで毎年恒例の「火の玉祭り」  


エルサルバドル写真家のフォトブログ
  Bolas de Fuego Nejapa 2009
激しい現場が写っています。

サンタ テクラ 5

2009-08-13 | エルサルバドル
Santa Tecla La Libertad, El Salvador 



この刑務所が1901年に建設開始されたと記されている


中庭側から見た建物、とにかく窓の数が少なく小さい

現在は使用されていないが内外とも改装を施してから
サンタテクラ市博物館に生まれ変わる。趣のある建築物ゆえ楽しみである。

ただ問題は改装の資金集めの目処がいつになるか・・・ 

 
1906年建立のチャペルを持つ学校、清楚な制服が似合いそう



壁を真っ白に塗り直すお金があります。 イサルコ銀行

サンタ テクラ 4

2009-08-12 | エルサルバドル
Santa Tecla La Libertad, El Salvador 



お城の城壁のようにも見えますが・・・刑務所の壁、監視塔の建物です




煉瓦、漆喰の壁で仕切られている通路や部屋



窓のある部屋は看守の執務室か軽犯罪者房か



主に政治犯が収容されていた、窓の閉じられた房



別の部屋には残された立派な鏡が床に置かれていた

中から魔女が声でもかけてきそうな雰囲気もある

サンタ テクラ 3

2009-08-11 | エルサルバドル
Santa Tecla La Libertad, El Salvador



窓の造りやその上の飾りは見応えがある。地震の被害と年月の経過で
かつては美しい壁の立派な建物も古くなり今は使われていない。

 

その前の場所を利用して常設ながら仮設の店の軒がずらりと並ぶ

触れれば柱が倒れそう、屋根もすぐに崩れそう



移動店舗:商品を運んできた車の上がそのまま展示陳列のスペース

有るものはとにかく隙間なく全て並べる ドンキホーテ店精神