狐・狸・祭

フラメンコの故郷よりマイペースに発信、カンタオーラ小里彩のブログです

一億ペセタの夢

2017年01月07日 07時40分24秒 | 日記
アスンシオン地区にあるバル"ボラピエ"(闘牛の技の名前に由来)。昔ながらのスタイルが心地よい清潔で重厚感あふれる店内に一歩足を踏み入れると、壁一面に所狭しと飾られた白黒の闘牛の写真の美しさに圧倒される。伝説的なフィエスタの数々が繰り広げられたこのバルの名を地元のフラメンコで知らない人はいないという。「ボラピエはエル・チョサはじめ多くのアーティストたちのたまり場だった」と語るのはエル・チョサの年の離れた親友であり弟子のような存在でもあったエル・ガソリナ氏。

ある日ガソリンスタンドでの勤務を終え家でひと息ついていた彼の元に、店の人がなにやらあわてた様子で訪ねてくる。「エル・チョサをボラピエに至急つれてきてほしい。わざわざマドリッドから話をしたいと大切なお客がきているんだ。」

お客とは大手レコード会社CRA(現在ソニーミュージックの傘下)の3人組で、名高い伝説のカンタオール、エル・チョサの唄を録音するため商談に来ていたのだった。当時(70年代頭?)は録音するためにはアーティストが専用スタジオのあるマドリッドまで出向くのが通例だったが、エル・チョサが遠出しなくてすむようなんと機材まで直々に持参してきていたという。

いくら出せば歌ってくれるかというという問いにエル・チョサは「1億ペセタ」と重々しく答えた。度肝を抜かれた一同が「さすがに高すぎるかも?」と意見してものれんに腕押し、「1億ペセタといったら1億ペセタ!」と目を三角にしたまま一向に譲らない。野山で家畜の世話をする事を生業とし、慎ましい暮らしぶりだったエル・チョサ、「恐らく知っている一番大きい数字を言ったのだと思う。」と当時を振り返るエル・ガソリナ氏。

はなから録音する気などなかったのか、ひとたび大きなことを口にしてしまい引っ込みがつかなくなってしまったのか。今となっては知る由もないが、とにかくCRA社の努力は無駄足に終わり、一行はヘレスを後にした。そのわずか30分後には、くつろいだ仲間内にて酒の注がれる音と共にエル・チョサ氏の歌声がボラピエに響いていたという。その場にいた一同「一億ペセタの歌声だあ」と大笑いしながら宴を楽しんだという。

「そんなわけで簡単に歌声が聞ける人ではなかった。自分で言うのもなんだけど、今現在チョサのブレリアと名の付くものを歌っている人はだいたい私の歌を聞いて模倣したものばかりだ。」とエル・ガソリナ氏。ある時にサンフェルナンドのベンタでフィエスタが行われた際に同席したカマロンさえガソリナ氏の歌うチョサのブレリアを聞き、歌詞を学び取っていったという。

エル・チョサと若かりし頃つるんでいたガソリナ氏ももう70近い。「あなたは自分の歌を録音し自分だけのアルバムを制作したいと思いませんか?」という私の問いにガソリナ氏は笑いながら首を横に振った。

あきらめてはいけない気がした。先人が実現し損なったこの夢は何かとてつもなく大事なことのように感じていた。フラメンコという大きな氷山の一角かもしれないがこのひとかけらがきっと貴重な宝石となる。そしてついに口説き続けて4ヶ月ほどたったある日、「そんなにいうならやってみようか」というセリフがガソリナ氏の口から飛び出した時、私は新しい一歩を踏み出せた喜びで静かに興奮していた。




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