狐・狸・祭

フラメンコの故郷よりマイペースに発信、カンタオーラ小里彩のブログです

マヌエル・アグヘータ

2014年10月09日 19時10分22秒 | 日記
昨日、ビジャマルタ劇場でマヌエルアグヘータのソロコンサートが行われた。実に5年ぶりとのこと。私も最後に聞いたのは何年ぶりか思い出せないぐらい。久しぶりの好機だった。

1、2階席は25ユーロ、3階席は18ユーロの入場料。一般人には高い料金だったためか、3階席からヒョイと下を覗くとかなり空席が目立った。しかしそれにもかかわらず不思議と寒々しさはなく、場内は「マヌエルの歌を聴きたい」という熱い期待感に包まれていた。セビージャのビエナルフラメンコという有名なフェスティバルも終了したばかりだったので、それを目当てに滞在していた海外からのフラメンコファンも帰国してしまったのだろうか、ほぼ地元の人のみであった。

ギタリストはアントニオ・ソト。司会者の紹介によるとコルドバやラ・ウニオンなどスペイン最高峰のコンクール受賞歴がある上、マドリッドで初めての共演以来16年越しでアグへータの伴奏をしている信頼関係の厚いギタリストということだった。

初めにアントニオ・アグへータが登場し、シギリージャ、ソレア、ファンダンゴを3曲短く歌った。初めの第一声ですでに鳥肌がたつのを感じた。渾身の歌だった。

しかしその後登場したマヌエルの歌を一声聴いて、度肝を抜かれた。ここ数年、アントニオやドローレスの歌は数回聞く機会が有り、その度に素晴らしさに感動したものだが、マヌエルアグヘータの歌は声色、コンパス、緊張感、どこをどう取っても群を抜いて別格だった。

その声は、まるで太いキリで心の奥を突き刺すような何処か痛みを伴う攻撃的な響きを持ちながらも、同時にこの世にこれ以上美しい人間の声は存在しないのではないかと思うほどの清いものだった。強い強いカンテ!自由奔放でありながら格式高く粗野でありながら繊細なコンパスを自在に描きながら深く深くフラメンコの世界へと誘ってくれた。

大劇場にもかかわらず、まるで居酒屋にでもいるような感じで皆自由に夢中で大きなハレオ(掛け声)をかけ、マヌエルも饒舌に客席に語りかけた。歌も思いつくままにどんどん歌い、その度にギタリストは絶妙の伴奏で自然にそこに存在していて、二人の呼吸感は本当に見事の一言だった。楚々とした上品な劇場版フラメンコ公演に慣れがちな私の常識は小気味良く裏切られ、彼独自の世界にぐいぐいと引き込まれていった。かなり長いこと歌っていたが、全く飽きることはなかった。逆に、聴けば聴くほどこちらも集中力が冴えていくようだった。

もう今の時代よいフラメンコはみな消え去ってしまったというのが大方の定説だし、それは正しいと思っていたけれど、2014年現在にこんな素晴らしい歌がまだ聞けるなんて。例えば録音でしか聞いたことのないマヌエルトーレの古いカンテ、生で聞いたらこのような感じなのだろうか?まるで昔の時代にタイムスリップしたような気分だった。

終わりかたも強烈で、何度目かのソレアを二つほど歌ったあとサッと立ち上がり、軽く会釈すると椅子の背にかけたジャケットを思い出したかのようにヒョイっと拾ってスタスタ舞台袖に消えていってしまった。皆休憩か終了か自体が飲み込めず、あたふたしたが、客電が着くまでに時間がかかったところを見ると照明係の方も同じ気持ちだったに違いなかった。

「ああ、終わったんだ・・・・」夢からフラフラ覚めるように、冷めやらぬ興奮に一様に酔いしれながら、劇場から出た客たちは秋風が心地よいヘレスの街へと散り、それぞれの家路についた。

me siento sobre tu cama
las lagrimas como los garbanzos
me caian por la cara