狐・狸・祭

フラメンコの故郷よりマイペースに発信、カンタオーラ小里彩のブログです

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

パコ・エル・ガソリナ座談会 その2

2017年07月31日 11時02分02秒 | 日記
【踊りと歌の関係】
T:ヘレスはカンテ・フラメンコのふるさとということで誰も異論はないと思うのですが、踊りの位置付けはどうだったのでしょうか?ソレアやアレグリアスなどいわゆる踊ることのできる曲種も常々歌われたと思うのですが。
G:セビージャは素晴らしい踊り手を多く輩出した地ですが、一方ヘレスはブレリアを除いてあまり踊りは存在しませんでした。
T:セビージャなど他の地から来た踊り手がヘレスの歌い手に合わせて踊り出すといったようなシーンを見たことはありますか?
G:唯一思い浮かぶのはマヌエラ・カラスコです。ヘレスの人に愛された存在でした。でも踊るときはやはりボケロンなど自分のクアドロを引き連れて踊っていたのみだったように思います。

【全部いいのはフラメンコじゃない】
T:時は変わり、今ではヘレスにもアカデミア出身の踊り手が増えましたね。
G:それに伴い当然歌い手の仕事も踊り伴奏に変わってきました。まず仕事として歌いたければ伴奏を勉強しないと。息子もそうですが(パコ・エル・ガソリナ・イホのこと)練習を重ねて舞台に上がるようになり、無難なそつのない安心感と引き換えに野性味はなくなりました。でも、本来は1+1が2じゃないのがフラメンコなんです。
T:どういうことですか?
G:例えば、私はマヌエル・アグヘータの大ファンですが、彼とて6つくらい歌ってようやくそのうち1ヶ所くらい心に突き刺さる瞬間がある。でもそのすごさたるや一生忘れないくらいなんです。逆に全部いいのはフラメンコじゃない。
T:なるほど。
G:テレモトだっていつもいい歌を歌っていたわけではなく、時にはレンガで口を押さえつけてやりたくなるくらいひどいときもありました(笑)。ある時レブリーハのカラコラでの舞台がまさにそうでした。仕事で不完全燃焼だったテレモトですが、その後皆でその日ちょうど誕生日だったペラータの家に誘われて行き、彼女に入れてもらったおいしいコーヒーを飲み、テラスで朝日を浴びながら思いがけない瞬間に素晴らしいシギリージャを歌いました。あまりの熱唱に同席したアントニオ・マイレーナが感動し、手にしたウイスキーの入ったグラスを床に投げつけ「オレエエーーー!」と叫んだこと、今でも忘れられません。
T:凄いですね。

【思い出に残るアーティストとの出会い】
T:マヌエル・アグヘータのファンということなんですが、彼にまつわる思いではありますか?
G:彼は舞台で歌うようになったのはだいぶ年を重ねてからです。初めて会ったのはアスンシオン地区の市場併設のバルで、急に素晴らしい歌声が聞こえてきたので驚いて見てみたら、そこに若い黒ずんだ裸足のヒターノがいました。それがマヌエルでした。その足でボラピエに飛んでいき、「今若いのですごい歌を歌うやつがいた!マイレーナよりすごいぞ!」と息巻いたんですがマイレーナ命のルイ・パコーテをはじめ皆に信じてもらえず笑われたものでした。でも時の流れとともに次第に彼の存在は衆知のものとなり、誰もが認める一流のカンタオールとしての座を揺るぎないものにしました。ただ、ボデガのセニョリートにゴマをするようなことができない野生児だったので、仕事として成功することはなかったようですね。
T:他にはどんな出会いが印象に残っていますか?
G:徴兵の時にセウタ出身の怖い軍曹がいて、ある日夜中に呼び出されました。車で連れ出され、「何だろう」と思いきや、着いたところはサン・フェルナンドのベンタ・デ・バルガス。何かのきっかけで自分がフラメンコの歌い手であることを知って、仲間内のフィエスタに連れてきてくれたのでした。そこには若かりし日のカマロンがいて、そのすばらしさは当時から光っていましたっけ。
T:カマロンはよくヘレスにも遊びに来たそうですね。
G:大体ルイ・デ・ラ・ピカやトルタと一緒でした。ある時トルタが彼にこう言ったそうです。「おいカマロン、俺はソレアを歌わせたらお前の40倍くらい巧いぞ」。そしたらカマロンはおとなしい人だったんですがなんて返したと思います?
T:さあ?
G:「そうだろうね。それでも・・・・俺はカマロンだよ」(笑)。
T:本当にアルテ溢れる時代でしたね(笑)。今日は貴重なお話をありがとうございました。

(この後チョサのブレリアを一曲歌っていただき、閉会となりました。)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

パコ・エル・ガソリナ座談会 その1

2017年07月31日 09時42分49秒 | 日記
Gasolina Canta en Japon 2017ツアーは無事に終了いたしました。お力添え下さった皆様、ご来場下さった皆様に心より御礼申し上げます。
ツアー最終日の7月18日(火)、東中野・島村香さんのスタジオにて、司会にフラメンコギタリスト俵英三さんをお迎えし座談会を開催、ガソリナ氏の思い出を中心に沢山面白い話を聞かせていただきました!こちらに記録として残しておきたいと思います。

■■■■■■■■

【黄金時代のボラピエ】
俵(以下T):黄金時代のヘレスと一言でいっても、実際そこにはどんな人がいたのですか?
ガソリナ(以下G):テレモト、パケーラ、ティオ・ボリーコ・・・私が住んだアスンシオン地区には「ボラピエ」というバルがあるのですが、サンティアゴからもプラスエラからも皆が集まる場所でした。無名ながら個性あふれる踊り手や歌い手が常にいました。若くしてマドリッドのタブラオ「ロス・カナステーロス」等に出演したパケーラや、テレモト、ローラ・フローレスを慕ってよその町からもペルラ、マイレーナ兄弟、レブリハーノ、フェルナンダ・・数え切れないくらい多くのアーティストが訪れたものでした。しかし決してかしこまった集まりではなく、友達同士の自然な交流でした。
T:ボラピエでの思い出にはどんなものがありますか。
G:ある時ティオ・モーロ(現ボラピエオーナーの祖父にあたる)という戦争で片足をなくした大柄な年配のヒターノがカウンターにもたれていたんですが、フエルガの興が乗ってついつい我慢出来ず踊り出したことがありました。
T:へえ!
G:もちろん片足がないのですぐに派手に転んで大騒ぎです。皆が慌てて駆け寄ったら一言「忘れてた・・・」と(笑)。
T:強烈なエピソードですね!そのとき誰が歌っていたか覚えていますか?
G:ティオ・チョサです。

【ティオ・チョサ】
T:ティオ・チョサはレブリーハ出身ですよね。はじめからすぐにヘレスの人達に受け入れられたのですか?
G:確かに生まれはレブリーハですが、彼は人生の大半をカンポ(野山)に生きた人で・・・農作業や家畜の世話など、そのときそのときにある仕事を転々とさまよって生活した自由人でした。
T:ヘレスの人は「ヘレスのチョサ」と、レブリーハの人は「レブリーハのチョサ」と彼を呼びますが、彼の歌はどちらの地域のスタイルにも属さない非常に個性的なものですよね。
G:そうです。初めて聞いたときは度肝を抜かれたものでした。帽子がトレードマークのおとなしいヒターノで・・・。そのままアスンシオン地区に住み着き、晩年体調が悪くなってからレブリーハの教会主催の老人施設に移り、私も食事の差し入れを持って何度か訪問したものですが、そのままそこで亡くなりました。
T:ほとんどの巨匠がそうであったように寂しい最期だったのでしょうね。
G:私には気を許してくれたものですが、いかんせん変わった人でしたから録音もあまり残っていないようです。今存在するわずかな録音はおそらく隠し撮りかそれに近い状態で取ったものではないかと。彼はスタジオでマイクに向かって歌うような人ではありませんでしたから。
T:マドリッドからわざわざ商談にきたレコード会社の人も門前払いだったそうですね。

【当時の職業とフラメンコ】
T:アーティストとして稼ぐことができたのはほんの一部で、ほとんどの人が別の職業を生活の糧にしていたと思いますが・・・。
G:多くの人が従事していたのが屠殺業、それからサンティアゴの人は農作業、プラスエラの人は馬の蹄や農具などを作る鍛冶屋が多かったです。そういった背景で両者には文化の違いも大きいのです。サンティアゴの人はセニョリート達と日常的に顔を合わせていただけあり、垢抜けて着こなしもおしゃれな人が多かった。一方プラスエラの鍛冶屋は金床とハンマーの音だけで歌う無伴奏の歌に長けていたり。体中真っ黒にすすだらけで3、4日シャワーを浴びていない状態とか、動物の血が付いた作業着でさらにポッケに包丁が入ったままみたいな格好で平気でフエルガに現れるのはだいたい着こなしに無頓着なプラスエラの人でした(笑)。
T:今は皆お洒落ですけどね(笑)。職業としてのフラメンコはどういう形で存在したのですか?
G:レオン出身のサントス・カスカジャーナという人がいて、ゴンザレス・ビアス社(ティオ・ぺぺで知られるシェリー酒のボデガ)のトップだったんですが、大変なアフィシオナードでした。観光客がきた際にはフエルガを開催して皆に仕事を与えてくれて。その手法を真似てドメック社など他のボデガでもフエルガが盛んに行われるようになりました。貧しい時代だったので、ボデガに呼ばれたら皆大喜びで行ったものです。仕事と行っても今のようにかしこまった形ではなく、半分遊びに行くようなものでしたが・・・。
T:ボデガとフラメンコが共存してお互いに助け合っていた良い時代だったのですね。
G:あとはセビージャのアントニオ・プルポン氏(フラメンコ・アーティストのマネージャーとしてパイオニア的存在だった)がウトレーラのポタヘ、レブリーハのカラコラ、モロンのガスパチョ、チクラナのパルプーハ、セウタなど、各地のフェスティバルを企画するようになり、ますますアーティストとして舞台に立つ人は増えていきました。私が一度チクラナのパルプーハに出演したときにはざっと20人くらいのアーティストがいて、最後のトリでパケーラが歌う頃にはすっかり夜も明け朝の10時くらいになっていました(笑)。ヘレスに関しては「木曜フラメンコ」というのが闘牛場で開かれ、当時マヌエル・モラオがプロデュースして若手を発掘していました。マカニータ、ディエゴ・カラスコ、トマシート・・・。私もテレモトに紹介してもらって出演し、確かこの「木曜フラメンコ」が初舞台でした。

続く

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

VENTURA!

2017年07月10日 01時32分57秒 | 日記
7月7日、ローラフローレスの像近くにあるTabanco Cruz Viejaにて、マドリレ氏とのデュオ”VENTURA”ライブを行いました。

一部
BANDOLERO
VENGO DEL PUERTO
MALA MALA
UNA MANHANA

二部
VERTE
HEY AMIGO
OH MARE!

トマシート、Nabajita Platea、Los Delincuentesなどかつてヘレス発の前衛音楽シーンを引っ張ってきたアーティストの数々が過去にカバーした名曲ばかりですが、全てマドリレ氏のオリジナルばかり。ブルースあり、ブレリアのバラードあり、ロックンロールあり、アンダルシーあり。フラメンコではありませんがファミリア・ヘロはじめ若い頃サンティアゴのアーティストと沢山活動しただけあり勝手ににじみ出てくるアイレが時に強烈にフラメンコを感じさせます。とにかくかっこいいです。

縁があってマドリレ氏の音楽を一緒に勉強させていただき早いものでもう半年。それでも一緒に舞台で演奏させていただくというのはやはりまだ長い道のり・・・実力不足の一言でした。サポートするということの楽しさと難しさを痛感しました。
また、日本では歌い手として10年以上舞台に立っていましたが、ピアニストとしての必要練習量の圧倒的な違い、スペインでは観客の性格が違うのでやはりこちらでの舞台経験の少なさも思い知りました。

即興で奏でられる展開にすぐついていけず迷惑をかけるシーンもあり、申し訳なくて穴があったら入りたい思いでしたが、「音響が悪かったから集中力がとぎれるのも無理はない。こちらも分かっていながら機材をそろえられずごめん。」と笑って言ってくださった上、気がついたら打ち上げのビールまで支払い済み!いつのまに・・・・先を越されてしまいました(´д`)舎弟としては精進して恩を返すしかありません。練習時間の確保等にとことんつきあって協力してくれた家族にも見に来てくださった友人たちにも感謝です。

なお二部最後はガソリナさんも飛び入り参加!いきなり渋くティエント・タンゴとファンダンゴを歌ってくださり、大いに盛り上がりました。久々にあった昔からの友人というだけあり、マドリレ氏のカンテ伴奏も秀逸でした。

ガソリナさんは「こういうモダンなやつはよく分からないけど、新鮮でとても良かった!これからもこのデュオ続けなさい。世の中広しといえどもこんなに毛色の変わった二人組ってそうそういないよ(笑)!でもいいよ。」と喜んでくれました。

一息ついて頭を切り替え、いよいよ火曜日にガソリナさんと二人で日本を目指し出国です!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ホセ・エル・パニェーロ!

2017年06月03日 01時44分33秒 | 日記
花粉症と生活に追われてバタバタしているうちにもう6月...!フラメンコの公演情報にめっぽう疎い私ですが6月1日に大好きなルイス・モネオ氏がサラ・コンパニアという小劇場で歌う告知を数ヶ月前にみたのはさすがに脳裏の片隅で覚えていました。当日になってネットで公演詳細を探すもどこにも見あたらず、ルイス氏のFBをのぞいても最後の更新は4月末で「公演詳細決まったら告知しますね!」というメッセージがむなしく踊るのみ。近所なのを幸いに午後8時頃様子を探りに現場に向かうも人っ子一人おらず、小さく関係ない演劇のポスターが貼ってあるドアは超閉まっています。ロシオ巡礼と被って中止になっちゃった?ここスペインでは日本と違い中止になったときのアナウンスは特にないこともほとんどで、事実は深い謎につつまれたままです。

気を取り直し今日はペーニャ・チャコンにホセ・ミヒータ氏を聞きに行こうと思って友人のAさん夫妻に電話したら何とアルヘシラスからホセ・エル・パニェーロ氏がペーニャ・ラ・ブレリアに来て歌うらしいという怪情報が・・・!危うく逃すところでした、ありがたや!それにしても嗚呼、何故同じ日なんだ!あんなに普段何もなくドミノやってるおじさん達しかいないのに・・・・!とにかく背に腹は代えられず、サンミゲルヘと向かいました。

客足が分散されたのか兄・ペリーコ・エル・パニェーロ氏の時と違って会場は比較的空いていて立ち見客もまばら。いつものことながら前説が熱血若手教師風なフアン・ガリード氏の紹介によるとギタリストのホセ・エル・プーラ氏はモロン出身でペーニャ・ラ・ブレリア初登場とのこと。モロンのギタリストッ!と聞いてこちらのテンションも上がらざるを得ません。
(追記:実際はモロンではなく、チクラナ・デ・ラ・フロンテーラ出身という情報を寄せていただきました!)

小柄ながら骨太な印象の体躯をスーツに包み「暑いですネ」とハンカチで額の汗を拭いつつ舞台に登場したホセ氏。過去にビジャマルタ劇場のクリスマスのサンボンバ(連なる一流アーチストのネームバリューに惹かれて大枚をはたいた割にフラメンコ色皆無なガチの歌謡ショーだった悲しい私が唯一この日見れて良かったと感激したのが特別ゲストの彼のブレリアでしたっけ・・・・ほかの客席との温度差をたとえ僅かな間だけでも埋めてくれてあの時は本当にありがとうございました)と、兄・ペリーコ氏主役の時に演目の最後にやはりゲストでブレリアをひと振り、ハートを鷲掴みされたのが記憶に新しいものの、今日は「主役」での登場!どんな歌を歌ってくださるのか・・・・。

まずはソレア・ポル・ブレリア、カンティーニャス。トマス・パボンやアントニオ・チャケータのカンテを思わせるどっしりと重みがありながら同時に軽やかなコンパスのみごとな緩急!つづいて「古き時代のアーティストたちに思いを馳せて・・・常に彼らに思いを馳せなくてはいけません!」と一言、起立し歌い上げたマルティネーテ。一部の最後は「祖父がトリアナの出身でした。」とファミリアゆかりのタンゴ・デ・トリアナを立って歌い踊ってくれました。これが本当に素晴らしかった!白黒のドキュメンタリーで見たトリアナのタベルナでおじいさんおばあさんたちが歌って踊っている世界がそのまま彼のアルテの中にあり、まるで観客をタイムスリップさせてくれたかのよう。「お腹がすいたけどお金がないヨ」という歌詞にあわせて手を口に持っていくコミカルな振り付けが登場しましたが、本当に「HAMBRE(空腹)」が日常に痛いほど存在した時代の苦しみを肥やしにした、たくましい人間の美しさ。まさにフラメンコはここから生まれたんだ・・・・魂を揺さぶられる思いでした。チャップリンだったか「喜劇と悲劇は表裏一体だ」という名言を聞いたことがありましたが、悲しみをユーモアに置き換えて伝えることができるのが最上級の知性であるように、空腹をアルテに昇華したフラメンコはやはりとてつもない説得力を持って感動を与えてくれる。そしてそこまでの深さでこのタンゴを歌い踊れる彼の芸の深さに唸るばかりです。

二部は「ブレリア・パ・エスクチャール」ヘレス風のブレリア・ポル・ソレアで幕開け、続いて渾身のコラヘを絞り出すようにシギリージャ、ファンダンゴ。ギターは時折モロンの響きを思わせる特徴的な旋律を交えつつも、グイグイと厚みのある力強い好演(ホセ・パニェーロ氏の「ole la campana golda」という掛け声グッときました!まさに太い鐘の音!)でカンタオールを支えていてとてもよかった。古風で正統派な演奏はメルチョール・デ・マルチェーナを彷彿させるような・・・。そしていよいよ最後はブレリア!座って歌い始めるも中盤に差し掛かり期が熟した頃合を見て、すわ、途中ホセ氏が起立してマイクを縦に設置!その瞬間矢のような勢いで後ろのパルメロの一人が座っていた椅子を後ろに片付け踊る空間を確保、満面の笑みで手を叩く業務に戻るそのさまや、いとをかし!(←と清少納言がもしここにいたらきっと思うハズ!)作り物ではない本物のエレガンシア溢れる彼の動き。はらりとジャケットを翻し肩を出し、さっと一歩を踏み出すときに魔法のように世界が変わる。メロディアスなカンシオンを歌い上げて最後に「Cuatro pare Francisco cuatro de Carmen!」とトラディショナルな明るい歌詞を一行だけ放り投げ、そのまま見事なレマーテにもちこんで舞台袖に踊り去っていった鮮やかなセンスは爽快の一言!!!いやあ~やられました。何もかもがカッコよすぎます。闘牛ならばO・L・E・J・A、オ・レ・ハ!相撲ならば座布団が空を舞っていたことでしょう。

舞台が終了してからも余韻にふけって久しぶりにお会いしたHさんとビールを飲んでいたらなんとホセ氏が登場!お話したらとても気さくで普通に素敵な若いお兄さんでした!舞台でのあのジジむささは皆無!現代社会にもこんな方がいるなんて本当に嬉しいです。

また素晴らしいフラメンコに出会えたことに感謝しつつ夏の夜を家路につきました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

7/18㈫ パコ・エル・ガソリナ座談会 @東京・東中野

2017年05月20日 23時44分10秒 | 日記
【7/18㈫エル・パコ・ガソリナ 東京 座談会詳細決定!】

ヘレス・カンテフラメンコの黄金時代のお話にパコさんを囲んで耳を傾けませんか!パコさんの素晴らしい人柄にもぜひ身近に触れていただきたいです。話術も巧みなパコさん、どんなエピソードが飛び出すのか今から楽しみです!この日はツアーの最終日、ありがたいことに予想に反しすぐに定員に達してしまった前日のエスペランサライブを逃した方のために最後にチョサのブレリアを一曲歌っていただく予定です!ご参加お待ちしています!

日時:7月18日㈫ 19:30~20:30
会場:島村香フラメンコスタジオ(東中野)
司会・通訳: 俵英三 小里彩
参加費:3,500円
お問い合わせ・お申し込み:koza10a8☆outlook.com(小里) ←☆を@に変えて送信してください!
Aya Kozato FBメッセージでも承ります。
※3日たっても返信がない場合、何らかの理由で受信できていない可能性があります。恐れ入りますが別アドレスから再度ご連絡いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。



「この年になって自分を訪ねてきて自分の歌を聴きたいと言ってもらえるあんたのような人がいるのは本当に幸せなことだ。ましてや縁あってフラメンコファンの層の厚さで定評のある日本に行けることになり、自分の歌を楽しみに待っていてくれる人がいるなんて。」と気合十二分なパコさん。来日記念で録音したCDについても「自分の歌を聴くのは基本的に好きではないのだけれど、このCDは本当に気に入ったッ!嬉しく思う。」とのこと。今魂のスクラムを組んで二人三脚で準備中です。甲府の企画をしてくださっている金子文乃さん、同じく大阪の西出香さん、ギタリスト俵英三さん、スタッフの皆のご協力のもと、ガソリナ日本ツアー最後まで全力で準備したいと思います。

あと2ヶ月、・・・・・・・みなさんにお会いできるのが本当に楽しみです。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加