狐・狸・祭

フラメンコの故郷よりマイペースに発信、カンタオーラ小里彩のブログです

ソロ・アルバム作成に向けて

2017年03月15日 15時58分31秒 | 日記
ガソリナ氏から「フェスティバルが終了し、ようやくドミンゴに時間ができたので練習しようということになった。明日ペーニャ・ラ・ブレリアで会おう!」と連絡がきたので仕事の後に顔を出させていただくことにした。

ガソリナ氏はソロ・アルバム作成について最初は乗り気ではなく、「勉強家でプロとして活躍している息子ならともかく、自分には難しいだろう。」と謙虚かつ慎重な姿勢をみせていたが、「日本で公演を行うこともあり、勢いに乗っている今のタイミングで記念として形に残るものを作りましょう。もしまだ幼い曾孫さんが将来家族ゆかりのカンテを勉強したいと思ったとき録音があればきっとかけがえのない宝物になるでしょう。それにフラメンコの魅力をまだ知らない10年後、20年後のヘレスから遠く離れた外国のアフィシオナードにあなたのカンテを届け、世界の片隅のどこかで喜んで聞いてもらえたら素敵だと思いませんか。」口説き続けて4ヶ月ほどたったある日、ついにガソリナ氏は首を縦に振ってくださったのだった。

ガソリナ氏のカンテの魅力を誰よりも知り尽くした息子のパコ・ガソリナ・イホ氏を交え、誰に伴奏を頼むかと話し合ったのは年末。あれこれと悩みつつ二人の口からすぐプラスエラのカンテ伴奏者としては最高峰であるドミンゴ・ルビチ氏の名前が上がらなかったのには色々な理由があったのだろうか。私はふたりの会話を黙って聞いていたが、どう考えても彼をおいて他の候補者は浮かばなかった。ついに口を開いたときには二人はびっくりした顔で私を見、「よし!早速聞くだけでも聞いてみよう。」と頷いた。

その翌朝「二つ返事でO.Kしてくれた!」とくしゃくしゃの笑顔で私の働くレストランまで報告に来てくれたときは心から嬉しかったものだ。

誘っていただいたものの練習のじゃまをしても悪いので終了時間頃めがけて挨拶に行こうと呑気に構えていたら、「どう、来れそう?」とガソリナ氏から電話があったのであわててペーニャに向かう。狭い控え室に膝をくっつけるようにしてドミンゴ氏、ガソリナ氏のほか、息子さんとお孫さんもいた。シギリージャを歌うガソリナ氏の気迫は驚くほどで、手は震えんばかり。「とても良いけど、後はマチョの部分はもう少し改良の余地があるな。日本人は耳が肥えてるし、知識もあるから厳しいよ。終わり方はきちんと決めておいた方がよいと思う。」アドバイスをするドミンゴ氏も真剣そのもの。「あの***というレトラはどうだろう。もしくは昔歌っていた****のレトラも良いと思う。」息子さんも必死で父を見守る。一つレトラを歌い終える度「これでどうだろう?」というように私を見た。私は目だけで必死にうなずく。これは一体なんだろう・・・何かとてつもない大きなものが生まれようとしている尊い瞬間だった。

シギリージャが終わると今度はブレリア。「ブレリアはそのままのお父さんでお釣りが来るくらい素晴らしいから練習なんかしなくても良いよ!」という息子さん。でも皆チョサのブレリアが聞きたかった。ドミンゴのギターが響き、息子さんとお孫さんの息の合ったパルマが鋭くコンパスを刻み始めると水を得た魚のようにガソリナ氏は歌い始めた。その場中にパアッと笑顔が広がる。

この熱がそのまま届きますように。いよいよ来週、彼は録音スタジオのマイクに向かう。