前回、記事をUPしてから、考え込んでしまった。
重いテーマで自分には到底抱えきれない・・・
でも、自分なりに一括りつけなくてはどうしようもないのも確かだ。
慰霊の日とした6月23日、60年前のこの日に沖縄での戦闘が終わった訳ではない。
日本が敗戦を認めた8月15日以降、9月に入ってからようやく終結をみる。
全島を焦土と化し、甚大な犠牲者を出した沖縄戦の悲劇は有名無名数限りないだろう。
ダイバーの聖地とも言える慶良間諸島は渡嘉敷島・座間味島・阿嘉島・久場島などなど大小20余の島々から構成されている。
米軍の本島上陸前の3月23日に慶良間諸島は数百を超える米軍艦艇に囲まれ、その艦砲爆撃を受ける。
結果、米軍は26日に座間味、27日に渡嘉敷に上陸、占領を果たす。 逃げ場を失った島民たちは「集団自決」をし、座間味402名、渡嘉敷329名が命をたった。
私たちダイバーを温かく迎えてくれる慶良間の海も島々も戦争の深い痛みを抱えていた・・・・
また、私が第二のふるさとと思っている八重山諸島、石垣でも悲劇は起きていた。
八重山諸島は直接の米軍の攻撃を受けなかったが、日本軍からの強制疎開の命令が発せられ、石垣・波照間・黒島・鳩間・新城の5島の住民が、当時マラリアの汚染地区であった西表の山間部へ移住させられた。
その後、マラリアの発症で3000余名が亡くなっている。
直接の戦闘による犠牲では無いが、やはり戦争の生み出した悲劇と言えるだろう。
米軍の本島上陸の前年、昭和19年8月には本土(ヤマト)への疎開学童ら1788名を載せた「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃で沈没。 犠牲者数は約1400余名。 その半数以上が疎開学童と言う。
戦後、沈没場所が判明したもののサルベージはかなわず、今も海底に眠っている。
どれも胸締め付けられる歴史であるが、私たちは知らなければいけないと思う。
私は大好きな沖縄の事をもっともっと知りたいと思っている。
仕事に行く前のウォーミングアップで覗いてみました。
八重山での強制疎開とマラリアについては知りませんでした…
知らないこと、まだまだあるんでしょうね…
少しでも知り、それをまた次の人に伝えていこうと思いました。
それでは♪
またウチにも来てくださいね~
(来月5日まで留守ですが…)
ウ~ン、その通り。 私の表現しようと思って出来なかった思いを寄せて下さってありがとうございます。
>・・・何でもない日常さえも失った、多くの先人がいることを忘れてはいけないね。
金メダルを差し上げたいくらい、胸に沁みる一文です。
亜衣さん>>
知ってこそ、感じられることってあるよね。
旅をしていても、その土地や建物の事を知っていると興味が沸くし、知らなきゃ、触手が全く作動しないで「あっ、そう」ぐらいで流しちゃう・・・ やはり、「知る」事は大切だと改めて思う今日この頃です。