Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

黒の試走車

2007年01月31日 12時55分00秒 | 邦画1961~1970年

 ◇黒の試走車(1962年 日本 92分)

 監督/増村保造 音楽/池野成

 出演/田宮二郎 叶順子 船越英二 白井玲子 高松英郎 上田吉二郎 中条静夫

 

 ◇くろのテストカー

 漢字にカタカナのルビをふることが、当時は流行ったんだろか?

 漫画にもそういう傾向があったような気がするけど、カタカナがカッコイイ時代だったんだろね。

 ちなみに、この映画は大映のサラリーマン・スリラーの第1弾で、黒のシリーズとも呼ばれた。

 高度経済成長期のサラリーマンはまだまだ戦前の日本のひきずってる観があって、会社は戦場で、産業スパイにいたっては陸軍中野学校の卒業生なんじゃないかって観もある。

 で、その鉄の扉の向こうに部署のある産業スパイ課をひきいているのが、高松英郎。星一徹みたいなおじさんだけど、過多な熱演で、生臭い話をより一層なまなましく演じてる。いや、まじな話、高松英郎の代表作かもってくらいの大熱演だ。

 話のあらすじは、タイガー自動車とヤマト自動車のスポーツカー開発と販売の合戦なんだけど、タイガーの新車はパイオニアで、ヤマトの新車はマイペット。なんだか、いまの時代のぼくらは混乱しそうなネーミングだよね。

 高松英郎の部下が田宮次郎なんだけど、恋人の叶順子がいい。貞操を守る女性にしては濃い雰囲気だけど、すごく綺麗だ。増村保造らしい演出で、ぶっきらぼうで、すてっぱちな台詞まわしなのが、なんともこの時代らしいし、それでいて、妙に突っ張った可愛らしさもある。

 なんといっても、ふっくらした頬に、濃いめの眉と、大きな眼も印象的だけど、やけに肉感的なくちびるは、日本人ばなれしたバタ臭さが漂ってて、照明で目に支障をきたしたことで引退したみたいだけど、実に惜しい。

 恋人のためにクラブに潜入し、試走車の情報を手に入れるどころか、ちからづくで敵方に貞操まで奪われながらも、冷たくあしらわれてゆくのを見てると、なんだか、主役は田宮次郎っていうより、叶順子なんじゃないかっておもえてくる。

 ところで、試走車(テストカー)が完成した時の車体も、悪くない。これ、誰のデザインなんだろ?どこかに残ってないかな?

 昔、京都の大映撮影所には、大魔神がずっと残ってた。いまは、調布多摩川の大映角川撮影所に行けば、大魔神もガメラもお目見えしてるけど、この試走車も残ってないかな~?もし残ってたら、展示してほしいってくらいだ。

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将軍の娘 エリザベス・キャンベル

2007年01月30日 12時53分31秒 | 洋画1999年

 ◇将軍の娘 エリザベス・キャンベル(1999年 アメリカ 117分)

 原題/The General's Daughter

 監督/サイモン・ウェスト 音楽/カーター・バーウェル

 出演/ジョン・トラボルタ マデリーン・ストウ レスリー・ステファンソン ジェームズ・ウッズ

 

 ◇ちょいと強引な動機

 将軍の娘にして美しく有能な女性士官が、まっぱだかに剥かれて地面に磔にされたまま殺害されているのが発見される、というのは、たしかに、かなりセンセーショナルな出だしだ。

 くわえて、品行方正で通っていた彼女が捜査途中で発見されてゆくVTRなどから、秘密の地下室やSM趣味に走っていた事実が暴かれてゆくってのもまた、中々猟奇的でぞくぞくする。

 ところが、この晒し物になっていた娘の過去が暴かれるにしたがい、彼女がいかに軍隊内における男女雇用均等法の犠牲になり、脅され、殴られ、甚振られ、乱暴され、暴行され、強姦されていたかが知れ、さらには、過去にレイプされた事実が、父親の栄職のために隠蔽されていたって話になり、愛し、かつ尊敬していた父親に対する強烈な反抗と主張が語られてくると、ちょっと肩透かしを食らった感じになる。

 レスリー・ステファンソンはがいうことなしに綺麗な分、一気に好奇心の昂揚が下がってくるんだ。

 これは、たぶん、ぼくが下世話な人間だからかもしれない。

 ま、主役の扱いが蚊帳の外になっているのが、ちょいと不満ではあるけど、これは探偵の宿命みたいなものかもしれないね。ただ、これって、なにも軍隊に限ったことじゃない。一流の企業でも、有名な進学校でも、ともかく名の知れた、プライドの高そうな集合体であれば、共通した動機になる。

 人間の持っているプライドってやつは困ったもんで、そんなものは粉々にしてしまえば楽なんだろうけど、それができないのが人間なんだよねっていうのが、主題なんだろか?

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ALWAYS 三丁目の夕日

2007年01月29日 12時51分33秒 | 邦画2005年

 △ALWAYS 三丁目の夕日(2005年 日本 133分)

 監督・VFX/山崎貴 音楽/佐藤直紀

 出演/吉岡秀隆 堤真一 薬師丸ひろ子 小雪 堀北真希 三浦友和 もたいまさこ

 

 △昭和33年であって昭和33年でないもの

 ときどき、観光地とかに出かけると、昭和レトロな空間の作られていることがある。

 そこへ何度か入っている内に「これ、いったい、いつの昭和だよ?」とおもうようになった。

 少なくとも、ぼくの知ってる昭和より前の昭和で、おそらく団塊の世代の郷愁を誘う昭和なんだろう。

 だからといって決して懐かしくないわけじゃなく、それなりに郷愁をそそられるんだけど、

「なんか、ちがうんだよな~」

 とも、いつのまにやら、おもうようになった。そこは作られた昭和で、思い出の中の昭和ではないからだ。

 そんな印象を、この映画からも感じた。

 冗漫な雰囲気は編集なのか演出なのかわからないけど、ともかくコメディにしたかったのか、役者の演技過剰にもちょっと引いたし。CGはたしかに頑張ってるなっていう感じはしたけど、セットをいかにもセット然とした演出の意味がわからない。

 すべての場面をCGとセットにするというのなら、わかる。無くなってしまったものを人工的に再現したのだといいきれるし、現実の再現ではなく、心の中にあるものの再現なんだからとも理由も断言できる。けど、ロケーションとセットとを組み合わせているんなら、再現するものの意味合いがすこしばかり違ってくるんじゃないだろか?

 ロケ現場の建物は現役で、昭和時代より朽ちてはいてもまだ生きてる。なのに、ステージ内に作られたセットの映像はすべて死んでた。各地から本物の小道具が集められたそうだけど、みんな、死んでた。セットが、あまりにもセットすぎたからだ。

 どうして、ばればれのセットにしたんだろう?なんで、わざわざセットにしか見えない撮影をしたんだろう?岡山や京都や群馬や福岡までわざわざロケに行ってるのに、どうして、現実味の薄い映像にしちゃったんだろう?どうして、お涙頂戴の昔ながらの物語にしちゃったんだろう?役者たちの大仰な芝居も加わって、なんだか気持ちが悪かった。

 とはいえ、好いな~と感じたものもある。佐藤直紀の音楽で、映画が封切られて以来、昭和レトロなものが出てくると、かならずこれだ。おかげでかなり食傷気味になってるけど、でも、好い音楽だった。とはいえ、この映画の主題が、ぼくにはやっぱりわからない。

 なにを観客にいいたいんだろう?

『クレヨンしんちゃん おとな帝国の逆襲』には、立派に主題があった。

「昭和時代は懐かしいし、帰りたいし、いつまでも続いてて欲しいけど、ぼくらは現代に生きてるんだから、現実に立ち向かっていかなくちゃいけないんだ」

 っていうのが、そうだ。

 この映画の主題は、なんなんだろう?聞けば、200万人を動員したらしいけど、その200万人の人々は、なにをおもしろいと感じて銀幕を観ていたんだろう?

「懐かしさもあったし、おもしろかったから、それでいいじゃん。つまんないこといってんじゃないよ、あほたれ」

 と怒られそうだけど、気になるんだから仕方がない。

 ま、少数派のたわごとだけどね。

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キャラクター 孤独な人の肖像

2007年01月28日 12時49分18秒 | 洋画2000年

 ◎キャラクター 孤独な人の肖像(1997年 オランダ 122分)

 原題/Karakter

 監督/マイケ・ファン・ディム 音楽/バレス・ヴァン・ブン(ブン宮殿楽団)

 出演/フェジャ・ファン・フエット ヤン・デクレール ベティ・スヒュールマン ヴィクトー・ロウ

 

 ◎監督と撮影はこれが処女作

 ちょっとどころではないくらい、驚きた。

 もうかなりの熟練監督が、これまた熟練のスタッフを動員して作った作品だとばかりおもってた。それがどうして、こんなに堂々とした作品を作り、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞しちゃえるんだろう。

 この人達が特異な才能に恵まれているか、あるいは、オランダという国に上質な映画を作る土壌でもあるのか、ぼくにはよくわからないけど、古典的ながらも重厚な物語性といい、レンブラント光をそのまま映像化したような絵作りといい、いやまあ、凄いもんだ。

 ただ、俳優さんの馴染みの無さが、見るのにすこしばかり辛かったかも。

 ていうのは、顔の区別がうまくつかないんだよ~。もともと暗い画面づくりをしている上に、なんとも陰湿でちからの籠もった内容なもんだから、顔がついつい無表情になりがちで、目を皿のようにして見ていないと、なかなか理解できない。

 あ、理解っていうより、把握っていった方がいいかも。

 要するに、某スポコン漫画と似たような主題で、父と子の確執っていうか、獅子が千仞の谷に子獅子を突き落とす故事をそのまま話にしてるんだけど、ライオンじゃなくて執政官の父と弁護士になろうとする息子の話になってて、もともと認知されなかった息子が、さらに借金や破産や試験や母の死や人生の障害にぶつかるたび、父親が手を回してこっぴどい目に遭わせてくるのを乗り越え、最後には父親と決闘まがいの乱闘になった後、父親の殺害容疑で逮捕されたときに至ってようやく、

 遺言によって、父親が獅子であろうとしたことを知るっていう筋書きになってる。

 これが、重苦しいんだ。

 あ、でも、すごくおもしろかった。

 とはいえ、たった一度の欲望によって、自分の種を相手の女性が宿してしまったとき、その責任感と行動を木っ端微塵に拒否されたらどうなるだろう?生まれてくる子を愛しながらも憎みつづけるような、歪んだ人生を歩む事になるんだろうか?っていう、なんだかきわめて深遠な主題を抱えてるもんだから、観終わったあとでも、う~んと頭を抱えちゃうんだよ。

 母親の気持ちもわからないではないけど、強情すぎるんじゃない?とか、父親の気持ちもわからないではないけど、厳格すぎるんじゃない?とか、いや、そもそも、両親が意地を張り過ぎたために息子が痛めつけられてるんじゃない?てなことを、あれこれ考えちゃうんだよね。

 まあ、こういう設定もありなのか~と、他人事のように感じてしまった。

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隣人

2007年01月27日 12時47分20秒 | 洋画2000年

 ◎隣人(1992年 アメリカ 92分)

 原題/Consenting Adults

 監督/アラン・J・パクラ 音楽/マイケル・スモール

 出演/ケビン・クライン メアリー・エリザベス・マストラントニオ ケヴィン・スペイシー

 

 ◎いかにもありそうな前半の恐さ

 ひとつだけ、

「隣りの奥さんの寝室に忍びこむのはいいけど、やっぱ、顔を確かめてからHするでしょ~?」

 と突っ込んでしまいたくなるのは、ぼくだけだろうか?

 ただ、これさえ大目に見れば、あとはほとんど文句のない出来栄えだ。

 あ、

「自分の奥さんと隣りの旦那とがいつデキちゃったのかよくわからんよね?」

 っていう説明不足なところはあるか。

 それをケビン・クラインが自分だけの能力で暴き出していったら、もっとおもしろかったんじゃないかっておもうんだけどな。そしたら、ちょうど120分くらいになって、ちょうどいい感じの尺になったんじゃないかな~と。

 にしても、洋画は性衝動を前面に出してくる。

 性衝動は誰にでも共通したもので、誰でも興味を持ち、かつ、きわめてスキャンダラスな結果を引き出すことがあるからだ。

 ことに、となりの奥さんに興味を持つという、あまり口にはしたくないけど、でも、どこの旦那でも心の中で考えていそうな衝動が語られ、夫婦交換しようっていう誘いに罠に嵌められたにせよ、その寝室に忍び込むという淫靡な願望をそのまま映像にするというのは誰もが映像化しつつも良心的にためらわれる話だ。それをしっかり作ってんだから、たいした作品だよね。

 くわえて、殺されたはずの奥さんレベッカ・ミラーが生きてるばかりか、自分の奥さんメアリー・エリザベス・マストラントニオまで寝盗られてるっていう、二重のどんでんがえしまで用意されてる。なんとも念入りな脚本だよねとか澄ましてはいられない。

 欲望というのは、自分が抱えてるだけじゃなく、となりの奥さんも、となりの旦那も、さらには自分の奥さんも、単なる自分の人生の登場人物なんじゃなくて、どうしようもない欲望を抱えた自分と同じ人間なんだってことを、この映画はあらためて認識させてくれる。

 ほんと、隠れた佳作だったわ。

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迷宮のレンブラント

2007年01月26日 12時45分05秒 | 洋画1997年

 ◎迷宮のレンブラント(1997年 アメリカ 107分)

 原題/Incognito

 監督/ジョン・バダム 音楽/ジョン・オットマン

 出演/ジェイソン・パトリック イアン・リチャードソン イレーヌ・ジャコブ ロッド・スタイガー

 

 ◎隠れた佳作

 絵画や彫刻とかいった美術の世界ではよくあることかもしれないけど、映画でも、世の中にいまだ知られていない傑作がごまんとある、はずだ。

 この映画もそうで、ジョン・バダムといえば、出世作になった『サタデー・ナイト・フィーバー』はちょっと毛色が違うけど、けっこう、アクション物では手堅い仕事をし、それなりに名もとおっている。

 ところが、なんでか知らないけど、この作品はなんとなく陰に隠れてる。

 実は、おもしろいんだ。それどころか、贋作物をあつかった映画ではトップクラスじゃないかな?

 そう、おもわずいいたくなっちゃうほど、レンブラントの贋作を依頼され、当時の絵の具を再現させようと苦心しつつ、描き上げても尚、古さを出すために小細工を繰り返し、ようやく仕事を仕上げるまでの精巧な行程は妙に納得しちゃうし、主役のふたりがホテルのバーで情事におよぶまでの丹念さは、見事なものだ。

 ただ、刑事のちょっと足りないところや、共犯者の嘘を自白に頼ろうとするのも脚本が、すこしばかり弱い気もする。けど、主役を繋いでいる手錠のくだりとか、そういう些細なことをあげつらっても仕方がないんで、

「レンブラントにしては洗練されすぎてる」

 っていうヒロインの台詞がすべて物語っているように、贋作がどうしようもなく持たされている運命が皮肉られてるんだよね。

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動脈列島

2007年01月25日 12時40分34秒 | 邦画1971~1980年

 ◇動脈列島(1975年 日本 121分)

 監督/増村保造 音楽/林光

 出演/田宮二郎 近藤正臣 関根恵子 梶芽衣子 芹明香 小沢栄太郎 近藤洋介

 

 ◇1974(昭和49)年3月、名古屋新幹線訴訟

 当時、奇しくも新幹線を扱った映画が2本、撮られた。

 旧大映のスタッフが集められた東京映画の本作、もう一本が東映による『新幹線大爆破』だ。

 ただし『新幹線大爆破』が犯人の要求を聞き入れないかぎり新幹線を爆破させるというのに対し、この映画は要求を聞き入れさせるために新幹線を停めてみせるというもので、同じように新幹線を扱いながらも、東映は「なんとかして停めなければならない」と焦り、大映は「なんとしても停めるわけにはいかない」と拳を握るわけで、まるで正反対の内容になってる。

 これ、どこかの映画祭とかで、2本立て上映してくれないかな?

 そんな作品の違いについてはともかく、最初のトイレの場面はおもわず顔をそむけたくなるくらい嫌だけど、これって、増村保造は平気なんだろか?

 この監督はこうした人間の生理について拘る人で、関根恵子(高橋惠子)の一連の大映作品なんか観てると、ほんとに生々しい。

 今回もそうで、

「この濡れ場、必要なんだろか?」

 と、おもわず首をひねってしまった。

 ま、濡れ場を作るかどうかは製作側の趣味だから、あれこれいっても仕方ない。

 そんなことより、実をいうと、増村保造と派手なアクションはなんだかそぐわない気がしてた。でも、新幹線を電波で停めようと、東名を車で並列疾走してゆくところは中々圧巻だった。

 田宮次郎は恰好つけすぎな感じもあるけど、増村保造、アクションも大丈夫なんだね。

 失礼しました。

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真夜中のサバナ

2007年01月24日 12時37分57秒 | 洋画1997年

 ◎真夜中のサバナ(1997年 アメリカ 155分)

 原題/Midnight in the Garden of Good and Evil

 監督/クリント・イーストウッド 音楽/レニー・ニーハウス

 出演/ケヴィン・スペイシー ジョン・キューザック ジュード・ロウ ジャック・トンプソン

 

 ◎サバナ?サヴァナ?

 町の呼び方で正しいのがどれかはわかんないけど、映像で観るかぎり、とっても美しい米南部の古都って感じだ。歴史と伝統がありながらもそれなりに現在もなお発展している町は、観ていて気持ちがいい。

 日本の町でもそうだけど、歴史があっても現在は過疎化してしまったり、人口は増えてても町の中心は空洞化してしまったり、伝統的な建物の価値を認めず単なる田舎に堕してしまったり、なんでもかんでも新しいものだけに価値を感じるような所が少なくない。

 そういうのってすげー嫌だけど、サバナは違うんだよな~。イーストウッドの演出によるものってことは百も承知だけど、でも、町そのものが不思議な雰囲気を持って、息づいてる。

 もちろん、不思議を通り越して、ブードゥー教とか、ゲイ・クイーン(レディ・シャブリを演じたのは本物)とか、まあ、いつ殺人が起こってもおかしくないような異常さもあるんだけどね。

 けど、そういう不可思議な町を舞台にしながら、外連味の無い映像で描かれてる。保守的なのか斬新的なのかわからないこの町で、淡々と語られる地味な話も、メローな音楽もなんとも好い。結局、本筋になってるのは、原作者のジョン・ベレントが現在の奥さんに出会う話なんだけど、そのきっかけになった町の名士の殺人事件がメインだ。

 屋敷に出入りしていた美青年を殺害した際、美青年が最初に発砲したのかどうか、名士の殺人は正当防衛なのかどうか、最後に名士の告白によって、真実めいたことはわかる仕組みにはなってるけど、皿を両手にして、

「どちら?」

 と聞いているような少女の像が全て語ってる。

 それはさておき、愛娘アリソン・イーストウッドのキスの場面を撮っちゃうとか、いや、イーストウッド、監督に徹してるわ。

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ディスクロージャー

2007年01月23日 12時36分06秒 | 洋画1994年

 ◇ディスクロージャー(1994年 アメリカ 128分)

 原題/Disclosure

 監督/バリー・レヴィンソン 音楽/エンニオ・モリコーネ

 出演/マイケル・ダグラス デミ・ムーア ドナルド・サザーランド キャロライン・グッドール

 

 ◇キワモノのふたり

 映画というのは、その2時間ほどの映像の中で、いつまでも網膜に焼き付いて離れないワンカットがあればいい。

 この映画もそういう映画のひとつだ。いわずとしれたマイケル・ダグラスの膝の上にデミ・ムーアがまたがり、タイトスカートをたくしあげて、コトにおよぼうと誘いかけるカットだ。ふたりは、ふたりともキワモノ役者だけど、こういう、いかがわしくも妙にセクシーな役者が欧米にはいるんだよね。

 いや、まったく羨ましい。

 ちなみに、その場面はポスターにもなってたから余計に覚えてるんだけど、そうじゃなくても、上司がかつての愛人だった部下に逆セクハラを仕掛けるっていう、なんとも現代的な発想のこの映画は、見る前からどきどきした。

 マイケル・ダグラスの作品は、どうもいつも暴力的な社会派サスペンスで、いかにもアクの強い彼らしい内容に仕上がってくるんだけど、これも、そうだ。ハリウッドの男優はセックスアピールがなくちゃ話にならない。もちろん、マイケル・ダグラスはありありで、こういう野郎が逆セクハラを仕掛けられるから、物語になるんだろね。

 へ~っておもったのは、原作者のマイケル・クライトンも製作になってることだ。原作を書くだけで飽き足りなくなって製作にも手を伸ばしたのかな?あ、そうそう。モリコーネの音楽、主張せずに不気味さを保っているのが好いね。

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危険な女たち

2007年01月22日 12時44分32秒 | 邦画1981~1990年

 ▽危険な女たち(1985年 日本 122分)

 監督/野村芳太郎 音楽/杉田一夫

 出演/大竹しのぶ 藤真利子 和由布子 池上季実子 北林谷栄 夏八木勲 石坂浩二

 

 ▽おお、竹内銃一郎!

 と、おもわず声を上げてしまったのは、高校と大学の先輩だからだ。

 もちろん、ひとまわりも下の後輩なんだから、お名前を存じ上げているだけなんだけどね。

 ま、それはさておき、竹内銃一郎といえば、すでにこの時期、岸田國士戯曲賞を受賞された演劇界の大熟練で、以前に映画やドラマの脚本は書かれてたみたいだけど、なんでいまさらこの映画の脚本を?それも古田求と共同で?ともおもった。

 で、この映画だけど、2時間ドラマの大作みたいだった。

 見てて、おもわず引いちゃったのは、なんだか妙にCMのカットみたいな画で藤真利子が登場してくるところだ。この主題歌が、耳に残っていかん。『Mysterieux(ミステリユ)』っていう歌で、作曲が細野晴臣、作詞が秋山道男、唄が安野ともこ。Mysterieuxはフランス語で、神秘的って意味だ。安野ともこは、なんだか港あたりの一場面だけ出演してたらしいんだけど、よくわからなかった。

 ていうか、やっぱり、石坂浩二は、エルキュール・ポアロよりも金田一耕助だよね。

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恋愛小説家

2007年01月21日 12時42分29秒 | 洋画1997年

 ◎恋愛小説家(1997年 アメリカ 139分)

 原題/As Good as It Gets

 監督/ジェームズ・L・ブルックス 音楽/ハンス・ジマー

 出演/ジャック・ニコルソン ヘレン・ハント グレッグ・キニア スキート・ウーリッチ

 

 ◎斧は持たないのか?

 そのかわりに、プラスティックのフォークとナイフ。

『シャイニング』と似ているのは、主人公の精神構造だ。

 いつぶちきれるかわからないような異常ともいえる潔癖症で、観ているこちらとしては、次になにが起こるかはらはらさせられる。それほど、この映画の主人公である恋愛小説家は、まわりの人間を言葉でぶち殺してしまうような毒舌家のため、いつまでも結婚できない偏屈屋という設定になってる。

 いや、まったく、老いて尚、魁偉な演技の出切る男ジャック!どうしてここまでセクシーかつ気味の悪さを演じられるのか不思議だけど、やけに可愛い。そこが『シャイニング』とは真反対な人間像に作られてる。

 にしても、犬をダストシュートに放り込んだりするところ、これって動物愛護団体から文句は出なかったんだろうか?

 もっとも、そのあとの可愛がりようから、そんな心配は吹き飛んじゃう。

 そう、この映画はあまりにはらはらさせる溝嫌い、線恐怖症の男が、いつのまにやら、あまりにも奥手で純粋で不器用なことがわかることから、そのわがままぶりから毛嫌いされているはずが、その可愛らしさから誰からも愛されるようになるという筋立てになってる。なんとも見事な設定と脚本、そして、ジャック・ニコルソンの大仰な顔と演技がぴったりとはまってる。

 音楽がこれまたほのぼのと可愛い。

 と、ここまではいいんだけど、こうした主人公の設定や話の筋は、えらく簡単なように見えて、なかなか考えつかないものだ。ところが、この映画が封切られてからのこと。この映画の設定や筋に、非常に細かい部分まで恐ろしいほど酷似した日本のテレビドラマがあり、とある大手新聞がそのプロデューサーにインタビューし、オリジナル脚本のおもしろさについて取材され、記事になってた。

 ぼくは、ちょっとふるえた。

「え!オリジナル!?」

 ものすごい偶然のなせるわざだとおもった。

 ぼくみたいな凡人にはとても考えつかない設定と筋立てなんだけど、世の中には、海を隔てた日本とアメリカで、やや時間差はあるものの、ほぼ同じ時期に、まったく寸分たがわないようなドラマができるなんて、物語をつむぎだす人達の発想ってのは似てくるものなんだろか?

 世の中にはありえないことがありえるもんなんだね。

 びっくりしたわ、まじに。

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Mr. & Mrs.スミス

2007年01月20日 12時39分24秒 | 洋画2005年

 △Mr. & Mrs.スミス(2005年 アメリカ 120分)

 原題/Mr. & Mrs.Smith

 監督/ダグ・リーマン 音楽/ジョン・パウエル

 出演/ブラッド・ピット アンジェリーナ・ジョリー ケリー・ワシントン アダム・ブロディ

 

 △ふたりの記念映画?

 どうやら、この映画がきっかけになって、ブラッド・ピットは奥さんのジェニファー・アニストンと別れ、アンジェリーナ・ジョリーと結婚したらしい。

 てことは、ど派手なカーチェイスも銃撃戦も、ふたりの結婚予定披露宴みたいなもので、それが地球的規模になって、みんなでお祝い鑑賞したって感じなのかしら?

 にしても、ありきたりな筋立てとありきたりでない主演の二人の他には、主要な脇役をまったくといっていいほど必要としない設定には、若干、疲れちゃったような気がするんだけど、ぼくだけだろうか?

 緊迫感よりもユーモア感とおしゃれ感に包まれた微笑ましいアクションと、なんだかダンスを踊ってるような感じの軽やかな銃撃戦は、ちょいと照れる。

 けどまあ、ハリウッドのスターも辛いところで、やっぱり人気商売だから、こういう感じの映画に出て、とにかくカッコよく、オシャレで、オモシロオカシイことをしてないと、ファンは喜んでくれないのかもしれないね。

 ふたりがシリアスなものに出たがるのは、なんとなくわかるわ。

 そんなことを考えながら観てると、ふたりの婚前披露宴とはおもいながらも、ちょっぴり痛々しかったりするんだよね。

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ブンガワンソロ

2007年01月19日 12時34分59秒 | 邦画1951~1960年

 ◇ブンガワンソロ(1951年 日本 92分)

 監督/市川崑 音楽/飯田信夫

 出演/池部良 森繁久彌 藤田進 久慈あさみ 若山セツ子 東野英治郎 伊藤雄之助

 

 ◇Bengawan Solo

 インドネシアの音楽にクロンチョン(Kroncong)っていうジャンルがある。

 昔からある大衆音楽なんだけど、その有名な作曲者にグサン・マルトハルトノって人がいて、この人が『ブンガワンソロ』を作詞作曲した。戦前のことだったみたいで、ジャワ戦線ではよく知られてたみたいだ。戦後、日本に輸入されて歌手で声楽家の松田トシが訳詞して大ヒットした。

 で、それを映画化したのがこの作品なんだけど、原曲の『ブンガワンソロ』に出遭っていく日本兵の話かとおもってたら、そうじゃなくて、脱走兵の話だった。ちょっと肩透かしを食らった感じではあったけど、役者は好い。なんつっても、現地人のような若山セツ子が愛らしいしね。

 ただ、まあ、勝手にこちらが想像してたのがいけなかったかもしれないけど、やっぱり、ブンガワンソロについて語ってほしかった。

 それと、脱走兵物語にしてはリアルさにちょい欠けな感じがするのは、なんでだろ?

 戦後たったの6年しか経ってないのに、これは不思議だ。

 とはいえ、美術は相当に好い。

 ただ、市川崑のこの時期は、まだ職人技のようなカッティングがないんだね。

 いったい、いつから崑さんは自分の画を見つけたんだろう?

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ジョー・ブラックをよろしく

2007年01月18日 12時37分30秒 | 洋画1998年

 △ジョー・ブラックをよろしく(1998年 アメリカ 181分)

 原題/Meet Joe Black

 製作・監督/マーティン・ブレスト 音楽/ジョー・ハッシング マイケル・トロニック

 出演/ブラッド・ピット アンソニー・ホプキンス クレア・フォラーニ ジェフリー・タンバー

 

 △死体を借りる際の注意

 リメイクっていうわけではないんだけど、もともと『明日なき抱擁』は戯曲だったものを1934年に映画化したもので、それが64年経ってから、ブラピ主演で映画化された。とはいえ、内容にはかなり手が入れられる。

 実際、生に執着する謎を解きたいと人間界に現れる死神と、人間を迎えに来たついでに人間界を現物したいという死神とではかなり違う。この作品は後者だ。だから哲学的な命題もなければ、恋こそ人間に許されたなによりも素晴らしいものなんだという驚きもない。

 とはいえ、死神ブラピは童貞だったから、その驚きはあるんだけどね。ま、そんな違いはどうでもよくて、ちょっとだけ疑問がある。そもそも、物語の前提はこうなってる。

 死神は人間に憑依することはできず、心のなくなった死人の体を借りて人間界に現れることができると。で、死神ブラピは人間ブラピの体を借りたってことになってるんだけど、人間ブラピは車に撥ねられてるから、その遺体はかなり損傷してるはずだ。

 とかいうと、その辺の重箱の隅を突っつくような疑問は「死神なんだから、身体をきれいに直すくらい朝飯前なんだよ」と一蹴されるんだろうけど、問題は人間ブラピの扱いだ。

 人間ブラピは死んだはずだよね。おそらく、車に撥ねられることが、かれの運命だったはずだ。もし運命じゃなかったら、死神ブラピは自分が身体を借りるという事情のために、人間ブラピを殺してしまったことになるからだ。だからの人間ブラピは与えられていた寿命に従って、天国に行ってるはずだ。死神ブラピが去ると同時に、人間ブラピの体はただの死体に戻るはずだ。

 ところがそうじゃなくて、人間ブラピはぴんぴんして戻ってくる。

「じゃ、それまで人間ブラピの心はどこに行ってたんだよ?天国の入り口あたりにいたんだろうか?だったら、そうならそうで記憶は消されてしまったんだろうか?けど、人間ブラピは天国に行かないといけないんじゃないのか?死神がそのルールを破っちゃっていいのか?ルール違反できるんなら、自分が人間界にとどまってればいいじゃん」

 てなことが、つぎつぎに頭に浮かんでくる。

 こうした疑問は『天国から来たチャンピオン』とほぼ同じだ。あの映画も、身体を借りた人間の心がないがしろにされてた。

 なのに誰も疑問におもわず『天国から来たチャンピオン』の場合は『幽霊紐育を歩く』のリメイクだし、さらに『天国から来たチャンピオン2002』として再リメイクまでされた。

 よっぽど、アメリカ人はこの主題が好きらしい。

 まあ、ぼくも、こういう物語は嫌いじゃないからいいんだけど、ただ、どうしてもひっかかるところが出てくるのも事実で、こうした細かいところにもよく注意して、撮ってほしいんだよね。理屈だけはちゃんと通した形で。

 ちょっとだけ興味を持ったのは、こんなことだ。

「アメリカ人にも、三途の川の思想があるんだろか?」

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カリートの道

2007年01月17日 12時32分28秒 | 洋画1993年

 ◇カリートの道(1993年 アメリカ 144分)

 原題/Carlito's Way

 監督/ブライアン・デ・パルマ 音楽/パトリック・ドイル

 出演/アル・パチーノ ショーン・ペン ペネロープ・アン・ミラー ジョン・レグイザモ

 

 ◇エスカレーター

 デ・パルマは、時を止める名人だ。

 おおかたの作品で、時を止める。この作品でも例外じゃない。

 とくに、ぼくの中でこの映画は『スカー・フェイス』『カリートの道』『アンタッチャブル』という順に、デ・パルマの階段状撮影の進化として捉えてるから、なおさらだ。どうもデ・パルマという人は、階を上下する人間を流れるような映像とスローモーションで撮るのが好きらしく、いまも挙げた三つの作品は、銃撃戦の一端になっている場面が、みんな、階段状になってる。

 もっとも、この作品の場合はエスカレーターなんだけど、後にも先にも、エスカレーターでこれだけの銃撃戦をした映画ってなかったんじゃないだろか?ただ、デ・パルマの場合、アル・パチーノとの相性はどうだったんだろう?

『スカー・フェイス』でも感じたことなんだけど、

 なんだかカメラが不安定で、落ち着きがない。それがパチーノの内面を表現しているんだっていわれれば、

「あ~そういうことか~」

 とかいってはみるけど、ほんとにそうなんだろうか?リアリズムを追い求めると手持ちになっちゃうってことなのかな?そのあたりが今ひとつわからない。ただまあ、デ・パルマはいつものことながら、ほんと、女の人を綺麗に撮るね。

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