Kinema DENBEY since January 1. 2007

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レベッカ

2022年05月26日 00時11分35秒 | 洋画1891~1940年

 ◎レベッカ(Rebecca)

 

 きわめて古典的な物語で、どこの世界にも移し替えることができそうだ。

 へ~っておもったのは、この原作者のダフニ・デュ・モーリエは『鳥』の原作者でもあることで、なるほど、こういう巻き込まれ型で女性が主人公になるヒッチコックの物語は彼女の発想なのかって。

 ところで、ジョーン・フォンテインは東京の港区に生まれてて、対米戦の前夜に帰国してる。軽井沢にも避暑に訪れたらしく、なんとなく親しみをもっちゃうのは、ほんと、ぼくがおひとよしの日本人だってことなんだろうな。

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舞踏会の手帖

2021年12月01日 01時39分03秒 | 洋画1891~1940年

 ◇舞踏会の手帖

 

 ティヴィヴィエ、上手いな~。

 しかし、夫が死んで、20年前の舞踏会で踊った男たちを訪ねていこうとするのは、どうもね、男のものの考え方みたいな気がするな。男の妄想っていうかね。

 ともかく、マリー・ベルが結婚すると知って自殺した男、裏街道に足を踏み入れて乳房もあらわな踊り子のいるクラブの経営者におさまるが逮捕されていく男、マリー・ベルのために曲を作ったものの神父になって過去を捨てた男、詩人だった山岳ガイドとふたりきりで山小屋に泊まるときの話だが、本気で雪崩れ起こしてないか?とおもったりもしたが、それより、だんだんこのヒロインが嫌いになってくる。

 旦那に絶望していたかもしれないが、つぎつぎに男を求めていくのがなんともさもしく見えてくるんだよなあ。

 で、男が雪崩れの救助に行かなくちゃういけないとかいって山小屋を出ることにした翌日『やっぱりあなたは浮気はできないわね、さようなら』とかいう置き手紙を残していなくなるとか、どこまで男に飢えてんだと。

 あともおんなじで、成り上がりで結婚式を迎える顔役、町いちばんの美容師。ま、そんなことで行方知れずの美男子が実は湖の対岸に住んでて訪ねてゆくと病死してて瓜二つの息子が路頭に迷う寸前だったから養子にして舞踏会にデビューさせるとか出来すぎな結末になるのもまあいいとしようか。

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海外特派員

2020年04月03日 01時04分47秒 | 洋画1891~1940年

 ◎海外特派員(1940年 アメリカ 120分)

 原題/Foreign Correspondent

 監督/アルフレッド・ヒッチコック 音楽/アルフレッド・ニューマン

 出演/ジョエル・マクリー ラレイン・デイ ハーバート・マーシャル

 

 ◎ドイツ侵攻前夜

 特撮が凄い。墜落と漂流の場面とかよく撮ってる。過去の飛行機パニック物で、これと似たような感じの作品があったけど、いや、それより迫力があったかも。ま、それは言い過ぎかもしれないけど、風車の家での絶妙な緊迫感はやっぱりヒッチコックならではとしかいいようがない。

 なにより、ラレイン・デイのしとやかな綺麗さといったらない。

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ファンタジア

2014年07月17日 20時27分49秒 | 洋画1891~1940年

 ◇ファンタジア(1940年 アメリカ 125分)

 原題 Fantasia

 staff 監督/ベン・シャープスティーン

     脚本/ジョー・グラント、ディック・ヒューマー

     製作/ウォルト・ディズニー、ベン・シャープスティーン

     ナレーター/ディームズ・テーラー、コーリー・バートン

     音楽/エドワード・H・プラム、フィラデルフィア管弦楽団

     指揮/レオポルド・ストコフスキー

 cast ディームス・テーラー レオポルド・ストコフスキー、ミッキー・マウス

 

 ◇ハイビジョン・デジタル修復版

 11人の監督、60人のアニメーター、

 103人編成のオーケストラ、

 延べ1000人のスタッフ、

 原画100万枚、

 録音テープ42万フィート(使用1万8千フィート)、

 制作日数3年という途方もない世界初のステレオ録音をした超大作で、

 25年かけて投資を回収したという、

 曰くつきの作品で奏でられているのは、

 1:「トッカータとフーガ ニ短調」J.S.バッハ(9:22)

 2:組曲「くるみ割り人形」チャイコフスキー(13:30)

 3:「魔法使いの弟子」デュカス(9:17)

 4:「春の祭典」ストラヴィンスキー(22:28)

 5:「田園交響曲」ベートーヴェン(22:00)

 6:「時の踊り」ポンキエッリ(12:13)

 7:「はげ山の一夜」ムソルグスキー(7:25)

 8:「アヴェ・マリア」シューベルト(6:27)

 の8曲なんだけど、

 当初は、

 ここにドビュッシーの「月の光」も入るはずだったそうな。

 この映画は、ぼくにとっても幻の作品だった。

 観たくても観ることができずにいたもので、

 ようやく観られた。

 まあ、そういう作品なので、へ~とおもって観ただけで、

 これといって感想はない。

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キング・コング(1933)

2014年07月11日 19時50分18秒 | 洋画1891~1940年

 ◇キング・コング(1933年 アメリカ 100分)

 原題 King Kong

 staff 監督・制作/メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザック

     製作総指揮/デビッド・O・セルズニック

     原案/エドガー・ウォーレス、メリアン・C・クーパー

     脚本/ジェームス・アシュモア・クリールマン、ルース・ローズ

     撮影/エドワード・リンドン、バーノン・L・ウォーカー、J・O・テイラー

     美術/キャロル・クラーク 特殊撮影/ウィリス・オブライエン

     効果/ハリー・レッドモンド・Jr 音楽/マックス・スタイナー

 cast フェイ・レイ ロバート・アームストロング ブルース・キャボット サム・ハーディ

 

 ◇怪獣映画の原点

 80年前の映画とはおもえん。

 高校生だったか浪人生だったか、ともかくリメイク版は観た。

 ジェシカ・ラングがとっても魅力的だった記憶がある。

 で、そのときはなんにもおもわなかったんだけど、

 なるほど『美女と野獣』がおおもとだったんだね。

 東宝の『キングコング対ゴジラ』で育ったぼくは、

 どこまでこの作品をひきずってるのかっておもってたけど、

 なんとまあ、こちらの方が魅惑的だわ。

 たしかにキングコングに美女が生贄にされるって趣向は、

 当時の東宝版では難しかったんだろうけど、

 この作品の場合、とっても重要な要素だったってことがよくわかった。

 でないと『美女と野獣』にはならないもんね。

 ただ、それまでに生贄にされてた現地人の女の人はどこにいったんだろ?

 てなことはおもわないでもないけど、

 ブロンドの美人ってのは、キングコングもまた惹かれるんだね。

 けど、

 1933年の段階で、

 キングコングが美女の服を引き千切って、肌の匂いを嗅ぐなんて、

 なんてまあ、官能的なこと。

 これじゃあ、負けるな~。

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新しき土

2013年10月25日 23時03分54秒 | 洋画1891~1940年

 ◎新しき土(1937年 日本、ドイツ 日独版106分 日英版115分)

 原題 Die Tochter des Samurai

 staff 原作・製作総指揮/アーノルド・ファンク

     監督・脚本/アーノルド・ファンク 伊丹万作

     撮影/リヒャルト・アングスト 上田勇 ワルター・リムル

     撮影協力/円谷英二 美術・装置/吉田謙吉 録音/中大路禎二

     衣装/松坂屋 音楽/山田耕筰 作詞/北原白秋 西條八十

     演奏/新交響楽団、中央交響楽団

 cast 原節子 早川雪洲 小杉勇 ルート・エヴェラー 英百合子 マックス・ヒンダー

 

 ◎1000本アップ記念

 実は、この映画は恵比寿の写真美術館で観た。

 75年ぶりに再上映されるという情報を得、

 しかも、ファンク版だけでなく、万作版まで上映されるって話だったから、

 連日、出かけた。

 で、このブログに載せなくちゃとはおもいながら、

「1000本になるまでとっとこ」

 と決めて、このときまで書かないで温存してたんだけど、

 そんなことをしてたおかげで、実はかなり内容を忘れてしまった。

 ファンク版と万作版を比べて、どちらが面白いかは、

 まあ、ぼくの胸の中にだけしまっておくけど、万作版の方がちょっと長い。

 当時のことはよくわからないんだけど、

 役者さんたちは日本語の台詞ばかりか、

 ドイツ語と英語を喋らなくちゃいけないし、

 まったくおんなじではないにせよ、同じ場面を二度撮りしなくちゃいけなかった。

 こりゃ、まじに大変な話だ。

 なんでこんなことになったのか、まあいろいろと考えるんだけど、

 ファンクと万作の山に対する考え方の差が衝突しちゃったんじゃないだろか。

 ファンクにとって山登りは日常の延長だったかもしれないんだけど、

 万作にとっては、

 入念かつ十分な装備を支度してからじゃないと登れないものだったんだろね。

 だから、

 ファンク版では原節子は着物のまま登り、裸足になっても平気で登ってく。

 ところが、

 万作版では原節子は小杉勇と山に登ったのが大切な思い出になってて、

 山ガールよろしく格好も重装備で、その写真も飾ってあったりする。

 また山への道についても、ふたりともそれぞれの国の事情から意見が分かれた。

 ファンクにとって山は登山鉄道の先にあるもので、当然、原節子も列車に乗る。

 これは京都の愛宕鉄道で撮影されたんだけど、

 愛宕鉄道は嵯峨野から清滝までは普通の鉄道だけど、

 清滝から愛宕山頂駅は登山鉄道になる。

 ファンクにしてみれば「あるじゃないか」ってな話だったろうし、当然、撮影した。

 奇しくも、後になって愛宕鉄道は廃線になっちゃったから、

 今ではこの作品はきわめて貴重な映像資料になってるわけだ。

 ところが万作にとって山登りに行くような山へはバスで行くもんだって気持ちがある。

 だいいち、阿蘇山に登るっていう感じで捉えているから、

 なおさら、そんなところに山岳鉄道はなく、行くならバス便だと主張したんだろね。

 だから、そのとおりに撮った。

 原節子はバスで行くわけだ。

 小杉勇は自家用のスポーツカーで追い駆けるからいいんだけど、

 ただ、そのあとがまた違うんだな。

 ファンクの場合、山には湖がつきものだし、原節子が先に入山して、

 その自殺を食い止めようとして追いかけているわけだから、

 当然、近道をしなくちゃいかんわけで、そのためにはカルデラ湖を泳ぐしかない、

 てな感じに主張して、大正池を選んで撮影したんだろうけど、

 その後、洋服も濡れずに登場するのはいいとして、靴下一枚で歩くのは危険ですな。

 で、万作の場合は途中まで車で追い上げるから追いつけるんだとばかり、

 がんがんスポーツカーで飛ばしていくんだけど、

 このとき、円谷英二のスクリーンプロセスが登場するわけですよ。

 まあ、どちらにしても追いつくわけなんだけど、

 格好からいえば、たしかに万作の考えの方が正しいかもしれない。

 ただ、ふしぎなもので、

 ファンクは山岳映画の専門家だから印象的なショットをいれたら、

 もうこんなもんでいいんじゃないかっていうくらい、あっさり感なんだけど、

 万作はちがう。

 冒頭の日本の風景もそうだけど、火山の場面も執拗だ。

 ドイツで日本の風景が公開される以上、

 てんこ盛りにしないとあかんっていうくらい、もはや命がけで撮影してる。

 それと、

 家族の描き方についても、ふたりには見解の相違がある。

 ファンクの場合は、早川雪洲がドイツ語の家庭教師を原節子につけて、

 開放的な感じで育て、小杉勇も恋人のドイツ人とフランクな感じでつきあうけど、

 万作の場合は、たしか、そんな家庭教師の場面はなくて、

 ひたすら長く、純日本的な暮らしぶりを描いてるような印象があった気がする。

 全体的に見ると、

 ファンク版は、原節子の心情を中心に描いていて、

 万作は、日本をしょって立って、ドイツに見せるんだっていう意気込みが強い。

 編集については、これは趣味の問題かもしれないけど、

 ファンク版の方が刈り込まれてる印象があって、

 万作版についてはもったいないから入れなくちゃ駄目だって印象があるね。

 どちらにせよ、

 芳紀まさに16歳の原節子は、当時の大日本帝国の至宝といっていい。

 綺麗だし、スタイルも日本人離れしてるし、とっても利口そうで、品がいい。

 水着も、ショートパンツでの櫓漕ぎも、薙刀も、お茶も、日本髪も、

 いや、ドイツ人に見せたれっていう気合が入ってるわ~。

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バルカン超特急

2013年05月16日 16時05分11秒 | 洋画1891~1940年

 ◇バルカン超特急(1938年 イギリス 97分)

 原題 The Lady Vanishes

 staff 原作/エセル・リナ・ホワイト『The Wheel Spins』

     監督/アルフレッド・ヒッチコック

     脚本/シドニー・ギリアット フランク・ラウンダー アルマ・レヴィル

     撮影/ジャック・E・コックス 特殊撮影/アルバート・ホイットロック

     美術/モーリス・カーター 音楽/ルイス・レヴィ チャールズ・ウィリアムズ

 cast マーガレット・ロックウッド マイケル・レッドグレイヴ メイ・ウィッティ ポール・ルーカス

 

 ◇interesting,most interesting!

 というのは、マイケル・レッドグレイヴの台詞なんだけど、

 なにが「実に面白い」のかといえば、

 バルコニーから落ちてきた植木鉢で頭を痛打され、

 意識が朦朧とした自分を抱えながら特急列車に乗り込んだ婦人が、

 まるで煙のように姿を消してしまい、

 彼女を目撃したはずの乗客はおろか、車掌までもがいなかったと答え、

 さらには食堂車で一緒にお茶を飲んだはずが伝票にはひとりと記載され、

 くわえていないとされていた婦人とまったく同じ服装の女が登場し、

 あなたを抱えて列車に乗り込んだのはわたしよと証言したばかりか、

 それまで婦人はいなかったと証言していた乗客たちが、

 今度は口をそろえて「このご婦人は最初からいた」と新たな証言をするという、

 なんとも狐に抓まれたような話の展開について、だ。

 たしかに、おもしろい。

 前半30分はものすごくかったるく、観るのをやめたくなるくらい、

 登場人物の紹介がだらだらと続いて、誰が主人公かもわからないような、

 なんともヒッチコックらしくない状況説明がなされるんだけど、

 バルカン・エクスプレスが出発するや、にわかにおもしろくなる。

 もちろん、脚本の細部を眺めれば突っ込み処はいくつもある。

 けど、それをさしひいても、

 第二次世界大戦前夜に、これだけのサスペンスを撮れたのは奇跡的だ。

 だから、

 1979年には『レディ・バニッシュ 暗号を歌う女』としてリメイクされたんだろうけど。

 それはさておき、この「実におもしろい」設定なんだけど、

 観ている内に、ここ数年の場合、とある映画をおもいだす。

 そう、『フライトプラン』だ。

 ま、それについてはまたの機会にして、

 バルカン・エクスプレスという特急列車は、実際に存在する。

 オリエント急行の末裔で、イスタンブールからベオグラードまで走ってる。

 といっても、昔のような豪華列車ではなくて、単なる深夜特急だ。

 1等車はともかく、2等車にでも乗ろうものなら、

 寝台も自分でがちゃんとおろさないかぎり、普通のコンパートメントだしね。

 実をいうと、ぼくは昔、このバルカン号に乗ったことがある。

 イスタンブールからソフィアまで、ソフィアからブカレスト、

 ブカレストからベオグラード、ベオグラードからブダペストまでの4度。

 もちろん、2等車。

 ただ、乗ったとき、ぼくはまだこの映画を観ていなかった。

 残念でならない。

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月世界旅行

2013年03月15日 22時49分32秒 | 洋画1891~1940年

 ◎月世界旅行(1902年 フランス 14分)

 原題 Le Voyage dans la Lune

 staff 原作/ジュール・ヴェルヌ『月世界旅行』&H・G・ウェルズ『月世界最初の人間』

     製作・監督・脚本/ジョルジュ・メリエス

 cast ジョルジュ・メリエス ジュアンヌ・ダルシー

 

 ◎世界初のSF映画

 この『月世界旅行』はもちろんサイレント映画なんだけど、

 モノクロ版と着色版の2種類がある。

 どちらも観たんだけど、弁士付きのはモノクロ版で観た。

 いや~凄い。

 ただ、着色版の方は後に修復がされているせいか、

 カットつなぎがみんなオーバーラップしてて、しかも、1秒16コマとはおもえない。

 だって、人物たちの動きがものすごく滑らかで、とても1902年の作には見えないだもん。

 それに、着色された色がこれまた綺麗なんだわ。

 背景はほとんどセピア色に統一されてるんだけど、衣装がきらびやか。

 ひとりひとりが原色の金、青、緑、黄、赤と実にカラフルで、絵画を見てるような気になる。

 100年以上前とはおもえないくらい綺麗なおみ足のおねーさんたちのセーラー服も着色。

 ちなみに、フランスって国はほんとに進んでて、セーラー服にホットパンツだよ、100年前に。

 でも、驚くのはそれだけじゃない。

 スタジオのセットがこれまた凝ってて、どれだけ裏方がいたんだろうってくらい、よく動く。

 発想もびっくりだ。

 巨大な大砲を造り、その砲弾に人間が乗り込んで月に行くっていうんだから。

 ただ、やけにメルヘンチックなところもあって、

 月も星も擬人化されてる。北斗七星の女神もいれば、土星の老人もいたりする。

『極地探検』ではいろんな星座をかいくぐって鳥型飛行機が飛んでいくんだけど、

 こちらは宇宙旅行なだけに神話的な世界はさらに飛躍している。

 なのに、どういうわけか、地球へ帰るときには単に崖から落ちるだけという強引さ。

 地球の引力に月が引きつけられているのはわかるけど、落ちねーだろ、ふつう。

 しかも、月の未開人類にいたっては縄にぶらさがったまま大気圏に突入してるし。

 ちなみに、この月人、叩きのめすと爆裂して霧散しちゃうんだけど、

 そのときのコマつなぎが絶妙ていうか、よく100年以上も前にこんな編集ができたなと。

 あ、でも、海に砲弾ロケットが着水するところなんか、現代の宇宙ロケットだよね。

 このあたりは、さすが、メリエス、ヴェルヌ、ウェルズ。

 ともかくも、当時の月に対する憧れはなんとも少年っぽくて、

 大気があって雪は降るわ、火は燃えるわ、月人類もどうやら酸素吸ってるみたいだわと、

 なんだか、発想や画像からしても、

 手塚治虫の初期の漫画を読んでるみたいで、

 ぼくとしては、なんとも懐かしさの漂っている作品におもえたのです。

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大列車強盗(1903)

2013年03月14日 00時57分30秒 | 洋画1891~1940年

 ◎大列車強盗(1903年 アメリカ 12分)

 原題 The Great Train Robbery

 staff 製作/トーマス・エジソン 原作:スコット・マーブル

     監督・脚本・撮影/エドウィン・S・ポーター 助監督/ギルバート・M・アンダーソン

 cast ギルバート・M・アンダーソン ユースタス・D・バーンズ マリー・マリー

 

 ◎ラストカットの衝撃

 110年も前に作られたとはおもえないほど秀逸な無声映画。

 なにが凄いって、カットの数は10数ショットしかないのに、

 それだけで筋の展開がありありとわかるなんて奇跡みたいじゃない。

 映画史上初のドラマ仕立ての作品とはとてもおもえない。

 でも、もっと凄いのは、カットのすべてが動いているということ。

 駅舎の中を撮っているとき、窓の向こうには列車が入線してくるし、

 列車内で強盗をはたらくとき、車輛の扉が開いていて風景がしっかり流れてるし、

 止められた列車から客が出されるとき、ものすごい数の客がぞろぞろ出てくるし、

 機関車と客車を切り離すとき、機関車だけが逃げるように画面奥へ走っていくし、

 強盗団が逃げてゆくのは奥へ奥へ、

 保安官が追いかけながら銃撃してくるときは前へ前へと、

 そりゃもう見事なスペクタクルが展開してるし、

 保安官や町の人々が踊り子マリー・マリーを中心に踊っているときは、

 画面の中央で民衆のつくった円陣がちゃんと回転してる。

 すべてのカットが動いてる。

 ぼくが観たのはフィルムのひとコマひとコマに色付けしたものだったので、

 登場してくる少女の衣装の赤や、発砲の火花とかがしっかり発色してた。

 でも、なにが凄いって、

 映画本編が大団円を迎えて終わったかとおもったら、

 強盗ユースタス・D・バーンズがバストショットで現れて、

 やにわに拳銃を抜くや、観客めがけて一発放った!

 110年前の観客は度肝を抜かれたろうし、卒倒した人とかいたんじゃないだろか。

 これってつまり、

 映画の動きは左右だけじゃなく、前後も動くんだぜっていうメッセージなわけでしょ?

 映画と観客は決して切り離されてなくて、一心同体なんだよともいってるわけでしょ?

 そんなことを映画ができたばかりの、それも初めてのドラマでしちゃえるなんて凄い。

 ちなみに、

 この監督のエドウィン・S・ポーターが1907年に演出した、

 『鷲の巣より救われて』てのがあって、同時上映で観たんだけど、

 鷲にさらわれた赤ちゃんを助けるために、

 その巣まで降りていく父親の樵を演じたのが、後の大監督D・W・グリフィス。

 しかも、映画デビューらしい。

 いやまあ、ええもん、観させてもらいましたわ。

 

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望郷

2012年09月25日 16時35分38秒 | 洋画1891~1940年

 ◇望郷(1937年 フランス 94分)

 原題 Pépé le Moko

 監督 ジュリアン・デュヴィヴィエ

 出演 ジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン、フレエル、リーヌ・ノロ、リュカ・グリドゥ

 

 ◇フランス領アルジェリア

 アルジェのカスバが舞台だ。

 それにしても、意外に身勝手なぺぺ・ル・モコ。恋愛映画の傑作ともてはやされたにしては、自分つまりペペ・ル・モコことジャン・ギャバンに身も心も捧げて尽くしてくれる愛人リーヌ・ノロを疎ましがって、カスバにさ迷い込んできたミレーユ・バランとの新しい恋に走って愛人リーヌ・ノロを袖にし、リーヌ・ノロはリーヌ・ノロで袖にされながら嫉妬に狂ってすべてを刑事リュカ・グリドゥにばらして破滅に至らしめた事を後悔するってありか?

 まあ佳境、ギャバンが捕まり、船でフランスへ一緒に渡ろうとしていたミレーユ・バランが現れぬギャバンを待っているところへ、ギャバンの彼女の名を呼ぶ「ギャビー!」だけは格好いいような気もするけどね。

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街の灯

2007年01月09日 12時07分15秒 | 洋画1891~1940年

 ◇街の灯(1931年 アメリカ 37分)

 原題/City Lights

 製作・監督・脚本・編集・作曲・主演/チャールズ・チャップリン

 音楽/アルフレッド・ニューマン チャールズ・チャップリン

 出演/ヴァージニア・チェリル フローレンス・リー

 

 ◇「you?」

 花売り娘ヴァージニア・チェリルの最後の台詞は、ぼくたちは「貴方でしたの?」っていう字幕で出合った。

 たぶん、小学校のときに観たのがいちばん最初だろう。それから何遍も観る機会はあったけど、活弁つきで観たのは、これが初めてだ。無声映画が活弁にかぎるかどうかはよくわからないけど、観て損はない。

 で、初めて知った話。ヴァージニア・チェリルのその後のことだ。

 他界したのは1996年なんだって。それも88歳だったそうで、この映画を撮影したときは、21~22歳の頃だったらしい。そもそもヴァージニアは19歳のときにチャップリンと契約したようで、20歳のときに『街の灯』の主役に正式に決まったものの、ヴァージニアの品行が良くなかったのか、それともお互いに虫が好かなかったのか、21歳のときに撮り始められたものの途中で中断し、紆余曲折あって22歳のときに撮影が再開され、ようやく完成した。

 封切はその翌年だから、この映画は足掛け4年で陽の目を見たことになる。いや、まあ、当時としてはどえらい大作じゃんか。なんで、たった37分の無声映画の撮影にそんなに懸かったのかといえば、ヴァージニアとチャップリンとの仲がぎくしゃくしていたせいみたいだ。この製作秘話を、なんでハリウッドは映画化しないんだろう?

 すればいいのにね。

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