狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「一億総町人化」「護憲の軍隊」、死を賭す覚悟の無さ、後の永遠を軽視、独立自尊精神の欠如、国家存亡危機、……自分の命を犠牲にし日本精神・魂を遺した三島由紀夫氏の警世・・・「若きサムライのために」を読む

2017-04-23 15:36:40 | 孤独・独立・自尊心
 次の本を読む。
  「若きサムライのために」(著者:三島由紀夫氏、出版社:文藝春秋、出版日:1996/11/10)(単行本 - 出版社:日本教文社、出版日:1969/07)

 「三島自身の見てきた戦後日本の、『経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆく』姿、『政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆく』国となってしまったことを憂い」(ウィキペディア「檄 (三島由紀夫)」より引用)

 自分の生命よりも、それを犠牲にしての魂・精神の存続こそが大切である事を、決行によって示し、後世にそれを遺した。明日にでも死ぬかもしれないとの思いで文学に遺し、決行の直前、「檄」に遺した。死を恐れず、死を賭す覚悟をして決行し、自身が持っていた本来の日本精神と日本の魂、そして自身の魂をも、永遠へと遺した。そして、日本独自の精神にこそ、誇りが込められている事を伝えた。
 本書の単行本が出版されたのは、著者・三島由紀夫氏が自衛隊市ヶ谷駐屯地にて自衛隊員に対して檄文を撒き、自衛隊員への決行を促す演説を行い割腹自殺を遂げた年(1970年)の前年である、昭和44年(1969年)である。その年、私はこの世に誕生した。
 その三島氏の決行は、吉田松陰の命日と同じ11月25日であり、三島氏はその日をあえて決行日に選んだ。(ウィキペディアでは、吉田松陰の命日に11月21日説を採用しているが、三島氏は11月25日を命日と信じていた。)
 吉田松陰陽明学の影響を受け、「知行合一」を唱えていたが、三島氏も同様に、自身の持っている理念・信条・思想を、その決行において表現し果たした。そして、檄文とその決行によって、自分の生命を犠牲にし、日本の本来の精神と魂を遺した
 私は三島氏の小説は読んだ事が無い。また、三島氏のプライベートがどうであったかも興味が無い。あくまでも、三島氏の政治や社会に対する考え、理念、信条、思想に共感し納得しているだけである。
 三島氏の持っていた日本国に対する理念・信条は、冒頭に著した檄文の一部分に凝縮されている様に思う。大東亜戦争でアメリカに敗北後、その米国の占領中からその後現在に至るまで、戦後の日本はアメリカナイズ、アメリカ的民主主義化されてしまった。日本は戦争末期こそ敗戦間近の中での統制が厳しかったが、戦前から日本的民主主義が既に存在していたのである。そして戦後、日本の伝統や文化が歪められ、本当の歴史が奪われた。そして、何よりも、本来の日本精神が骨抜きにされてしまった
 三島氏の亡くなられたのが、日本が主権回復をした昭和27年(1952年)から18年であったが、それから47年経った現在(2017年)も、三島氏が憂えていた状況とは全く違っていない。大元・根本である日本精神・魂をなおざりにして、経済優先・「経済至上主義」に陥り、表面の対症療法ばかりで根本的な解決を怠り、一時凌ぎで問題を先送りして来た。そして、対症療法と一時凌ぎの繰り返しによって、余計に状態は悪化して来た。
 そして、主権国家として国防軍を持つ必要が当然あるのだが、自衛隊が自分自身を否定する憲法を守り、「護憲の軍隊」になってしまっている事を憂えた。そして、日本の領土内に米軍を常駐させ、偏務的である日米安保の下で自分の国の防衛を米国に委ねて甘んじている事を屈辱に感じ悔しがっていた。三島氏は、当時の周囲の保守派とは異なって、左翼と同様にして米国依存を批判し、自主防衛であるべき事を唱え、憲法改正を訴えた。本来の日本精神を持っているが故の感性から、屈辱感、口惜しさ、怒り、憂いが生じたものと思われる。それは、現在、私の周囲に存在する一般的な殆どの日本人が持っていないものである。
 三島氏は、本来の日本精神を持っていたが故に、強い者や権力に媚び迎合する事を否定していた。しかし現代の日本人の殆どは、「お金第一主義」に堕落してしまっている。出世の為、自分の生活の為、家族を養う為、余暇を楽しむ為、欲望を満たす為等と言って、会社や組織の中で迎合しながら、馴れ合いながら、お金の為で日々を送っている。そこにおいては思想も信条・理念も無く、ただ毎日無事に平穏に暮らせれば良いと思っているだけである。毎日ルーティン作業で流され、食べて遊んで寝る。ただそれだけである。実態は空っぽである。そこには、精神や魂の存在は無い
 また三島氏は、政治だけでは無く、現代の日本人の国民性、世間や文化人、評論家、マスコミ等も批判した。現状を肯定して甘んじ、平和ボケをしている人達と。私は常日頃から思っていることであるが、「世間の全体主義」、つまり空気や雰囲気、流行に則って、皆が一斉に流されて同じ方向を向き、同じような事を口にしている。多くの人達は、依存心が強く、自立精神が不足している。感情・一瞬の思いで動き、立ち止まってじっくり独りで考える思想が無い
 そして、三島氏が決行によって自分の生命を犠牲にする事を示したが、世間一般的に死を賭す覚悟が失われてしまっている事を批判した。現代の日本の多くの人達は、今の一瞬を重視して、後の永遠を軽視している。が楽しければそれでいい、後の事、後世の事はどうでも良いと。公・国家よりも個人に偏り、エゴイズムとなっている。日本の将来と共に、自分の将来、自分の死後の事を軽視している。この世での生命は、一時・一瞬である。
 三島氏は、現代の日本人はが羞恥心に欠け、慎み深さが失くなっているという。自律精神、道徳、良心、理性に鈍感となり、アメリカナイズされ、堕落し、偽善行為、自由、民主、フリーセックス、自己顕示欲が強くなっていると嘆く。そして、無知、瞬間主義、怠惰、気概の無さ、を憂う。
 戦後の経済偏重を「一億総町人化」と皮肉り、暖衣飽食による精神の退廃、気骨・気概の喪失を憂う。また、マスコミ、左翼、マルキシズム、文化人等により、空想的平和主義や個人主義の偏重に陥っている事を、国家存立の危機と捉えている。
 国家存立の条件として、共産主義や左傾化する官僚、秩序重視(全体主義)に対し、個々人のイデオロギー武装が必要だと説く。その為の根本である教育や理想を持つ事が大事であり、感情的にならずに理論・思想を持つ事が大事であると説く。
 自衛隊について、他国との条約を結ばない独立した「国土防衛軍」と、集団的自衛権を含めた「国連警察予備軍」と2つに分割する事を提案している。そして、国土防衛軍によって、自主防衛を行うとしている。また、自衛隊の治安出動を可能にする為の、非常事態法を憲法に追加規定とする事を唱えている。
 自主防衛の為には、憲法改正をして自衛隊の地位を向上させる事は勿論だが、国民一人ひとりの自信、自律意識が必要であると説く。
 
 の最後の部分(ウィキペディア「檄 (三島由紀夫)」からの引用)
 「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
 それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。」


 大和魂
  「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)」
  「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)」
    (以上、ウィキペディア「大和魂」より)

 葉隠
  「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

 新約聖書・ヨハネの福音書12章24~25節
  「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
  自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」

 本ブログ過去の関連記事
  ・2013/06/28付:「『ユダヤが解ると世界が見えてくる』の再読(3)・・・三島由紀夫氏の『憂国』と自決直前の『檄』」
  ・2014/12/07付:「世間に迎合する政治家・・・「経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、・・・」
  ・2016/04/10付:「三島由紀夫氏『檄』と世間の人達・・・レジャーやショッピングにうつつを抜かし……」
  ・2017/04/03付:「桜のはかなさに見る武士の魂と道・・・大東亜戦争、特攻隊、一粒の麦」
  ・カテゴリー:「孤独・独立・自尊心・誇り」 ・・・本ページ右サイド
  ・カテゴリー:「世間・空気」 ・・・本ページ右サイド

 参考文献
  ・ウィキペディア:「檄 (三島由紀夫)」

 


若きサムライのために 「若きサムライのために」(著者:三島由紀夫氏、出版社:文藝春秋、出版日:1996/11/10)
            (単行本 - 出版社:日本教文社、出版日:1969/07)



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