狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

日本の正月に存在する古代ユダヤの風習

2013-01-04 18:53:47 | 歴史・伝統・文化
 正月三が日が過ぎましたが、昔から正月等のハレの日の縁起物の食材に欠かせない物として「餅」が有ります。又、1月7日の朝に食べる「七草粥」も昔からの風習として受け継がれて来ています。平安時代中期(A.D.905~927)に編纂された「延喜式」には、小正月1月15日七草がゆである「餅がゆ」(「望がゆ」)の記載が在ります。因みに、正月は松の内の事で、大正月が1月1日~1月7日、小正月が1月15日、又は1月1日~1月15日となります。本来は「七草」と書いた場合は秋の七草を指しますが、「七種」と書いた場合は小正月の1月15日の「ななくさ」を指します。現代では本来的意味が解らなくなり風習だけが残った事から、人日の節句(1月7日)小正月の風習が混ざって1月7日に食べられる様になりました。
 又、同様に昔からの風習として、初詣には神社や寺院へ行って賽銭を入れ、旧年の感謝や新年の祈願を多くの人が行っています。その様な風習の中に、古代イスラエル、古代ユダヤ人の風習からの由来であるものが多く有ります。下記の聖書に記載されている中の、「かもいと二本の門柱にある血」は神社の「鳥居」、「種を入れないパン」は「餅」、「苦菜」は「七草粥」、「献金箱」は「賽銭箱」です。又、1月14日夕方から1月21日夕方までの7日間は「過越の祭り」(「種なしパンの祝い」)となっており、正月と同様となっています。
 旧約聖書・出エジプト記12章1~11節主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。『この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、・・・家族ごとに羊一頭を用意しなさい。・・・あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。・・・それを朝まで残してはならない。・・・これは主への過越のいけにえである。
 同12~14節その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。」
 同15~19節あなたがたは七日間種を入れないパンを食べなければならない。その第一日目に、あなたがたの家から確かにパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までの間に種を入れたパンを食べる者は、だれでもイスラエルから断ち切られるからである。また第一日に聖なる会合を開き、第七日にも聖なる会合を開かなければならない。この期間中、どんな仕事もしてはならない。ただし、みなが食べなければならないものだけは作ることができる。あなたがたは種を入れないパンの祭りを守りなさい。それは、ちょうどこの日に、わたしがあなたがたの集団をエジプトの地から連れ出すからである。あなたがたは永遠のおきてとして代々にわたって、この日を守りなさい。最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで、種を入れないパンを食べなければならない。七日間はあなたがたの家にパン種があってはならない。・・・。
 同21~27節そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。『あなたがたの家族のためにを、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家にはいって、打つことがないようにされる。あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のためのおきてとして、永遠に守りなさい。また、主が約束どおりに与えてくださる地にはいるとき、あなたがたはこの儀式を守りなさい。あなたがたの子どもたちが、「この儀式はどういう意味ですか。」と言ったとき、あなたがたはこう答えなさい。「それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。」』すると民はひざまずいて、礼拝した。
 旧約聖書・列王記 第二12章7~16節それでヨアシュ王は、祭司エホヤダと、祭司たちを呼んで彼らに言った。『なぜ、宮の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。宮の破損に、それを当てなければならないから。』祭司たちは、民から金を受け取らないことと、宮の破損の修理の責任を持たないことに同意した。祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴をあけ、それを祭壇のわき、主の宮の入口の右側に置いた。入口を守る祭司たちは、主の宮に納められるをみな、そこに置いた。箱の中に金が多くなるのを見て、王の書記と大祭司は、上って来て、それを袋に入れ、主の宮に納められている金を計算した。こうして、勘定されたは、主の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らはそれを主の宮で働く木工や建築師たち、石工や石切り工たちに支払い、また、主の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、宮の修理のための出費全部のために支払った。ただし、主の宮に納められる金で、主の宮のために銀の皿、心切りばさみ、鉢、ラッパなど、すべての金の器、銀の器を作ることはなかった。ただ、これを工事する者に渡し、これを主の宮の修理に当てた。また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしなかった。彼らが忠実に働いていたからである。罪過のためのいけにえの金と、罪のためのいけにえの金とは、主の宮に納められず、祭司たちのものとなった。」。
 同・歴代誌 第二24章6~14節それで、王はかしらエホヤダを呼んで彼に言った。『なぜ、あなたはレビ人に要求して、主のしもべモーセとイスラエルの集団の、あかしの天幕のための税金を、ユダとエルサレムから持って来させないのですか。』・・・彼らは一つの箱を作り、それを主の宮の門の外側に置いた。そして、神のしもべモーセが荒野でイスラエルに課した税金を主のみもとに持って来るように、ユダとエルサレムに布告した。すると、すべてのつかさたち、すべての民が喜んで、それを持って来て、箱に投げ入れ、ついにいっぱいにした。が多くなったのを見て、レビ人たちが箱を王の役所に運んで行ったとき、王の書記と祭司のかしらに仕える管理人が来て、箱をからにし、それを持ち上げ、もとの場所に返した。彼らは毎日このように行ない、多くのを集めた。そこで、王とエホヤダは、これを主の宮の奉仕の仕事を行なう者に渡した。・・・彼らは、神の宮を元のとおりに建て、これを堅固にした。彼らは、完工の際、残った金を王とエホヤダの前に持って来た。彼らは、それで、主の宮の器具、すなわち、ささげる務めに用いる用具、深皿、金銀の器などを作った。こうして、人々はエホヤダの生きている間、絶えず、主の宮で全焼のいけにえをささげた。
 新約聖書・マルコの福音書12章41~44節(※:同・ルカの福音書21章1~4節も同様)「それから、イエス献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。』」。尚、レプタは最小単位の銅貨で、128レプタ=64コドラント=1デナリです。又、1デナリは当時の一日分の労賃に相当します。