deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

47・落とし前

2009-10-20 11:32:08 | Weblog
 絶体絶命の危機だ。やつは・・・のぼるは、自分の教え子たちが手にした一升瓶も、吸っていたタバコも(オレは吸わない派だが)、目にしてしまった。いや、そのあたりの校則違反ならまだしも、夜中に学校に忍び込むのは、「不法侵入」という完全な犯罪行為だ。停学か、謹慎か・・・退学はないだろうが、警察沙汰までもあり得る。朝礼で名前と顔をさらされるのはもちろんのこと、朝刊で、というのはあまりにも恥ずかしい。内申書に傷がつくのもまずい・・・夜が明けるのを待つ間、いろんな考えが頭をよぎる。
 打ちひしがれているうちに、東の空が明るくなってきた。約束の時間だ。足取り重く、三人で雁首をそろえて、体育教官室へと向かう。ノックをして中に入ると、明かりもつけない薄闇の中で、のぼるのギョロリとした目がこちらを向いた。「ひっ」と声を上げそうになる。やつもまた、一睡もしていないらしい。愚かな生徒たちをどう処断するべきか、考えあぐねていたにちがいない。しかし、大ざっぱな脳構造を持つこの原始人類が導き出す答えといったら、結局はたったひとつしかなかった。
「三人とも、そこに並べ」
 オレたちは素直に従い、壁ぎわに横一列に立つ。
「ばかーっ」ゴツン。
「ばかーっ」ゴツン。
「ばかーっ」ゴツン。
 岩のように硬いゲンコツが一発ずつ、脳天に向かって垂直に落とされた。若干、背が縮んだかもしれない。いや、それを相殺するタンコブが、天頂部でふくらみつつある。
「このことは、俺の腹におさめる」
 のぼるの決めゼリフに、三人は顔を見合わせた。
「行ってヨシ!」
 罰といえば、それきりだった。職員会議で百のめんどくさい議論を重ねるよりも、やつは一発の鉄拳でカタをつけたのだ。体育会の粗雑な頭には、このシンプルな解決方法しか思い浮かばなかったのだろう。しかし、現場に駆けつけたのはのぼるでも、「何者かが夜の校舎に忍び込んでいる」という通報が、学校の上層部にまで上がっていることは疑いがない。それでもやつは、コブシ三発で事をおさめようというのだ。これは、以降の責任の一切はのぼるが負う、ということに他ならない。そこを考えると、なかなか男前な振る舞いではないか。
 それきり、学校側から三人の咎が問われることは皆無だった。オレたちの名前はのぼるの腹におさまり、生徒指導部や校長の前では伏せられたにちがいない。事件は、永遠の迷宮に葬り去られることとなった。
 今回のしくじりは、さすがにこたえた。これに懲りて、オレたち深夜飲酒メンバーは誓い合った。もう二度と、
「蛍光灯はつけないようにしよう」
・・・と。オレたちは学んだのだ。すなわち、
「酒盛りは、月明かりの下でやるべきなのだ」
・・・と。そしてなによりも、心した。すなわち、
「絶対に見つからないように、用心深く事に及ぼう」
・・・と。
 それからも深夜の酒盛りは、卒業するまで間断なくつづけられた。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

46・深夜+1

2009-10-11 06:01:37 | Weblog
 深夜の校舎に集まっての酒盛りは、定例会のようにつづけられている。みんな手に手に酒やツマミを持ち寄り、暗闇の校門を飛び越える。ぴょんっ・・・たっ・・・ひたひたひた・・・月明かりの下、中庭を通り抜けるときも、足音をひそませなければならない。そのクツの擦過音の、耳に響くことといったら。付近住民がいっせいに目を覚ましそうにも思える。しかし実際には、それは小さな小さな音で、誰の気を引くこともない。そんな自分たちの態度が滑稽で、クスクスと笑い合う。その声の、また耳に響くことといったら。メンバーはよけいに笑い声が止められなくなる。
 侵入口である窓は、あらかじめカギが空掛かりの状態に細工がしてある。その窓から棟内に這い込み、廊下を懐中電灯で進む。ここでも光が漏れないように、細心の注意を払う。今夜は日本画室で、あるいはデッサン室で、はたまた屋上で・・・と、いろんな場所で宴を開いた。静まり返った美術棟は、もはやわれらの別荘だ。グループを律する掟として、普通科や音楽科の校舎には決して足を踏み入れなかった。その作法を侵すと、ただの泥棒になってしまう。その点だけは、厳に慎んだ。ひとのものに手を付けることも、決してなかった。我々は、ただただ酒が好きで集まっているだけなのだ。そしてそれは、お互いの知性・感性をヤスリにかける行為であり、大人になるためのイニシエーションでもあった。
 中心人物はキシとオレ、そして豪傑の女子たちで、あとはさまざまな同級生がゲスト参加してくる。しかし、定着する者は少ない。誰もが「酒を飲む」という行為には興味を示すものの、「普通の」高校生にとってそれは実際に飲んであまりうまいものではないため、すぐに飽きてしまうようだ。見つかったら相当にヤバい、という行為でもある。一度のお試しで好奇心を満たすと、誰もが「普通の」世界に戻っていった。相対的に我々主要メンバーは、次第にクラス内で蛮族化していく。東の空が白みはじめるまで酒を食らい、日本画室のタタミの上や、彫刻室のふわふわのスタッフ(天然繊維)をしとねに、束の間だけ眠った。太陽が昇り、デッサン室に同級生たちが集まりはじめたら、しれっと起き出す。吐き気を押さえつつ、歯を磨き、顔を洗う。赤ら顔でカロリーメイトをほおばる徹夜飲酒組は、呼気からも体臭からもエーテルのコロンを濃密に漂わせている。へべれけ、と誰の目にも明らかだ。そもそも、宿酔いというよりも、ついさっきまで飲んでいたわけなので、足元もろれつも心許ない。よくこれで見とがめられないものだ。しかし美術科の教員陣ときたら、総じておおらかなもので、ああ、この生徒は昨夜酒を飲んだのだな=早く成熟したがっているのだな・・・というありがたい距離感で見守ってくれている。連中もきっと、オレたちの年の頃には同様のことを経験し、そうして成長していったにちがいない。
 侵入者たちの警戒感は、罪を犯すごとにゆるんでいく。ある夜、男子三人きりで集まったときのことだ(女子がいなくて、本当によかった)。あれほど慎重を期していたのに、つい蛍光灯を煌々とともした教室で酒盛りをしてしまった。ぶ厚いカーテンを締めきってはあるが、どこからか明かりが漏れていたのだろう。それに気付くことなく、オレたちは紙コップをあおり、さきイカをしがみ、大らかに笑っていた。三人の笑みが凍りついたのは、そのときだ。
「おいコラ・・・」
 廊下から、聞き慣れたしわがれ声が発されたのだ。その低音の響きは、深い怒気を含んでおり、野生動物の威嚇のうなり声に酷似している。廊下の暗闇の中に、さらに真っ黒な影を見たときは、本当に腰を抜かしそうになった。これほど怖い画づらを見たのは、生涯で何度もない。真っ黒な顔面のさらに落ちくぼんだ影から、眼光が爛々と輝いている。
「夜が明けたら、体育教官室に来いや・・・」
 まるで落とし前をつけようというヤクザだ。それだけを言うと、のぼるは音もなく、再び暗闇の奥へと姿を消した。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

45・硬骨のひと

2009-10-09 10:03:34 | Weblog
 彫刻室は、粘土のドロ、それが乾いて舞い上がった土ぼこり、石の粉、木っ端、金属のサビ、そして各種素材の切れっパシなどが床一面にまき散らされ、すさまじく汚い。しかも、おびただしい道具類が猥雑に散らかり、それのみで早くもアーティスティックな空間となっている。周囲を汚し、自らも汚れ、その代償にギョクを磨き上げる。それこそが彫刻科の意気と心得なければならない。そうしてホコリにまみれて毎日を過ごすうちに、清潔の観念は麻痺していく。やがて彫刻科の生徒たちは、その汚れ自体にホコリを見いだすようになるのだ。
 彫刻室では、ピーターというウサギが飼われていて、クロッキーなどのモチーフにされる。やんちゃ極まるこいつは、なかなか有用だ。彫刻科においては、静止した対象物の外観を写し取るのではなく、運動自体を作品の中に捉えなければならない。そういう意味で、放し飼いのピーターは打ってつけだ。ところが、この奔放な生き物は、どこででも気ままに黒いパチンコ玉状のものを落としていく。そのため、彫刻室は奇妙なニオイをこもらせている。足元に落ちている物体が、土なのか、ピーターの落とし物なのか、判別がつかない点にも悩まされる。
 ピーターを抱いてやると、彼はその頑丈な前歯で服をかじってくる。美術科の生徒らは、作業で汚れてもいいように黒いダボダボのスモックを着ているのだが、こいつが徐々に面積を減らしていく。彼はなぜだか、オレのスモックがいちばん好きなようだ。好きにかじらせておくせいで、オレのたたずまいは日に日に凄みを増していく。そのズタボロのうす汚れっぷりは、まるで世紀末の天才芸術家のようだ。同時に、公園のベンチで寝るタイプのひとのようでもあるが・・・
 オレのそんな姿を女子たちはおもんぱかり、たまにスモックの破損箇所を修繕してくれる。ところが、そこにあてがわれる生地のチョイスがおかしい。破戒僧が羽織るようなシブい黒生地にうがたれた穴には、やはり黒生地か、それに似た渋いものを合わせる方がいいのではないだろうか?ところが彼女らは、鮮やかなオレンジや、レモンイエロー、スカイブルーの布地を用意してくれるのだ。そんなビビットなツギハギのおかげで、オレは奇妙にポップな「竹下通りを歩くひと」のようになってしまい、完全に威厳を失いつつある。しかし、女子に縫いものをしてもらうという立場は、まんざらでもない。オレのスモックに、カラフルな縫い跡はどんどんと増えていく。
 彫刻科に所属して以来、どういうわけか、他の学科の女子によくモテる。浮世離れしたそのバンカラな出で立ちが、育ちのよい音楽科や普通科の生徒たちの心をワシづかみにしてしまうのだろうか?彼女らの過ごす崇高極まる校舎から、わが魔窟のような彫刻棟が真正面に見え、その謎の世界への好奇心もあるのかもしれない。
 髪を伸びっぱなし気味に散らかしたオレは、前髪の生え際のところをシュロ縄で結んでいる。ガサガサの縄のハチマキだ。ところが、これがウケるらしい。音楽科の女子に、「そのカチューシャを下さい」などと言われたときは、「は・・・?か・・・ちゅー・・・?」・・・その単語がなにを指しているのか、意味がわからなかった。意味がわかった後も、「なぜこんなものを・・・?」と、どこまでも意味がわからなかった。そして、またも別の女子がやってくるのだ。彼女たちは必ず、ふたり組で現れる。どちらかがくねくねしていて、どちらかが快活だ。そして言葉を発する最初に「あの・・・あの・・・」をつける。うーむ・・・心ときめくこと果てしないが、こちらはバンカラ路線でゆくのだと思い定めた彫刻科男子だ。突っ張らねばならない。「そこにいっぱいあるから、いくらでも持ってけよ」と、素っ気なくシュロ縄の山を指差すことしかできない。彼女たちは、オレの粗野な振る舞いに対し、おそらくは心の底からがっかりとし、崇高で清潔な校舎へと戻っていく。思えばこの頃は、女心というやつをまったくわかっていなかった。
 クツ箱、スモックや学ランのポケット、そしてどう忍び込むのか、教室の机の中にも、たまに手紙が入っている。相手の顔もわからないのだ。こんな大時代なマンガのような話が本当にあるのか、とドキドキしてしまう。ところが奥手のオレは、気味の悪いその手の問題をどう処理していいかわからず、いつもほったらかしにしてしまう。まったく、オレが愚かな男子なのか、男子というものが愚かなのか・・・この年頃というのは、どうしようもない。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

44・専攻

2009-10-07 22:26:05 | Weblog
 「油絵」「日本画」「デザイン」「彫刻」。
 美術科の学生は、2年生になったら、この四つの中から自分の専攻を選ばなければならない。それに先立つ1年生時は、各専攻のお試し期間だ。つまり、一年間に渡って四種類の科目を試行し、2年生進級時にひとつに絞り込むための参考とするわけだ。これと決めたら、高校時代の残り三分の二は専攻科目に没頭することになる。だから、大げさに言えば、そのチョイスはこの先・・・生涯の問題に関わってくるのだ。真剣に選ぶ必要がある。クラスは10人ずつ四つの組に分けられ、三ヶ月交代でひとつひとつの科目をこなしていく。9人しかいない男子も4組に振り分けられ、オレはキシと組むことになった。
 うちの班は、最初に「デザイン」の授業を受講した。デザインは、フリーな自己表現の許される純粋芸術とは違い、合理性から発生する伝達表現といえる。それは、発信者からの一方的な主張よりも、受信者に対する配慮とコミュニケーション技術が優先されるということだ。そのあたりが実にめんどくさい。その上に、定規やコンパスを用いたテクニカルな部分や、色の三原色だの彩度だの明度だのという理屈がたまらなくつまらない。オレもキシも、細かい作業が苦手だ。いや、細密な手仕事、というだけならまだいい。器用さでは負けない自負もある。そうでなく、デザイン科で厄介なのは、守らなければならない作法や約束ごとが山ほどある点だ。「要求が細かい」のだ。この手の決めごとには、まったくへきえきとさせられる。おまけに宿題(課題という)をたっぷりと持ち帰らされる。家で宿題というものをしたことがないオレは、学校の休み時間にちゃっちゃと仕上げたいわけだが、デザインの課題には、こうしたぞんざいさは通用しない。「正確さ」「きちんとした技術」の実現には、休み時間は短すぎるようだ。要するに、やりたいことを好きなようにさせてもらえない。あー、やだやだ。最初に受けた科目がデザインでよかった。この科においては、最初からステだ。やる気がないということもあり、キシとともに、どうしようもない成績をおさめた。
 次の日本画科は、ニカワの生臭さにうんざりさせられた。お行儀よく、きっちりと丁寧に描きましょう、という姿勢も肌に合わない。ステだ。油絵科でも、油と揮発性オイルのにおいに気持ちが悪くなり、くらくらとめくらむ気分を味わった。それよりもなによりも、オレは絵の具を使わせると、ぬり絵のようにしてしまうヘキがあるらしい。画面が扁平になってしまうのだ。自分が絵画系には向いていないことを思い知った。一方のキシは、画面の構成や効果的な色使いを、アホなりの頭でしっかりと把握できている。そちらに進もうと決意したようだった。
 最後に残った彫刻科を、オレは選択することにした。なぜだかわからないが、なんとなく選んでみたのだった。粘土遊びがたのしそう、というだけの理由かもしれない。色の扱いが苦痛、というおのれの弱点から逃げたかったのかもしれない。しかし、人生上の選択で最も重要な基準は、直感だ。とにかく「志望専攻科回答」の用紙提出の際、とっさに「彫刻」と書いてみたのだった。
 2年生になると、オレの身は、希望どおりに彫刻科に組み込まれた。四科のうちで最もメシの種になりそうにないこの専攻は、当然のように人気がなく、このイバラの道を選んだのは、オレの他には女子が3人いるきりだ。将来を見据える多くの者は、就職先が絶対的にアテにできるデザイン科を選んだ。キシは油絵科に進み、純粋芸術家を目指すことになった。しかし、たかが16歳の若僧の判断である。大して深い考えなどない。「将来を見据える」と言葉にすればもっともらしいが、その実は、自分の好きな芸術家の姿を追っかけて、それに近い科にやみくもに飛び込んでみるしかない。「かっこいいから」「あんなひとになりたいから」というのが、選択の第一基準だったにちがいない。
 さて、晴れて彫刻科の作業場に足を踏み入れたオレなのだ。デザイン科、油絵科、日本画科という平面系は、美術棟内に隣り合わせて部屋を持っているが、立体系である彫刻科だけは、独自に「彫刻棟」をあてがわれるという特別な計らいがなされている。別の言い方をすれば、他の連中とはまったく別の場所に隔離されて過ごさなければならない。うす汚れて粉っぽいその場所は、まるでさびれた町工場のようだ。すでに、ほんの少しの後悔がはじまっている。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園