弁護士ふくふくの今日が出発点

難病がきっかけで始めましたが、今は、出会いを求めて書いてます。足跡歓迎です。但し、ハンドルネームでお願いします。

新・一番大切なこと(10)「失敗から立ち直る方法(その1)」

2022-10-09 11:19:07 | 新・一番大切なこと

新・一番大切なこともこれまでの9回で、ほぼ全部言い尽くした感じです。

そこで、最後に、失敗して落ち込んだ時、そこから立ち治る方法について、自分の体験をもとに、まとめてみました。「失敗から立ち直る方法」を3回に分けて書いて、これで、新・一番大切なことを全部終わりにする予定です。

さて、失敗は誰でもあります。「何で、こんなことをやってしまったんだろう」、「あんなことを言ってしまったんだろう」、「あの時、何で気づかなかったんだろう」等々。そして、そのことで 落ち込んで、何日間か、そのことが頭にこびりついて離れない、食事をしても、味がわからない……。

私も、これまで、何度も大きな失敗をしてきました。幸い、犯罪として追及されるようなことはりませんが、交通事故(物損ですが)を起こしたり、仕事上のことで、失敗して顧客や関係者から苦情を受けたり、トラブルになったり、人間関係で後悔したり。

その時、まずは、それ以上事態が悪化しないように、必要な対策を取る必要があります。できるだけ早く、そして慎重に情報を収集して状況を整理し、いろいろな場合を想定して、対応を考えることです。自分には難しすぎたり、あるいは動揺している場合は、他人に相談すべきです。いずれにしろ、それ以上悪化しないようにすることが第一です。

そして、その後は、その重い気持ちからできるだけ早く立ち直ることですが、その方法の第一は、言葉は良くないですが、開き直ることです。重い気持ちを抱え続け、自分を責め続けると、精神や神経の病気になります。そこで、病気にならないようにすることが第一です。

そのために、重い気分が収まらないときは、開き直って、自分としては、一応やるだけのことはやったとか、相手方とか関係者にも大きな原因があるとか、責任転嫁したり、それでも収まらないときは、人を殺したわけではないとか、もうどうでもいいじゃないか、面倒くさいとか、とにかく、自分を責めない方向でいろいろ考えます。そのことで随分気分が楽になります。

 もちろん、それを他人に口にするといけないし、また、気分が重い状態が解消されたあとは、原因や自分のどこが悪かったのかを冷静に振り返る必要はあります。

 ただ、落ち込みすぎて病気にならないようにする方法の一つとして、無責任に開き直ることが効果的です。私が、落ち込んだ人から相談を受けることが多いのですが、その時は、開き直ったらいいとアドバイスしています。

*写真は、孫の運動会(10月8日)。食事をしないのが淋しいですが、家族が一緒に集まるのは楽しいです。

 

 

 

 

 


「お久しぶりですー近況」

2022-07-17 15:42:58 | 日記

お久しぶりです。

 

前回のブログは2021年の12月でしたので、7ヶ月も空白になりました。

1年ごとに、時間過ぎていくスピードが速くなっていきます。

時間そのものは変わらないので、感じ方の問題なのですが。

 

4人の子どもは、今や、37歳から30歳の間で、孫も6人になりましたが、子どもを育てていた30数年前と比較すると、時間のスピードは、数倍は早く感じます。自分が小学生、中学生だったころと比較すると、10倍くらいは早く感じます。

 

日曜日の夜、「さあ、明日から頑張ろう」と考えて就寝し、あっという間に、金曜日の夜が来て、「あー1週間頑張ったなー。この時間が、ゆっくりできて一番いいなー」というサイクルが、どんどんと繰り返されていきます。

 

大学の授業も2年目に入りました。4月からの前期が日本国憲法、9月末からの後期が法学一般です。学生(受講生)が70数名と多く、対話式の授業はできませんが、学生に判例の検討と発表という課題を与えて、自分の頭で理解してもらうということを重視しています。

 

準備の過程で、学生から検討の状況報告とか質問とかがラインで来て、その対応で、日曜日丸一日が過ぎるということもありますが、対話式の学習を補う意味もあって必要なことかと思います。

 

学生にとっては、人生に一度しかない貴重な時間です。

日本国憲法の知識や考え方は勿論ですが、意見のまとめ方、伝え方、何かに取り組む姿勢、他人との接し方……何か一つでも感じ取ってもらえたらなと思って、毎週金曜日の午後の授業を迎えています。

(*写真は、今の家庭菜園。作るのは妻)


「大学で授業をしています(近況)」

2021-12-01 22:15:36 | 日記

今年の4月から、私立大学で授業を担当しています。前期(4月~8月)は法学(全般)、後期(10月~翌年2月)は日本国憲法です。

通常の仕事のほかに、毎週、金曜日90分の授業が入ってきたので、授業当日とその準備にかなりの時間がとられてしまい、5月以来半年ぶりのブログになってしまいました。

 

学生にとっては、一生に一度の学生生活であり、法律の勉強なので、できるだけ深いところで役に立つ内容にしたいと考えてやっていますが、理想のイメージからはまだまだの状況です。学生には、授業の内容や方法について、感想や希望があったら、遠慮なくメールしてほしいと言ったところ、レジメだけではわかりにくいので、パワーポイントを使ってほしいとの希望が出たので、5回目以降パワーポイントを使うようになりました。

 

パワーポイントは初めてで、まだ慣れないのですが、話を聞く側にとっては勿論、話をする側にとっても、画然たるメリットがあるように感じます。

 

授業の参加学生数は、毎回35名前後ですが、5班にわけて、各班一つずつ憲法判例の報告というかなり難しい課題を与えていますが、四苦八苦しながら、何とか準備して報告してくれ、頼もしく感じています。

 

学校の先生の仕事は、私の長年の夢でしたが、66歳になって夢がかないました。

 

【冒頭の写真は、自宅での日曜昼ご飯。卵キャベツは、自作です】


ゴールデンウィーク(近況)

2021-05-03 10:09:24 | 日記

1ヶ月以上、ブログを休んでしまいました。

4月から、県内の私立大学で毎週金曜日に、法律の授業をすることになりました。そのため、通常の仕事に加えて、授業やその準備が必要になり、時間的、精神的に余裕がなくなってしまいました。

それにしてもコロナはしつこいですね。なかなか先が見えません。

このゴールデンウィークも、どこにも行けず、自宅で仕事をしたり、孫のもりばかりですが、毎日、健康、ダイエット、気分転換のため、朝5キロ、夕方5キロジョギングして、夕食時に、焼酎を味わうのが楽しみです。

なお、つまみは、コスモス薬局のピーナッツが最高に美味しいです。


新・一番大切なこと(9)「幸せを求める心(その3)」

2021-03-24 07:19:37 | 新・一番大切なこと

 現状を肯定的にとらえて、感謝の気持ちで受け止め、楽しい平穏な気持ちで毎日を送り、それとともに、もっと幸福な楽しい人生にしていくために前向きに努力していけば、実際にも幸福な人生が近づいてくると思います。

 幸福の大きな要素の一つは、他人や社会との調和ということを前に述べましたが、これはある人にとっては難しい問題であり、またある人にとっては極めて簡単な問題です。

 人間は基本的にはみな同じであり、自分が他人からしてもらって嬉しいと感じることは、他人も嬉しいと感じるし、逆に他人からされると嫌だと感じることは誰でも嫌だと感じます。

 ですから、他人が素直に嬉しいと感じるようなことをすればいいし、逆に他人が嫌がるようなことをやらないようにすればよいだけのことです。

 家族親戚、知人友人、学校や職場の人、仕事関係者、近所の人、それぞれに、実際に可能な限り目を向け、みな、自分と同じように、楽しく、平穏で幸せな時間を過ごしたいと考え、そのような人生を送っていきたいと思っているだろうし、実際にそうなったら、それはいいことだなと、純粋に思う、そんな思いやりの心が、自分の中にしっかりあれば、難しいことではないと思います。

大したこと、大げさなことをする必要はなく、自分のできる範囲で、会話したり、関わればいいだけのことと思います。そんな気持ちで他人と接していけば、人間関係、社会関係がうまくいかない筈がないと思います。

 

実際には、人の悪口を言ったりとか、やられたらやり返さねばとか、あの人だけは許せないとか、自分の力を示したいとか、そのようなことが少なくありませんね。

そんなことでは、人間関係がうまくいくはずがないし、なによりも、幸せ感を十分感じることができないような気がします。

 

*写真は、大淀カントリーゴルフで  今年こそは、実力アップと思いながら、10年が過ぎました。


新・一番大切なこと(8)「幸せを求める心(その2)」

2021-03-09 08:51:27 | 新・一番大切なこと

「新・一番大切なこと(8)「幸せを求める心(その2)」

 

 「幸せを求めていく、前向きに生きる」というと、現状に満足していない、不満であるということが前提となっているように考えられます。

 

 しかし、現状に対する不満を意識、強調しすぎると、疲れてしまいます。現状は、現状であり、いくら頑張っても、少しずつしか変わって行きません。

 ですから、まずは現状を受け入れ、肯定し、その中の良い面も認めることも必要と思います。

 

 目の前のコップ一杯の水について、「コップ一杯の水しかない」と考えるより、「まだ、コップ一杯も水がある」と考えた方がよいというようなことを本で読んだことがあります。現状について常に不満という方向で否定的に受け取るよりも、肯定的な面を見て、感謝の気持ちで受け取る方がいいのではないかと私は思うのです。

 

 私自身の中では、現状を肯定的に受けとめるということと、前向きに生きるということとは矛盾はありません。

どちらか一つが欠けると、この世に自分という生を与えてくれた神様(のようなもの)に申し訳ないように感じます。

 

*写真は、我が家の庭(スナップえんどう、ホウレンソウ、カブなど)


新・一番大切なこと(7)「幸せを求める心(その1)」

2021-02-28 16:44:08 | 新・一番大切なこと

 これまで、幸福ということに関して、健康、お金、他人との調和等について書きましたが、幸福な人生、価値ある人生を送るうえで大切なことがもう一つあると思っています。

それは、前向きに生きるということです。病気の人が健康になるように、お金がなくて生活に困っている人が、少しでも安定した生活ができるように、他人との関係がうまくいかず、他人から非難されたり、他人と争っている人が、他人と調和して平和な生活ができるように、それぞれ、よりよい状況をめざして、努力していくこと自体に価値があることと思います。

幸福な結果はいいことではありますが、運命によってかなり左右されます。端的な例が障害を持って生まれてきた場合とそうでない場合は、自由な行動(食事、着替え、会話、移動等)社会的な行動(通学、出勤、旅行等)等、あらゆる面で大きな差異があります。それは、お金(仕事をして収入を得るということ)にも影響が出てきます。

また、日本では考えられないことですが、戦争や内紛等の地域に生まれた場合は、いつ、爆弾やテロに襲われるかわからず、安全、平和な生活を求めて、移動しなければならない場合もあります。

いずれにしろ、結果としての現在が幸福かどうかということはもちろん大事なことですが、個人としてはどうしようもない要素が少なくありません。

しかし、それでも、少しでも前進できるように、目標を決めて、やるべきことを続けていくことは非常に価値があることと思います。

テレビや新聞、雑誌などで、大きなことでも、小さなことでも、目標を決めて、努力、工夫をして、実現したり、そこに近づいていく人とその人生が紹介されることがありますが、それは私たちに感動を与えてくれます。

結果としての幸福を求めて、努力していくその過程が幸福なことであると思います。そして、よく考えると、結果としての幸福よりも、過程としての幸福の方がより素晴らしいと思います。

(写真は、現在の事務所ドア、コロナの注意満載………早くすっきりしたドアになれますように)

 


新・一番大切なこと(6)「他人や社会との調和(その2)」

2021-02-22 21:41:12 | 新・一番大切なこと

 希望する学校への進学や就職、資格試験の合格、仕事上の成功や昇進、スポーツや芸術における進歩や入賞、結婚、出産、など、人生における嬉しいこと喜ばしいことは、まずは、自分自身が喜ぶことではあるが、自分の周りの人や社会が、これらの成功を認めて喜んでくれることがなければ、喜びも半減すると思う。

 いつも、自分の立場や利益のことだけが頭にあって、他人のことに無関心で、冷淡な人は、他人と心を通わせることができない。他人と心を通わせることができない人は、何か嬉しいことがあっても、他人から祝福されることはない。

 

 全ての人間は、生まれた直後は、一人で生命を維持することさえできず、親をはじめ、まわりの人の無欲の献身的な援助で生命を維持することができた。

また、その後も、少なくとも、義務教育を終える頃までは、独力で社会生活を営むことはできず、これまた、親や周りの人の援助で、成長することができた。

 独力で社会生活を営むことができるようになった後も、いつかは高齢となり、身の回りの日常生活にも他人の援助が必要になり、やがては、生まれたばかりの赤ちゃんと同様、生命維持すらできない時がくる。死亡したあとは、埋葬してもらうには、完全に他人の援助が必要である。

 

 人間が自分の力だけで生きていると思うのは、錯覚であり、常に他人や社会からの手助けを受けながら、生きているものである。

 そうすると、常に、回りの人と社会に関心を持ち、周囲の人が、楽しく有意義な人生を送るために、自分に何ができるのかを考えて、毎日を過ごすことが大切ではないかと思う。

 

 そのような生き方をしていれば、いいことがあった場合に、回りから素直に喜んでもらえ、辛く悲しいことや困ったことがあった場合には、回りから手助けを得られ、深い幸福感を味わえるのではないかと思う。

 そうではなく、自分のことしか考えない人が味わう喜びや幸福感は、薄っぺらなもので、淋しく、気の毒な人生だと思う。

*写真は我が家の家庭菜園でとれた野菜で作ったサラダ(作ったのは妻)


新・一番大切なこと(5)「他人や社会との調和(その1)」

2021-02-14 17:29:03 | 新・一番大切なこと

 弁護士としての仕事の上で、交通事故やその他の事故で、他人に死亡させたり、重症を負わせたりした人、いわゆる加害者の立場の人を弁護することがあります。

 過失ではあっても、他人を死亡させ、相手方やその家族、友人等をひどく悲しませ、それらの人たちから強い非難を受けるのは、大変辛いことです。いくら、健康で、ちゃんとした経済生活が送れていても、被害者や社会から非難されたり、追及されたりする毎日は、自分でも自分を責めて、神経をすり減らすことになり、とても幸福とは言えません。加害者になるより被害者になった方がずっとましだと感じるくらいです。

 

 また、人から借金をして返すことができず、逃げ回ったり、その場しのぎの言い訳や嘘を繰り返すような生活も、幸福とはいえません。

 犯罪の容疑者として警察から追及されることも、もちろん平穏な気持ちではいられませんが、離婚や遺産相続、商売上の取引などにおけるトラブルで他人と争うことも、幸福という点では、軽く扱うことができない重要な要素であることは否定できません。

 

 ですから、犯罪はもちろんですが、犯罪として処罰はされなくても、社会的に非難されるようなことや、身近なことでは、返せない借金をして他人に迷惑をかけないこと等は、当たり前すぎることではありますが、幸福な人生を送る上で、本当に大切なことだと思います。

 また、交通事故をはじめ、事故で加害者となることがないようにすることも、注意しすぎるくらい注意すべきことと思います。

 

 他人や社会から非難、追及されたり、他人と争ったりすると、心が平穏でいられません。もちろん、人生の中では、他人から不当な攻撃を受けて毅然と戦わないといけないこともあるので、争いがすべて良くないというわけではありませんが。

 今、この時間、平穏な心でいることができることは、とてもありがたいことであり、何物にも代えがたい大きな価値であると言えます。

 そして、健康やお金は、運に大きく左右されますが、心の平穏は、自分をコントロールすることができれば、確実に手に入れることができます。

(写真は、2月11日、青島亜熱帯植物園の公園。青島神社へ、6人目の孫の安産祈願に孫らと行った際に撮影)


新・一番大切なこと(4)「お金」

2021-02-07 21:36:21 | 新・一番大切なこと

    幸福な人生を送るためには、お金が必要であり大切であることは言うまでもない。

 今日、明日の衣食住に困るようでは、人生を楽しむどころの問題ではない。

お金が足りないために、無理をして、昼夜、働いて、健康まで害してしまうこともある。また、「貧すれば鈍する」の言葉どおり、詐欺被害にあったり、逆に犯罪に手を染めることもないではない。

 しかし、お金に執着しすぎて、幸福な人生から遠ざかってしまう人も相当いる。少しでも損することを嫌がって、その結果、回りから嫌われ、心からの友達がいない人もいる。

 事業や仕事で成功し、大富豪などと呼ばれて、贅沢三昧の生活を送っている人は、そのような余裕があるのであれば、社会に何らかの還元をすべきであり、そうでないとすると、何の価値も魅力も感じない。

 政治家や商売人がその地位や権限を悪用して、金儲けをし、それがばれそうになると、議事録や資料を隠したり破棄したり、嘘をついたり、詭弁を弄したりすることが当たり前のような世界であるが、それは社会的には大犯罪であって、こんなことをして幸福を感じられるはずがない。それでも幸福を感じているとするなら、人間としての正常な感覚すら失ってしまったもので、大変不幸なことであり、哀れなことである。

 

 このようにお金は大切なものではあるが、それは、あくまで幸福な人生を送るための手段である。お金自体が最終的な目的になってしまうと、何が大切なことかを見失ってしまうことになり、知らず知らずのうちに、幸福から遠ざかってしまう。