弁護士ふくふくの難病体験

難病である潰瘍性大腸炎の患者です。病気以外に弁護士の仕事や生活、趣味まで、欲張りました。2008年9月スタート。

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ブログ再スタート 2017年2月

2017-02-07 11:57:22 | Weblog

弁護士生活30年が過ぎるのを契機に、6年間中断していたブログを再開することにしました。

仕事、家庭、社会、いろいろ思うことを記していきたいと思います。

 

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4年ぶりの12月

2010-12-19 22:53:31 | 日記

 4年前の12月、今頃。つまり2006年(平成18年)12月。事務所の弁護士が3人になって、事務室も駐車場も手狭になり、思い切って広いところへの引っ越しを決定。引越に先立って、引っ越し先の部屋の改装等。本来の仕事も忙しい上に、こうした準備で忙殺され、体調も悪い。

 そして、翌年1月に、潰瘍性大腸炎であることがわかる。4月頃2ヶ月入院。

3年前の12月(2007年)。潰瘍性大腸炎が劇症化。11月15日から2月1日まで入院で、12月は、入院の真っ最中。

 2年前の12月(2008年)。また、潰瘍性大腸炎が劇症化して10月17日から入院。11月16日大腸全摘手術となる。12月11日に退院したが、手術による体力低下と慣れないストマ(人工肛門)とで、自宅でひっそりと療養の12月。

 1年前の12月(2009年)。2008年の大腸全摘で潰瘍性大腸炎はすっかり治り(そもそも大腸がないから潰瘍もない)、事後処理を待つだけの1年間が過ぎる。小腸と肛門の接合をあきらめ、永久ストマを選択。残った直腸や肛門を切除する手術のため、11月26日から12月22日まで入院。

 ………ということで、2010年12月。何事もなく、普通の人と同様に過ごすのは、4年ぶり。

 

 毎日、事務所に出て、仕事ができることの喜び、

家に帰って、家族とゆっくりご飯を食べ、熱い風呂に入り、快い疲れを感じながら、布団で眠りにつけることの喜び、

知人とネオンを見ながら夜の街を歩き、酒を酌み交わし、他愛ない話しに花を咲かせる喜び、

全てを忘れて、一打、一打に集中し、またその結果に一喜一憂することの楽しさ、(下手なゴルフのことです)

 耐えがたい苦しみ、恐怖、不安を体験したことで、今は、当たり前の全てのことがありがたく、素晴らしいことに感じる事が出来ます。

 

 ほぼ完全に復帰して1年が過ぎようとしている。今感じている、当たり前のありがたさは、忘れてはならないし、忘れる事もない。

 あてもなく繰り返される病院での朝、昼、夕、深夜。夜8時に必ず流れる、見舞に来た来院者に帰るように促すアナウンスとそのバックミュージック。一晩中、どこかの病室で成り続ける、点滴の異常を知らせる「ピリリッ、ピリリッ」という高い機械音。 

 

 でも、まあ、職場復帰から1年もたったことだし、無理しない範囲で、仕事も、もう一頑張りしてみたいという気持ちが自然と湧いてきている。

 弁護士の仕事は、トラブル解決の基準となる現行法と現行判例についての体系的で具体的な知識が必要である。しかしこれについては、法律家としての一般的な能力があれば、時間さえかければ、最低必要なものは入手できる。

 難しいのは、ドロドロとした生のトラブルを解決可能な形に整えながら、交渉や裁判という舞台に乗せ、更にその舞台で相手方や裁判所とより適切な折衝を進めていくという、弁護士としての諸活動である。

 そのためには、人間の心理、豊かな生き方とは何か、社会や政治についての見方等、人間、社会人としての豊かでしっかりした見識が不可欠である。このあるべき弁護士活動については、意外にも体系化、標準化はされておらず、その活動の水準は弁護士によって相当の差があるものと思われる。

 本来、弁護士の活動は、トラブルの適切な解決、依頼者の満足、ひいては、平和で豊かな社会作りに貢献できるものでなくてはならない。これまでの短くない弁護士としての経験を総括しながら、理想的な弁護士活動というものに照準を合わせて、追及、具体化していきたい。

 また、司法試験合格者人数、新人弁護士の激増の中で、全体として経営が厳しくなり、特に若手弁護士の間で、弁護士の職業としての将来や希望が見出しにくい状況が生まれている。こうした中で、理想的な弁護士事務所の経営というものも追求、具体化し、後輩弁護士を励ましていきたい。

 本格的な弁護士の仕事が出来る期間も、あと、15年程度と思われる。残された期間、夢を実現させたい。

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弁護士冥利に尽きる

2010-09-20 23:15:20 | 日記

  9月の初め、仕事を少し早目に切り上げ、夕方からゴルフ練習場で練習をしていた。そこに、どこかで会ったことのあるような人がやってきた。良く見ると、何回か相談や依頼をうけたことのある私の以前のお客さんであった。

 Aさんと呼ぶことにしよう。私よりも10歳くらい年上の男性である。Aさんは私を懐かしがっていた。Aさんは会社を経営していて、最後に私に依頼してから5、6年くらい経過していたようだ。その後も相談があったようだが、私が3年間、入院や休業をしていたので、依頼することもできず、疎遠になったままであった。

 「近い内に時間がとれませんか?」Aさんが私に言った。その数日後、一緒に居酒屋で飲むことになった。同じく当時の私のお客さんでもともとAさんに私のことを紹介したBさんも来ていた。3人で昔話に花を咲かせた。旧友と話すように、くつろいだ楽しい数時間があっという間に過ぎた。AさんもBさんも、私が一生懸命にやってくれたと感謝の言葉を話してくれた。要領の良くない私は、多忙の中で、きつい中で、自分なりに全力でやったことを思い出し、懐かしかった。今度は、ぜひ、一緒にゴルフをしようということになった。ぜひやりたいと思う。

  仕事上のお客さんとプライベートの場で、付き合う事については、弁護士によって考え方はまちまちであろうが、依頼者には難しい人や気を使う人の方が多く、ビジネスと割り切る事の方がずっと多いであろう。しかし、私は、特に境界はもうけない。自然に接して、この人と話してみたいと思えば、話す。つきあいたくない人と思えばビジネスで割り切る。それは、仕事であろうとなかろうと同じである。その結果、私のことを懐かしがってくれ、「近い内に時間がとれませんか?」と居酒屋に誘ってくれるお客さんに巡り合うことができた。

 これこそが、「弁護士冥利に尽きる」ということもできる。しかし、ちょっとちがう。私としては、このような気持ちで仕事ができないとしたら、弁護士とは何とつまらない、疲れるだけの仕事だろうと思う。これからも、楽しい関係でいられるお客さん、末永くつきあえるようなお客さんと出会いたいと思う。

 それともう一つ。以前は、病気になる前は忙しすぎた。お客さんから居酒屋に誘われても、その時間がなかったであろう。そう思うと、ゆとりがとても大切である。「ゆとり」……以前は、できれば欲しい」という何か付けたしのようなものと思っていた。でも、今では、それは生きていくうえで、絶対に必要なものと感じている。自分にとって本当に大切なものを確認するためには、ゆとりは不可欠である。

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最後のハッピーバースデイ

2010-08-29 09:52:27 | 日記

 2010年8月13日の夜12時前、母が92歳で他界しました。

 母は、3年くらい前から、痴呆が始まり、特別養護老人ホームに入所していて、特にこの半年くらいは、目はあけて物を見るのですが、ほとんどしゃべることもしなくなっていました。

 老衰による死亡ということでした。

 7月末に、あと数日しかもたないだろうと連絡があり、自動車で約1時間半かけて母のところにかけつけました。ところが、予想を10日くらいオーバーして、13日まで生きたので、約2週間、私を含め4人の子と、10人の孫がつきっきりで最後の2週間を過ごせて、本当に、幸せでした。全く声は出ませんが、しっかりと目をあけて、今にも何かしゃべりだしそうな表情で、話しかけると少し目が動き、表現ができないだけで、こちらが話していることは理解できているのではないかと思えるほどで、そのような状態が、息を引き取る直前まで続きました。

 特に、8月8日が92歳の誕生日で、みんなで、あと、1時間、あと10分、あと1分と、最後は、カウントダウンをし、誕生日を迎え、おめでとうと声をかけることができました。

 9年まえに父も他界しているので、父母がいなくなりましたが、自分が55歳になるまで、母が生きていてくれて、ありがたいことでした。

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久しぶりの日記

2010-02-13 10:26:03 | Weblog

<仕事スタート>

 昨年(2009年)7月以来半年以上、ブログが空白のままでした。久しぶりの日記です。

 

 昨年、11月から12月にかけて1ヶ月入院し大腸と肛門を摘出する手術をしました。9時間もかかりましたが、これで手術、治療が全部終了しました。体調もずっと良好で、今年の1月中旬から出勤を開始し、現在は完全復帰しています。

 

出血の不安がないこと、痛みがないこと、熱がないこと、体がすっきりしていることのありがたさ、

何でも美味しく食べられ、お酒も飲めることのありがたさ、

家で風呂に入り、家の布団で眠り、ゆっくり家族と過ごせることのありがたさ、

事務所でみんなと一緒に仕事ができることのありがたさ、

運動(ゴルフの練習)で汗を流し快い疲労感を味わえるありがたさ、

 

 今、55歳。

残る人生で、自分が本当にやりたいことを確認し、楽しみながらやっていきたい。

一つ一つ、丁寧ないい仕事をしたい、

理想的な弁護士の仕事を追求していきたい、

中国語をもっと勉強して通訳レベルになりたい、そしてそれを活用して、弁護士会や弁護士としての日中交流の活動をしていきたい、また、個人としても、遠くない内に、ゆっくり中国旅行をしてみたい、

難病や障害者の関係等、何かボランティアで役に立ちたい、

ゴルフを上手になり、楽しみたい、

仕事仲間、友人たちと、飲食し、語らいを楽しみたい、

家族と一緒に日常生活、旅行、特に、妻との年に1、2回、温泉旅行などを楽しみたい、

もちろん食事、休養、運動などをよく考えて、実行し、健康を楽しみたい、

 

そして、自分がいることで、自分と接する人が、自然と、くつろぎ、楽しくなり、元気が出る、そんな人間に近づいていきたい。

こんなことを考えながら、楽しくやっています。

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一番大切なこと(6) 殺人事件の弁護の中で考えたこと(その3)

2009-07-27 23:11:42 | 一番大切なこと

 私は、1984年(昭和59年)に司法試験に合格しました。1985(昭和60年)年4月から1987年(昭和62年)3月までの2年間、最高裁判所の司法研修所というところで、司法修習生という身分で、弁護士、裁判官、検察官になるための研修を受けました。

 その期間中、司法修習生が自主的に研究会や催しをしたりしていましたが、横川和夫さんというジャーナリストが書いた「荒廃のカルテ」というノンフィクションの本をもとに企画をしたことがありました。オウム真理教によって殺害された坂元弁護士がその企画の中心を担った事とともに、その本の内容を今でも覚えています。

 強盗や、婦女暴行を犯し、殺人も犯して無期懲役の判決を受けたある犯罪者(青年)について、そのおいたち―刑務所に服役中の母親から生まれ、その後、乳児院や養護施設等で普通の人間的な愛情を受けずに、それどころか上級生や職員から虐待を受け、人間らしい扱いをほとんど受けないまま成人になり、普通の人が有する人間に対する信頼や思いやり等を身につける機会がなかった―を取材して書いた本で、犯罪者を作り出す社会の現状を無視して、犯罪者を非難するだけでよいのかということを訴えた本でした。(ネットで検索しても大体の内容がわかりますので、詳細は省略します)。

 殺人等の凶悪の犯罪が発生し、その犯人が捕まると、多くの場合その犯人は怠惰で、自分勝手で、利己的で、気が短くて、思慮が浅く、凶暴で、他人を害しても平気でいられる、そういうような人であったと報じられ、「ああ、なるほど、日ごろから、こういう性格で、こういう行動をしているから……凶悪な犯罪に至るのももっともだ。」と思える場合は少なくありません。それで、多くの人は、「こんな悪い奴は厳しく罰すべきだ、できれば死刑だ。そうしないと、また同じような犯罪を犯す」と考えます。確かにそう思うのは普通で自然な発想と思います。まして被害者の側からすれば、ごくごく自然だと思います。

 しかし、少なくとも、先ほど述べた「荒廃のカルテ」に出てきた青年の場合、この犯罪者に同情し、また、この犯罪者だけを非難することが的外れではないかという気持ちを抱く方も少なくないのではないかと思います。人は、どこの誰の子として産まれてくるのか、その環境を全く選べません。もし、自分が、荒廃のカルテのような境遇で育ってきた場合、逆境に打ち勝って、健全な人間に育つことができるかどうかは何とも言えないような気がします。

 そして、私は、凶悪犯人となるに至った人は、出生後に遡って見た場合、恐らく、多かれ少なかれ、「荒廃のカルテ」の青年と同じように、凶悪犯的な人格の原因となるいろいろな悪環境が積み重なったものであって、ただ、その過程事実自体やその持つ意味が解明されず、結果としての反社会的で凶悪な人格だけしか報道されていないだけに過ぎないのではないかと思うのです。

 なぜ、そのように考えるかというのは実に単純なことです。生まれたばかりの赤ちゃん、あるいは1歳、2歳、3歳といった乳幼児を見る機会は、私だけでなく誰にでもあると思いますが、話しかけたり、笑いかけると、みな、天真爛漫、無邪気に笑います。こうした、乳幼児が、それ以降、親や家族、周囲の人たちから豊かな愛情を注がれ、健全な社会性を持った人間として育てられてきたと仮定するなら、反社会的な犯罪的な人格を形成することはほとんどありえないのではないかと思うのは恐らく私だけではないでしょう。

 実際には、物心がつく前から放置され、無視されたり、虐待されたり、いじめられたり、あるいは、本人の気持ちや個性を無視されて、他人(親)の理想を押し付けられ無理に勉強させられたり、兄弟や他人と不当に比較されたりして、傷付いたり歪められたりしながら、自分自身や他人に対する自信や信頼の気持が育たず、他人との関わり方や自分の気持ちや要求のコントロールの仕方も分からず、あるいは他人を思いやる感性が大きく欠如し、さらには、そうした中で、ますます他人からは嫌がられ孤立し、自分の気持ちや要求の不満状態が爆発する程度に増大して、被害妄想も出て正常な思考や生活ができない精神病あるいは人格障害のような状態にまで至り、また引き金となる出来事もあって、凶悪な犯罪に至るものと思われるのです。

 凶悪犯罪が発生する経過(凶悪犯罪を犯す人間ができる経過)は恐らくいくつかの類型があると思いますが、以上に述べた一つのパターンは、自分自身が刑事弁護という仕事の中で、実際に重大犯罪を犯した被告人と接する中で感じ取った実感に基づくものです。

 ちょうど、以上のような内容を書いていた数日前、本屋で偶然、一冊の本が目に飛び込んできました。

 それは、片田珠美さんという精神科医として臨床にも携わり、精神分析的な視点から犯罪病理を研究しているという方が書いたばかりの(2009年5月25日発行)、「無差別殺人の精神分析」(新潮選書、新潮社発行)という本でした。

 この本では、秋葉原無差別殺傷事件(2008年6月)、池袋通り魔殺人事件(1999年9月)、下関通り魔殺人事件(1999年9月)、大阪教育大学池田小事件(2001年6月)、アメリカコロンバイン高校銃乱射事件(1999年4月)、ヴァージニア工科大学銃乱射事件(2007年4月16日)が取り上げられていますが、裁判記録や本人、関係者の手記等の具体的な資料に基づいて、犯罪者の生育過程が具体的に詳しく述べられていて、そうした事実を基に分析がなされている点が、新聞や週刊誌等のマスコミのニュース報道や世論と言われる国民一般のインタビューの声と根本的に異なります。

 この本の中で述べられているこれらの犯罪者の生育歴そして犯罪を犯すまでの経過は、私が自分自身の限られた体験の中から想像した上述の内容とかなり一致していたことに自分自身驚きました。

(次号に続く)

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一番大切なこと(5) 殺人事件の弁護の中で考えたこと(その2)

2009-07-23 23:17:14 | 一番大切なこと

  殺人を犯し、死刑判決を受け、拘置所の中で過ごす被告人………、

 死ぬまで、普通の誰でもが送れるような自由で快適な生活を送れる可能性はない。

 普通の誰もが有する家族、親戚や友人等との自由な語らいができないばかりか、絶縁、孤立状態である。

 遺族や社会からの非難、糾弾は続く。

 他人を害したとこと、自分の人生を駄目にしてしまったことに対する自責の念も想像を絶する。

  しかし、それでも、生き続ける。

  私は………。 それでも、少しでも上を目指して進むことに価値があるし、上を目指して進んでほしいと思うのです。どん底であればあるほど、そこから上を目指して進むのは、逆に人間としての大きな価値があると思うのです。また、容易ではないが、実際に這い上がっていくことができると思うのです。

 なぜかと問われると、理由を説明するのは難しいし、説明しようとすればするほど、逆に説得力がなくなってしまうような気がします。

  誰もが、幸福を望み、そこに近づこうと努力します。

 病気の人は、病気を治そうと必死で努力します。生活苦の人は、少しでもいい生活ができるようにと苦闘します。そして、犯罪や、過ちを犯し、他人や社会から非難され、自責や後悔で苦しむ人は、そこから少しでも解放されようともがきます。

 人を殺害した場合、借金で他人に苦労をかけた場合、約束を破って他人に迷惑をかけた場合、他人の期待に背いて失望させた場合………他人や社会との不調和には、ピンからキリまであり、侵害の程度ということからすれば、同じようには考えられません。

  しかし、一つだけ言えることがあります。

 過ぎてしまったことは元に戻せないし、今、命がある以上は、人は生き続けるということです。

  知人から借金をしたが、返済できず、自己破産をしてしまい、将来も返済できるめどがない、そのため、知人の生活も破たんし、知人からは恨まれたまま、本人も知人には申し訳ないし、こんなことにならなければどんなに良かっただろうと思っている。しかし、時間を戻すことができない以上、どうにもなりません。

  他人を害したり、迷惑をかけた場合は、そのことによる他人の痛み、苦しみ対して十分に思いを至らせ、そのようなことになった原因、どうすれば回避できたか等をはっきりさせ、二度と、そういうことにならないようにとの決意を明確にして、実際にも問題を繰り返さないための努力をしていかなければなりません。それは、害や迷惑を受けた人のために必要なことですが、同時に自分がこれから生きていくためにも必要なことです。

 そして、その人の中で、こうした過程が十分経られたなら、時間の経過とともに、これから少しでも上を目指して進もうとする気持ちと入れ替えていく形で、自分を責める気持ちを少なくしていって良いし、むしろそうすべきであると考えます。それは人を殺したという極限的な場合についても、本質的には同じではないかと思います。


 私は、刑事弁護という仕事の中で、こうした殺人を犯した人のその後の生活という極限的な場面に遭遇し、その中で考え、感じてきたことを、自分自身の日常の生活に置き換えてみることにより、自分にとって、自分の一生にとって、一番大切なことは何かを模索しています。

(次号に続く)

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一番大切なこと(4) 殺人事件の弁護の中で考えたこと(その1)

2009-07-20 14:14:47 | 一番大切なこと

 私は、2001年から2007年初めまでの間、殺人事件(2名の殺害)で起訴された刑事被告人2人の弁護を立て続けにしました。どちらも、控訴審(高裁)での弁護が中心でしたが、第1審(地裁)では、死刑判決を受けていました。一人の被告人は心神耗弱(判断能力不十分)を主張し、もう一人の被告人は二人の殺人の内一人については事実を争っていましたが、もう一人の殺人については事実を認めていました。最近、テレビ、新聞で大きく報道された足利事件の菅家さんのように、完全な無罪の主張ではありませんでした。

 被告人のそれらの主張もほぼ全部高裁判決で否定されて死刑とされ、一人の被告人については最高裁でも死刑とされて死刑が確定し、もう一人の被告人については最高裁での審理中です。

 以上のような状況にある刑事被告人は、果たして、現在、あるいはこれから幸福を体験することがありうるのでしょうか?

 どこかに生きがいが見出し、価値ある人生を歩むことができる可能性があるのでしょうか?

 私は、弁護人としての活動をしながら、こうしたことがいつも頭から離れませんでした。

 私が接した死刑判決を受けた後の被告人は、当然のことながら、死刑の恐怖、被害者の遺族や社会からの殺人に対する強い非難、糾弾、社会からの孤立、人を殺したことについての自責、後悔等で、その精神は押し潰されそうな状況にあるように見えました。客観的には、将来、死刑の執行を受ける可能性があり、最善の場合でも、残る一生を刑務所で過ごすことになり、普通の人が味わう、自由、楽しみ、希望といったものは皆無と言っても過言ではありません。

 しかし、それでも被告人は、何とか死刑判決を免れたい、圧迫された精神状況を少しでも緩和できないか、という思いで必死に毎日を送っているように見えました。

 人間は、どういう状況でも、生き続けよう、少しでも心身共により苦痛や圧迫や不安の少ない状態、より過ごしやすい状態で生き続けようとするもので、それは人間に生まれながらにインプットされた本質、本能というべきものと思います。

 一般に、殺人等の重大犯罪を実行したのち、逮捕されるまでの間に自殺したり、あるいは逮捕に際しての警察との攻防で命を落とすことは、時折ありますが、逮捕されてしまった後に、自殺するという事例はかなり少ないように思われます。ネットで調べたところ、死刑判決が確定した人は、戦後(新刑事訴訟法施行の昭和24年から)現在まで、約700人いますが(そのうち約600人が死刑執行、残る100人程度が現在、刑務所中で生存し、自殺、病死が10人程度)、それらの中で、自殺した人は僅か4人でした。

 このように、現実的な事実としては、私が弁護した二人の被告人は死刑判決を受けても、それなりに必死に毎日を送っていましたし、死刑判決が確定した被告人も多くは、自ら命を絶つことをせず、それなりの日々を送ってきたものと思います。もちろん、自殺を考えたりすることも少なくないのではないかと思われますが、現実には生き続けるのが人間の基本的な本質、本能と言えると思います。

 私は、必死で生き続けようとする被告人と直接、顔を合わせて話す中で、弁護人ということからだけではなく、その被告人と偶然巡り合った一人の人間としても、その被告人に生き続けてほしいし、大きな限界がある中でも最大限いい人生を送ってほしいという気持ちを抱きました。

その後もその気持ちは変わりません。

(次号に続く) 

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散髪

2009-06-26 23:02:23 | 日記
この間、ずっと好調。


何を食べても、とても美味しい。


仕事も休むことなく、少しずつ、やることが増えて、なんとか、頑張ってやれています。


ただ、2、3日前から、歯と歯茎が痛くて、夜眠られず、昨日久しぶりに歯医者さんに行きました。


歯痛も結構つらいけど、眠れないくらい痛いけど、潰瘍性大腸炎で大腸摘出手術を始め、痛くて、つらい体験を何度もしたため、何か余裕があります。


理容学校(散髪屋さんになるための学校)に行っている末っ子が、今、妻のカットをしてあげています。私も、最近は、子供の実技の機会を提供する意味も兼ねて、自宅で末っ子に散髪してもらっています。


金曜日の夜、1週間の仕事の快い疲労を感じながら、カットのはさみの音を聞きながら、焼酎を飲みながら、この日記を書いているところです。


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一番大切なこと(3) 下には下がある

2009-05-25 23:27:27 | 一番大切なこと

  弁護士の仕事の大半は、離婚、遺産、交通事故損害賠償、土地境界などのトラブルの中で、一方のために弁護したり、多重債務者の救済手続きをしたり、窃盗や覚せい剤といった犯罪に関する被疑者、被告人の弁護をするなど、いわば社会や人間の「影」の部分を扱う仕事です。

 

   もし、自分がこの人の立場だったら、「もう、タイヘン!」という場面に、毎日のようにぶつかっています

 

 トラブルの中で、相手方を攻撃したり、攻撃されたりというのも、タイヘンですが、やはり、人に迷惑をかけている場合の方がそれ以上にタイヘンです。

 

 自己破産で負債をゼロにするということについて、「簡単に借金がなくなるのだから、自分もやりたいわ」と皮肉る人も多いですが、実際は、「罪の意識」や「自己嫌悪」でタイヘンで辛いことです。保証人になってもらった知人や親戚からの追及には対応する弁護士ですら滅入ることが少なくありません。 

 

 リストラで生活ができなくなったり、、失恋したり、最愛の家族を亡くしたりというのも、勿論、とても辛いことです。借金、破産でのタイヘンさと比較できる性質のものではありませんが、あえてどちらか一つをと言われるなら、他人に迷惑をかけ、責任を問われ、攻撃される方を避けたい気がします。

 

  借金問題で苦しむのも辛いですが、犯罪者になってしまった場合と比較すると、そのタイヘンさはレベルが違います。初めて犯罪をしたという場合でも、逮捕されれば、最低20日くらいは檻のある部屋に閉じ込められ、警察署の廊下とか裁判所等で、手錠や腰縄の姿を人前にさらされ、新聞に載って、名誉は失墜してしまいます(そうでない場合もありますが)。破産の場合もそうですが、犯罪の場合、家族も相当辛い思いをします。

 

  さらに、同じ犯罪でも窃盗とか、傷害とか、薬物とかの犯罪を、3回、4回と繰り返している人の場合、本人は自力で社会復帰する力をなくし、まともに生きていく自信も意欲も無くしてしまって泥沼から這い上がれない状態です。「自業自得」ですませるのは簡単ですが、本当は本人が一番辛いはずです。

 

 このような再犯者とはまた別に、人を死なせた場合は、遺族、社会からの糾弾や攻撃は厳しく、恐らく、この世の中で、これ以上のものはないというタイヘンな事態だと思います。 それほど人の命は尊いとも言えます。

 

 交通死亡事故の加害者(刑事被告人にもなる)もそうですが、殺人事件の被告人の場合は、罪も大きいだけに、罪の意識も最大です。

 

 数年前、それぞれ二人を殺害した殺人事件の弁護を二件、ほぼ連続して担当しましたが、被告人の死刑に対する恐怖もさることながら、生命を奪ったことの罪の意識と、遺族からの糾弾の重みは想像を絶するものがありました。なお、現在、そのうちの一人は、最高裁判決も終わり死刑判決が確定し、もう一人は最高裁で高裁の死刑判決の破棄を求めています。

 

 このように、いろいろな深刻な事件を担当しながら、もし自分がこの人の立場だったらと仮定すると、恐ろしくなります。

 

 以上のような、借金、犯罪等で他人や社会に迷惑をかけたり、害を及ぼした場合と、大病を患い苦しんでいる場合とを単純に比較することはできませんが、大病を経験した自分の立場からしても、大病の方がはるかにましと思います。仮に命を失うような事態に至った場合であったとしても、他人に重大な害を加えて、罪の意識に苛まされるほうがもっと嫌だし避けたいと思います。

 

 このように、特別なことはなくとも、無事に平凡な社会生活が送れるだけでも、とても素晴らしいことで、ありがたいことだということを毎日のように痛感させられます。

 

 多くの人は気付かなかったり忘れたりしてしまうことですが、平凡の素晴らしさ(中でも借金苦や犯罪者としての苦しみがないこと‥‥実際にそういう人が少なからずいるのです。)に気付き、感謝の気持ちを持てるかどうかは、有意義な人生を送る上で決定的と思います。

 

  当たり前、平凡の素晴らしさがわかりこれに感謝の気持ちが持てること、とても大切なことですが、さらに大切なことがあります。

 つまり、それは私が、「一番大切なこと」と思うことですが、私はそれを、さきほど述べた死刑になった殺人事件の弁護をしているときに見つけました。

(次回に続く)

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