思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

アングラ

2017-07-28 00:42:22 | 日常
僕は元々サブカルとアングラを混合していたが、どうもこれを一緒にするのは失礼な気がしてきた。そのような意味で、僕はアングラ寄りのものが好みだ。
  文学はサブカルチャーとなりつつあることに違いないが、あくまでもまだまだメインカルチャーとして残り続けるだろう。その中でもアングラと呼ばれるものはどれぐらいあるのだろうか。多分、僕らには知らない世界に違いない。
  今日、WhiteHeavenのoutを聞き、やっぱサイケデリックロックはかっけえなぁとか思った。音楽やるならサイケがいいね。多分、そんな要素が何となく文章の中にも含まれているような気もする。
  僕は元々ゆらゆら帝国というバンドが好みなのだが、彼らの音楽は僕にとっての理想そのものとなっている。細かなことは置いておくとして、音楽やるならこんなことやりたかったし、小説やるならやっぱりこんなことをやってみたいと思わせてくれる。WhiteHeavenというのは、そのゆらゆら帝国をプロデュースしたボーカルが所属していたバンドだ。
  アングラの界隈とは何があるのだろうと思って、軽く漁ってみたが、工藤礼子の「雪の山」というのが妙に良かった。まさにメジャーには出てこれないだろうと思いつつ、不思議なぐらいあの型破りなところが、強い印象を残してきた。今は灰野敬二の滲有無を聞いているが、これもこれで凄まじいものだ。オノ・ヨーコの音楽版と捉えれば良いだろうが、その雰囲気は江戸川乱歩や夢野久作のような、不気味な世界観となっている。
  正直、音楽にしても小説にしても、慣れてしまうと味わいが薄くなってしまうもので、はいはいこんなものね、みたいな冷めた気持ちが強くなってしまう。そんな方々には是非アングラの世界へ浸って、その個性の強さを味わってもらいたい。実験的?  そう捉えるかもしれないが、実験と呼ぶよりは挑戦的と言った方がいいだろう。「音」によって僕らがどのような感情を呼び覚ますのか、貪欲に表現しようとしているのだ。Dazed and confusedでジミー・ペイジがヴァイオリンの弓でギターを弾くところとか、えらく格好いいものな。それはジミー・ペイジ自身の格好とか曲の良さもあるけど、それ以上にあの音に対する貪欲さがいいと思ったな。
  そんな意味で、アングラの中にはダダやシュールレアリスムも含まれるかもしれない。共通しているのは、「訳のわからなさ」であって、もちろん、それを作る側が訳もわからず作るはずがなく、途方も無い計算とか、鋭い感覚によって生み出されていることは書くまでもない。もちろん、普通のものを求める層も大勢いることは確かで、それに合わせて創作することも悪いことではない。多分、これは性格の違い。自分の作品世界を強く持ちたいのか、上手く世の中に適応したいのか、そんな違いだろう。僕はもちろん前者を願うわけだが、まだまだその腕には到達できない。