やる気もありません。

bibukoです。音楽関連の云々を色々書いていく・・・予定。

蛇の目のラプソディ。

2012年03月25日 | 宅録関連
新曲をアップしました。

ご視聴はこちらからどうぞ。

前回、前々回と続き、またまたオオタニヨシミさんの作品「雨の歌」をお借りして作った楽曲です。

梅雨の時期にはまだちょいと早いが、お気になさらず。

今回は、現代の日本ではあまり象徴的ではなくなってしまった「奥ゆかしさ」や「侘び寂び」をテーマとして歌詞を書いてみました。


まぁ僕の場合、そんなテーマに手を出したとしても楽器がうるさい所為で台無しなんですけどね。
機械的な音声合成ソフトの声で表現し切れるかと言われればそれも無理がある気もするし。

ただし、「演奏する側も聴く側も楽しい曲を作る」というポリシーだけは今回もしっかり持って取り組んだので、聴いてみて頂ければ嬉しいです。

実は、大正ロマンとかそーゆーの割と好きです。
奥ゆかしくない岡山県民代表、びぶ子でした。



オオタニさんのHPはこちら。
funarium


歌詞に悩んだときは、オオタニさんのHPにお邪魔してイラストを拝見し、イメージを膨らますことも多いです。

今回は本当にありがとうございました!

おざしきフュージョンシティ。

2012年03月14日 | 宅録関連
カッコいい曲を作るには人を惹きつけるカリスマ性が必要で、高音質の曲を作るには高い機材と知識が必要で、凄い曲を作るには並外れたセンスと演奏技術が必要で、どれもこれも僕が持っていないものばかりです。

しかし、楽しい曲を作るのに必要なのは「曲作りを楽しむ気概」。これだけあれば充分。

そんなわけで今回は「演奏するほうも聴くほうも楽しい曲」というコンセプトでインスト曲を作ってみました。


ご視聴はこちらから。

ニコニコ動画

youtube


まぁ基本的に曲作るときはいつもこういうコンセプトなんですが、今回は歌詞が無い分メロディがモノを言うので、なるべく自分を含め聴き手を飽きさせないような構成にしてみたつもりです。

実はこの曲はとある音楽コンテストに応募したもので、締め切りまで時間が無く、昔作ったアレンジ曲の自分で考えた部分を練り直して使っている箇所もあります。まぁ「これはいつかオリジナルで使いたいなー」と思ってたアレンジだったのでちょうど良かった。



さて。

お話かわって、僕がいま住んでいるのは岡山県は倉敷市というところなんですが、この倉敷市。

古い町並みを保存して観光地にしてるかと思えば海沿いに巨大な工業コンビナートを構えてたり、ちょっと山道を走れば瀬戸大橋が望めたり望めなかったり、あっちで野菜作ってるかと思いきやこっちではジーパン作ってたりと、何だか色々な産業があれこれ入り混じった街なんですが、今回の曲はこの倉敷という街の「現在と未来」をイメージして作りました。

色んなもんが融合しているということで、曲も全体的にフュージョンっぽいアレンジにしてみたつもりです。

まぁ、フュージョンっていう音楽のジャンルが正確にどんなもんかはよく知らんけど、それっぽければいいの。それっぽければ。



イラストはオオタニヨシミさん作「音に見る」をお借りしました。
真っすぐに未来を見つめる女性と色とりどりの金魚が印象的な、僕も大好きな作品です。
ありがとうございました!

オオタニさんのHPはこちら。
funarium


そんなこんなで、久々のインスト曲。
良かったら聴いてみて下さいね!



実は生まれも育ちも倉敷市ではありません。
びぶ子でした。

高校生とは、かくも逃げ腰である。

2012年03月12日 | どうでもいい事
こんにちは。

今回は特に曲を作ったわけではございませんが、「曲を作りました、おわり」といった事務的な記事ばっかりになるのもアレなので、高校時代の思い出を綴った駄文でも載せてみようかと思います。

というわけで、暇つぶしにどうぞ。



【高校生とは、かくも逃げ腰である】

確か金曜日の六時限目だったような気がするが、時間割表には「HR」という項目が書かれていた。これはお察しの通り「ホームルーム」と読むが、僕の通っていた高校では金曜六限に限っては「そのクラスでは何をしようと自由な時間」という定義がなされていた。

すなわち、その時間内であればクラス総出で体育館で球技をしようが教室で自習しようが家庭科室で調理実習をしようが文化祭の準備をしようが一向に構わない。一週間で唯一やるべき事を決められていない時間というワケである。

しかしそれはあくまで建前で、一般的な進学校の普通科ではその時間に数学やら英語やら化学やら生物やらと、その週において授業が遅れ気味の科目が常に入っていたので、僕のクラスではHRという時間を有意義なレクリエーションとして使うことは滅多に無かった。

が、ある週、その週のHRの時間が偶然空いていることが分かった。中間テストを終えたくらいの時期だったので先生たちも一息ついて、無理に科目を詰め込む必要がなくなったからだった。



僕のクラスは一同色めきたち、その時間にクラス総出で何をするか喧々諤々と話し合った。もちろん肝心のHRの時間が話し合いで潰れてしまっては元も子もないので、前日の朝と帰りのHR(同じ名前だからややこしいなぁ)の時にじっくりと意見を交わし、その結果、体育館でドッジボールをやることに決まった。

その週のHRは偶然体育館が空いていたので何か球技がやりたい。しかし、バスケやサッカーでは女子と男子の間で大きな能力差が生じてしまうし、バレーやバドミントンはネットを張るのが面倒だ。この際、みんなで童心に返って楽しく遊ぶのもいいんじゃないかということで、満場一致でドッジボールに決定したのであった。



僕は内心しめたと思った。



僕が得意なのは陸上や剣道や水泳など自分自身に挑戦する部類のスポーツで、球技と呼ばれるほとんどのスポーツは非常に苦手だが、例外としてドッジボールだけは得意である。

剣道で鍛えた動体視力で絶対ボールには当たらない自信がある。小学校の時、敵の投げるボールをことごとくかわし続け、先生に、

「お前は忍者みたいな奴だな。」

と言わしめた過去を持つ僕にとって、今回のドッジボールはクラスの女子どもにいいとこ見せるチャンスである。

まぁ今にして思えば、敵が渾身の力で投げたボールをいともたやすく「ぱしッ!!」っと涼しい顔をしてキャッチするほうが、ただ単にボールから逃げるより100倍はカッコいいのだが、当時の僕は、

「とにかく避けて避けて避けまくって、最後までコート内に残れればカッコいい!!」

と信じて疑わなかった。なんというか、高校生らしからぬ幼稚極まりない発想である。



さて、その週の金曜の六時限目。僕のクラスの面々はみんな体操服に着替えて体育館に集合した。ドッジボールなんて小学校以来だと、みな楽しそうな雰囲気である。

ボールはバレーボールを使用する。バレーボールというのは、大きさや弾力性どれをとってもドッジボールには最適である。テニスボールではちょっと小さすぎてキャッチしにくいし、サッカーボールだと必ず投げるのではなく蹴ってぶつけようとする輩が現れあたかもイジメの現場のような状態を呈するし、意表をついたところでピンポン球ではいくら思いっきり投げてもヘタレな軌道を描くばかりで「ナメとんのかワレ」的な雰囲気になっちゃうし、バスケットボールなんか使った暁には骨や臓器に対して深刻なダメージを与えかねない。よって、ドッジボールにはバレーボールが適しているのである。


かくしてドッジボールが始まった。事前に2つに分けられたチーム内で相談して内野と外野を決め、試合開始である。

男子と女子がごっちゃになったチーム編成なので、至るところで、

「きゃあッ!!」
「いや~ん!!」
「いた~いッ!!」

などとかしましいことこの上なく、僕は図らずも鼻の下を通常の5倍くらい伸ばしてしまった。がしかし今回は僕の鼻の下の面積ではなく俊敏さをアピールしなければならない。

僕は飛んでくるボールをひたすらかわし続けた。

もしかわしたボールが、僕の背後に隠れていた物凄い美人で気立てはいいけどちょっと運動の苦手な、だけどまたそこがイイ可愛らしいクラスメイトの女の子に当たってしまえば、僕はカッコいいどころか大ヒンシュクを買ってしまうことになるが、残念ながら僕の後ろに、

「きゃあッ!!」

などと、物凄い美人で気立てはいいけどちょっと運動の苦手な、だけどまたそこがイイ可愛らしいクラスメイトの女の子が隠れてくるなんてことは無かったので、僕は安心してボールを避け続けることが出来た。ドッジボールは漢字だと「避球」と書くので、無理をして大して可愛らしくもない女子をかばう必要は無いのである。



そうこうするうちに、内野の人数がだんだんと減ってきた。特に女子は女子同士で固まっているために、ストラックアウトでいう「2枚抜き」「3枚抜き」の如くボールがヒットし、気付いた時にはコート内には僕を含め10人ほどの男子しかいなくなっていた。

敵コートに残った男子のほとんどはサッカー部やバスケ部で、

「スポーツなら何でもいけるぜ。」

と、球技大会の時なんかには女子の視線を独り占めするような奴ばかりであった。彼らと渡り合うには一筋縄ではいかない。

がしかし、こういう逆境こそ、すなわち見せ場である。僕は運動部の連中が物凄い勢いで投げてくるボールをひらりひらりと見事にかわした。その身の軽さたるや牛若丸と評しても過言ではない(過言か)。

「俺って今ちょっとカッコいいんじゃねッ!?」

僕はボールを避けながら思った。風になびく柳の枝のような身のこなしでボールの猛攻をものともしない俺。コレをカッコいいと言わずに何と言うのか。僕は外野で待機している女子の方へちらりと目をやった。

すると何と一部の女子が、僕に対して一様に熱い視線を送っていた。僕は一瞬、

「ドッジボールが得意で良かったッ!!」

と、剣道をやっていた自分自身を抱きしめたくなった。

がしかし、同時に何かその視線に違和感を覚えた。何だか、目をハートにした状態での、

「素敵・・・!!」

てな感じの視線ではないのである。何というか、何かしら別の期待を抱いた好奇の視線とでも言うべきか。



「これって・・・当たるのを期待されてんじゃねぇのか!?」



次のボールが飛んできた時、僕はそう確信した。僕がボールを避けた瞬間その女子は、

「あぁッ!!」

と、悔しそうに地団太を踏んだのである。僕は愕然とした。

僕は今までの頑張りが無駄だった事を悔やむと同時に、その女子の首根っこをひっ掴んでアルゼンチンバックブリーカーをお見舞いしてやりたくなったが、襲い来るボールをかわすのが精一杯で、そんな余力はとてもじゃないが無い。

当たるのが期待されているのにずっとかわし続けるなんて何だか空気読めない奴みたいだが、僕は当初の「とにかく避けて避けて避けまくる」という初志を貫徹すべく、ボールを避けて避けて避けまくった。傍から見れば完璧に「空気の読めない奴」である。


するとやがて担任の先生がコレはラチがあかんと思ったのか、ボールを増やした。人数が少なくなってからは2つのボールでやっていたのだが、あまりにも僕が空気の読めない行動をするので、ボールは2個から10個に大幅増量し、コート内に残っている男子どもは外野から総攻撃を受けることになった。まるでイジメである。

そしてとうとう、恐れていた悲劇が起こった。

僕は足元に飛んできたボールをジャンプで避けた。しかし、空中に飛び上がった瞬間に二つ目のボールが飛んできた。そしてそのボールはあろうことか、男にとって一番当たってはいけないところにヒットした。



僕はこの瞬間、ワンピースの単行本30巻、主人公のルフィに攻撃が効かない事を悟った悪役「神・エネル」のような表情になった。

分からない人のために別の言い方をすると、僕はこの瞬間ケンシロウに秘孔を突かれたザコ敵のような表情になったということである。

もしかすると、孫悟飯に追い詰められて自爆する時のセルのような表情をしていたかもしれないし、あるいはムンクの「叫び」のような表情になっていたかもしれない。


とにかく、ボールを受けた瞬間、僕の下腹部にこの世のものとは思えない鈍痛が走った。

女性の方には分からないかもしれないが、これは本当の本当に、シャレにならないほど痛い。中世ヨーロッパの拷問じゃないかと思えるほど痛い。のた打ち回ることすら出来ないほどの痛みである。ひょっとしたら地獄の方がまだマシなんじゃないかと思えるほどの激痛である。


僕はそのままコート上に崩れ落ちしばし鈍痛と戦う羽目になった。同時に、頭の中で今までの人生で楽しかったことや悲しかったこと、初恋の人の顔や失恋の瞬間などが走馬灯のように巡っては消えていった。

「人生って・・・苦ぇもんだなオイ」

何とか少し痛みが回復してから、僕は嗚咽を漏らしながらよろよろとコートの外へ出た。僕がコートを出て行くその様はまるでバイオハザードに出てくるゾンビのようだったらしい。

ちなみに僕にボールが当たることを期待していた女子のほうを見ると、彼女はすごく楽しそうに笑っていたので、僕は彼女の首根っこをひっ掴んで弱火であぶって八代亜紀に食わせてやりたくなったが、この痛みに耐えるのが精一杯で、そんな事をする余力はとてもじゃないが残っていない。

ひらりひらりとボールを避け続けた結果、あろうことかクリティカルヒット。しかもクラス全員の前でである。牛若丸形無しである。大失態である。無様である。ミジメである。ミゼラブルである。

コート脇に腰掛けると程なく友人が大笑いしながらやってきた。

「だっはっはっはっはっはッ!!お前、最ッ高!!」

そう言いながら友人は僕の背中をバンバン叩いた。皮肉にも背中を叩かれたことで肉体的な痛みは若干和らいだ。

がしかし、この時に受けた精神的な痛みは今もって消えることはない。
まぁ自業自得なんだけど。

ヴィエルと塔と魚たち。

2012年03月04日 | 宅録関連
新曲をアップしました。

ご視聴はこちらからどうぞ。

ニコニコ動画

youtube

今回は、プロのデザイナーとして活躍されているオオタニヨシミさんの作品をお借りしました。

オオタニヨシミさんの作品は、こちらから見ることが出来ます。

funarium


何を隠そう僕はこの方の大ファンです。

実は以前もオオタニさんの作品を元にいくつか曲を作ったことがあるんですが、それらはいずれも同氏の描かれる作風自体に影響を受けたもので、動画も色々なイラストが順繰りに流れるスライドショー形式となっています。

今回はもう少し焦点を絞り、1つの作品が持つ世界観に対し、僕が勝手に二次創作的な解釈でもって楽曲を作ってみました。

簡潔に述べると、「オオタニさんの描かれた『水の歌』という作品をヒントに作った曲」です。

うん、最初から簡潔に述べりゃよかった。




それで、曲名となっている「ヴィエル」とは何ぞや。

答えは「ジュール・シュペルヴィエル」という作家です。ご存知の方はご存知かと存じます(この一文の間に「存」を三回使ったぞ・・・)。

氏の著作である「海に住む少女」という短編集が一部の歌詞の元ネタになっているのですが、この「海に住む少女」。決して絵に描いたような大団円を迎える話ではなく、むしろ読んだ後に一抹の寂しさや切なさがこみ上げるような話が中心です。

がしかし、ここで前述の「二次創作的な解釈」。

「オオタニさんの『水の歌』に描かれたような躍動感に満ち溢れた主人公ならば、また違った結末を迎えたかも知れん」

・・・そんなイメージで出来上がった曲です。

良かったら聴いてみて下さいね。



オオタニヨシミさん、今回は本当にありがとうございました!