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ちょっとだけスパイシー

北京国際交流記(8)

2007-11-23 | 北京国際交流記
昼食を北京市障害者総合センター近くのレストランで頂いた。
食後、3つほど隣のビル地下に衣服や日用品の市場があるというので、
馬さんに案内してもらった。
デジカメの電池が切れ掛かっていたのでちょうど良いタイミングだ。

1階には銀行やレストランがある10階建ての大きなビルで、
何度も前を通っていたのだが、地下にこのような市場があるなどとは知らなかった。
ビル横の階段を降りると、小さな店が廊下に沿って並んでいる。
ここは近所の庶民が来る市場で料金は安いが、
日本人が満足する品質のものは少ないらしい。
妻が中国の正月用の飾り、私が電池を買い紫禁城へ向かった。







天安門の前を通り、反対側工事中の神武門に着いた。
フートンの見える道路を通ったが、塀を補修しているのが目に付く。
ここも北京オリンピックのため整備されているのだろう。
門のまえには聴覚障害者の賈俊启さん夫婦が待っていてくれた。
賈俊启さんは、今は定年で勤めていないが30年間紫禁城で働いていた。
私たちを案内するために来てくれたのだ。
門の前で受付の人とやり取りしている。
どうやら、障害者手帳プラス賈俊启さんの顔で、
一人60元のところが私たち一行は無料で中に入れるらしい。







門をくぐり左側に案内された。
2年前には主に左側が工事の最中で右側にしかいけなかった。
今は主に右側の補修工事に変わっている。
赤茶色の高くて長い塀の横を歩き小さな入り口から中に入った。
最初に見学したのは、
『珍妃の井戸』だ。
浅田次郎氏の小説を読んだこともあり、ぜひ見たかった場所だ。
なぜこんな所にぽつんと井戸が?
こんな小さな穴に人間が入るの?
などと考えてしまった。

でもこれは1913年に新しく作られたもので
原寸より小さくなっているそうだ。
ちゃんと説明には書いているらしい。

観光名所と呼ぶにはふさわしく無いかもしれないが、
浅田次郎ファンや中国歴史ファンには興味を持つ場所だ。





陶磁器館や、珍宝館・絵画館・工芸館・時計館を案内してもらった。
その途中、大きく皇后を書いた絵の複製画が展示されていた。
『この絵は私が書いたものです』
と賈さんの奥さんが手話で教えてくれた。
他にも数点、展示されているという。
複製画でも芸術品として素晴らしい。
紫禁城に障害者の功績がたくさんあると思うと嬉しくなってくる。












大和門を越え、牛門にまでやってきた。
衛兵が隊列を組み行進しているのが見えた。
颯爽とした勇姿である。
写真を撮りながら見とれていると、
隊列が私たちの横を通って天安門のほうに進んだ。





さて日も暮れてきたし、
6時半には孫さんと待ち合わせをして屋台に行く予定だった。

天安門の通路に衛兵が並び出口を閉鎖した。
旗を降ろす儀式があり、
20分間は通行出来なくなるという。
のんびりと衛兵の行進を見ていたため、
待ち合わせの時間に遅れそうだ。

出口の前に人がたくさん集まりだした。
モンクを言う人。通してくれとお願いする人などが現れた。
欧米から来た男女二人の観光客が大きな声でわめき散らしている。
飛行機の時間に間に合わないので何とかしてくれと
叫んでいるようだ。

後ろ側に、監視用の車が停めてあった。
その男女が走って大きな声で叫んでいる。
邪魔くさそうに車に乗っていた兵隊がドアを開けた。
どうやら別の出口まで送るようだ。
二人は車に乗り込み反対側に走り出した。

私たちが天安門を出たときには、
街灯がつけられ、天安門にも照明が照らされていた。






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