ファストフード、ファストファッション、ファストしあわせ #etv
「ワーク・ライフ・バランスはあたらしい報酬なんです。」
すべての人に一日は24時間しかないから、時給単価が高いことだけでなく、自由に使える時間の割合が大きいことにも価値がある。
80年代以前の20代よりも、今の20代のほうが、個人よりも国や社会について考えるべきという意識を持っているという。国や社会について考えない若者だった人々がそのまま年老いてしまっているのだろうか?
一人でも多くの人が、自分の手の届くところから変えて行く、というのでいいと思っています。
あーあー。またはじまった。「いつでも、どこでも仕事できる論」 社会がそういう仕事"だけ"で成り立っているわけではないことをもっと理解してほしいなぁ。いつでも・どこでもな働き方のが稀なわけですよ、 #etv
結果的に自分以外の人にがまんしてもらうことになる選択は好きではない。
一緒に仕事をしていても、どうしても不器用な人というのはいる。そういう人が、そういう人なりに評価されて生きていける日本が欲しいだけなんだが。意識が低い豚は死ね的に聞こえる。 #etv
24時間年中無休の国際オペレータは、一日4~8時間、週3~5日の中で多様な組み合わせの勤務時間であった。これにより、天災やテロでコレクトコールなどの有事の際は勤務時間を増やすことで、人の手でつなぐ国際通話の急激な需要増に対応。オペレータのワーク・ライフ・バランスも維持されていた。
私が国際オペレータになったのは2000年3月。28歳の大学院生であった私は、研究と、自分の専門性を活かせる週2~7コマの講師の仕事と両立できる国際オペレータの仕事を選びました。先輩のなかに短時間正社員も多数いて、募集要項にも「正社員登用あり」、仕事は公共サービス。安定を期待。
28歳の私は、働く気も、子どもを産み育てる気もたっぷりありましたが、どの方向をみても「なにか変だ」という気もしていました。このまま自分が仕事と家庭生活を確保できたとしても物足りないんじゃないか。将来、このままの世の中に自分の子どもたちを出すのは嫌だなと思いました。
研究の道という選択肢は、その分野には優秀でたくましくてかっこいいお兄ちゃんや同級生、後輩たちがいっぱいいたので、私が無理に突き進む必要を感じなくて、最初に外しました。
専門学校の講師は2007年、諸事情により継続を見合わせ、当時労働組合をつくって間もなかった国際オペレータの仕事ひとつに絞りました。
2007年、パート(契約社員)の女性たちが立ち上がったと、テレビ・新聞・雑誌など多くのメディアがKDDIエボルバユニオンに注目し、たびたび取材を受けました。当時から有期雇用、非正規労働の不平等は深刻でした。
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春闘では年10円の時給アップなどを要求しましたが、会社は拒否。
一日あたり1200円までの実費が支払われていた通勤交通費のカットを会社は実行。
2008年夏には労働組合にも内緒で国際オペレータ通話の終了を決定、プレスリリース後、業務中にとつぜん労組の委員長と副委員長の私が別室に呼ばれ、2010年3月末での国際オペレータの仕事の事実上の解雇を通告されました。
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(それまでの間にも心が折れそうな、警察に通報した方がいいような事件があったのですが、それはブログを見て下さい)