特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ウソも方便

2012-02-15 07:49:21 | 自殺 事故 片づけ
私は、人間の性質について言及することがある。
あくまで個人的な自論であるとともに、自分自身にしか当てはまらないことも多いと思うけど、これについては、このブログでも多々触れている。

そのひとつに、「人には生まれもっての悪性がある」というものがある。
例えば、“ウソ”。
自分の子供にウソのつき方を教える親はまずいないだろう。
にも関わらず、子供はいつも間にかウソをつくことを覚える。
自分にとって都合の悪いことを隠し、自分にとって都合のいいように他人を欺く。
また、親は子供に、「他人のことは気にするな」「自分のことだけ大事にしろ」というスタンスの教育はしないだろう。
なのに、物心つく頃には、利己主義的思考をし、自己中心的な振る舞いをするようになる。
更に成長し、理性を持つようになってからも、悪い思いは、自分の中から次から次へと湧いてくる。
これらを、私は、「生まれもっての悪性」と呼んでいるのである。

しかし、本当に「ウソ=悪」と言い切れるだろうか。
経験を思い起こし、回りを見渡せば、「そんなことはない」と思う。
総論としてウソは“悪いこと”とされるけど、各論になると「悪いこと」とは言い切れなくなる。
ウソの善性・悪性は、それだけ曖昧。
良いウソと悪いウソは表裏一体。
その関係に明確な境界はない。

“ウソ”を考えることは面白い・・・けど難しい。
同時に、なかなか辛いことでもある。
結局、「その良し悪しは、よくわからない」ということになる。
多分、人の英知を結集しても、たいした答は得られないだろう。
ただ、「善悪について人ができる判断は意外と少ない」ということ・・・“人間の限界”を思い知らされるばかりなのである。



ある日の夕方、特殊清掃の依頼が入った。
他の現場にいた私は、会社の指示で依頼者に電話。
電話にでた相手は中年の男性のよう。
慌てた様子はなく、むしろ落ち着いた感じ。
私は、詳しい状況と要望を確認した。

「家族の者に事故があった」
「汚れた布団を回収してほしい」
「夜遅くなっても構わないから、今日中に来てほしい」
依頼の内容は、“特殊清掃”というより“汚物回収”。
私は、向かうべき先の住所を教わり、予想される到着時刻を伝えた。
そして、「事故」という言葉に色んな想像を巡らせながら現場に向かって車を走らせた。

到着したのは、閑静な住宅街にある一般的な一戸建。
あたりはとっくに暗くなり、空気はヒンヤリ。
空は満天の星空。
昼間の暖かさがウソのように、吐く息は白くなっていた。

門扉のインターフォンを押すと、すぐさま男性が応答。
それは、電話で話した依頼者だった。
男性は、庭に入ってくるよう私に伝え、中から玄関ドアを開けてくれた。
時間も時間、作業もすぐに済むと思っていた私は、回りくどい挨拶はとばして中に入った。

家には他にも人がいる気配はあったが、男性のほかには誰も私の前に姿をみせず。
TVの音も話し声もなく、シーンと静まり返っていた。
男性は、二階に私を案内。
「“事故”かぁ・・・」と、重苦しい雰囲気を全身に受けながら、私は男性について階段をあがった。

現場は、二階の一室。
男性は、ドアを開けると足を止めて一呼吸。
明らかに、何かを躊躇っている素振りをみせた。
私は、“部屋に入りたくない”という男性の気持ちを察し、男性と前後の位置を交代。
私は、「一人のほうが見やすいので・・・」と、男性をドア前に残して部屋に足を踏み入れた。

部屋は、男仕様。
血生臭い不快臭が漂っていた。
置いてあるモノと雰囲気から推測できる年齢は若め。
どうも、部屋の主は男性の息子のようだった。

部屋の隅にはパイプベッド。
その上には、無造作にたたまれた布団。
それが依頼の布団のようだった。
壁には、拳大の穴が数個。
それは、私によからぬことを想像させた。

それまでにも、血の現場に何度となく遭遇し、処理してきた私。
だから、血痕の原因となったものが何であるか、だいたいの検討がつく。
吐血の場合、部屋が汚れることを避けるために動いた痕が残っていることが多い。
例えば、洗面台や便器に吐いた痕があったり、洗面器やゴミ箱に血塊があったり、また、血の足跡や指跡があったりと・・・
下血の場合も似たようなもので、血痕はトイレに及んでいることが多い。
しかし、この部屋にはそれを想像させる痕跡は何もなかった。

作業に着手する前に、かかる費用を提示し了承をとらなければならない。
そして、費用を算出するには、汚染度の確認と回収物の特定が必要。
私は、それらを確認するため、ゆっくり布団を広げてみた。
布団は鮮血で真っ赤に染まり、一部はゼリー状に凝固・・・
その血は更に、布団だけにとどまらず、ベッドの敷板にまで浸透・・・
また、一部は床に垂れ、一部は壁に飛び散り・・・。
どうみても、頭に“死”が過ぎってしまう光景だった。

「色々ありまして・・・」
汚染具合を黙って観察する私の背中に向かって男性が口を開いた。
男性は“どうせ訊かれることだろうから話してしまおう”と思ったのかもしれなかった。
が、別に話したいわけではないことは容易に想像できた。

私にとって、身体を動かす作業だけが仕事ではない。
依頼者の話を丁寧に聞くことも仕事のひとつ。
また、逆に、訊かないことが大事な仕事になるときもある。
このときの私は、ことの真相を聞き出す必要性を感じなかった。

確かに、自然死と自殺では、精神的な負荷に違いが生じる。
しかし、仮に精神的な負担があるとするなら、それは黙って負うべきもの。
依頼者に投げ返すようなものではない。
私は、汚染に関する物理的な状況を説明し、見積った費用を事務的に男性に伝えた。

作業時間は一時間程度。
布団はきれいにたたみ直して梱包、ベッドは小さく分解し、血のついた部分だけ梱包。
そして、それを搬出し車に積載。
それから、床や壁に付着した血を拭き取り、簡易消毒を施して作業を終えた。

「ありがとうございました・・・お釣りは夕食代にでもして下さい」
と、男性は過分のお金を私に差し出した。
私には、遠慮することよりさっさと退散することの方が礼儀のように思われ、黙って頭を下げてそれを受け取り、玄関を出た。
そして、深呼吸で外の冷気を取り込み、赤い血と蒼い想像に過熱した頭を冷やしたのだった。


「自殺はダメ」「生きなきゃダメ」
この社会では、自殺は否定される。
私も否定している。
やはり、肯定されていいものだとは思わない。
ただ、口で言うのは簡単。
他人が言うのは極めて簡単。
人は、簡単に言えないことを簡単に言う。
悲しいかな、私は、その代表格なのかもしれない。

私には、自殺は絶対的に否定されるべきものかどうかわからない。
その人の存在がその人を苦しめ、誰かを苦しめていることがあると思うから・・・
その人の存在がなくなることによってしか解決しないこともあると思うから・・・
そして、自分が、その是非を判断するための力を得、権利を持ち、見識を備えているとは思えないから。
それでも、“その行為は否定しても、その人生は否定したくない”という気持ちが萎えることはない。
数々の自殺遺体を処置し、数々の自殺現場を処理する中で、それは硬度を上げている。


当人が亡くなったのか、それとも命を取り留めたのかは知る由もなかった。
もちろん、実際に自殺を図ったのかどうかも不明のまま。
ただ、私の頭の中で経験則と先入観が動いだだけのことだった。
仮に、私の想像が現実だったとしても、「色々ありまして・・・」と言葉を濁し、多くを語らなかった男性に悪いウソがあったとは思わない。
この社会は自殺を嫌悪すること・気味悪がることを常識としているため、私への気遣いがあったが故のことかもしれないと思うから。
そしてまた、防ぎようのない悲しみに対する孤独な戦いがあったのかもしれないとも思うから。


「助かってればいいけどな・・・」
帰りの車の中、私は、そう思った。
しかし、それは、どこか義務的・社交辞令的なもの・・・
そう思うことによって、当人を悪く思う後ろめたさを拭おうとした・・・
そして、自分をいい人間にしようとした・・・

私は、つまらない自分につまらないウソをついたのだった。



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