特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

夏の思い出

2013-10-28 13:09:13 | 自殺 事故 片づけ
今年の夏も暑かった!
今年の夏は暑かった!
毎年のこととはいえ、この暑さには多くの人が苦しめられたことだろう。
この私もその一人で、これまでは、基本的に車のエアコンは使わない主義できたのだが、さすがに今年の暑さは身体に堪え、時々、エアコンをつけてしのいだ。
また、間接的だけど、「ブログを半年放置する一因にもなった」と言えるかもしれない。

前にも書いたとおり、私は、単独行動が多い。
精神的に一人では難しいことを理由に肉体的に一人でできる作業を二人以上の人間でやるなんてことはしたくないし、“一人のほうが気楽でいい”といった理由もある。
ただ、一人で動いていて気をつけなければならないこともある。
そう、夏場の熱中症だ。

“風通しのいい特掃現場”ってまずない。
“風通しがいい”どころか、私が行く先は“風通しが悪いところ”・・・・・いや、“風を通してはいけない”ところばかり。
外部に悪臭や害虫をだしてはマズイため、部屋を閉め切らなければならないことがほとんどである。
そうなると、おのずと室温は下がらない。
下がらないどころか、外気より高いこともしばしば。
そんなサウナ状態で汚物と格闘しなくてはならないわけだから、その作業が過酷を極めるのは言うまでもない。

そんな状態では、こまめな休憩と水分補給が重要。
しかし、それがわかっていても、作業を始めるとそれを中断するのが面倒臭い。
その都度、汚れた手袋や靴を脱着するのも面倒だし、休憩を入れることによって気持ちが萎えてしまうことも厄介。
結果、かなりしんどくなるまでは、休憩をとらなかったりするわけ。
実は、これが危険。
熱中症は早め早めの対処が大事で、症状がではじめたときは手遅れだったりするから。

幸い、これまで、病院に担ぎ込まれたり現場で倒れたりしたことはないが、具合が悪くなったことは何度もある。
もう若くはないのだから、気をつけなければいけない。
「孤独死現場で孤独死」なんて、いかにも私らしくて笑えるかもしれないが、現場で倒れでもしたら、依頼者やその関係者だけではなく、会社や同僚にも多大な迷惑をかけてしまうから。


そんな今年の夏、2020年のオリンピックが東京に決まった。
普段はネガティブな思考しかできない私なのに、しばらく前から、なんとなく、今回は東京に決まるんじゃないかと思っていた。
賛否両輪あるみたいだけど、私は賛成派。
物事に長所と短所、メリットとデメリットがあるのは自然なことだし、これによって、色んなことが活気づくだろうから。

7年後の自分を想像した人も多いと思う。
とりあえず、7年後も生きていると仮定したうえで、私が自分について考えたのは年齢のみ。
何をやっているかまでは、考えなかったし、あえて考えないようにしている。
もう20年以上もこんなことをやっているわけで、7年後も老体に鞭打ちながら今と同じことをやっている可能性も少なくなく・・・・・
それを思うと恐ろしくて恐ろしくて、具体的に考えたくなくなってくるのである。
前回記事に矛盾するようだが、その頃には、もう少し楽な仕事をしていたいと思っている。

何はともあれ、これから、東京の街も様変わりしていくはず。
これまでに見たこともないような建物とかできるんだろう。
何かの試合や競技を直に観ることができるかどうかわからないけど、とにかく成功してほしいものだ。
7年後の夏・・・きっと、忘れられない夏になるだろう。



ある年の初夏。
猛暑の中、私は、自殺腐乱現場となったマンションのエントランスで、依頼者の女性と待ち合わせた。
女性は故人の母親。
見たところ80歳前後の老年。
故人は中年の女性。
室内での縊死し、発見まで数日が経ってしまっていた。

数年の間、故人は精神を患っていた。
以前は女性と一緒に暮らしていたのだが、故人の精神状態は一緒に暮すことができないまでに悪化。
独り暮らしをさせることに不安はあったものの、本人の強い希望と回復への期待から、女性は故人が独り暮しをすることを認め、近所に部屋を借りた。
そして、その生活を支援するようになった。
しかし、故人の病状は回復の兆しをみせることなく一進一退。
調子のいいときは一緒に外に出かけたり食事をしたりできたのだが、悪いときは会話も間々ならず。
電話にでなかったり、訪問しても玄関を開けてくれなかったりすることもあった。
それでも、病院には通っていたし、薬もキチンと飲んでいたため、自ら死んでしまうなんてことは少しも考えていなかった。

故人は一人娘で、夫(故人の父親)は既に他界。
助けてくれる親類縁者はおらず。
年金生活で、自分の生活に余裕があるわけではない中、爪に火を灯すような生活で故人の生活を支えてきた。
故人宅は賃貸マンションで、部屋の原状回復と補償など、どれだけの負債を背負わされるか読みきれず。
いくらかは貯えがあるものの、場合によっては自宅を売らなければならない状況になるかも。
・・・・・等々、厳しい現実が容赦なく女性を襲っていた。


「部屋には入らないほうがいい」
と警察から注告されていた女性は、死後の部屋を確認しておらず。
「娘(故人)が最期に何を考えていたのか少しでも知りたい」
と部屋に入りたがった。
しかし、悪臭は著しく、光景も凄惨。
「私には“入ったほうがいい”とか“入らないほうがいい”とかいう権利はありませんから、判断はお任せします・・・・・」
と、私は冷たい対応しかできなかった。
結局、女性は悩みながらも入室を断念。
「部屋の様子はできるかぎりそのままにしておいて」
と要望するにとどまった。
その心中を察した私は、それを尊重する約束をして作業の準備にとりかかった。


部屋は1K。
キッチン部分の床は全滅、腐敗体液が覆い尽くしていた。
それでも、私にとってはよく見る光景。
定石を踏んだ作業でこと足りる。
ただ、室内はサウナ状態。
慣れた作業環境とはいえ、辛いものは辛い。
気温のせいか気持ちの温度のせいか、妙に息苦しく、私の呼吸は次第に“ハッハッ”と短くなっていった
そしてまた、この先、女性が負わなければならない責任と刻まなければならない時を思うと、余計に、気分は重くなっていった。


「暑いのに、大変なことをお願いしてしまって・・・」
「喫茶店にでも行って冷たいものを飲みましょう」
一次清掃を終えた私がエントランスへ戻ると、女性は、私の労苦をねぎらってくれた。
しかし、私は完全なウ○コ男に変身。
喫茶店どころか、マンションの1Fエントランスに留まっていることも躊躇われる状態だった。

「このニオイですから・・・」
「とりあえず、外へ出ましょう」
臭すぎる自分の身の置場は、そこにはなかった。
私は、女性をうながし、そそくさと外へ。
人に近づいてこなさそうな所を探して、一息ついた。

私の身がとても飲食店に入れる状態ではないことを理解した女性は、近くのコンビニでアイスクリームと飲み物を買ってきてくれた。
街を歩く人達には、ヨレヨレの中年男と老婆が、外の縁石に腰掛けてアイスクリームを食べる姿が奇妙に映ったかもしれない。
ただ、その場の空気はクサイだけではなく、そんな視線も気にならないほど重苦しいもの
だった。


「“死んでしまおうか・・・”と何度も思いました」
「でも、どちらにしろ、この先の人生は短いでしょうから、生きられるだけ生きるつもりです」
「それが私の責任だと思いますから・・・」
女性は、生きているのが本当に辛そうだった。
そして、いつもの安っぽい同情心ながら、私はそんな故人を気の毒に思った。
が、私には、その原因をつくった故人を批難する気持ちは湧いてこなかった。
多分、母と娘(女性と故人)の間には、第三者が入り込む余地がないほど、生きることと必死に戦った跡が残っていたからだろうと思う。


人生には、楽観できない現実と遭遇することがある。
人生には、降ろせない重荷を背負わされることがある。
今、苦しいかもしれない。
今、悲しいかもしれない。
今、辛いかもしれない。
しかし、この苦しみ悲しみも辛さも、永久のものではない。
すべてに終わりがあり、すべては過ぎ去っていく。
すべて思い出に変わり、そして、その思い出も過ぎて消えていく。
今、ここにいる自分も、ここに自分という人間がいたことさえも。


「生きられるだけ生きるつもりです・・・」
そう言った女性は、何かを決意し、また何かを覚悟したのだろう。
同時に、悲惨な現実の中に、娘への愛情と生きることへかすかな希望を抱いたのかもしれなかった。
そして、死ぬにも勇気がいるかもしれないけど、生きることにも大きな勇気がいること、また人はどんな状況でも生きる勇気を持てることを教えられたのだった。

・・・・・いずれは消え行く、夏の思い出である。




公開コメント版

特殊清掃撤去でお困りの方は
特殊清掃プロセンター
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 楽じゃない | トップ | 奇なり »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

自殺 事故 片づけ」カテゴリの最新記事