特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ドロー

2014-12-31 12:34:25 | 特殊清掃 消臭消毒
「金は払わないからな!!」
電話の向こうの依頼者は、恫喝するかのように大きな声をあげた。
「フッ・・・」
返事をするのもバカバカしくなった私は、失笑して黙り込んだ。

ことの経緯はこう・・・
相手はアパートの大家。
所有するアパートの一室で住人が孤独死。
生活保護を受けていた故人は社会との関わりが少なく、遺体はかなりの腐乱状態で発見。
賃貸借契約には連帯保証人も立てておらず、結果として、部屋の復旧は大家が負うしかなかった。
しかし、大家はそれが承服できず。
「この部屋だけが廃墟になるのさえ諦めれば問題ない」
と、アパート住人からの苦情を無視。
異臭が出ようが、虫が出ようが、
「ニオイなんてそのうち消えるし、虫もそのうちいなくなる」
と、何日も放置。
しかし、それで問題が片付くわけはなく、事は深刻化するばかり。
いくら言っても腰を上げない大家に堪忍袋の尾を切らした住人達は、
「出て行く!」「引越費用を払え!」
と、大家に詰め寄った。
大家としては、住人に出て行かれては困る。
引越費用の負担なんて論外。
それで、結局、うちに電話を入れてきたのだった。

大家は、私に関係のない文句と愚痴を連発。
愚痴を聞くのも仕事のうちだから、黙って聞く姿勢をとりつつも、故人やアパート住人に対する悪口は度が過ぎており、かなり耳障りなものだった。
そして、その偉そうな態度とぶっきらぼうな喋り方に、私は、本能的に嫌悪感を覚えた。
ただし、そこは仕事。
「あまり関わりたくないタイプだな・・・」
と思いつつも、
「仕事!仕事!」
と自分を割り切らせて、言われるままに足を現場の方へ走らせた。

大家宅は、現場となったアパートの目と鼻の先。
私は、まず大家宅を訪問。
この地域の一般的な住宅に比べて、あきらかに敷地は広く、家も立派。
大家は、それなりの資産家であることが伺えた。
しかし、外は荒れ放題。
庭の雑草は生い茂り、軒先にはゴミの類が散乱。
私には、それが家主の人間性を表しているようにみえて、大家に対する悪印象に輪がかかった。

インターフォンを押すと、初老の男性が玄関からでてきた。
それは、大家本人。
私は、無言の手招きに従い門扉をくぐり玄関前へ。
大家は、私に家に入るよう促してきたが、敵の陣地に入るような抵抗感を覚えたため、
「作業服があまりきれいじゃないですから・・・」
と家へあがることを断り、そのまま玄関先での立ち話で済ませることにした。

大家は、電話越しに抱いた印象通りの人物。
横柄な態度と雑な言葉づかいは電話口と同じ。
更には、まだ陽も落ちていないのに、酒の臭いをプンプンさせ、赤ら顔に充血した眼を泳がせていた。
そして、今回の件を余ほど腹立たしく思っているのだろう、呂律(ろれつ)の回っていない口から、電話口で吐いたはずの悪口雑言を再び私に吐いた。

しかし、いくら大家の不満をきいても何も解決しない。
私は、まずは現場を見る必要があることを伝え、
「一緒に現場に行って下さい」
と大家に言った。
しかし、大家は、
「一度見たから、もう見ない」
「あんな気持ち悪いもの、二度とゴメン!」
とピシャリ。
もちろん、私は、一人で行くのが心細かったのではない。
後でトラブルになるのを避けるため、現場で打ち合わせをしたかっただけ。
しかし、趣旨を説明しても大家は面倒臭そうにして動こうとせず。
“理の通じない相手”と判断した私は折れて、結局、一人で現場を見てくることにした。

大家宅に車をとめ、私は歩いて現場アパートへ。
先入観も手伝ってか、アパートが近づくにしたがって、私の鼻は異臭を感知。
それに導かれるように、私の足は迷うことなく現場の部屋の前まで行ってとまった。
同時に、私の眼には、インパクトのある光景が飛び込んできた。
異臭が漏洩しているだけならまだしも、玄関ドアの下部から濃淡のある黒茶色の腐敗液が流れ出していたのだった。

ドアの向こう側がどんなことになっているのか、想像するのは容易だった。
相当量の腐敗物が滞留しているのは明白で、私は、専用マスクとグローブをキッチリ装着してドアノブを引いた。
すると、案の定、室内には更にインパクトのある光景が広がっていた。
腐敗粘度は厚く堆積し、腐敗液は広範囲に拡散し、足元は元人体でドロドロ。
履物をはじめ、下に置いてあるものは何から何まで腐敗粘度に埋もれ、何から何まで腐敗液まみれ。
玄関の上り口はもちろん、狭い台所床も全滅。
更に、大量発生したウジによって、腐敗脂が天井にまで到達。
遺体が相当なレベルにまで溶解していたのは明白だった。

現地調査を終え、再び大家宅に戻った私は、作業内容・費用・想定される作業結果を伝えた。
しかし、大家は、私の説明をキチンと聞きもしないで、
「住人に出て行かれちまうから、とにかく早くやれ!」
という。
私は、その言い草に強い不快感を覚えながら、
「仕事!仕事!」
と自分に言いきかせて、車をアパート方へ移動した。
そして、衰えてきた身体と、培ってきた経験と、愛用の装具備品を駆使して、凄惨な現場に身を投じ、故人が残した厄介はものに挑んだ。
「こんなこと・・・俺もよくやるよな・・・」
と、自分を卑下しながら、自分を褒めながら。
心で少し泣きながら、心で少し苦笑いしながら。

作業を終えた私は再び大家宅へ。
そこで、大家に作業前と作業後の画像を見せ、事前に説明した通りの作業はキチンと行ったことを報告した。
すると、大家は、ウ○コ男と化した私に向かって、
「んん・・・随分くせぇなぁ・・・」
と前置きし、
「財布になかったんで、とりあえずこれだけな」
「残りは用意しとくから、近いうちにとりにきな」
と、代金の半額分の紙幣をふて腐れたような態度で差し出した。
一刻も早く大家との関わりを切りたかった私は、それを受け取り、礼も捨て、そそくさとその場を後にした。

その翌日、難仕事を終えた安堵感は、アッケなく消えた。
結局、住人の何人かがアパートを出て行くことになったのだ。
それにともない、
「(住人に)出て行かれたんじゃ、掃除した意味がないだろ!」
「これ以上、金は払わないからな!!」
と、大家は無茶苦茶なことを言いだした。
対して、理路整然と話がしたくても、大家は人格のせいか酒のせいか、会話そのものが成立せず。
口論に至る前に一方的に話は締められ、解決の糸口もつかめず。
第三者の協力を得ようと、不動産会社に相談しても、
「賃貸借契約を仲介しているだけで、管理業務まで受託しているわけじゃないから関知しない」
とのこと。
また、大家には他に家族がいたけど、
「(特掃を)頼んだのは自分じゃないから・・・」
と、誰も表に出でこず。
誰も彼もが、普段から、この大家のことを持て余し、距離をあけているようだった。

大家は、
「サイン(契約書)なんか関係ねぇ」
「裁判でも何でもやればいい」
「払わねぇものは払わねぇ!」
と一点張り。
「常識も社会通念も法も倫理も俺には通用しない!」
といった構えで、完全にイッちゃっていた。

私は、このタイプの人間と関わるのは、かなり嫌。
関われば関わるほどブルーな気分を味わうハメになるし、時間ももったいない。
わずかな残金の代償としては、割が合わない。
ドロドロの泥試合をしたくなかった私は、悔しかったけど仕方なく泣き寝入り。
結局、代金は半額を回収したのみで、この揉め事は自然消滅させた。
ただ、私は、あまりに悔しすぎて、これを“敗北”とは認めたくなかった。
しかし、どうみても“勝利”ではなかった。
「半金回収できたんだから、“引き分け”ってとこだな・・・」
ムシャクシャする気分をいつまでも引きずりたくなかった私は、そう自分に言いきかせながら、しばらくの時を過ごしたのだった。



2014年も今日でおしまい。
年内にもう一度は山に行きたかったのだけど、結局、雑用に追われて計画倒れに終わってしまった。
仕方がないので、山はまた来年に行くことにして、代わりに、隙間時間を使ってウォーキングに励んでいる。
ジッとしているほうが楽と言えば楽だけど、楽したがる自分に楽ばかりさせていては進歩がない。
少しくらいは弱い自分と対峙しないと、人生は面白くない。
だから、人生を重ねて、とにかく歩いている。

例年通り、今年も色々あった・・・
もちろん、楽しかったこと、嬉しかったこと、面白かったことばかりではない。
ウンコ便器に手を突っ込んだこと・・・
ゴミ山に埋もれたこと・・・
ゴキブリ雨に降られたこと・・・
ハエ弾を浴びたこと・・・
ウジ地雷を踏んだこと・・・
ブラ下がる紐に悪寒が走ったこと・・・
血の海に立ちすくんだこと・・・
火災煤に真っ黒になったこと・・・
元人間に人を覚えたこと・・・
死人から何かを受け取ったこと・・・
凄惨な現場に鍛えられたこと・・・
雑言を浴びて悔しかったこと・・・
裏切られて腹が立ったこと・・・
自分のクサさに凹んだこと・・・
死に別れて悲しかったこと・・・
汗を流したこと、涙を流したこと・・・
目の前には、逃げ出したくなるような現実があった。
そして、逃げ出したくなるような現実は、常に私の回りを取り巻いている。

駄欲、怠け心、遊興、快楽、見栄、誘惑etc・・・
易々とそれらに負ける自分がいる。
弱い自分と戦えない自分、戦わない自分、戦おうとしない自分がいる。
ただ、自分の弱さとは戦えるような気がする。
そして、たまには自分の弱さに勝ってみたいと思う自分がいる。

私は、まだまだ頑張りが足りない・・・
・・・自分でそう思う。
だからと言って自分を卑下する必要もない。
そう思うということは、“まだ頑張れる余地がある”ということ・・・
そう思えるということは、“まだ頑張れる余力が残っている”ということ・・・
・・・“もっと頑張れる可能性がある”ということだから。

「弱い自分に負けっぱなしの人生だけど、来年こそは負けを混ませないようにしないとな」
「そして、人生の後半戦は、せめて引き分けにくらいに持ちこみたいもんだな」
そう思いながら見上げる大晦日の青空は、新しい年に向かって、この曇りがちな心を凛と照らしてくれているのである。



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