初心者のクラシック

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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第4話)

2007年09月13日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第4話)です。

≪作曲家の肖像≫
決定版 バッハのすべて
ピノック(トレバー),イングリッシュ・コンサート,バッハ,スタンデイジ(サイモン),ウィルコック(エリザベス),ムジカ・アンティクワ・ケルン
ユニバーサルクラシック

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【Johann Sebastian Bach】

アルンシュタットでオルガニストを務めるバッハは、結婚します。ようやく落ち着いて音楽に取り組む事ができるんでしょうか?今日はその続きからです。

(第4話)【ワイマールへ】
結婚をしたバッハはミュールハウゼンで教会のオルガニストを務めながら、カンタータの作曲をはじめていきます。今度こそ落ち着いてオルガニストをやるのかと思いきや…、

ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会では、ふたつの派閥があったのでした。一方は教会音楽を重視してこれを取り入れる派閥。もう一方は教会にとっての音楽は形式的なものだけで十分として音楽の必要性を軽視する派閥。これが対立しており、教会の牧師たちは後者に属した者が主流だったようです。

そんな派閥争いに巻き込まれるのが嫌だったのか?あるいは教会における音楽の重要性をもっと追究したかったのか?

1708年6月、バッハはワイマールでオルガニストを募集していることを知ると、聖ブラジウス教会に辞表を提出し、ワイマールのオルガニストに応募して採用されるのでした。

バッハは前回もワイマールの私設楽団の演奏者として採用された事もありましたが、今回はワイマール公(ヴィルヘルム・エルンスト公(兄)の宮廷楽団のオルガニストに正式に採用されたため当時の俸給とも各段に違い、当然ミュールハウゼンの時よりも多くの収入を得ることができていたようです。

バッハの仕えたワイマール公は、音楽を愛し、各地から著名な音楽家も集め、宮廷のオルガンも新しく改修するほど熱心に音楽家たちの活動を保護した人物だったようです。

そんなワイマール公の音楽家達への待遇は、かなりの好待遇で、バッハもその例に漏れずワイマールへ移籍した直後の初任給もそれまでの額の倍近くだったようですが、更に年々昇給を加え、休暇もほぼ自由に取れていたようです。
バッハはその休暇を利用して、各地へ出かけるとテレマン他、各地の著名な教会オルガニスト達の音楽を満喫する事が出来ていたようです。

こうしてバッハも、ようやく落ち着いて、音楽活動に取り組んでいったようです。また私生活でも余裕ができたせいか、この頃から妻マリアとの間にたくさんの子供をもうけていく事になります。


今度はワイマールへ移ったバッハ。ここではかなりの厚遇を受けていますが、ようやくここで腰を据える覚悟ができたんでしょうか?このつづきはまた明日。

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