初心者のクラシック

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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第5話)

2007年09月14日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第5話)です。

≪作曲家の肖像≫

これがバッハだ
オムニバス(クラシック),ハーフォード(ピーター),バッハ,アカデミー室内管弦楽団,ベネット(ウイリアム),マリナー(ネビル),シュトゥットガルト室内管弦楽団,ミュンヒンガー(カール),ロンドン・シンフォニエッタ,ラローチャ(アリシア・デ)
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【Johann Sebastian Bach】


ワイマール公の庇護のもとに、音楽活動を続けるバッハ。今日はその続きからです。

(第5話)【ワイマールの転機】
ワイマールで落ち着いて仕事をするバッハでしたが、1713年7月ちょっとした転機が訪れるのでした。
ワイマール公(ヴィルヘルム・エルンスト)の甥である公子のヨハン・エルンストが留学していたオランダのユトレヒトからワイマールへ帰国してきたのでした。

公子ヨハンは当時交易が盛んなオランダから数々の美術品のお土産と同時に、イタリアやフランスの楽譜を持ち帰っていたのでした。

公子ヨハンは、バッハをはじめ宮廷楽師たちにこの楽譜を渡して、ピアノ用に編曲する事を命じるのでした。この楽譜の中にはヴィヴァルディやテレマンをはじめ、当時の名作曲家たちの楽譜が含まれており、バッハはこれらの作品に興味深く接する事になり、その後の作曲にも大いに影響を与えられることになるのでした。

こうしてワイマールで充実した日々を送っていたバッハでしたが・・・、

1713年12月バッハにはまたいつものクセ?が出てしまいます。
ハレの聖母教会でオルガニストを募集している事を知ると、これに応募するのでした。ハレの教会には、素晴らしいオルガンがあり、これがバッハの気を引いたのかもしれません。採用試験をパスしたバッハは、さっそく採用条件のすりあわせをハレの教会をしていたようですが、

ハレの教会が提示した俸給の額は現在のワイマールでの俸給に比べると、やや落ちる額だったため、バッハは内定を一時保留していたのでした。

すると、これを知ったワイマール公はバッハの移籍をどうにかくいとめるため、現在の俸給の額をアップさせて、楽師長に任命する事を約束するのでした。

ワイマール公から、これらの条件を提示されたバッハはハレの採用を断りワイマールに、残ることを決意するのでした。

こうして1714年バッハは宮廷楽師長に就任すると、それまでとは違い、毎月一回の教会音楽を作曲する事が義務付けられるのでした。
これを機にバッハは毎月教会のためにカンタータを一曲ずつ作曲し、演奏するという生活をしばらく送ることになるのでした。


ワイマールから、またどこかへ行きそうになるバッハでしたが…、ワイマール公の熱心な引き止めにより、ワイマールに留まる事になったバッハ楽師長の地位を手に入れますが…、このつづきはまた来週。

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