初心者のクラシック

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「歌曲王」フランツ・シューベルト(第2話)

2007年10月16日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「歌曲王」フランツ・ペーター・シューベルト(第2話)です。


≪作曲家の肖像≫
シューベルト:美しき水車小屋の娘
ゲルハーエル(クリスティアン),シューベルト,フーバー(ゲロルド)
BMG JAPAN

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【Franz Peter Schubert】


貧しいながらも、音楽の勉強を続けてサリエリからもレッスンを受けるようになったシューベルト。今日はその続きからです。

(第2話)【兵役を逃れて】
シューベルトがコンヴィクト(神学校)に通っていた頃に作曲した曲はピアノ曲の他にも、家族でも演奏できる室内楽(弦楽四重奏などの小編成で演奏できる作品)が多かったようです。

それは、毎週の日曜日や祝日などにシューベルトの自宅で行われた演奏会のために作曲していたからのようです。

また、コンヴィクトでは友人から五線紙をプレゼントされていましたが、それ以上に音楽的な影響も大きく受けて、友人らと共に切磋琢磨を続け音楽を学んでいきます。
更に1812年からは約2年間サリエリから更に本格的に作曲法を習い、週2回無料でレッスンを受けるようになります。

この頃、シューベルトの母親エリザベートが亡くなってしまいます。シューベルトはまだ15歳、亡き母親のために、その思いを聖歌として作曲し、これを葬儀に使っていたようです。


1813年、コンヴィクトで学ぶシューベルトでしたが、変声期を迎えると少年合唱隊でボーイソプラノの務めを果たせなくなると、コンヴィクトを退学する事になります。
退学に際し、その成果として自らが作曲した初の「交響曲第1番」を校長に献呈していくのでした。

こうして、コンヴィクトを退学したシューベルトは兵役を避けるために、教師の資格を取り、父親の努めるウィーンの学校に勤め、初級生の教師として教鞭を振るう事になるのでした。ところが、兵役を逃れるためとはいえ、教師は緊急避難的な職場だったため、唯々毎日の授業を淡々とこなす日々が続くのでした。

一方で、教師の仕事をつづけながらも、サリエリからの作曲法のレッスンも合わせて受けていたのでした。そしてその間も作曲を地道に続けていきます。

1814年になると初めての歌劇「悪魔の別荘」を完成させます。そして同年ゲーテのファウストの一幕をモチーフにした歌曲「糸を紡グレートヒェン」など、諸々の作品を次々に完成させていくのでした。



兵役から逃れるために教職には就きながら、地道な作曲活動を続けるシューベルト。このつづきはまた明日。

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