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「歌曲王」フランツ・シューベルト(第3話)

2007年10月17日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「歌曲王」フランツ・ペーター・シューベルト(第3話)です。

≪作曲家の肖像≫
これがシューベルトだ
フレーニ(ミレッラ),ピアーズ(ピーター),プライ(ヘルマン),シューベルト,ルプー(ラドゥ),ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,ロストロポービッチ(ムスティスラフ),アシュケナージ(ウラジミール),ハーゲン弦楽四重奏団員
ポリドール

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【Franz Peter Schubert】

兵役を避けて教師になってはみたものの…、歌曲をはじめ数多くの作品を作曲してはみるものの…、そんなシューベルトの続きからです。

(第3話)【教職と作曲】
教師という仕事を続けながらも、シューベルトの作曲活動は更に続けられていきます。
1815年には交響曲第2番、第3番、ピアノ作品、弦楽四重奏、そして多数の歌曲など、実に多くの作品を生み出していくのでした。

そして、この多数が生み出された歌曲の中に、現在でもシューベルトの代表作と言われる「野ばら」や「魔王」もあったようです。
歌曲「魔王」に関してはこんなエピソードもあるようです。

シューベルトは1815年の冬に詩人ヨハン・マイヤーホーファーと知り合いますが、ある日、彼が友人と共にシューベルトの家を訪ねると、シューベルトは詩人ゲーテの「魔王」を大声で叫びだし、落ち着きもなく家の中をあちこち歩きだしたかと思うと、今度は急に机の前に座り、ペンを執ると目にもとまらぬ速さで一気にこの曲を書き上げてしまうのでした。

この様子からすると、おそらくこの年に書かれた多くの他の曲も、インスピレーションが湧くと、居てもたってもいられなくなって、頭の中のメロディを一気に楽譜に書き取っていた事が想像されます。

こんなに熱心に作曲をし、多数の作品を生み出したシューベルトは教師生活を続けながらも、やはり音楽で生計を立てる術を模索していたようですが、なかなかうまくは行かなかったようです。

1816年、シューベルトを見かねたのか、かねてからシューベルトの作品を通して知り合ったフランツ・フォン・ショーバーから、「学校を辞めてウチでゆっくりと過ごさないか?」と持ちかけられます。

この申し出を快く引き受けたシューベルトは、学校を退職してショーバーの家で居候・・・、いやいや、もとい客人として世話になる事になっていくのでした。

ショーバーの好意的な庇護の元、作曲だけに専念できるようになったシューベルトは、以前にもまして作品を生み出していくことになります。
この年シューベルトは交響曲第4番「悲劇的」、同第5番、等々その作曲活動が衰える事は無かったようです。



友人の勧めで教師を辞め、作曲に専念する事になったシューベルト。メジャーデビューはいつの日に?このつづきはまた明日。

【その他の作曲家の生涯はこちら】

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1 コメント

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Unknown (futim)
2011-08-09 21:21:11
ゎかりやすぃ!
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