初心者のクラシック

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エドヴァルド・グリーグ (中編)

2007年03月09日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はエドヴァルド・ハ-ゲルップ・グリーグ(第2話)です。

≪作曲家の肖像≫
グリーグ―ノルウェーを代表する民族音楽の作曲家

偕成社

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グリーグの顔が載ってるCDが無かったので…
【Edvard Hagerup Grieg 】

ライプツィヒの留学を終えて帰ってきたグリーグ。次はどこへ行くんでしょうか?今日はその続きからです。

(第2話)【イタリア旅行】
 グリーグはライプツィヒ音楽院を卒業した翌1864年、デンマークの首都コペンハーゲンを訪れます。ここは当時から北欧芸術の中心地とされていましたから、グリーグもここで多くの音楽家と出会います。

 北欧音楽界の先駆者と言われたニルス・ゲーゼに会います。彼はライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者を務めた経験のある大御所でしたから、グリーグもこの出会いにはとても感激していたようです。

 更にコペンハーゲンではノルウェー出身の作曲家リカルド・ノルトラークとも知り合います。ノルトラークは現在のノルウェー国家の作曲者ですが、彼と出会うと二人は意気投合し国民音楽について熱く語り合っていたようです。

 国民音楽について盛上がった二人はコペンハーゲンで「オイテルベ協会」という音楽団体を設立します。ちなみにオイテルベというのはミューズの女神の一人の名前のようです。

 1865年には、二人でイタリア旅行を計画します。二人は別々に出発してローマで落ち合うことにしました。旅路でヨーロッパの芸術に触れながらローマにたどり着いたグリーグは、ローマでも様々な音楽家と出会います。その中には当時「ピアノの魔術師」と異名を取ったリストもいたようです。

 1866年ローマで友人ノルトラークを待つグリーグですが、彼は待てど暮らせど一向に到着しません。4月、そんなグリーグに一報が届きます。なんとノルトラークはグリーグを追ってローマへ向かってはいたものの、ベルリンにたどりつくと肺結核で亡くなっていたのでした。

 ノルトラークがローマへ来れないことを知ったグリーグはノルウェーの首都クリスチャニア(現在のオスロ)へ戻ります。そしてクリスチャニアのフィルハーモニー協会の指揮者に就任し、音楽活動を展開していくのでした。

 更に1867年、クリスチャニアでは以前から親しく付き合っていた2歳年下のソプラノ歌手で、彼の従妹でもあるニーナ・ハーゲルップと結婚するのでした。

 指揮者に就任し、結婚相手も手に入れたグリーグが公私共に充実していたこの翌年、ピアノ協奏曲を作曲します。
 1869年4月にコペンハーゲンで初演されると聴衆からも大喝采を浴び大成功を収めるのでした。




友人と共にノルウェーの国民音楽のために邁進するグリーグ。音楽活動を通して着実に音楽家としてのキャリアを積んでいくのでした。代表作の「ピアノ協奏曲」も完成してノリにノッているグリーグですが、このつづきはまた明日。

♪ピアノ協奏曲の記事はこちら

【その他の作曲家の生涯はこちら】

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