たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?
今日は「楽聖」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(第9話)です。
≪作曲家の肖像≫
【Ludwig van Beethoven】
ベートーヴェンが恋人に宛てて送った手紙は、誰に宛てたものだったんでしょうか?今日はその続きからです。
(第9話)【不滅の恋人へ】
ベートーヴェンが書いた手紙は「不滅の恋人」に宛てられた手紙でした。長年の研究により、1812年に書かれたとされる3通の手紙は7月6日の朝晩にそれぞれ一通、そして7月7日の早朝に一通の三通とされているようです。
しかしこの手紙・・・、肝心の宛名が書かれていなかったため、現在でもこれが誰に宛てて書かれた手紙なのかと言うことが議論の的になっているようです。
でも、それだとこのブログのお話が進まないので、今回はこの手紙が書かれた年に一番関わりのあったとされる、アントーニエ・ブレンターノへ宛てたものとしてお話を進めていく事にします。
という訳で、この手紙にはベートーヴェンが相手に宛てた情熱的な言葉が、書かれています。更に手紙にはお互いの強い想いがあるにも関わらず、それを抑えなければならない苦しみや、相手に寄せる思いやり、そして強い愛情を切々と語っています。しかし、二人の愛を成就させるべきなのか?それとも、今のままの関係を続ける事がお互いにとって最善の方法なのか、冷静に考えるべきだとも書いていたようです。
残されたベートーヴェンの手紙を見る限りでは、既に二人の関係は進んでいて、お互いの愛情を確かめた上でのやりとりがあったようにも見れます。しかし、手紙にもあるように冷静に判断した結果なのか?それともやはり「身分の違い」を乗り越える事が出来なかったからなのか?二人はそれ以上の関係になる事は無かったようです。
しかし、この手紙がアントーニエに宛てて書かれたものだとすれば、頷ける気もします。彼女は既に結婚していますし、夫フランツは貴族の家柄ですから、ベートーヴェンがいかに偉大なる作曲家だったとしても、当時の状況としては太刀打ちできなかったとしても不思議ではありませんし、仮に身分がこれほど離れていなかったとしても、生真面目で、熱血漢のイメージが強いベートーヴェンが、既婚者の妻を奪うという事は本人のプライドが許さなかったのかもしれません。
いずれにせよ、今回の恋も実る事はなく、時間とともに薄れていったようです。
そんな中、ボヘミア地方テープリッツからウィーンへ戻ると作曲に取り掛かります。交響曲第7番、第8番などを書き上げていきますが・・・、
1812年11月、ウィーンでベートーヴェンのために終身年金を送ってくれていた貴族の一人が落馬により急死してしまうと、年金額がそれまでに比べ少なくなってしまったようです。更に1813年になると、弟カールが病に倒れると、経済的な援助が必要になり更に圧迫されてしまいます。
加えて終身年金のメンバーだった別の貴族の一人が劇場経営に失敗してしまうと、年金支給が完全にストップしてしまうのでした。
ベートーヴェンは一気にその財源の大きな部分を占める後ろ盾を失ってしまいます。
ベートーヴェンが「不滅の恋人」としたのはアントーニエの他にヨゼフィーネやテレーゼが挙げられる事もあり、現在でも誰に宛てたのかは謎とされているようです。
しかし、年金の支給元である貴族たちの不幸により、恋にうつつを抜かしていられない状況になってしまうベートーヴェン。このつづきはまた明日。
【その他の作曲家の生涯はこちら】
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不滅の恋~シネマ・ベートーヴェンウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, ベートーヴェン, ショルティ(サー・ゲオルク), シカゴ交響楽団, アシュケナージ(ウラジミール)ユニバーサルクラシックこのアイテムの詳細を見る |
ベートーヴェンが恋人に宛てて送った手紙は、誰に宛てたものだったんでしょうか?今日はその続きからです。
(第9話)【不滅の恋人へ】
ベートーヴェンが書いた手紙は「不滅の恋人」に宛てられた手紙でした。長年の研究により、1812年に書かれたとされる3通の手紙は7月6日の朝晩にそれぞれ一通、そして7月7日の早朝に一通の三通とされているようです。
しかしこの手紙・・・、肝心の宛名が書かれていなかったため、現在でもこれが誰に宛てて書かれた手紙なのかと言うことが議論の的になっているようです。
でも、それだとこのブログのお話が進まないので、今回はこの手紙が書かれた年に一番関わりのあったとされる、アントーニエ・ブレンターノへ宛てたものとしてお話を進めていく事にします。
という訳で、この手紙にはベートーヴェンが相手に宛てた情熱的な言葉が、書かれています。更に手紙にはお互いの強い想いがあるにも関わらず、それを抑えなければならない苦しみや、相手に寄せる思いやり、そして強い愛情を切々と語っています。しかし、二人の愛を成就させるべきなのか?それとも、今のままの関係を続ける事がお互いにとって最善の方法なのか、冷静に考えるべきだとも書いていたようです。
残されたベートーヴェンの手紙を見る限りでは、既に二人の関係は進んでいて、お互いの愛情を確かめた上でのやりとりがあったようにも見れます。しかし、手紙にもあるように冷静に判断した結果なのか?それともやはり「身分の違い」を乗り越える事が出来なかったからなのか?二人はそれ以上の関係になる事は無かったようです。
しかし、この手紙がアントーニエに宛てて書かれたものだとすれば、頷ける気もします。彼女は既に結婚していますし、夫フランツは貴族の家柄ですから、ベートーヴェンがいかに偉大なる作曲家だったとしても、当時の状況としては太刀打ちできなかったとしても不思議ではありませんし、仮に身分がこれほど離れていなかったとしても、生真面目で、熱血漢のイメージが強いベートーヴェンが、既婚者の妻を奪うという事は本人のプライドが許さなかったのかもしれません。
いずれにせよ、今回の恋も実る事はなく、時間とともに薄れていったようです。
そんな中、ボヘミア地方テープリッツからウィーンへ戻ると作曲に取り掛かります。交響曲第7番、第8番などを書き上げていきますが・・・、
1812年11月、ウィーンでベートーヴェンのために終身年金を送ってくれていた貴族の一人が落馬により急死してしまうと、年金額がそれまでに比べ少なくなってしまったようです。更に1813年になると、弟カールが病に倒れると、経済的な援助が必要になり更に圧迫されてしまいます。
加えて終身年金のメンバーだった別の貴族の一人が劇場経営に失敗してしまうと、年金支給が完全にストップしてしまうのでした。
ベートーヴェンは一気にその財源の大きな部分を占める後ろ盾を失ってしまいます。
ベートーヴェンが「不滅の恋人」としたのはアントーニエの他にヨゼフィーネやテレーゼが挙げられる事もあり、現在でも誰に宛てたのかは謎とされているようです。
しかし、年金の支給元である貴族たちの不幸により、恋にうつつを抜かしていられない状況になってしまうベートーヴェン。このつづきはまた明日。
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