荒涼の大都市

 
 
 絵はもちろん何を描いても、どう描いてもいいわけで、美しいものよりも醜いものを主題として選択したり、美しい表現ではなく醜い表現で描出したりする画家もいる。その醜さは、自然的なものもあるし、社会的なものもある。
 ムスティスラフ・ドブジンスキー(Mstislav Dobuzhinsky)という画家は、ロシアには珍しい、モダンな大都市の風景を描き続けた画家。こういう絵を描く画家はアメリカ行きだな、と思ったら、やっぱり後年渡米している。

 陸軍士官の家に生まれたせいか、大学では法律を専攻しているが、もともと絵が好きでデッサン学校に通い、在学中も画塾に通い、さて、卒業するとやっぱりミュンヘンに留学する。
 同地で、ジャポニズムとユーゲントシュティールの洗礼を受け、ロシア芸術家コロニーの面々と交流し、サンクトペテルブルクに帰ると、ミュンヘンの同窓イーゴリ・グラバーリと同様、「芸術世界」に参加した。

 18世紀ロココの典雅なる美を崇拝する芸術世界派にあって、ドブジンスキーの美意識は随分と異質だった。彼が描こうとしたのは、20世紀初頭、産業化を経たロシアの大都会の風景。

 まるで怪物のように爆発的に出現、成長、拡張、発展し、堕落、腐敗、衰退、崩壊していく大都会。古典的な威容の建築群から成るコンポジションだったその大都市は、今や、都会化されたものが帯びる醜悪さ、不快さ、下品さ、物騒さを併せ持ち、その醜怪さを体現したような小鬼のような生き物どもが内に住まう。
 みすぼらしく見苦しく、惨めで痛ましく、気が滅入るように侘しい、現代の荒涼と不穏と孤独。同じ時代の同じサンクトペテルブルクの情景なのに、アンナ・オストロウモワ=レベジェワの詩的な世界とは似ても似つかない。
 あはッ、私、こういう類の絵って、良さがよく分からないんだ……

 革命前後もさまざまな美術学校や工房で教えたり、舞台美術を手がけたり、本や雑誌の挿絵を描いたり、美術見聞や個展開催のために外国を旅行したりしている。彼は優れた教育者で、その若き生徒の一人、“ロリータ”で有名なナボコフとは、数十年にわたって手紙をやり取りしたという。

 もともとリトアニアの家系だった彼は、やがてリトアニアへと去る。そこでも相変わらずの活動を続け、あんなアンチ資本主義チックな絵を描いていたのだからソビエト政権下でも特に迫害なんてなかったんだろう、と思いきや、1939年になってアメリカ合衆国に亡命している。これは、ナチス・ドイツのポーランド侵攻で第二次大戦が始まった年。
 大戦中は、包囲されたレニングラードの風景を、空想によって描いたという。ニューヨークで死去。

 画像は、ドブジンスキー「都会のしかめっ面」。
  ムスティスラフ・ドブジンスキー(Mstislav Dobuzhinsky, 1875-1957, Russian)
 他、左から、
  「サンクトペテルブルクの小さな家」
  「ビルノのバス」
  「ビルノのガラス職人通り」
  「サンクトペテルブルクの小屋」
  「床屋の窓」

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