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チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

73人のオケと一人のピアニストとのアンサンブル

2019年05月29日 23時00分22秒 | コンサート

今年の茂原交響楽団定期演奏会は団設立以来初のピアノ協奏曲で始まった。

実は、茂原市民会館は老朽化で取り壊しとなり、団は演奏会場というベースを失ってしまった。
演奏会の会場を探した結果、茂原から20キロ離れた東金市民会館での定演となった。
茂原市民にとっては迷惑この上ないロケーションかもしれないが、
逆にこの結果、30年以上念願しながら実現しなかったピアノ協奏曲をやれるようになったのだ。
(茂原市民会館は舞台が狭くてピアノを置くことができなかったが、東金は大きく立派なホールだ)

ピアニスト探しは、団員が外房在住のピアニスト・鈴木直美さんを見つけてくれ
鈴木さんは演奏を快諾いただくとともに、グリークのピアノコンチェルトを選んでくれた。

  【 デンマークをバックにしたプログラム表紙】

大好きなグリークという嬉しさもあって、定演のメインはブラームスの交響曲第3番という名曲ながら、
プログラムの表紙にはグリークの肖像画を組み込み、協奏曲を作曲したデンマークのセレレズ湖を選んだ。
(小生選曲委員でもあり、今回のプログラム作成担当でもあったので一石二鳥で解決なのだ)

さてピアノ協奏曲が選ばれたものの、市民オケとプロのピアニストとの練習はどうやって進むのだろう?
いつも練習している市民センターにグランドピアノはあるけど、舞台の上だ、
舞台上とフロアーという距離感は大丈夫なの?
指揮者とピアニストのアイコンタクトはなくてもいいの?
それにいざ本番となると、調律などの手配はどうなるんだろう・・・?
いろいろつまらぬ心配も出てきた。

こうした心配はあったものの、実際にはピアニスト抜きでの練習を何回か続け
オケが曲に慣れてきたところで、3回ほどピアニストを交えた合同練習ができた。
しかも市民センターのグランドピアノではなく、市民室という通常の練習場に置いてある、
アップライトピアノで合わせてくれたのだ。

練習が始まってまず驚いたのは、プロのピアニストの音量の大きさだった。
か細い指、小柄な姿からは想像できない程の迫力で音が飛び出してくる。
「指は折れたりしないのだろうか?」とマジに心配したほどだ。

たった一台のアップライトピアノが、オケの音量に負けたりせず、オケを土台に輝き出る。
練習ではカデンツアは省略していたが、全曲を弾き切り オケのメンバーの賞賛の拍手の中を
引き上げてゆく姿はとても恰好良かった。

もう一つ強烈に印象に残ったことは、普段は指揮者の思い通りにオケは演奏するんだけど、
ピアニストの思い・情熱に合わせてオケの進行が変化しなければならない。
ピアニストと、オケ全体との接続役を果たすのが、指揮者ということだろうか。

このことは3回の練習、そしてゲネプロ、ステージリハーサルと回を重ねるにつれ、
ピアニストと指揮者、指揮者とオケ、いやオケとピアニストがシンクロしてゆくのを感じることができた。

    【ピアニスト鈴木直美さん、フランス人形風ステージ衣裳だった】

とりわけ、本番当日のステリハや本番に至って、指揮者を入れて73人のオケとピアニストが、
まるで会話をしているように、シンクロナイズしてゆく感覚を持てたのは、実に心地良い経験だった。

そのシンクロは簡単ではない。
ピアニストの思い入れ(表現)をよく聞き、指揮者をよ~く見てゆかないと そんな演奏はできない。

とりわけ指揮者は大変だったと思う。
いつもは”わがまま放題”の指揮者も、まるで恐妻家のように、完全にピアニストの「尻に完全に敷かれ」て
いるかのように、中腰の姿勢で全神経をピアノとオケの進行に集中しているのだった。

例えば、2楽章は3/8拍子なので、単純な曲なら「ワン・ツー・スリー」と振ればいいんだけど、本番ともなると
ピアニストが歌いまくってゆくので、「ワン・・ツ~ウ・・・スリー」と、時間的には倍近くを掛けて振ることも多かった。
オケとしても、その動きを一瞬も見逃すわけにはゆかない。
皆が神経を研ぎ澄ましているが、そのシンクロ感が実に心地よいものだった。

後からピアニストと、練習にも付き添ってその門下生たちに聞いてみたが
「先生とオケのハーモニーがどんどんできてゆくのが感じられた」と言っていた。
指揮者に大変でしたねと聞くと
「大変なんだよ、おれも疲れたよ」と言いながらも良い演奏が出来た満足感が表れていた。

一人のピアニストと、73人のその他の伴奏者たち・・と言ってもいいのだろうか、
いつも楽しんでいる弦楽四重奏やら、弦楽トリオとは全く違った、
壮大なアンサンブルの楽しさを感じたコンサートだった。

打ち上げ会場でのこと
「プロのピアニストの音の迫力に驚きました。普通の住宅では無理ですよね、ピアノ室があるんですか?」
と聞くと、3カ所ほど設定してあるとのこと。
その話を聞いていた師匠(元超有名プロオケのチェリスト)は
「外国のピアニストはもっとすごいよ。鈴木さんは小柄な方だけど、白人のごつい体で弾くと飛んでもない音が出る」と。
さすがに世界を渡り歩き、世界の演奏家と共演してきた経験はすごい。

協奏曲というのは、一人のソリストをオケに加えた編成程度にしか考えてなかったかも。
いや、そもそもオケって大勢が指揮者のもとに、楽譜通りに音を出す機械装置みたいに感じていたかも。

実はそうではなく、どんなに大人数でも、互いの音を聴きあい、呼吸を合わせるアンサンブルなんだ。
今回の協奏曲の経験を通して、そんな音楽の基本を改めて思い起こさせられた気がする。

まだまだオケの世界、音楽の世界には、新しい発見や驚きがあると感じさせられた定演だった。


深圳という街を見て、改めて感じたこと

2018年11月02日 22時39分46秒 | その他雑感

毎年恒例の近隣アジアの街歩きで、昨年に続き今年も香港、深圳を歩き回った。
「でかい!」とか「すごい!」とかは去年と同じなので、その他の事をメモしておこう。

1)深圳の「秋葉原」を歩いて
深圳の秋葉原と言われているけど、今や最盛期の秋葉原の100倍は電気部品屋がひしめいている。
一体誰が買うんだろうというほど、全てのビルのフロアーに電気電子関係の店が詰め込まれ、人であふれている。
昨年と違うのは、アラブ系やアフリカ系など外国人が少なくなっている気がする。

2)至るところに「交番」があり、安全でクリーンな街ではある。

他の中国の都市にもPOLICE BOXが沢山作られているのか、深圳の街だけの特別施策なのかは不明だが、
街のいたるところに「交番」が設置されているのを今回認識した。
巡査?は犯罪捜査だけでなく、環境を維持するための監視指導をしている。
そのためか街にはゴミがない。アジアの街としては極めて異質(日本のよう)


巡査はセグウェイで常に巡回している。ただ制服は着ているが英語も通じず取り締まりも緩い。
スマホ見ながら巡回しているし、休憩所も覗いてみたけど真面目な日本のお巡りさんとは比べられないほど、ゆる~い。

3)安全だけど、プライバシーは存在しない 恐ろしく"進化"した街

思えば入国のイミグレーションには、銀行のATMにあるような指紋採取装置があり
左右四本ずつの指紋を録り、さらに両方の親指も登録させられ、顔認証もばっちり撮影。
いろんな国に行ったけどこんな経験は初めてのことだった。
日本の「指紋押捺問題」などかわいいもので「中国ならしかたない」思わせてしまう国だ。

しかしこれは恐ろしいことで、現地の人に聞くと、信号無視(歩行者も)した瞬間に、信号機上の
カメラで撮影した画像が、登録画像と照合され、交差点にある巨大スクリーンにその人の姿とともに、
姓名、出身などの個人情報が映し出されるとのこと(嘘みたいな本当の話)。

中国政府(共産党)にイミグレーションで採取した個人情報は永久に保存されるのだろう。
将来的には中国圏である限り犯罪行為は何もできなくなるし、犯してもすぐにバレることになる。
(日本でも中国人だけには、同じことをやってもいいのかも知れない)

4)中高年者がほとんどいない、本当は「生きづらい」街

深圳市内を歩いて老人を見かけることはほとんどない。
夜の繁華街も安全だが、若者しかいない渋谷のようだ。

国内の様々な地域からの出稼ぎなので、互いに通じる言葉は「標準語」(北京語)。
日本でいうと東京の様に、元の住民はごく少数で、ほとんどが「よそ者」の街なのだ。

猛烈な勢いで成長する街・深圳について「この街は中国人の憧れなんでしょうね」と聞いてみると、
想定外の答えがかえってきた。
「ほとんどの住民は故郷に帰りたいと思っている」とのこと。
40才代まで企業に残れることはほとんどない、大変厳しい環境なのだそうだ。

 

5)何もかも電子マネーwechat payで
ちょっとマイナス面ばかりになってしまたけど、電子マネーの浸透は本当にすごい。
地元の人たちに大変人気で、朝から行列ができる、おいしい川魚料理の店に行った。

この店では、店員と会話したり、目を合わせて注文などはなく、メニューの絵にスマホをかざすだけ。
その瞬間、注文から料金精算までの全てが wechat payというSNSの電子マネーで行われた。
すぐに案内された席について待つと、洗面器大の魚料理のセットが運ばれてくる。
実に合理的でスピーディー。これなら言葉も通じない、「多民族国家・中国」でも成長可能だろう。
味は四川風で大変複雑・超美味だった。

6)深圳にある世界最大の「絵画の街」も訪問した

 

数ブロックの街全体が、絵画と画材の店で埋め尽くされている。
ほとんどが神業的な「贋作」作家。最近「世界で一番ゴッホを描いた男」という
ドキュメンタリー映画が日本の映画館で 封切りされたばかりだ。
写真に写っている女性画家は、自分のオリジナル作品を描いている。
おそらく1枚描くのに1~2時間で完成させていると思う。

下記は別の店で購入した、チェロアンサンブルの絵。

飛行機に載せて持ち帰るサイズの楽しい絵はなかなか見つからなかったが、街を歩き回り帰り際に
ちょうどチェロやアンサンブルの明るく楽しい絵があったので購入した。
交渉の結果、2枚で100人民元(=1700円位)と半額に。雑だけど、手書きの油絵で満足。

7)中国新幹線で香港に戻った

「中国の香港への侵入」と報じられた新幹線は、一言で言えば「ハード先行ソフト貧弱」

深圳から香港に向かう新幹線に無理を言って乗せてもらい、香港に帰ることにした。
最終電車だったこともあるが、東京~新横浜と同じような15分の距離なのに70分かかってがっかりだった。
その理由は、飛行機と同様の手荷物、全身のセキュリティー・チェックがあり、
しかも出国のカウンターでも、おっかない役人がしつこくチェックしているので旅客のストレスは大きい。

新幹線そのものと、駅の巨大さはすごいが、全体に感じる威圧感、巨大すぎて走り回らせられる疲労感、
新幹線ホームとそれまでのアクセス通路の設定のちぐはぐさ(新幹線のホーム端っこに着くので、
新幹線の中を、みんな大荷物を持って何輌も歩かされた。この間、日本なら案内する人がいるはず)

大汗かいてようやく着席しても、子供が野放しで大騒ぎしても親は無関心(これは新幹線に限らないけど)
社内のトイレが少々臭い・・・ハードはいいのに、なにもかも悪い印象をもってしまった。

 香港に「侵入」して作られた「中国」側のイミグレーションまで来て、またストレスを感じた。
磨き切れず「ざらつい」ているだけでなく、うっすらと怖さを感じさせる規制と監視の中国がそこにあった。

そしてほんの10メートルほどで、「香港」のイミグレーションで、
ぼくだけではなく、多くの旅行者はホッとしたはずだ。「自由の世界に戻ってこれた!」という感じだろうか。
イギリス、西欧のマナーを心得た「香港」はどこか洗練されていると感じた。


 

 


地獄から天国に連れ出してくれた人たちに感謝

2018年10月16日 12時52分46秒 | コンサート

秋のファミリーコンサートが終わった。  チェロのソロだらけのスドラビンスキー「火の鳥」をサブにした演奏会がようやく終わったのだ。

 

 この5ヶ月を振り返ると、メインのドボルザーク交響曲第8番という大曲よりも、サブで取り上げたストラビンスキーの組曲「火の鳥」の中の「皇女達のロンド」に出てくるたった2小節のソロに恐怖感すら感じるほど悩まされてきた。

 最近はオケの他の曲やアンサンブルでは、そこそこ弾けていると自信も感じ始めていたのだけど「皇女のロンド」だけは、どうにも苦手で上手く弾けなかった。

  音程の悪さもさることながら、曲想全体との繋がりが切れてしまい、チェロはあきらかにお荷物になっていた。

   だからこそ、弦楽器パートだけでなく、色んなパートの方から、励ましやらアドバイスをもらってきたし、師匠による特訓もしていただいた。今回客演指揮者の吉田悟さんもさぞかし我慢をされていたのだろうと思う。

  努力はしてきたのに、本番3時間前のステージリハでも不安定な音を出してしまい、本番直前の舞台ソデでも「励まし」やらアドバイスをもらっていたありさまだった。

オケのメンバーが不安を抱えたままで始まった本番の全てのプログラムが終わり、指揮者が一旦退場した。鳴り止まぬ拍手の中 再び指揮者が舞台に戻ると、観衆の拍手に応えるように、ソロで活躍したプレーヤーを指名してゆく。

 大活躍したフルートトップ、フルート全員。オーボエ、ファゴットトップで、トランペットトップ、金管全体ティンパニー、パーカッション・・その間拍手が続いている。

   ここらあたりは、クラシック演奏会の「お決まり」の手順で「面倒くせーなー」とか「手が疲れて迷惑だよな」などと思ったこともあった。音楽の流れが分かり、感動的な演奏を経験したあとからは、ソリスト達の努力や 本番でのパフォーマンスを讃えたい聴衆に代わって指揮者がプレーヤーを指名し、喝采を贈っているんだと理解できるようになった。

   管楽器、打楽器への拍手が終わったところで、コンサートミストレスを指名し、その後は弦楽器全員が立ち上がって拍手は終わりアンコールへと移るのが普通だった。 

  ところが、今回ちょっとありえないことが起きた。

指揮台の左手でコンミスと握手した指揮者が全員を立たせるのではなく、右に振り返り、指揮台を横切って、ニコニコしながらチェロの方かに向かってくるではないか。

ま、まさか・・目の前まで来てしまった。

 「ぼ、僕ですか」と言いながら、子供がするように、右手人差し指で鼻の頭を指すと、笑顔でうなづかれたので、驚きながらもすごすごと立ち上がっていた。

   指揮者が両手で「あなたです」と指し示してくれたことは本当に意外だったけど、いろいろ御託を並べたクセに、照れ臭くもあったが、大変嬉しく、心から光栄な瞬間だった。いつも個人で指名される管楽器の人たちは、こんな栄誉の瞬間を経験してたんだとはっきりと感じた。

  いろんな思いも浮かんでたけど、人生で初めての、有終の美を飾る瞬間と思われた。ひどいソロに付き合い黙って指揮を続けてくれた指揮者殿、ひでーソロの隣で誰よりも忍耐を強いたしまった師匠殿、心労をかけた団員全員、そしてこのような場所に引き込んでくれたパートリーダーにも感謝しながら、拍手の中着席したのだった。

 閉幕後、複数の団員から「本番が一番良かったよ」とフィードバックをいただいたこともあり、指揮者も「苦労した甲斐があったね」という思いやりを示してくれたのだと指揮者にお礼を言いたい気分だった。

 初めて会場まで聞きに来てくれた、かつての記者仲間が「パーシーフェースみたいだったぜ」と漏らしたのは、我々の年代にしかわらかない、最上位のはお褒めの言葉だった。  ファミリーコンサートという、映画音楽やポピュラーを交えたコンサートへの賛同ともいえる。ありがたいことだ。 

 多くの方々の心配と支援のおかげで乗り切れた本番だったし、自分の力にもなったソロ体験だったが、この経験を今後に生かしていきたいと思う。

●2018年10月18日、香港のホテルinn hotel honkongにて筆


感動の「学童保育」クァルテット

2018年08月30日 23時52分53秒 | アンサンブル

オケのVn嬢から「学童保育の子供たちに演奏聞かせたい」と弦楽四重奏に誘われた。

「学童保育」の意味も分からないまま(時代が違うので)二つ返事でOKし、
初見でも弾けるという8曲ほどを一度だけ合わせたあと、本番当日を迎えた。

「せいぜい5~6人の女の子だろうな~」なんて思っていたら、
学童保育の先生から「50人くらいでしょうか」と教えられびっくり、
案内された教室二つ分程のホールには舞台があり、その上で演奏するといわれてまたびっくり。

ほんの少しだけ時間があったので、リハーサルめいた事をしてみると、
分厚いカーテンで囲われた舞台は 音がこもって客席に届きにくいとがわかった。
お互いの音が聞こえにくくなり、アイコンタクトもしにくい心配はあったけど、
普通のクァルテット並びを止め、舞台の縁ギリギリに、横一線並びで演奏することにした

時間になると、建物のどこかで待機していた子供たちが、整列して一斉に入場してきた。
学年も性別もまちまちの、数十人の「体育座り」の子供たちで、床の半分が埋まった。

先生のご挨拶のあと演奏を開始。
1曲目は「ハンガリー舞曲第5番」、元気よくスタート。会場は静かで、真剣に聞いてくれた。
2曲目「G線上のアリア」に入ると、小さな女の子が一人立ち上がり、先生に何か言ってホールを出ていった。
 曲の後半になると、女の子につられるように、立ち上がり、出てゆく子供が増えだした。
「きっとトイレだよな~」
「もう飽きちゃったかな~」とちょっとだけ不安。

3曲目「大きな古時計」は楽器紹介を兼ねて、各楽器のソロをつないでゆくのだが
学童保育の先生をやっているVn嬢が「みんな~この楽器わかるかな」と聞くと
子供たちから一斉に「バヨリン!」と元気な声がかえってきた。
「バイオリンは、ファースト、セカンドの2本です。ではこの楽器は」とビオラを示すと
「サードバヨリン」と元気な声。
なんだか嬉しくなる答えだった。
結局ビオラを知る子供はいなかった。

プログラム後半のディズニーメドレーに入ったところで「事故」が起きた。
当日追加した「小さな世界」がバラバラな感じになり、ストップし、真ん中辺からリスタートした。
子供たちの落ち着きない様子が気になり、集中力が欠けてきたのが原因だと心の中で反省した。

終盤は久石譲のジブリ作品。
「海の見える街」から、「SANPO」に移ったら会場から歌い声が沸き上がってきた。
「🎵  あるこう   あるこう   わたしはげんき🎵 」
転調しても全力で声を合わせて付いてくる子供たちの合唱に、もう泣きそう。

演奏終了し、歓声と拍手に包まれ「これで演奏会もなんとか元気いっぱいに終われたな~」と思っていたら、
あっという間に「アンコール、アンコール」の大合唱に。
さっき失敗してしまった「小さな世界」を演奏すると、子供たちも歌ってくれた。

あんまり嬉しいので、演奏後チェロを抱えて舞台を降りると、子供たちが突進してきた。
バイオリン嬢も、ビオラ嬢も子供たちに取り囲まれている。
身動きが取れなくなり「こりゃ収拾つかないかも、どうしよう・・・」思ったのもつかの間
5~6人、長いと10人位の行列がつくられ、
楽器を鳴らし終えると、次の子供に弓が手渡されてゆくのだった。

日本の子供たちの秩序意識レベルの高さ、児童教育の見事さに またも感動した。
ほとんどの子が、初めてのボーイングなのに、良い音出すのにも驚いたけど。
(チェロってこんなに易しい楽器だったんだ・・)

いよいよ解散かと思ったら、子供たち全員が整列して、手作りの花束贈呈式をしてくれた。
(こんなの定年退職以来の経験なんで、どぎまぎ)

忘れていたこの感覚は、遠い昔をも思い出させてくれた。
幼稚園や小学校では、お客さんをこうやっておもてなしし、送り出していたよな~と。
子供たちに、保育の先生方に・・・素晴らしい時間をありがとう
と感謝し、何度も思い出しながら帰宅したのだった。

さて、あれから2~3日経っているけど、会場の端っこで録音したLiveを今日も聞いてしまった。
いつもの練習録音は、聴きたくないけど次の演奏に生かすために聴いている。今回は全然違う。
楽しい時間を思い出したくて、学童たちが全力で歌っている「SANPO」を聞くのが嬉しくて
バランスも悪く、雑音も入っているけど、Live録音を聞いてしまう。

こんな感動の演奏会なら、お金を払ってでもやらせていただきたいと思う。


まさかの「10年目の浮気」

2017年08月14日 21時09分44秒 | チェロ

この年齢になってイタリア娘に恋するとは思わなかった

10年前に巡り合い、我が屋に来てもらったのは、ドイツ生まれの「リーベ」だった。
その音色、姿の美しさにほれ込み、一途に可愛がってきた。
「この子と生涯過ごせるのはなんと幸運だろう」と満ち足りた日々を過ごしてきたんだ。

ところが、ほんの1年くらい前から、揺れる心を感じ始めた・・・
クアルテットやチェロアンサンブル後の録音を聞くと、僕のリーベは一生懸命歌っているのに
はるかにオールドな「おばあさん」の方が、ビックリするほど若々しく朗々と歌っていたり、
リーベよりお近づきになりやすいはずの「中国娘」が、予想外に元気な声で歌っているのに気づいた。

「一生懸命歌っているのに、なんでリーベの声は通らないんだろう」と感じはしたが、
「僕の技術が足りないのが原因なんだ」
「悪いのは僕の方なんだ・・・」と納得していた。
「それにリーベの声は一番美しいし、体に馴染んでいるんだから」と満足もしていたんだ。

ところが、あるレッスンで他の子を借りて弾いてみたら、大変豊かに歌ってくれるので、
「この子すごく鳴りますね」とつぶやいたら「よかったら買いませんか」と勧められた。
 次の機会にリーベを連れていき、弾き比べてもらったら「リーベは優しい音がしますね」と一言。
「やっぱりそうなんだ、心地よい歌声のいい楽器なんだ」と思ったら
「一人で弾くにはいいけどアンサンブルでは音が小さくて厳しいですね」と言われてしまった。

結果として勧められた楽器はタイミングが合わず、入手できなかったものの、長く連れ添ってきた
我が愛するリーベに対して、初めて物足りなさを感じ、浮気心が芽生えたのだった。
「僕だけが悪いんじゃなかったんだ、世の中にはもっといい子が沢山いるのかも」と。

 

一旦はあきらめたが、たまたま東京に出たとき、お茶の水に楽器屋があることを思い出した。
楽器街に足を向けたら、やはり弦楽器売り場に入ってみたくなる。
下心はあった。
それを見透かしたように、店員が次々と綺麗どころを並べ立ててくる。
高めの楽器はちょっと触っただけで、敏感に反応し、響いてくれる。
目が飛び出るほどの値段でなくても、響きの良い子がいることが分かった。
下取りもしてくれるというではないか。

もう下心どころではない。
欲しくてたまらなくなる。
ただ「リーベだって、この店の硬いフロアーで弾けばもっと高々と歌ってくれるかも・・・」
などと自己説得を試みても、浮気心の火種は消しようがなくなってきた。

こんな風な衝動はやばい!
人生で何回失敗してきたことだろう。
「ダメだダメだ」と自分に言い聞かせた。
衝動のままに突き進めば、老後のわずかな資金も取り崩すことになる・・・
「ダメだダメだ」

とは思ったものの、手頃の外国娘たちの美声が耳に残って離れなくなっていた。
衝動を抑えることはもはや難しいので、覚悟を決め、チェロの先輩に事情を説明した。

先輩は、どうやら僕が「街で行きずりの娘を手に入れようとしている」と察したのだろう。
プロの販売員もいないような店はやめるよう諫め、自分が信頼する店に連れて行ってくれた。
しかも「その場で結論を出さない様に!買わなくてもいいんだから」と
専門店への道すがら、何度も念を押してくれていたのだった・・・・

 

1時間後、僕のチェロケースには、リーベではなくイタリア娘が背負われていた。

「リーベはどうなったの?」
「いったい何が起こったの?」
今思い起こせば、夢のような邂逅があった。

先輩が連れて行った工房には素敵な「職人」さんがいて、リーベと同じ「レベル」の子から
はっと目が覚めるような超美人までを取り揃えてくれていた。
その「職人」さんがリーベを弾いて一言
「随分マットな音色ですね」と言うと、
同僚の職人さんも
「そうですねマットですね」とうなずいた。

「リーベがマット?」
「マット・デーモン?」
「リーベ良い音色で歌ってたよね・・」と一瞬思ったものの、
そのあと何台かその「職人」さんが弾いてくれたとき、リーベがマットだとの疑念は氷解した。

他の楽器から飛び出してくる音は、目で見えるほど鮮やかに、扇のような広がりをもってまっすぐ届いてくる。
とりわけ ドイツ娘ではなく「これはちょっと上のクラス」と弾いてくれたイタリア娘は、まさに別格だった。
イタリア・カンツォーネの響きというか、オペラ歌手というか・・・その深い音色と到達力に圧倒された。
比べるとリーベの声は なんだか沈んだ、地味な、控え目なお嬢さんの歌声の様に感じた。

その「職人」さんの演奏が、これまた鳥肌が立つようなすばらしさで、プライベートコンサートの様だった。
「何という素敵な楽器なんだろう!」
その「職人」さんが弾いている、イタリアのチェロに「一目惚れ」してしまった。
(あとで知ったのだけど、「職人」さんと思い込んでいたお方は、著名なプロのチェロ奏者だった!
 思えば、あの演奏だけでもものすごい価値があり、儲けものだと感じている)


購入を決めた後、リーベとクレモナ生まれのイタリア娘が床に並べて寝かされた時、
リーベは地味で、疲れて小さく縮こまっているように感じた。
かわいそうに、10年連れ添ったリーベとの別れはあっけなかったな~。
リーベはそのまま工房に引き取られ、僕はイタリア娘を連れ帰ったのだった。


別れの涙雨の中、先輩と歩きながらイタリア娘の名前を考えた。

「アモーレ」に決まった。

アモーレとの生活は、これから僕は何年生きられるか分からないけど、
その深く、遠くまで響く歌声を毎日聞けるのは、なんと幸せな事だろう。
これまで支えてくれたリーベに感謝しつつ、
アモーレに相応しい腕を磨こうという意欲が涌いてきたのが、何より嬉しい。


チェロトップに座って思った事(悟ったこと)

2017年05月16日 00時42分41秒 | オケの練習

茂原交響楽団の演奏会が無事終了した。

 今回の演奏会は「20世紀の音楽」と称して、コープランド「ロデオ」とラベル「ラ・ヴァルス」を前プロで、
後半メインに「ラフマニノフ交響曲第2番」を演奏した。
実は打ち上げで、指揮者だけでなく、トレーナーの先生方からも「こんな難曲を3曲演奏するのは危険すぎる。無理だと思っていた」の講評があった。
その通りで、今回の演奏会は実質練習時間は3か月くらいで本番に突入しているが、途中の段階では正直「完成」に至るとは到底思えない感じもあった。
団員の疲弊感、難しい演奏に不安感も募り、指揮者のいらだちも近年珍しいくらいに高まった。コンミスがその「餌食」になり代表して随分叱られていたっけ。

しかし結果だけを先にいえば、お客さんからも、エキストラの皆さんからも(僕の会社の同僚、先輩、旧友からも)
「今までで一番良かった」とお褒めいただける結果になり、無謀な挑戦も一生懸命やれば報われるもんだとも思った。
(ただプロの皆さんも、団員の多くも へとへとの状態なのでこの様な危うい選曲はもう勘弁だと思う)

さてこんな中でメイン曲の「ラフマニノフ交響曲第2番」のチェロトップに座れた幸せを今更ながら感じている。
トップとして本番を迎えた時の思いを正直に言えば、「一体全体何が起きるんだろう、どうなるんだろう」と久しぶりに
不安よりも、遠足に行くときの子供のワクワクする気分だったような気がする。

前プロでは、全体の演奏は最高に良かったけど、僕は第2プルトで気が緩んだ結果もあり、さんざんの演奏だった。

15分の休憩後、舞台が照明で明るく照らされる中、ビオラ軍団に続いて、チェロを抱えて一番先に舞台中央に向かった。
1プルトだけは黒いピアノ椅子が用意されている。「本当の首席」がいつも自前で用意してくれているのだ。
座るとちょっと椅子が高く、眺めがいいかと思ったけど、目の前の譜面台と指揮者で視界はかなり限られていて、
会場はほとんど目に入らなかった。客席が見えにくいのはその後の演奏に幸いした。

会場からの拍手の中、指揮者が登場し、一礼のあと一呼吸して指揮棒が振り下ろされた。指揮者の呼吸が聞こえるんだね。
第一楽章の最初の音を丁寧に出し、2音目で一気にフォルテまで高め、徐々に下降に入ってゆく。
第1楽章はいい感じで演奏でき、第2楽章へ進んで行く。
ゲネプロに比べ本番の方が 自分の「落ち」「間違い」はかなり少なかったと思う。

再チューニング後第3楽章へ。
ラフマでのチェロの見せ場というか難所は第3楽章と思っている。
クラリネットの美しいソロを、チェロが縁取るように3連符で動いて行くのだが、タイミングが難しい。
でも、ここでも ほとんど落ち・ズレはやらなかったと思う。
練習の時は「全然だめ、全然合ってない。何も分かってない!」と怒鳴られたこともあったんだけどね。

しかし第4楽章に至って、ズレ・落ちだけでなく、懸命に弾いているのに音が出てこない現象に陥った。
「これは力みが原因だ、脱力だ!」と自分に言い聞かせ、弓の持ち方にも注意したものの、制御が効かない。
中低音は何とか出せるのに、ハイトーンに力がない。
4楽章は激しいので、聞いている人には分からないかもしれないけど、勝手に上ずった音(ハーモニックス?)が出たりする。
結局終曲は 大団円に向け、力任せに弓を押し付けながら、へとへとになりながら終了したのだった。
終わってみると、比較的冷静で、上がってはいなかったはずなんだけど、全身に大汗でびっしょりだった。

「弓を滑らせて落とすことはなかったのは良かった!」などと軽口をたたきながら、後片付けをし、打ち上げでその日は終わった。

一日経って振り返ってみると、大変な曲にトップでチャレンジできた幸せを感じている。
今回なぜ首席の席に座ることができたんだろう・・・チェロを定年前に始め、10年で難曲の首席に座れるなど普通はあり得ない。
それには、いくつか幸運が重なって実現したのだと思う。
1)これまでトップを続けてきた「本当の首席」が仕事で出張が多くなり、ほとんど練習に参加できなかったこと。
2)他の団員に、毎回練習に参加でき、体調が良く「それなりのキャリア」(ここが微妙)がある人が少なかったこと。
3)「本当の首席」から「曲ごとのトップ交代」という提案に他のチェロ団員が反対しなかったこと。
4)弦トレーナーの素晴らしい師匠が、実質トップとして常に伴奏してくれること(この条件無しには実現はゼロだった)

 実は隣で支えてくれている師匠は、様々な局面でサポートを提供し「素人首席」に満足感をプレゼントしてくれていたのだった。
1)実質の首席として、ゆるぎない演奏をしてくれるので、戻れる道というか、位置が明確だということ(師匠は灯台であり、大木です)
2)僕の座席を15センチ程後ろに下がらせ、少し内向きに座らせてくれたことで、師匠の演奏している様子が右目の端に常に見えていて安心だった。
3)間違えそうな箇所になると、さりげなく 弓で位置を示してくれていた
4)当然ながら、弾けない箇所を確実に演奏してくれるという「絶対の安心感」。
要するに、親に見守られながら、遊園地で遊んでいる子供のようなもので、支える側の負担は大。「もうこりごり」のはず。

 ということで、大汗のうちに、演奏会を終える事ができたが、この「首席」経験の「副産物」は一杯あった。
1)本番では「あがっていなかった」はずなのに、実は血圧が「上がっていた」
  本番当日朝の血圧と、一夜明けた本日の血圧では 35も差があった。「精神」はどうであれ「肉体」は正直
2)聞きに来てくれたチェロ弾きからは、珍しくお褒めの言葉というプレゼントがあった。
 「まずは、貴兄の左手・右手、弾く姿は大いにサマになっていました。
  初期の頃を思い出すと、隔世の感があります。左手・右手の形ができてました。」
    ・・・う、う、涙。
3)それとは反対に、鋭い指摘!
 「それにしても、隣にI先生がいると頼りになりすぎますね。時々ですが、I先生の音が聴こえることがありました。
   しっかり芯のある音、よく通る音なんだろうと思います。知らない人が見ると、どうしてトップサイドの人があれだけ弾けるのか、
   と思っ たり.....譜めくりまでしていただいて、恐縮してペコリしてはダメですよ」 
  (まさに「慧眼」。分かっている人の目(いや耳)を欺くことはできないのでした。)
    ・・・う、うぇ~、またも涙。
4)よって最大の副産物。「脱力こそ命」。本当のチェロの「音色」への挑戦を続けたくなりました。
  さようなら「偽物首席」。もう一度初心にかえって、地道に「チェロ道」を歩むことに決めたのでした。
  音楽的に言えば「D.C.」(ダ・カーポ)~「最初に戻って演奏せよ」。でも「FIN」は永遠にこないのでしょうね。

 追記:高校からの学友たちが家族連れで聴きに来てくれ、豪華なお花をいただきました。ここでお礼を申し上げます。

 

 

 

 


チェロのトップに座る異次元の厳しさ

2017年05月02日 20時25分29秒 | オケの練習

チェロ暦10年にしてチェロのトップに着くことになった。 

昨年はお断りしたが、5月定期演奏会のメインは「ラフマニノフの交響曲第2番」には
以前他のオケで乗った事もあり、いろいろな事情でこの曲のトップを引き受けることになった。 

年初に引き受けたものの 結果として経験したことは想像もできない厳しいものだった。
本番は2週間後、何が起こるか分からないが、今のうちに感じた事を書き留めておこう。
(ちなみにわがオケでは、チェロトップは指揮者のすぐ右隣に座っている人なんだけど) 

「ラフマ」のチェロトップを任された時から、今までには無かった色んな「異変」が起きている。

まずは、自分のパート譜を隅々まで見直すことに。というか弾けなきゃしょうがないので。
今まで演奏してきた楽譜の見誤りが本当におどろくほど沢山発見された。
誠に恥ずかしいながら、パート後方で気軽に「エアー」で逃れてた部分も多い。 
「ラフマニノフ第2番」はチェロが2~4パートに分かれ、1stは各段に難しい。

今回楽譜をさらい直して個人練習を「やったつもり」で合奏練習に向かうと、
全然合わないことも多く、合わなければ、指揮者はトップを責めるのは当然のこと。
自分が飛び出せば、後ろの人全員に謝らなけれなならないし・・・

結果「スコアー」を何度も見直し、練習を毎回録音し、繰り返し聴き直すことが習慣になった。
今まで持っているだけに近かったスコアーは、マーカーやらメモ書き込みだらけになった。
自分のパート譜も、「影譜」(クラリネットやらVn、Hrなどなど様々なパート)の書き込みで
真っ黒になり、同じプルトに座ってくれるプロから「これじゃ譜面が読めない」と叱られたりも・・・ 

楽器に触らないと不安で毎日練習するけど、サイレントチェロでは練習にならない事にも気づかされた。

それでも全体練習になると、合わないところ、弾けないところが、いつまで経っても発見される。
自分では弾けているつもりでも、実際の合奏になると弾けてないし、合わないことが繰り返される。 

演奏でミスしている姿が夢に出てくることもあった。
なんだか息苦しいこともあり、血圧を測るといつの間にか血圧が異常値を示したので、
OMRONの血圧計も買い替え、血圧降下剤を飲み始めた。 
「なんでこんな大役を安請け合いしたんだろう」と自分で自分を責めたりもする・・・

書き出したら切りがないが、ここでしみじみと思いいたすことがあった。
「これまでお世話になった首席の皆さんは本当にすごい努力をしていたんだな~全く気付いてなかった」
「1曲どころか全プログラムを弾きこなし、後ろに居並ぶメンバーをリードしていたよな~すごい!」
「となるとコンマスという人は一体どんなに研究をしてオケのど真ん中に座っているんだろう、想像を絶する」 
「となると、指揮者ってのは偉いものだな~・・・」

以前から管・打楽器は全員がソロプレーヤーだよな~、すごいな~とチェロ席からオケ後方を眺めていた。
でも、パート全体のトップはソロ楽器とは違ったプレッシャーがあることが今回良く分かった。
確かに管・打楽器がミスをすれば、観客も気づきはする。
弦楽器パートのトップのミスはボーイングの違いとしてすぐに察知されるが、ミスでは済まない。
5プルト10人全員が間違える可能性だってあり得る。
パート全体が変な方向に向かえば、オーケストラの音楽そのものが崩壊しかねない。 

ま~自分はそんなに信頼されているわけではないので、最悪の事態にはならないのだが
それでもお客さんは、パートのトップをしっかり見聞きしていることは間違いない。
トップの姿から、そのオケの力量を推し量るのだから(自分もそうだったし) 

こんなこと、グダグダ書いてる場合じゃないのだ。
「前期高齢者」に思わずプレゼントされて晴れ舞台と感謝しつつ、
残り2週間、今できる最良のアンサンブルに向けて練習をするのみだよな~


M響定演のポスターは完成したが・・・

2017年02月16日 22時30分04秒 | オケの練習

茂原交響楽団第27回定期演奏会のポスターとチラシが出来上がり団員に配布された。

定演は5月14日(日)と3か月先だけど、難曲の「ラフマニノフ」の交響曲に加え
ラヴェルの「ラ・ヴァルス」が想像以上に難しく、団員の嘆き節が聞こえてくる。
やってもやってもできそうになくても、本番に強いM響だから、きっとクリアーできるはずだ。

そんな実力あるM響だが、クリアーできない絶対絶命の困難に突き当たってしまい、
茂原市での定期演奏会が、この27回をもって幕を閉じることになった。

その訳は、いつもコンサートを開催してきた「茂原市民会館」が取り壊しになるから。

 入口脇の定礎を見ると本年で築50年になのだからしかたない。

春の定演、秋のファミリーコンサートと、何回も参加させてもらったが、そのたびに思ったのは
1000席と、椅子の数は立派だが、手洗いの古さ、舞台裏のスペースの無さ、楽屋は無いに等しいし、
音響の悪さからプロによる公演は避けられてしまうシロモノだった。

盛んだった製造業が撤退するとともに、茂原市の財政は厳しくなったといわれている。その結果
近隣との町村合併も全て断られてしまい、市民の文化活動にしわ寄せがきていたということだ。

演奏会のたびにいろいろなエキストラの皆さんと舞台に上がったが、やってきたトラさんの中にも
「市役所は立派なのに、なんで市民会館はひどいの・・」と違和感を口にする人もいたっけ。

取り壊しの話は聞いたが、建て替えの話は聞かない。
秋のファミリーコンサートを最後に、茂原に演奏会を開く場所が無くなるわけなので、
近隣の街の施設のお世話になるしかない。
練習は茂原でできても、演奏会は遠くなるので、固定客となっているお客さんにとっても
大変不便になることは必至だ。残念だけどしかたあるまい。

ともあれ”茂原市”での「最後の定期演奏会」なのだから”遠くても聴きにゆきたい”と
思ってもらえるためにも、全力でラフマやヴァルス、ロデオの練習に取り組もうと思う。

 

 


明後日ファミリーコンサート

2016年10月01日 00時07分17秒 | オケの練習

いつの間にか秋。バイクで走ると涼しさより肌寒さを感じ 金木犀の香りに気づく。

秋といえば茂原交響楽団恒例のファミリーコンサートが目の前に迫ってきた。

 

今年のファミリーコンサートは初の試みとして、チャイコフスキーの交響曲第5番を全楽章演奏する事になった。
例年なら、万人受けする交響曲の単一楽章を演奏するのだが、チャイコの5番を「切り売り」するのはもったいないという意見に押されて、
5月の定期演奏会からあまり時間がない中取り組んできた。結構大変だったが、なかなかいい出来と感じている。

後半のプログラムでは、映画音楽やアニメソングで、チャイコフスキーと比べれば楽勝かと思えば、これが大変厄介で、
なかなか納得行くレベルに達しなかった。
とりわけ久石譲作曲の「ハウルの動く城」こと、シンフォニック・ヴァリエーション「メリーゴーランド」は
変拍子の連続で、オケとしてのまとまりが出せるか微妙な気もする程だ。

 一方でやや気が重いことがある。ロビーコンサートで仲間と弦楽5重奏を引き受けてしまったことだ。
クアルテットとしては、昨年編成してから、モーツアルトの弦楽四重奏などの練習やアンサンブルコンサートなどで発表はあるが
本番前のあわただしい時間に、ポピュラーソングを2曲演奏するが、こうした曲は編曲者がチェロのことを分かってはいない
場合もあるのだろう。arcoとpizzの無理な切り替えやら、音の飛びが多く、音外しそうでどうなることやら心配は尽きない。

いずれにせよ、集中して取り組むことで、地域の人たちや、遠路やってきてくれる旧友たちに楽しんでもらいたいものだ。

 


晩秋のカエデスケッチ

2015年11月13日 16時29分14秒 | その他雑感

あっという間に紅葉も終わりそうなので、近所のカエデ並木に出かけた。

 

もう葉を落とした樹もあるが、今を盛りと「咲き誇る」ものもいる

 

カエデの紅葉は、この恥じらうような色合いが何ともかわいらしい

 

よく見ると、カエデの多くが実を宿している

 

からまるツルもちらほら色づいていた

 

降り注いだ落ち葉は、いたるところに錦絵を描く

 

あたりを見回すと、ピラカンサ(常盤サンザシ)も実をつけ

 

落葉寸前の葉もみつかる

 

つつじの一種だろうか、これもかわいらしい

 

クリスマスのころ、この樹だけが、赤い実で照らしてくれるようだ

すっかり落ちる前に、紅葉歩きができてよかった。