チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

先生の教えのエッセンスは一貫して「脱力」なのだ

2009年10月14日 00時41分13秒 | レッスン
 一流オケで長年チェリストだった先生に久しぶりにレッスンしていただいた。そこで改めて実感したことは、全ての基本は「脱力」にあるということだった。
 
 2年前の初レッスンから変わらない教えは「力を抜く」こと。肩や腕の力を抜いて、全弓で弾ききるダウンボーイングの練習を繰り返してきた。それでも力が抜け始めるのに1年近くかかり、ようやく自然と出来るようになってきた。

 ちょっとでも弓に余分な力が入れば、音が縮こまって「楽器が芯まで鳴らない」ということが分かるようになったのだ。ボーイングが良い時には、自分でも驚くくらい弓が弦に吸い付いてくれ、弓に圧力をかけないでもチェロが鳴ってくれるのも実感できてきた。

 すると先生からも「大体いいいです」とか「いいですね」という言葉が早めに出るようになってきて、最近では、アップを組み入れたり、右手の押さえかたの基本も取り入れてくれるようになり、いよいよ今回は左手の動き中心の時間に切り替えてくれた。

 その様子はというとこんんな具合だった・・・

 「まずG線の上を人差し指でこすって大きく滑らせて・・そうそうこすってこすってー・・すると自然に指が吸いつけられて止まるところがくる。それが弦を押さえるということ。そのとき全く握力は要らないはずで、親指は離れていてOKです。
 ネックを握っているのではなく、自然と指が弦に吸い付いたところに指をぶら下げている感覚で、腕には全く力が入っていないね。ではそのまま腕全体を上下に揺らしてー・・そう、それがビブラート。押さえ方、運指の全ての基本はその形にある」
 
 とまあコンナ感じだった。

 教えていただいた押さえ方は、これまで力任せに指板を握り締めるように押さえ込み、無理やり指を動かしていた自分流と比べると、まるで別世界。指や手の平(握力を出すような)に力はかかっていないのだ!

 その押さえ方からポジションを替える瞬間は、指を上から指板に、指の重さそのもので落とし込むようにする。言い方を替えれば指先で弦と指板を軽くタップする感覚だ。指で押さえつける感覚とは全く違っているのだ。
 そのように指を使って運指をすると、指を落とした瞬間に弦の振動が断ち切られて、瞬時に振動の長さが切り替わり、新しい音程で勢いを保ったままの音色を響かせてくれるのだ。

 逆に力任せに押さえたときの音色は、響き切らず、くすんだ音になってしまうことも先生は実験して示してくれた。軽やかに、瞬時に振動を断ち切りながら運指されたときこそ、チェロが美しい音色を奏でてくれるというわけなのだ。

 この左手の使い方を通してもう一つ気付いたのは、押さえた時の指の角度の違いだった。力任せの時の指の角度は、指板と直角になる。しかし「指を落下させる」方法だと、指は自然と弦に対して45度程度の角度を保っていることになる。いわばこれまでは、がっちり握り締めた労働者の指だとすると、新しいやり方は(これが本来なのだけど)バレリーナの足運びのような軽やかさなのだ。

 先生のように美しく響く音色、コンサートで「使える音色」に近づくには(楽器そのものの音色は別として)、この軽やかな運指と、力を抜いたボーイングを身につけることが基本だし、とても大事なことだと実感したレッスンだった。
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美しい響きを目指して、久しぶりのレッスン

2009年10月09日 14時09分31秒 | レッスン
 昨日は大型台風で千葉県から東京へのアクセスは一時壊滅状態。当然僕は「本日は出社あきらめます」と連絡して、台風情報などを見ながら一日をゆっくり過ごした。(列車に乗っている全員が新小岩駅で下ろされたりさんざんだったようだ)

 休みの理由には体が限界に達していたこともある。先日のコンサートの後はかつて無いほどの過密スケジュールで、演奏会の余韻など全く楽しめなかった。会場からそのまま駅に向かい列車に飛び乗り、新幹線を乗りついて仕事先に着いたのは夜遅くだった。それから遊び心を閉じ込めて、翌日からの仕事の準備、現地での仕事をこなして帰京してから集中会議・・・ああ何でこんな予定を組んでしまったか・・・とめげ気味のところに、恵みの台風到来(被災者のみなさまには不適切な表現ですみません)。強制休業となったのだ。

 一日だらりとしてみると、もはや次へのエネルギーの枯渇ばかりが感じられ、低下したエネルギーは体調に影響し、結局、本日もまたダウンとあいなりました。グタグタしながら、オーケストラのスタッフから配信された写真を覗いたり、コンマスからの「お疲れ様」メールを読んだり、そしてこのブログを開いて見たりしていると、いただいたコメントが効いたのか、元気が出てきた。「練習しなくっちゃ」というファイトが出てきた。

 実はコンサートで一番印象に残ったのは、家内の言葉だった。「チェロの先生の音だけははっきり分かる。他の誰よりも美しい音で聞こえてくるから、先生の音だけならいいのに」などどノタマウのを聞くと、ちょっと悔しい気持ち。「クッソー!俺たちだって頑張ってるんだぜ!8人一緒だからきれいな音楽になるだからな!」などと言いたいところなのだが、一方で確かに、自分でも先生のチェロの音色の違いを感じているから「そうだね、先生はすごいんだよ」などと受け流してしまう。しょうがないね。

 家内の言うとおり、トラとして今回入ってくれたプロオケの先生の音は、他のチェリストの音色と全く異なっていると感じるのだ。チェロのエキストラには、近隣のアマオケの主席奏者クラスが何人かいて、チェロ暦40年選手のベテランも含まれている。その方々の音色を単独で聞くと「素晴らしい、あと何年経てばあのような演奏ができるのか想像も付かない」というレベルなのだ。つまりすごく上手いのだ。

 それなのに、先生が楽屋で、あるいは舞台サイドで軽く練習を始めると、全く異次元の空気に変化する。本番でのソロ部分、あるいはチェロが高音でリードする部分になるともっとはっきりと先生のチェロの音が識別できてしまう。音が大きいのではなく、透き通ったよく通る響きが伝わってくるのだ。先生の楽器が破格のクラスであるのは確かだけど、それだけでないことは直感的に分かってしまう。

 そんなこんなで、先生にレッスンお願いのメールを打った。したら嬉しいことに土曜日のレッスンが取れた。明日行っても、どうせG線でのロングトーンだけかもしれない。
 移弦の仕方とか、フレーズの運び方とか、チェロの色々な技術を教わりたいけど、先生は「これが出来ればチェロの80%はできたことになる。指が回るとかはいつでもできる。美しい音が出せないと使えない」とおっしゃる。始めは「何で?」とも思っていたが、少しずつ技術が向上し、耳ができてくると「先生の言うとおりだったと納得している。「いくら力んでも、弓が動いても、美しい音にはかなわないんだ」と感じている。

 これからも美しい音を目指してレッスンに、練習に励みたい。
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秋のファミリーコンサート、いい感じで終了できた

2009年10月05日 01時37分36秒 | コンサート
 前日の大雨が嘘のような好天のもと、秋のファミリーコンサートが楽しく終わった。今年の”ファミコン”のメインは「スターウォーズ組曲」。あのダースベーダーのテーマやらヨーダのテーマなど5曲編成。それからホルストの「火星」エルガー「威風堂々」チャイコ「眠りの森の・・」などなどのほか、アンコールには「天地人」のテーマまで登場するまさに「てんこ盛り」の状態。金管楽器にとっては地獄の苦しみだったと思う。

 でも僕はファミコンが好きだ。曲目がポピュラーでお客さんの受けが全然違うし、演奏していても馴染みの曲目は乗りが違う。指揮者もアドリブで曲や楽団の解説をしたり、子供向けにトトロのテーマを使って楽器紹介したり、赤ん坊の泣き声が混じりこんできたり、まさに「秋祭り」という興奮もある。

 比べちゃいけないのかもしれなけど、定期演奏会といえば、いかにもクラシックコンサートでございとばかりに、堅苦しい雰囲気になってしまう。曲の解説やナレーションもなく、指揮者も黙ったまま。普通の人が聞きに来るんだから、ちょっとくらい愛想良くしてもいいと思ったりするんだけどな・・

 それから今年のファミコンが特別なものになったのは、息子が嫁さんになるお嬢さんをつれてきたこと。それだけで気持ちは高ぶるし、爺(ジジイ)が汗だくでオケに食らいついている様を見てもらえるのも、なんだか面映くて普段のコンサートよりもっと汗びっしょりになってしまった。

 ところで肝心の演奏の方だけど、今回も合格点を自分にあげるわけにはゆかないなー。8割出来て100点とすると、やっぱり85%できるようになっていても、本番では70点しか取れていないと思う。なぜなのかだけど、最近全体との調和、ハーモニーやらタイミングやらが気になってきた。自分ひとりで練習している時は「90%クリアー」などと思っていても、いざ全体合奏してみると、ちょっとしたタイミングのずれが致命傷になる。

 こんなことはソロ楽器の管族にとっては当たり前なのだろうが、人数が多い弦族に紛れ込んでいた自分でははっきり気づいていなかったのだと思う。それが少しずつ技術が進んで、周りを気にし、アンサンブルに気を使えるようになってくると、いい加減をしていると自分自身がそれに気づいてしまい、容認できなくなってきたのだと思う。

 ま、これも一つの進歩だと思って、更なる前進に向けて技を磨いてゆこうと思う。そして、正味で80点を取れるように。
コメント (3)
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