チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

あすは家人の手術

2011年09月28日 23時51分51秒 | その他雑感

男性には存在しない器官に、筋腫というものが増殖し、限界となった。

手術を選択するまでの苦労は傍で見ているより大変だったと思う。
「年齢と共に筋腫は自然消滅することが多い」との医師の教えもあり、
この半年、肉類、米穀類、は一切摂取しないで努力をしてきた。

周辺の知り合い、オケの関係者、会社の同僚などとの会話から、
女性にとっては普遍的で、手術を経験している人が多いことに驚かされもした。
彼女ら経験者は「早く手術しなさい、楽になるから」と一様にアドバイスしたそうだ。
それらの声に逆らって、自助努力で乗り越えようとするにはかなりの精神力がいる。

しかし自然とはすごいもので、野菜ジュースだけでも筋腫は拡大を止めなかった。
(とばっちりで、ジュース食に高確率でつきあった我が腹も出っ張ってきたりして・・・)

以前から予定していた入院とはいえ、8日間とはおおごとに感じる。
まるでヨーロッパ旅行に出かけるくらいおおきなスーツケースを積み込んで
都心の病院まで送り届けた。

私立病院だからなのか、受付はクラスを感じさせるシックなホテルのよう。
病室は僕の利用するようなビジネスホテルを完全に超えている。
美しい絨毯、壁紙、シャワー室も地デジやネット、冷蔵庫も完備しているだけでなく
病院食は有名シェフのまかないだ(それでも保険が適用されてる・・・)。

ケアも公立病院とは全然違う。複数の担当医師、看護師など、様々な人が訪れ
インフォームドコンセントを超えて、患者への心遣いが徹底されている。

手術のガイダンスで看護師が「音楽は何にされますか」とたずねた。
大好きな徳永英明のCDやDVDを20枚近く持参したものの、
失恋やら片思いの歌では、さすがに心もとなく感じたようで
「やっぱりクラシックにします。アベマリアをお願いします」
と注文していた。

手術中は全身麻酔で、音楽が本人に聞こえる訳でなないのだけど、
どんな曲を注文するか分かったものではないのに、患者の好みに合わせるという。
医師のサービス精神もなかなかすごい地点に到達しているのだな~と驚く。

でも、どれだけ気持ち良い施設でも、面倒見が良くても、手術は手術だ。

ぼくなど喉の奥をほんの2~3センチカットしただけで、
大変な目に会ったと感じていたのだから
体を切られるということは、想像を絶する。

男にできることは、出産と同じ。
明日は病室でやきもきと待って、マリア様にお願いするだけだ。

追記 イギリスでは手術中に90%近く音楽をかけているという記事を読んだ。
    愛読している「善福寺手帳」さんだ。http://ze.blog2.fc2.com/

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嵐の中出発した 西方への旅が・・・

2011年09月21日 16時10分52秒 | その他雑感

台風15号が東海地方に接近している中
東京駅で「日本の味博覧」を買い暴風雨に向かって出発した。

40分もすると小田原で「こだま」は止まった。
やがてお隣に「のぞみ」も止まった。
珍しい光景だ。
いつもなら車体を揺らしながら追い越してゆくのに。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

小田原でそろそろ3時間半近く足止めとなっている。
今は富士川が危険水位を超えたらしくますます動きそうもない。
吹きすさぶ嵐で、架線が揺れ、車体が揺らされる。

運転見合せの原因は
はじめは強風による運転停止。
次に浜松~掛川間のの電源障害。
今新たに富士川が危険水域を越えたことが加わった。

今車内放送によると
「何箇所かで電力故障と倒木があり対応できず、
 運転再開の目処は全くたっておりません」
「お客様には旅行見合わせをお願いします。」
「でも、小田原駅降りられましても在来線は止まっていて、
 車での移動も難しい状況です」
だって。

だったら ど~せ~っちゅうの?

駅周辺は猛烈な風が吹き荒れている。

手持ち無沙汰となり、ホームに出ると・・・
久しぶりに、間近で聞く猛烈にな風の音に包まれる。

そんなホームでのんびり(-.-)y-~できているのは
JRの重厚な過剰品質と思っていた施設の賜物だ。

表は嵐でも、新幹線の内側は空調も利いていて快適。
再びパソコンに向かって明日の仕事の準備を始めようか・・・

う”ぇ~!

今車内放送で
「本日は三島駅までの運転となりました」
「三島名古屋間は停電となっております」
「三島から東京までは運転を再開する予定です」

到着は夜中・・・と思っていたけど・・・無理かもしれない・・・

追記

午前2時、目的地のつま恋に到着。
東京を出たのが午後1時だから13時間かかった。
小田原で5時間足止め、熱海3時間半。三島で運転打ち切り。この段階で午後10時半。
周辺全てのホテルが満室(沼津まで調べたけど)新幹線が止まって東海道の全ての都市で満室なんだろうね。
仕方なく小一時間行列に並んでタクシーに乗ったものの、
東名は通れず、旧東海道は大渋滞。3万5千円掛けて3時間タクシー旅行となりました。
ふ~、こんな経験して初めて、被災地の人たちの苦労が実感されるというものです、

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徳永英明 新潟コンサートのお供

2011年09月20日 00時53分59秒 | その他雑感

コンサート会場は「新潟県民会館」。
まだ時間があったので、せっかく日本海側まできたのだからと、
タクシーに頼んで海岸を通ってもらうことにした。

初めて見る新潟の海岸は、どんよりと、重苦しく雲が垂れ込めていた。


<季節外れに荒れた日本海>

運転手の案内では、この海岸で北朝鮮による拉致事件があったのだという。
彼自身、子供時代には日本人とは思えない険しい目付きの人間が上陸するを目撃していた。
拉致事件は新潟では今、目の前で起こった、身近な事件なのだ。
なぜか、運転手さん、途中でメーターを上げてしまい、料金を大幅にサービスしてくれた。

10分ほど前に、新潟ライブの会場に到着。
東京国際フォーラムと違って、会場前に行列はなかった。


<新潟県民会館>

ホールに入ってみると、会場入口には人があふれ
コンサート会場は、新潟も完全な満席状態だった。


<入口付近は人でごったがえしていた>

着席したのはステージから11番目。舞台は間近にせまっている。
お供とはいえ、二回目となるとじっくりと聴こうという構えができる。

緞帳が上がり、現れた徳永が歌い始めた曲は「時代」。
最初の一音から徳永英明ワールドに引き込まれてゆく。
中島みゆきの歌だったことを忘れそうなほど、見事に徳永の曲になっている。

続いて「抱き締めてあげる」 「輝きながら」 「ハナミズキ」と続けたあと

「日本には世界に知ってもらいたい国宝級の歌があります。
その中でも最も国宝にしたい曲を歌います。 いい日旅立ちです。」

徳永の熱唱はすばらしかった。
聞きながら、確かに歌に国宝がないのはおかしいと感じた。



<終了後張り出されたリスト>

今日の徳永は珍しく饒舌だった。

「 新潟のお客さんは、じっくり話をきいてくれるので」
・・・といいながら、徳永の人間性に触れる沢山のMCがあった。

その中で印象に残った話を思い出してみよう。

「最近動かないで歌うようになりました。」(一ヵ所に立ち尽くして歌いこんでゆく)
「しかも、年々 立っている輪も小さくなったきている」(会場笑い)
「若い頃は、ライブのときは、自分の歌に 自信がないからアクションでカバーしようとしてました」

・・・それが、 CD「Vocalist」を出したあとは、歌を聴きに来てくれていると感じているので、
   歌うことに集中しようとしているという (聞き取りにくいので一部想像)

「 お陰さまで25周年を迎えることがでしました。
 25年もやってきたのだから、自信があるように見られるけど、
 歌手としての自分に自信を持ったことは一度もありません」

・・・そうなんだ

「子どものころには、自信みたいなものを感じた瞬間もあったかもしれませんが、
 僕は自分に自信というものを持ったことは一度もなかったし、最近ではますます
 これでいいのかと感じることが多くなりました。」

・・・謙虚な人、本物はみんなそうだよな~
  映画監督の山田洋次氏も、作品がどう評価されるか、ただの一度も
  自信を持ったことなどない、いつも不安で一杯だという話を読んだことがある。

「僕があこがれ、尊敬するアーティストの皆さんも、同じように感じているようです。
 でも、最近は自信はないけど、勇気を出すことはできるようになりました。」

・・・・やはりそうなんだ。 こうして自分を語れることは、なかなかできるものではない。
   新潟の会場に集まったファンとの一期一会が生み出した特別な「場」が語らせるのだろう。
   徳永はこんな内容をとしみじみ語ったあと

「そんな自分は中学生のころ、いろいろな歌をラジオて聞いて励まされていました。
 そんな自分の体験があったから vocalistの歌を歌おうと思ったのです」
・・・といってユーミンの「卒業写真」を歌い始めた。

先日家内も、盛岡まで追っかけてライブを聞いてきたけど、盛岡に比べて徳永のMCが
「はじけていた」のは、新潟のお客さんは上品なので(静かに聞き込む人たちが多かった)、
徳永の語りたいという思いを引き出したのではないかと言っていた。

コンサートは16時に始まり、18時ちょうどに幕が下ろされた。

新幹線の時間までわずかだったが、せっかく新潟まで来たのだからと、帰りの運転手さんに
「新潟で美味しいものを短時間に食べられるところを」とお願いして 駅前のそば屋さんに送ってもらった。
看板には ”新潟の郷土料理・佐渡の味 「越後番屋酒場」”とあった。


<行灯に火を入れて持ってきてくれる>

節電ではなく、薄暗く明かりを落とした古風な雰囲気のお店で、
各席には行灯がともされている。
店内にしつらえた 大きな酒樽の中で談笑している客もいる。

新潟名物「へぎそば」に日本海の刺身盛り合わせを注文し、コンサートの余韻を楽しんだ。


<運ばれてきた海幸・山幸>

どれも美味しかったが、極め付きは、とれたての甘海老。これは絶品だった。
目の前にバネ計りを持ってきて、食べたいだけエビを載せて、計り売りしてくれる。
それを刺身や唐揚げにしてくれるというので、これには本当に感激した。


<計り売りの新鮮な海老>

本当の名前は「甘海老」じゃなかったと思うけど、
でっかい子持ち甘海老みたいな新鮮なエビだった。

また行こう! ライブは無くても。 美味しい新潟へ!

 

 

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ハイバリって何だ?

2011年09月19日 01時54分23秒 | 市原フィル

「今度はハイバリ」って言われて何のことか分からなかった。

「歯威張り・・」
「ハーイ バリー!」
「灰原・・・ナニワ金融道じゃないし・・」
「這いつくばり・・じゃないよね」
「ハイトーンがバリバリ出せるかな・・」
「high volleyならボレーシュートだし・・」
・・・
思い当たらないので先輩に聞くと
「ハイドン・バリエーション、定演の前曲に決まった」とのこと。

なーんだ、今度の定演会場は少し小ぶりだから、ハイドンなんかやるのね。
市民オーケストラの台所事情では、管楽器の降り番が増えるから、
モーツアルトすらなかなかできないのに、よくぞハイドンをやることにしたな~と感心した。

とろでその「ハイバリ」ってどんな曲なのか調べてみようとHaydnで検索しても
なかなかそれらしい曲目が出てこず、Brahmsに突き当たる。

「なんでブラームスが出るの?おかしくない?」とさらに調べると
ハイドンバリエーションの正式な名前は(英語しかわからないけど)
 「Variations on a Theme by Haydn」 (ハイドンの主題による変奏曲)で、
作曲家はブラームスで正しい。つまりハイドンのテーマを基にブラームスが変奏したらしいのだ。
小編成の室内楽などではなく、フルオケでベルリン・フィルなども演奏していることも分かった。

「でも本当にハイドンが作った主題なのかな?」と気になりウィキペディアで調べると・・・

『ブラームスは1870年に、友人でウィーン楽友協会の司書、カール・フェルディナント・ポールから、
当時はハイドン作とされていた《ディヴェルティメントHob.II.46》の写譜を示された。』

とある。・・・ということは、ハイドンじゃないのか?・・・

『その第2楽章は「聖アントニウスのコラール」と題されていた。
ブラームスが変奏曲の主題に用いたのがこれである。』

な~るほど、それで・・・

『近年の研究によって、ディベルティメントそのものがハイドン作でないか、ディベルティメントが
ハイドン作であっても主題であるコーラルはハイドン作のものではなく、古くからある賛美歌の旋律を
引用したものと考えられているため、最近は《聖アントニウスのコラールによる変奏曲》と呼ぶ向きも
見られるが、一般には《ハイドン変奏曲》との呼称が定着している。』

つまり、主題の中心はハイドン作ではなく、古くからある讃美歌だったようだ。


さて、その「ハイバリ」の初合わせがあった。実に大変な曲だと分かった。
主題+8変奏曲まであるけど、後半にゆくほど難しくなる。
主題こそハイドンを思わせる、典雅な雰囲気なんだけど、Va1からは一弓で
長い三連譜を弾かなければならないなど、うまくやらないと弓が足りない部分も出てくる。

その後Va2以後 animato→piu vivace→Con motoと、どんどん難しくなり、
・・・第5変奏曲のvivaceではとうとう演奏不可能、演奏放棄となった。
優美なコラールが、チェロ主席でも往生するような、凄まじい速さに変換されているのだった。

ここに至って左指と右腕が利かなくなり 練習を断念して、退散することになった。
午後一杯チェロアンサンブルで練習してきた疲れが出てしまったらしい。

チェロ主席が「ハイバリを初見で演奏するのはやばい」との配慮で、直前まで下練習をしてくれていた。
弾けないことを前提に、あえて本来の速度で、一通り流してみるという練習は大変有効だと思った。
その前には、チェロアンサンブル用の練習もあり、どうやら現在の自分の筋肉の限界となっていたらしい。

その結果、まことに情けないことに、総連後半を断念となってしまったのだった。
・・いわゆる「走り込みが足りない」状態がはっきりした。

我が体力・気力不足はさておいて、ハイバリに初めて触れて思ったことは、
「変奏曲」というのは現代でいえばJazzのアドリブと似ているな~ということ。
Jazzだと、テーマは何でもOK。最初の8小節か16小節をどこからか持ってきて
あとはその雰囲気を感じながら、次第に崩してゆき、最後は原曲の痕跡もないくらいに
演奏者が感じるままに、インプロビゼーションが繰り広げられてゆく。

ハイバりでも、美しいテーマが、時には激しく、荒々しい曲想にまで変えられ
途中痕跡も感じられないまで変貌し、最後には堂々たるテーマに戻る樣は面白く、
もしブラームスが現在生きていたら、Jazzにのめり込んでいたかもしれないと思った。

 

う~ん、それにしても 散歩、ストレッチ、走り込み・・・
大嫌いな体動かすことをやらないと、とても練習についてゆけなくなりそうだ。

 

 

 

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今さらながら 弓の持ち方の間違いに気づくなんて!

2011年09月11日 01時42分08秒 | レッスン

「どうして弓が手の中に上手く納まってくれないのかなー」と最近頭をひねっていた。

特に、アップからダウンへの切り替えの時、切れ目なく切り替えることができない。
弓が”手の中で踊ってしまう”という感じから抜け出せないでいた。
師匠なら「一旦弓を離してしまっているから音が切途切れてしまう」と言われるだろう。

今日のレッスンもG線のダウンから始まったけど、弓がしっくりこないことが気になり、
「右手をどうやって持っているかもう一回見せてください」と師匠にお願いした。
4年間、何度も弓の持ち方をチェックしてきたけど、これが最後だと思いつつ・・・

師匠は弓を構え、先端を左手で持って、両手を突き出して見せながら
「以前から言っているとおり、中指をやや斜めに弓に巻きつけるように持って、
 親指と中指の二本でしっかりと押さえたら、あとの指は添えるだけです」
僕もそっくり真似して、中指を巻きつけ、親指をフロッグの角に押し当てる。

「でも僕がやると指が動いちゃうんですよね~」と言いながら
師匠の右手を下から見たり、横からのぞき込んだりする。
もう二度と持ち方の確認をすることなどないように、しっかり見届けようとした。
すると、親指の位置が少し違うような気がしたきた。

はっきりしないので、師匠の手を持ってひっくり返して、もう一度しげしげと見た。
微妙に違いがある気がした。
「あの、親指はフロッグの角に当てていますよねー」と自分の親指の右の角を示すと
「いえ、触っている程度ですね」
「えー! 親指のここの角を毛箱の角に当てないんですか?」
「なんでそんな無理なことするんですか」
「でも・・ものの本によると、ここをここに・・こうやって・・当てて・・・」
「それじゃ痛くて弾けないでしょーぅ」

先生は、僕の持ち方を真似してチェロを構えて弾き始めた。
「・・でも弾けなくはないか・・・親指だけは固定するということか・・・」
とやってみたものの、やや呆れながら
「こんな難しいこと誰から教わったんですか?」と聞かれた。
そういえば誰にもそんなこと教えられていないと思い当たる
「いえ~でも皆そうやってフロッグの角に押し当ててるかと思ってました」
「なんでそうやって難しくするのかな~・・」
「いや~ナイフとフォークでご飯食べるときに、フォークの背中に
ご飯載せて食べてましたよね、あれと同じで、チェロも難しいので
日本人は一番痛くて難しいやり方でやっちゃうんですよね、きっと・・」

おおい、とうとう日本人の民族性まで持ち出して自分の間違いを
ごまかそうとしてるんじゃないのかい?
 でも正直なところ、なんで西洋人は、毛箱の角をとんがらせてこんなに痛い
思いをしながら弾いているんだろう?日本人ならこんな構造にしないのに・・・
とマジでフロッグの構造問題に疑問を感じていたのだった。
実は単に、持つ場所が違っていたのね・・・とほほだよ全く。

先生の言うとおり、親指と中指で弓の竿をもって弾いてみると(フロッグの角でなく)
弦の発音もスムーズで楽だし、弓も安定して動かしやすいことが実感できた。
この4年間、金科玉条に守ってきた指の当て方が全く違っていたのだ。
どこかで読んだ解説を、自分なりに解釈して、その理屈で通してきたのは明白だ。

どうして、こんなことになるんだろう・・・

フラッシュバックのように思い出したことがある。


~~~
大学の体育の授業で、初めて硬式テニスラケットを持って練習をした時のこと。
「なんでラケットの面を横に構えて握っているのに、ボールが前に飛ぶんだろう」と
疑問でならなかった。
腕を無理にひねってサーブしても、ボールはまともには飛んでゆかなかった。
打ち合いの練習になっても、ラケットの持ち方ばかり気になって全然楽しくなかった。

そのうち、級友の一人が、スムーズにラリーを始めると、先生は「いいね~」と褒めた。
でも彼の持ち方は、ラケットをスクウェアに持っていないし、自由に角度を変えて打っているのだ。
「僕は先生に言われた通りにやっているのに、ずるい・・」とクサクサしたのを今でも覚えている。

でも彼は間違いなく、自分なりに工夫して見事なラリーをこなしているのは事実だ。
「教えられた通りにやっているのに・・・」という”思い”と、見事に打ち返している”現実”との間に
矛盾・葛藤が生じてしまっていた。
目的は打ち合いなんだから、現実を直視すれば、自分の何かが間違っていると考えざるを得ない
~~~


そんな大学時代の出来事を思い出しながら、理屈と現実のズレを直視せず、
自分の中の理屈・理論を優先する癖が全く治っていないと思わざるを得なかった。
チェロの弓との接点も、そんな、自分なりの頑なな思い込みによって、
柔軟性を失い、状況に合わないことになっていたのだと思う。

ま~そんな苦い思いもよみがえってはきたものの、今日はよかった。
不安定だった弓のグリップが、これで改善されると確信したのだから。

そうそう、師匠に聞いてみたっけ。
「先生でも持ち方や、ダウンボーイングの練習をするんですか?」
「ずいぶんやりましたよ」
「若い頃ですね」
「いや、5年くらい前からです」
「どうしてですか?」
「持ちかた変えたからです。演奏しながらだったから大変でしたけどね」
 トップオケの団員を続けながら、奏法を変更することの重大さを想った。
芸大時代に習ったのは3本指での支持だったが、それでは大きく深い音が
出せないと気づき、今の二本指での持ち方に改造をされたという。

今、僕は30年近い実践研究のエッセンスを学んでいることに改めて感謝した。
きっと、これからは練習結果が積み上がって行けると思う。

それから、こんな基本中の基本の誤りに
4年も気づかずに 今発見されるなんて、なんとも愉快だ!

<参考>
フロッグ(frog)=毛箱、弓のエンドにある黒い箱で毛を支えている。
(下記画像はいずれもgoogle検索で拝借してます)
   
(写真を見ても 親指がどこに当たっているか判然としない)
    

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最高のラウンジで 束の間の贅沢

2011年09月08日 00時57分31秒 | その他雑感
家人のオペが決まった四谷の病院から 上智大学の横を歩いて赤坂方面へ向かった。
秋めいたお堀あとの遊歩道は気持ちいい。

「ママ~♪ドゥユーリメンバー♪」なんて歌いながら進むと、緑の中にホテルニューオータニが見えてきた。
(これって古いよね、元気な時代の昭和に流行った映画の舞台だったことがどうしても焼き付いている)

元気づけと 早めの誕生祝いを兼ねて、ホテルニューオータニ17階スカイ・レストランに行くことにした。
最高級ホテルとはいえ「昼のバイキングなんて、大したことないだろう~」と
意を決して直行エレベーターで最上階のレストランに上がる。
都心全体が見渡せる明るい窓に面した席に案内されると
「お飲み物は何になさいますか」と問われれば、そうだよね、何か頼むよね。
こうしてドリンクも頼んで、和洋中好きな料理を取りにゆく。

料理をもって席に戻ろうとすると、もとの場所に席がない、お~動いてる。
今も止まらず360°見渡せるラウンジは回り続けているのだ。
ウェイターに「船橋ららぽーとの最上階は止まってしまったけど、ここは今も健在ですね」
なんて褒めたつもりで言ったところ・・・
「そうでございますね、あちらはオークラさんでしたね」
あへ!ららぽーとは違ったんだ。一回お茶飲みに行っただけだから・・・

真っ先に口に入れたのは天ぷら。目の前で新鮮な魚介と野菜を揚げてくれる。
一口食べて「うっめ~!」
二口食べて「うっめ~!」
天ぷらも、ステーキも、スープも、お寿司もぜ~んぶ「うっめ~!」の連続だった。


さすがニューオータニ。どの料理も一切手を抜かず、最高のお味。
めぐりめぐるレストランと、固定されている各料理コーナーの関係が変化するのも面白く、
あちこち回っては、気にいった料理を少しずつ持ち帰る。
途中頻繁にウェイター、ウェイトレスが取り皿を片付けに来る。それも大変スマートだ。

明るい全面窓ガラスの向こうでは、東宮御所、迎賓館、新宿や池袋へと次々と景色が変わってゆく。
大手町、銀座を過ぎて、真正面が赤坂見附に戻るまで、一周70分はあっという間だった。

最後はデザート。マンゴーゼリーも、プリンもこれまでに食べたことないくらおいしい!

二周回ることもないので、食事に景色に満足してレジに向かってチェックをお願いした。
「○○○○○円でございます」
「!」 「?」 「!」 「ぎょえ~!!!」
この30年間払ったことない想定外の数字。
スマホで調べ、予算設定した2倍の金額だった。 

心の声を隠して、笑顔でカードを出すと
「お支払いは1回でいいですか」なんて聞かれもしないんだね。
「もう少ししますとメニューも変わりますのでお待ちしてます」
「はい、また来ます」
などとお愛想しながらエレベータホールに。


エレベーターのドアーが閉まると同時に
「すっげー高っけー!」
「高かったね~」
と二人で息を吐き出した。

なんでここまでのお値段になるかというと
「お飲み物いかがですか」
「はいよろしく」
「コーヒーをお持ちしましょうか」
「はい、お願いします」
てな具合に、バイキングだと思って調子に乗って頼んだドリンクは全て別料金。
しかも一杯のドリンクはおいらのランチ二日分くらいなのだった。
サービス料も当然、人数分のお値段が加わるのは当然だよね。

ビュッフェという形式は、専門店で一品一品頼むよりも安いんだろうけど・・・

もう来れないかもしれないけど・・・

でも本当に美味かった!

できれば、いつかは、また来たい!

この満足感だけはしっかり覚えておこう!
コメント (4)
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クラリネット五重奏をYouTubeで集めて研究中

2011年09月06日 22時36分53秒 | アンサンブル

モーツアルトのクラリネット5重奏曲で、チェロはどうやて演奏しているのか
少しでもいい演奏をしたいと思って、YouTubeを検索しまくってみた。

出てくる出てくる。クラ5は本当にアンサンブルの人気曲なのだと感じる。

 

様々な国、様々なレベル、様々な年齢や組み合わせの演奏の

「いいとこ取り」をして、自分の身の丈に合った演奏方法を

決めたいと思っている。

 

1)http://www.youtube.com/watch?v=K_pTcHqWQ8o&feature=related

プロらしいこのチェリストの真似ができたら一番いいかな~と思っている。

でも高音DEを3弦でとっているので、ちょっとまねは危険かな~
最後の動きも、4弦で11と動いているのは師匠からも教えられた。
この動きがプロなら基本らしい。

 

2)http://www.youtube.com/watch?v=sq2ADjjT24k&feature=related
最初にこのTube見たとき、指の取り方にもいろいろあると思った。

メガネの女性チェロ奏者の目の動き、他の演奏者をよく見ているのが分かる。
コメント欄に
"Don't think rhythm. It's all about melodic line. Try singing it."

というアドバイスが書き込んであるけど、リズムではなく歌えということなのか・・

 

 3)http://www.youtube.com/watch?v=aQZ5_welrEw

全員女性メンバーで、息のあったクインテット。
カメラアングルが固定で、チェロの女性の運指とボーイングが完全に

トレースできる。コメント欄に・・・
"keep the tempo at a slow speed all the way through"

とあり、スローテンポを維持するのは難しいという感想に納得

 

4)http://www.youtube.com/watch?v=Vyl7ZQMi5Bo&feature=related
このチェロの男性は、Dの処理でとまどったのだろうか・・
自分の鼻をかいているのはそのせいかもしれない。
他の演奏者はDを3弦のフラジオレットで取っているので、
失敗はしにくいはずなんだけど・・・

 

http://www.youtube.com/watch?v=TWAIGbdZ8Bs&feature=related
少し若い集団。コメントにある ”Technically solid - but a bit boring!”
というのは、「技術はあるけど退屈」ということか、ん~厳しい。
チェロを弾いている女性の、最後の取り方は弾きやすいと感じた。

 

6)http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=fmM3RrVkmHE

最後はチューリッヒのおじさんたち。
チェロのおじさんの運指は高いところ使ってないので一番まねしやすいかも。

 

 

You tubeに載せるということは、様々な批評にさらされるということ。

投稿していただいている世界の方々の勇気には驚くし、そのTubeをみて
いろいろコメントを入れている人も様々なのに驚く。

 

 僕としては、いろいろなレベルの演奏、様々な演奏の仕方、運指の取り方の

参考になり、これほどありがたい情報ソースはない。

 

そういえば、バイオリンはミュートを付けているけど、チェロはミュートなし。

低弦のリズムの役割は重大ということか。
気合入れて練習しなくっちゃ!

 

  

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反省ばかりのクラ五重奏曲初合わせ

2011年09月04日 23時07分29秒 | アンサンブル

モーツァルト クラリネット五重奏曲第2楽章の初合せが行われた。

前回はオケ大先輩の”クラ爺”との「秘密練習」だったけど、今日はフルメンバーでの初合わせ。
バイオリンとビオラの3人の女性とは初顔合せだし、僕にとって舞台に立つ目的のアンサンブルへの
参加は初めてのことなので、一体どうなることかと少々不安を感じなが先輩宅に向かった。

”クラ爺”の家は田園地帯の一角。開け放たれた畳の居間が練習会場だ。
さ~合わせようかというタイミングで、「ま~少しつまんでからにしましょう」と先輩は
自家の畑で採れた作物を持ってきてくれた。
お話を伺っていると、女性の皆さんは千葉県の他の市民オケに所属しながら市原にエキストラ出演し
その他いろいろな楽団にエキストラで参加されているとのこと。

「ん~エキストラで呼ばれる実力者のなかに、こんな初心者が紛れ込んでいいんだろうか・・」
と緊張するものの、氷のなかで冷やされたミニトマトにみんなで手を突っ込んでつまんだり、
ナシをほうばり、冷たいウーロン茶を飲みながら談笑していると、いつの間にか気持ちもほぐれてきた。
ここらへんの呼吸というか、もってゆきかたは、さすが楽団を長くまとめてこられた先輩の持ち味だ。



            
        <アンサンブルの前に「山幸」をいただく>

「さ~そろそろやりましょうか」と頃合をみはからって声がかかり合奏が始まる

敷地が広いこともあり、4方の窓やドアーを開け放ってのアンサンブルは気持ちいい。
少し蒸し暑いけど、心地よい風が吹き抜けてゆく。
庭のワンちゃんもアンサンブルに合わせて吠え続けている。

最初こそ なんとか皆に合わせていけたものの、どうしたことか、途中で合わなくなり・・・
それでもなんとか追いついていったが、また見失ったりする・・・
「おかしいな~自分一人でやっている時はこんなはずではないのに・・・」
「前回クラリネットと二人での特訓でも、こんなことはなかったなずなのに・・・」

自分一人で練習していると出来たように気になっているけど
合わせてみると、譜面そのものが読めてないんだな~と思えてくる。
それと、テンポを把握できないというか、どうにもLarghettoの速度に体が馴染んでゆかない。
初めてバイオリン2本、ビオラとクラリネットで合わせたので、バイオリンやビオラに
引きずられてしまい遅れたりウロウロしたりがあちこちで出てしまった。
初本番に立ったときのように、なんだか全身からいやな汗が滲み出てきている。


つっかえつっかえしながら1~2回合わせたところで、女性陣から厳しい指摘があった。

「チェロは遅れないで、先に入って欲しいんですけど」
「そうそう、和音は低音からだんだん積み上がってゆくようになるのがいいから」
「もっと自信を持って弾いたらいいと思いますよ」

一人練習のときは、音程ばかり気にしていたけど、アンサンブルではそれだけではダメなんだ。
一瞬にして、自分の思い込みや癖が皆に指摘されたことが分かった。
それと、いつもトップの陰で、遅れ気味に出ている癖がここでも出てしまっていたのだと。
オケ練では、極端に言えば主席に追随して遅れ気味に出ているのだろう。

そんな言い訳めいたことを口にしたものだから
「オケでも同じこと」
「チェロには先に出て欲しいのよね」
「先にチェロがでないと私たちどこで出たらいいかわからなくなるから」
と、普段感じているオケ練での演奏のしにくさも言われてしまった・・・大いに反省。


その後、テンポ感の悪さは、全員ミュートを付けているからかもしれないとの指摘があり、
譜面にはcon sordinoとあるものの、一度ミュートを外してやってみようということになった。
やってみると、今度はなんとか最後までそこそこ満足できる音楽になってきた(そうだ)

「ま~、ここらでいいでしょう」
と”クラ爺”のお言葉で、合奏を終えて、小一時間の雑談をして解散となった。

さ~ここからが大変だった。

自宅までの車を運転しながら録音した演奏を聴いてみると・・・
演奏しているときと、後から録音聴くのでは大違い、
彼女たちの指摘が、かなり控え気味だったことが手に取るように理解できた。

「あ~ここ、突っ込んでる」
「あっ!入る場所間違っている」
「え~そんな危なっかしい音出したらみんなの迷惑だろ!」
と自分のいい加減な演奏にだんだん声が大きくなり・・・
「ばか~、なにやってんだ!」
「みっともない!」
「カッコ悪り~」
まさに車内は絶叫の連続になってしまった。

あまりの恥ずかしさに、目をつぶってアクセルを踏み込みそうになったり
目を回して、思わず黄金色に輝く田んぼに突っ込みそうになる。
自分の演奏を聞くということは、「ガマの油」と同じでまさに命懸けなり

録音を聞いてはっきりしたことは、自分がアンサンブルを乱しているという現実だ。
「チェロは少し早く出て」という当然の要求も手に取るように分かった。
実は、指摘してもらったときは、どう対処したらいいかよくわからなかったので、
なんでも早く出りゃいいってモンんじゃないのに、全く調子っぱずれは突っ込みで
アンサンブルを乱していたことも判明した。
「早めに出る」のではなく、テンポをリードしてゆけばよかったのだ。

それもこれも自分が「主体者」になっていないことが最大の原因だと思った。
クインテットの基底部を支えるとともに、全体のテンポを作り出す役割を果たして行かなければならない

「聞くに耐えない」けども、今回は録音していて本当によかったと思う。
みんなの指摘を、自分の耳で確認すれば、何が問題かははっきり把握できる
問題が分かれば、対処の仕方もあろうというもの。
技術、腕前はそう簡単に上がらないとしても、アンサンブルのポイントだけは
外さずにやろうと思う。

次回の練習までやく1箇月あるけど「ごめんなさい」を言うよりしっかり練習だ。

コメント (4)
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