【2日目】
恵那峡を望む高台にある宿、朝起きてみると曇空である。当初予報で晴天のはずが昼前後に雨が降るという予報に変わっている。タクシーで恵那駅に戻り<大井宿>の街道歩きを始める。大井宿のはずれ、中央西線の踏切を越えると十三峠という上り下りの続く森の中の土道になる。槇ケ根一里塚で雨が降り出し傘をさす。この後、雨が降ったり止んだりの天気である。途中、間の宿・深萱(ふかがや)立場は開けた田園地で国道も通っている。すぐに山道に戻り、再度史跡・石仏が多く残る峠道の上り下りになる。小さな坂にも名前が付けられ昔の人が苦労して歩いた坂に対する思いが伝わる。
最後の寺坂を下ると十三峠も終わり<大湫おおくて宿>に入る。山間の別世界、桃源郷の様な宿と言われこじんまりしていながらしっとり落ち着いた雰囲気。「神明神社の大杉」は樹齢1300年と推定され圧倒される巨樹である。 この後、車道の下り坂を45分歩き釡戸駅へ着く。 歩数2万9千歩、14.6Kmの歩き。
恵那峡の朝 宿のベランダから 恵那駅に戻る 中野村庄屋・和宮通行で刃傷沙汰 西行塚 中央西線を渡る
難所・十三曲峠 登り口 槇ケ根一里塚:この辺りの一里塚から両塚とも残っている
●●● 雨が降り出し、傘をさしての歩きとなる 槇ケ根立場 姫御殿・お姫様通行時、仮御殿を建てた
首なし地蔵 乱れ坂・大変急な坂で大名行列も乱れた
紅坂一里塚 三社灯籠
<大湫宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・大久手 広重描くこの図は、前の雪の大井とその画趣を一変させた明るい草原の風景をとらえ、美濃平野に多くみられるなだらかな曲線をみせる山や丘のたたずまいを描いている。自分の背丈より高い柴を背負った農民の夫婦が通りかかった道の左手の崖に今にも落ちそうに露出した岩は、大久手と紳久手間にあったえばし岩か、母衣(ほろ)岩であろう。
この図をみるたびに、浮世絵版画における配色の妙によって、遠近感、立体感を表現する色面構成の微妙さを再認識させられる。
大久手は、大湫と書く。『木曾路名所図会』に、次の宿細久手と共に、「細久手、大湫共に宿賎し」と簡単な記載があるにすぎない。この「湫」というのは、くぼ地、湿地という意味で、ここでは山の上の湿地ということだという。そしてここは狭いながらも水田もあり、地名どおり水に困ることはないそうだ。
藤村高札場 深萱ふかがや立場跡近辺 みつじ坂 中山道碑
山裾の段々畑脇を歩く 観音坂 炭焼立場跡付近
権現山一里塚:江戸から九十里目 順礼水 阿波屋の茶屋跡、観音石窟 で昼食
江戸からちょうど九十里にあたる
しゃれこ坂 山之神坂 童子ケ根 寺坂の石仏群
大湫宿入口 是より東 十三峠 宗昌寺
大湫宿の町並み 脇本陣
神明神社・大杉 観音堂と共に「大湫宿に過ぎたるものが二つあり」と言われた杉 樹高60mあったがH16年落雷で上部を欠く
観音堂
復元高札場跡 釜戸駅へ車道を下る
次のルート:⑰大鍬宿~鵜沼宿 前のルート:⑮三留野宿~中津川宿
=おわり=