セラミックフォーラム加藤です。
先週14日(土)、15日(日)はボランティアガイドの素晴らしパーフォーマンスを楽しんだ。
1)城山砦と鎧展
14日(土)は前々から行きたかった狭山市立博物館の“城山砦と鎧展”にはるばる出かけた。
<狭山市立博物館“城山砦と鎧展”>
長津田⇒渋谷⇒池袋⇒稲荷山公園と約1時間半をかけ、9時半に到着。 昼までゆっくり2時間以上かけ展示を楽しんだ。 鎧は伊藤昭二コレクションからとのことで、地元の小田原北条氏を中心に名のある武将から足軽用のものまで、50品ほどが展示してあった。 紙からできた鎧が実際使われていたとの説明には驚いた。 ちなみに、伊藤昭二氏は狭山市在住の甲冑研究家とかで個人的に100以上甲冑を所有しているとのこと。
<伊藤昭二氏>
博物館の展示では、午後に見学する城山砦の模型や土嚢の上と下で鉄砲足軽の打ち合いの様子がモデル化されていた。 狭山市には著名な遺跡はないが、数少ない遺跡を一生懸命売り出そうとする意欲は感じ取れた。
<城山砦の模型>
見学終了後、同博物館ボランティアによる城山砦の見学会に参加した。 朝10時、12時、14時の3回が企画されたが、初回10時の会は40名以上でバスも超満員の盛況だったので、展示見学後の第2回12時に参加した。 参加者20名ほどが、博物館手配のバスに乗り、5km離れた砦跡を目指した。 車中でボランティアの方から城に関する色々な前知識を得た。 彼は山城に関心があり、日本経済新聞で紹介されている天守閣のある平城(姫路城、彦根城、松本城、犬山城など)には興味ないとユニークな人。 期待が持てそうである。
昭和初期、日本には山城(砦)を含め城郭跡は40,000ヶ所以上あったが、現在、その後の開発で半数近くに減ったとのこと。 また、この入間地区では45か所あったが、現在、22城とのこと。
今回訪問の城山砦は古文書に記載がないため歴史的な価値ははっきりしない山城との事。 後北条と上杉管領との戦争の頃(1550年)と推定されている。 かなり深く掘った空堀とその土で築いた土塁を巡った。 ガイドの方は一生懸命、攻める立場、守る立場から、虎口、馬だし曲輪を説明してくれた。 同じ山城と言っても前回紹介した寄居の鉢形城とは規模が小さい。 しかし、こうした熱心なガイドのお蔭で、名もない山城だが実感を持って体験でした。
<城山砦のガイドツアー>
2)三溪園
翌日15日、13時半からの神奈川県立公文書館主催“古文書解読応用講座”を予定していたが、空いた午前を生かすべく本牧の三溪園で開催のエバレット・ブラウン湿板光画展をに鑑賞しようと、朝9時の開園をめざし、14日に続いて早起き。
<三溪園でのエバレット・ブラウン湿板光画展>
横浜に住みながら、三溪園は初めてだった。 園に入った途端、その庭園の見事さに光画展のことは失念、入り口からの池沿いの散歩道、そこから望める三重塔、対岸の茶屋などを眺めながら、創設者原三渓の個人住居であった内苑に入った。 入口で11時からボランティアガイドによる園内案内があるとのお知らせを見た。 それまでユックリmy paceで園内を鑑賞し、11時のガイドに参加しようと決めた。 三渓記念館で開催中のエバレット・ブラウン湿板光画展、は次回にした。 白雲亭では高円宮妃殿下写真展―鳥たちの煌き(きらめき)が開催されていたが、これもパス。 臨春閣と池の調和ある美、安土桃山時代から江戸初期の種々の建造物と庭を鑑賞しながら、展望台に上った。 ここがかって海に面した庭園であったことに気付かされた。 そうこうする内に11時、慌てて内苑の事務所に戻り、ボランティアガイドツアーに参加した。 ガイドさんは話好きの元建築業の方、建物の構造、材質にうんちくを傾けてくれ、レベルも高く非常に有益だった。 14日の城山砦でのガイドさんといい、こうしたガイドツアーによる旅の面白さの認識を新たにした。
<三溪園の庭園>
3)かずさ国府
たまたま、千葉県市原に住む大学時代の同窓生からの年賀状で、最近、彼がかずさ国府のボランティアガイドになったことを知った。 しばらく途絶えていた関東地区の同窓会を彼のガイドをタネに開催する事を思いつき早速、メンバーに提案した。 何とか、4月に開催する事が決まった。この週末2日に楽しんだボランティアガイドの延長戦として大いに期待している。⇒かずさの国国府探検会www.maroon.dti.ne.jp/sc19ob/