写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

気象予報、冬至

2023年12月24日 | 随想
前回、「疑いようがない 救いようもない(2023年12月12日)」の終盤の部分で、『「ドイツが娯楽目的の大麻利用認める法案を閣議決定した。」と紹介したが、大麻に限らず、日本は世界の動きについてあまりにも鈍感すぎる。』と指摘していたところだが、「鈍感」どころか「真逆のほう」を向いているのだから、これでは救いようがない、ということを寸評した。

その1つが「ロシア敵視」。世界は「アメリカ敵視」に舵を切っているし、アラビア諸国は急激に「ロシア接近」だし、アフリカ諸国は「フランス敵視」&「ロシア傾倒」の動きが活発化している。アメポチでは早晩、日本は滅びる。

その2としては「コロナワクチン」。デマだ、陰謀論だと世間(マスコミ、ネット、政府関係機関など)では必死の隠蔽工作に励んでいるようだが、これはもう「薬害事件」」どころではなく、「生物兵器」だと、福島雅典京都大学名誉教授も怒りをぶつけていたり、チンタラした国の動きに対して、一般社団法人ワクチン問題研究会を起ち上げ、全国有志医師の会「新型コロナワクチン後遺症」患者の会などの団体とも連携して取り組みを開始された。(ニコニコ動画小林よしのりライジング長尾和宏医師が本音で解説。「ワクチンによる免疫力低下」と「ターボ癌」について言えること、など)
身内にワクチン被害者を持った者からすれば、厚労省などの政府関係者のコメントは綺麗事ばかりで何かを隠そうという意図が見え隠れしている、としか思えない。
世界では殺人兵器とみなしているところもあって訴訟問題として扱い始めてきているが、日本では逆に「ワクチン義務化」という路線で突っ走っている。(マスコミで報じられない情報
いずれ史上最悪の薬害事件として国を傾ける大事件となり、国民が消滅するという危惧がある。

また、非人道的なイスラエルの無差別爆撃にしても、その悲惨さは日本が一番よく知っているはずなのに、パレスチナへの連帯については全くの無関心である。・・・日本はパレスチナを国家として承認していないの対して、パレスチナを国家承認してる国家は138ヵ国にものぼる。承認していない国々は日本を含めたG7を始めとする55か国となっている。ダブルスコア以上の劣勢だ。




ところで、連日、「最強寒波だ」、「大雪警報だ」、などと最近の気象予報は煽りに煽ってくるのだが、聞かされるたび、うんざりしている。数年前までは、これほど脅迫めいた予報は聞かれなかった。
まるで積雪が3~4メートルにでもなるような言い方をするのだが、実際には3、40cm程度とか、サバ読むのも大概にしてほしいものだ。
2023年は夏が特に暑かったので1月に強い寒気が襲来したことなんかは忘れているだろうが、ちょっと比べてみれば、今回の寒気は然程(さほど)たいしたことがないことがわかる。



基本的に、マスコミが煽ってきたら、「それ、嘘ッ」と思ってたほうがいい。それと、2、30cmの積雪くらいで大騒ぎする、ってぇこたぁ北陸に住んだことがない奴等のセリフだろうて。

気象庁は「上空の寒気が・・・・」と大騒ぎするが、基本的には夏が暑かったせいもあり、地面の温度はそんなに冷えてないので、雪のつもりで落ちてきた氷粒が、地面が予想外に温かかったので溶けてしまって雨粒になってもぅた、というところが実態だろう。上空の気温だけでは気象は語れない。

んにしてもだ。毎年、雪の季節になると気分が滅入るのだが、そういうときには、いつも、「ポイントで・・・納税?!(2015年1月24日)」の冒頭で書いていた「雪雲への高出力マイクロ波照射(電子レンジであっためる理屈)によって降雪を降雨に変える、というアイディアは誰かがどこかで真剣に実用化しないものか」ということを思い出す。照射範囲は生活地域だけに限定すれば、自然破壊などは防げるだろう。

冬至の頃は「日差し」の時間が最も短いが、そういうのがつもりに積もって、「気温」が最も低くなるのは冬至の1~2か月後くらいである。
これは夏至から1~2か月後あたりが最も気温が高くなるのと理屈は同じだ。

その「冬至」だが、科学的というか天文学的に言えば、地球から見て太陽が1年間に回る軌道で春分の瞬間を基点とした場合の270°の地点(冬至点)を通過する瞬間を含む1日のことであり、「冬至の日」のまる1日のことではない。(立春(2014年02月04日)の記事の真ん中あたりの図を参照)
「冬至の日」というのは太陽が「冬至点」を通過する、まさにその日、ということである。

一方、二十四節気では、12月22日頃から小寒までの14日間ほどの期間(2023年は12月22日から、2024年は12月21日から)を「冬至」としている。
古代中国では、この日から新年が始まる日とされ、一陽来復(いちようらいふく)というめでたい言葉として年賀状に使われたりもしている。

以前、「新嘗祭(にいなめさい)と勤労感謝の日(2018年11月23日)」の中段のところで、「新嘗祭』というのは「収穫祭」というよりも、「冬至祭」(太陽の「死と復活」の祭り)の意味合いが強い行事なのであろう、なぜなら「収穫祭」というのは「神嘗祭」で済んでいるゃん。」という指摘をしていたところだが、清酒「月桂冠」の「知る・学ぶ」のページ最後段のあたりの「酒の歳時記」というコーナーに10筆ほどの記事があり、どれも蘊蓄に満ちたものばかりなのだが、その中の「冬至と新嘗(にいなへ)」という記事には、まさに、そのとおりだということが書いてあった。

少し編集して紹介すると、
冬至の頃になると太陽の力が弱まり、人間の魂も一時的に仮死するが、「陰極まれば陽に転ずる」ので、死にかけた太陽も、「タマフリ」と称する鎮魂の行事やの火を新しく替えることによって復活させ、人も新たな生命力を得ようとした。
「冬至風呂」もそうした民俗風習の一つであり、「再生した火」で風呂を沸かし、「新しい力」を得た湯に柚子を入れ、その精によって新たな「生命の復活」を念じた。
ムカシの人は、稲の穂を摘むことによって穀霊が一旦死ぬと考えた。一家の主婦は田から稲や粟(あわ)の初穂を抜いて家に持ち帰り、それを寝具にくるんで添い寝し、新しく生まれてくる稲魂(いなだま)のすこやかな生育を祈った。
ついで、その新穀を臼(うす)に入れ、復活の唄を歌いながら杵(きね)で搗き、得られた白米を、火を新しくしたカマドで炊きあげる。出来た固粥(かたがゆ。今の普通のご飯)と、同じ米で醸(かも)した神酒(ミキ)を供え、それらを神と共に飲んだり食べたりすることが祭そのものであった。
これを新嘗(にいなへ)と呼び、「復活した新穀を自らの体内に入れる」ことによって新たな生命を得ると信じた。また稲を「トシ」、年も歳も「トシ」と呼んで、神人共食による新しい年の活力のよみがえりを期待したのである。

・・・結論とすれば、「タマフリ」や「冬至風呂」などの「冬至祭」の一連の行事の一環として、新嘗の祭りもおこなわれていたようだ、ということとなる。