写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

雇用保険受給講習会

2013年07月13日 | 日記

7月12日(金)、雇用保険受給のための講習会に行ってきた。

(出席しないと受給資格を失ってしまうので・・・)

 

 

開始予定時間の30分前に会場に着くと、

受付には、既に50人ほどが並んでいた。

 

受付を終えて会場に入ると、前のほうの席には100人ほどが座っていた。

 

中段あたりで座ることにしたが、講習の開始前に後ろを振り向いてみると、

ぎっしりと席が埋まっていた。

全体で250~300人というところか。

 

男女比は、ほぼ同じ。

若い人が多い。定年後らしきご同輩もチラホラ。


 

定時に始まって、約40分間は説明用の動画鑑賞。

 

これはわかりやすかった。これだけでも良いかな、というくらい。

 

 

そのあとは冊子による失業認定申告書の書き方の説明。

・・・・説明者はよくわかっているのだろうが、

冊子の説明箇所を探しているうちに、次の説明に移ってたりする (・。・;)。

 

説明は立て板に水だが、如何せん、会場を見ていない。

 

・・・・この部分も動画を流して説明するようにしてくれ、と思ったね。

熱弁を振るっているお姉ちゃんには悪いけど。

 

 

 

2時間の予定も終了5分前になると、

そこここで資料を片づけて帰る準備をしだす人でざわついた。(私も。。。)

 

話の内容は・・・・職業訓練。誰もそんなん、聞いてないって。

 

 

んで、10分ほどオーバーして講習が終わると、

全員が一気に退場。みんな、早く終わるのを待ってたんだねー。

 

お金、もらうために来てるんだぜ?

空気 嫁!

 

 

 

この講習会で感じたこと、いろいろ。

 

 

まず、自分がこれから受けようとしている貴重な給付金についてだけど、

「なんで、こんなに手厚いの?」という印象(バチあたりか・・・)。

 

自分自身のケースで言えば、

 ・離職理由

 ・離職の時期

について、もう少し小賢しく振る舞っていれば、もっと貰えたかな、

などという雑念が浮かんできた。

 

 

離職の理由については、書類の書き方次第で、待機期間(給付制限)の

3ヵ月をクリアできる、ということがわかった。自己都合にも4種類あり、

軽い気持ちで「正当な理由なき自己都合」にしてしまったことがわかったとき、

思わず「チッ!」と悔やんだ。 (今さら変えようとは思わないけど。)

 

 

離職の時期については、

前々職の、高い給料のときに一旦、雇用給付金をもらっておき、

受給期間が終わってから前職に就いていたら、受給金額も大きかっただろうし、

2回目の受給として、今回の金額が貰えたのかもしれない。

 

そこまでは計算してなかったし、そもそも前職は粋に感じて自ら望んだものだった。

だから、この件に関しても、不器用な自分を認めるしかない。

 

 

 

長い時間、講義を聴いていたら、

「これって、手続きの話ばっかじゃん!」と思うようになり、

そもそも、こんなに大勢の若い兄ちゃん、姉ちゃんたちが、

おとなしく講義を聞いているけど、

 

こういう機会を利用して、創業支援の話もしていく、ということが

数年前には真剣に検討されてなかったっけ?

と思うようになってきた。

 

 

受給資格者創業支援助成金

http://j-net21.smrj.go.jp/establish/abc/entry/category05/20100105.html

受給資格者創業支援助成金(厚労省)

http://www.mhlw.go.jp/general/seido/josei/kyufukin/b02-2.html

 

 

まぁ、雇用給付金を創業資金として活用する、という人も

なきにしもあらず、かとも思うが、余りに手厚い手当を出していては

それに頼り切りになってしまうおそれのほうが大きいのではないか?

 

 

「経済をとりもろす」というのなら、

こういう機会を積極的に活用しなきゃダメだろう?

(こういう意見ってのは、ネガキャンということで公選法に引っかかるのかな?)

 

 

会場周辺を、参議院選挙の社民党比例代表区の候補者の

選挙カーがしょっちゅう回って連呼していたり、

講習会の、職業訓練の会場とかが自治労会館であったり、

労働関係の話題になると、いつも左巻きの匂いを感じ取ってしまう。

(こういう意見も、今、述べたら違反になるのかな?)

 

 

労働の重要性と、労働に対する「認識」を、この連中は勘違いしているのではないか。

 

 

歴史というものと、その「認識」を思い通りにしたい特定アジア諸国の関係と

似ていなくともない、と感じた。(これは、ちょっと飛びすぎかな?)