きたへふ(Cチーム)のブログ

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東北関東大震災の体験をメモっておく

2011年03月11日 | 雑記
【最終改版日:2011/3/21】

このエントリでは2011/3/11に発生した東北巨大地震で体験したことについて
忘れないうちに記録に残しておくことにします。



3月11日 15時前
 事務所でふつーにお仕事をしているときに地震に遭遇。
 最初は小さくカタカタ揺れ、続いてちょっぴりゆっさゆっさ揺れ出す。
 先日も同様の小さな地震があったばかりなので、このときはまだ太り気味の
 同僚に対して「○○さん、事務所内で飛び跳ねちゃいかんでしょw」とか
 冗談を言い合う余裕の状態。

 ところが本震と思っていたこの揺れは実は序章で、続いて先程より大きな
 揺れが発生。「うおー、今回は揺れでかいじゃん」と思いつつも、
 ちゃっかりカバンの中からデジカメを取りだし、動画撮影を開始する。
 このときまでは、まだこんなことをやってる余裕あり。

 ところが地震はこれで終わらず、さらに続いてもっと大きな揺れが発生。
 何かに掴まっていないと立っていられず、パンフレットを載せた台が転倒
 したり、重たい複合機が横にずれてしまうなど、「こいつは本気でヤバイ」
 と初めて地震で身の危険を感じる。

 後日知ったことだが、事務所付近の震度は5強で、ビルに付けられている
 震度センサーは、なんと6弱だったとのこと。

 このとき出入口の近くにいた人が、認証カード式ドアを開けっ放しにして
 退路を確保(ナイス判断)。大きな揺れはここで治まる。

 最初の揺れからここまでの間は恐らく5分程度だと思うが、体感的には
 非常に長い時間のように感じた。

 揺れが治まる前から、ビルの防災システム(自動放送)より
 「A階(事務所の上の階)のフロアで火事が発生」
 との館内放送が流れる。
 このときは「多分誤報だろう」とタカをくくるものの、今度は続けて
 「B階(今度は下の階)のフロアで火事が発生」
 との館内放送が流れる。

 もしこれが本当だった場合、上にも下にも逃げられない状況となるため、
 冷や汗をかくほどに肝を冷やして、脱出準備にかかる。
 ところがその直後に防災センターからの館内放送で「非常ボタンが
 押されたため通報が行われましたが、実際は火事ではありません」との
 館内方法が流れてきて一安心。

 とりあえず上着を着て、カバンを持って事務所から脱出。
 重要なデータが入ったままのパソコンも持って行くかどうか迷ったが、
 悩んだ末に事務所に置いていく(正解)。

 エレベーターが止まっているので、階段をぐるぐる回って地上に降りる。
 上の階や下の階の人たちが同じ階段に流入してくるも、手際よく脱出。
 ビルの外に出ると会社の同僚達が集まっているので、自分もそこに集合。

 他の人たちは一旦、近くの避難所になる公園に避難する。ただし自分は
 会社の携帯電話に大量の障害通知アラームが届いたこともあり、一旦
 近くの客先のマシン室の状況を見に行くことにする。

 客先に向かう途中、地震で非常停止したらしい歩道橋用の公共エレベータが
 ピーピー警報音を鳴らしており、五月蠅く感じる。

 数分後に客先のビルに到着するが、そこもやはりエレベータは停止中。
 ぜーぜー言いながら階段で事務室のあるフロアに登る。その途中、
 通路の壁にひびが入り、表面がぽろぽろ落ちているのを見かける。

 客先の事務室に着くと、職員さんは対応に追われている状況。
 聞いたところマシン室の設備に問題は無いものの、主要な出先拠点が
 建物ごと停電になっているとのこと。確認のためにマシン室に入るが、
 転倒したラック等はなく、大事には至っておらず一安心。

 マシン室に入ってネットワーク機器の監視状態を確認すると、いくつかの
 主要拠点がほぼ監視不可状態。ただしUPSから給電しているWANルータ等とは
 疎通が取れた(=専用線等の物理回線はやられていないことが判った)ので、
 ちょっと一安心する。
 ※ 地震で回線がやられることは、復旧までに相当な時間がかかり、長期間
   通信が出来なくなることを意味するので、非常にまずい状況となる。

 そうしているうちに、また震度4~5クラスの地震(余震)が発生。
 念のためホストコンピュータエリアの広いスペースに移動し、蛍光灯の
 真下にならない位置で退避する。

 大きなホストコンピュータは免震装置の上に設置されており、人間がふらふら
 するような大きな揺れの中でも、免震装置は(多少ミシミシいいながらも)
 確実に揺れを逃がして装置の水平性を保っており、改めて免震装置の偉大さを
 思い知る。

 惜しむらくはマシン室はカメラ持ち込み禁止なので、このシーンの動画撮影が
 できなかったこと。もし録画できていれば、実機のホスト+免震装置環境が
 機能している貴重なシーンが残せたのですが、非常に残念。

 その後、うちの会社のメンバーは避難指示が出る。お客様を残してその場を
 去るのは非常に心苦しかったのだが、仕方がないので指示に従う。
 再び階段を使って1階に脱出するが、その途中でまだ稼働していた自販機より
 500mmのペットボトル飲料2本をGETして飲み水を確保する。

 1階のビルの玄関付近で、客先に常駐している同僚達がこぞってたむろして
 いるのをみかける。彼らは盛んに携帯電話で連絡を取ろうとしているが、
 「繋がりにくくなっております」の状態で通話はできない状態。
 しかし私が持っているWillcomは、楽勝で繋がる状態。Willcom万歳。

 その後、余震も治まってきたので、結局避難所には行かず、階段を上って
 元の事務所に戻る。

 ただし事務所に戻ってからも地震情報の確認や、たまにある余震でビルが
 延々とゆらゆら揺れることで乗り物酔いに近い状態になってしまい、
 仕事は手に付かない状態となる。

 夕方の頃、事務所から東京湾の工業地帯の方向を見ると、オレンジ色の炎が
 上がっていることを見かける。どうも火事らしい。

 その後会社から帰宅許可が出たものの、鉄道はJRと私鉄の全てが当日中運休
 することが確定したため、自宅まで歩いて帰る人、自転車を購入する人、
 無理せず会社に残る人に別れる。

3月11日 18時頃
 私は家まで歩いても1時間足らずの近場なので、そのまま徒歩で帰宅開始。
 国道沿いは同様に歩いて帰宅する人たちで混雑し、道路の方も大渋滞中。
 
 自宅近くに到達すると、付近は暗く、信号も消灯している状態に。
 大きな交差点では、おまわりさんが交通整理を行っているのを見かける。
 どうやら付近一帯が停電しているらしい。

 そして自宅のマンションに到着。マンションを含む付近一帯は停電で、
 まさに真っ暗闇の死の町状態。携帯電話の画面の明かりを頼りにして、
 部屋まで辿り着く。

 部屋に着いても明かりがないので、ノートパソコンを立ち上げて、これを
 ランプの代わりにする。部屋の中をパッと見る限りでは、地震による大きな
 被害はなさそうで、ちょっと一安心。

 ただし軽く立てかけていた丸い掛け時計が、床に落下しているのを見かける。
 時計は落下したはずみで電池が外れてしまい、14:55頃を指した状態で停止。
 暗い状態で電池を探すのは面倒なので、そのままにしておくことに。

 そうしているうちに、家族や知人から「大丈夫か?」メールが届くので、
 「無事だよ」とのメールを返信する。

 このまま停電で何も出来ない自宅にいるよりか、電気のある事務所に戻った
 方がマシなので、必要な荷物を持って再び家を出ることを決意する。

 本当はお風呂に入りたいところだったのだが、当然入れるはずもないので、
 仕方なく下着類や靴下を着替える。しばらく風呂に入れないことを想定して
 スポーツクラブ用のTシャツとバイク用の5本指靴下に履き替える。
 (速乾性でさらさらしていることと、汗をかいても臭わないため)

 また、翌日は新幹線で九州入りする予定なので、一応帰省する準備をし、
 リュックには着替え・充電器・水・食料を詰め込んで自宅を後にする。


3月11日 20~21時頃
 今度は自転車で事務所に向かう。国道は夕方の時よりもまして、歩道は
 徒歩帰宅する人でいっぱいで、車道の方も上下線が大渋滞な状況に。

 今後、いつまともな食事が取れるかどうか判らないので、開いているお店で
 食事をしようと思うものの、通り道にあったなか卯やすき家のようなお店は、
 「食材不足で閉店します」との張り紙がされており、中には入れないor
 すでに閉店されている状況に。

 それでもなんとかまだ営業している24Hのそば屋(チェーン店)を見つけて、
 カツ丼セットをいただく。ただし店内も大混雑で、立ち食い蕎麦のような
 お店なのに、20分近く待たされる。

 続いて事務所内で待機している人たち(&自分用)の食料を確保するため、
 事務所近くのスーパーに向かう。スーパーではお弁当・おにぎり類は
 すべて売り切れており、入手は不可。
 しかしなんとか、残り少ない菓子パン(いちごメロンパン)を1つ手に入れる。
 食事が手に入らない代わりに、ビスケットとかポテトチップ等の腹に
 溜まりそうな食品(主にお菓子)をいくつか購入する。

3月11日 21時頃~
 重たい荷物を持って階段で上の事務所に登ると、まだ事務所に残っていた
 人たちがラジオやワンセグをつけながら待機中。自分も荷物を置いてPCの
 フルセグでテレビを付けたところ、被害の大きさに愕然。

 自分はてっきり関東地方で起きた地震かと思い込んでいたのだが、実際に
 被害が大きかったのは東北地方で、大津波を受けて街は破壊され、
 火災はさらに広がり、海岸には200~300の遺体が打ち上げられているとの
 ニュースを目にし、何ともいたたまれない気持ちになる。

 その後、自分のThinkPadの内蔵WiMAXを使って1日600円のコースに加入。
 インターネットは使えることを確認する。インターネット上の話題は、
 やはり地震のことでもちきりであった。

 この地震で発生した横浜・川崎地区の停電は次第に復旧したようで、
 復旧が進むに連れて、障害復旧の通知メールが大量に届くようになる。
 東京電力のホームページを見ると、自宅のエリアもどうやら夜中までに
 復旧したらしく、ちょっと安心する。

 その後、ソファーで横になるが、余震と地震情報が気になって眠れず。
 結局その後、4時過ぎに事務所を後にし、なんとか品川駅まで辿り着き、
 新幹線で九州入りすることへ。
 (詳細はこちらのエントリを参照)




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