平御幸先生の弟子日記

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キビシイーー

2009-07-28 23:31:29 | Weblog

旧約聖書をよく読んでいる、今日この頃です。
歴史書として読んでも、とても面白いです。系図をノートにとりながら、名前を一生懸命おぼえて、まるで、世界史の試験勉強をしているみたいです。でも、教科書よりもっとドラマティックで、英雄や、名もない登場人物の、強さや弱さや、正義や悪を知ることができて、ほんとに面白いなあと思います。
そして、ふっと、思ったことがあります。
新約聖書を夢中で読んでいた頃は、神様の愛と優しさにつつまれて、どれほど、慰められたかわかりません。
今はちがいます。
旧約聖書を読んでいる今は、神様の厳しさを、思い知っています。旧約聖書の神様は、とてもきびしいです。悪を行ったものには、容赦なく罰を与えます。神様って、こんなにこわかったのかと、おもいしりました。実際に自分の身の回りでも、今までにないほど、きびしいことが、いろいろおこっていました。どうして! どうして! 
神様はどうして私にこれほど、きびしくされるの! と思っていました。
神様のきびしさを、読んで知るだけじゃなくて、体感し、反省し、とことん実感したように思います。
とても苦しかったけど、少しだけ成長したなあと思ったことは、神様の愛と、厳しさをも、知ったことです。


2009-07-24 00:21:57 | Weblog
私は、今、試練の海を泳いでいます。アップアップしています。
小学校の時、平泳ぎで25m泳いだ時も、へとへとでした。それ以来ですから、もう大変!
最近、たて続けに自宅を訪れるのは、某エホバの方と、某元協会の方です。あの手、この手で、私の信仰を捨てさせようとしているのかなと、思うときがあります。そして、わたしにとって、不都合なことや、苦しいことのオンパレードが、続いています。気持ちが萎えそうです。でも、決して神様を恨んだりはしません。かえって、神様を身近に感じます。
このままこの海に、沈んでしまうのか、泳ぎきることができるのかは、自分ではわかりません。ただ、この海に体を任せていようと、思っています。
海のように深い愛、の試練の海ですから、きっと、愛につつまれているのでしょう。

誓い

2009-07-20 20:28:54 | Weblog
毎日、あちちです。
私は一つ誓いをたてています。自宅でクーラーは使わないという誓いです。
冬は、どうってことないけど、夏はつらい!
いまどき、クーラーのない生活なんて考えられないけど、今のところ、この誓いは破られていません。扇風機が大活躍していますから。
何故、こんな誓いをたてたのか、それは、私は夏が一番苦手だからです。アラスカみたいな寒い国に生まれたかったくらいです。一番苦手なことを、自分に課した理由はいろいろですが・・・夏だけですむってこともいいですからね。

汗びっしょりなっても、一汗かくと気持ちいいですね。でも、あせもができて、かゆくなって、首が真っ赤になりましたけど、私は、あせもを治すいい方法をしっているので、お教えしますよ。あせもは冷水でふいても治りません。熱いお湯でしぼったタオルでしっかり拭くと、すぐに治ります。あせもは、熱いお湯が嫌いだからです。試してみて下さい。



暑中お見舞い

2009-07-17 23:35:42 | Weblog
暑中お見舞い申し上げます。

夏は暑いとわかっていましたが、やっぱり暑さはこたえます。皆様はお元気でしょうか、夏は始まったばかりですが、がんばって乗り切りましょう。
この前、うなぎの蒲焼きを食べました。皆様はもう食べましたか? 
うなぎの蒲焼きは、日本だけのものなのでしょうか? うなぎは、世界中にあると思いますが、他の国ではどのような食べ方をするのかみてみたいです。蒲焼き以上に美味しかったら、すごい! と思います。
でも、うなぎの蒲焼き文化の日本に生まれてよかったです。美味しいですよね。
先生も、うなぎは大好物なので、送ろうっと。

明日は、宮川の神宮奉納花火大会があります。
雨じゃなかったらいいんたけど・・・

いつの間にか

2009-07-15 22:16:54 | Weblog
パソコンがぜんぜんできなかった頃、できるようになりたいなあと思って、パソコン教室に行きたかったけど、時間と費用の理由で行けませんでした。あれから何年たったろう、ふと気が付けば、もう今では1日中使いっぱなしです。ワードとエクセルだけですが、慣れってすごいです。
仕事用の新しいソフトは、私が長年、望んでいたものでしたが、始めはぜんぜん使いこなせず、かえって手作業の何倍も時間がかかって、とても重荷でした。3年たった今では、すごく便利に使えるようになって、手作業の10分の1ぐらいの早業で作業ができるようになって、重宝しています。

今の自分は、自分の願いのいくつかを叶えていることを、ついつい忘れてしまいそうですが、これも、あれも、過去に自分が切実に望んでいたことが、いつの間にか実現しているなあ、と思います。願いは叶うなあ、と思います。

そういえば、神様に出会いたいなあと思って、あちこち、いろいろ、さまよっていた頃は、本当に心の救いを願っていました。

決断!!

2009-07-13 23:48:00 | Weblog
楽しい遠足は、先生が、「秋の遠足は○月○日です、行き先は○○動物園、おやつは、500円までですよ。」と発表して、そして、生徒たちは、わいわいガヤガヤして、遠足の日のことをあーしよう、こーしようと話し合って、遠足の日をまちわびる。楽しい遠足は、この日に始まったのだと思います。

マラソンを走りぬいてゴールした人は、スタートラインがスタートではなく、きびしい練習を積み重ねようと決断した、その日がスタートだったと思います。

アブラハムは、神の命じたとおり、朝早く、息子イサクと一緒に山に登り、三日目になって、その場所が見えたので、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとしました。アブラハムがイサクを山へ連れて行こうと決めた日も、アブラハムにとって、イサクを屠ったのと同じではないかと思います。

決断すること、覚悟を決めることは、もうそこで半分、いいえ、大方は、成就されているのではないかな、と思いました。





ラッキーセブン

2009-07-11 21:59:01 | Weblog
今日、初めて気が付きました。
ラッキーセブンの葉っぱです。
ご覧下さいね。

以前にも、ご紹介させていただきましたが、私には、大事に育てているパキラの木があります。1年以上になります。次々と新しい芽がでてきて、どんどん大きな葉に育って、いつの間にか、小さかったパキラが、とても大きくなりました。小枝には、必ず、5枚か6枚の葉がついていました。それが、このたびのニュー葉っぱは、なんと7枚でした、7枚ですよ。5と6を超えて、とうとう、7の登場かあ・・・っていう気持ちです。

早速、先生に報告しなくっちゃ。
「あっ、そっ、」 って言わないで下さいね、私は、直感したんですから、7のゲマトリアを。


裏金を‥

2009-07-09 22:51:05 | Weblog
裏金をもらったら、そりゃいいかも、でも、もらわないよ、私は。何故って、いつでもどこでも、心だけは堂々としていたいから。たとえ貰っても、そんなの貰ってないよ、って知らん顔していればいいようなものだけど、永遠に誰にも知られなくても、私が知っているもの。
やせ我慢で、ばか正直で、無駄な清廉潔白で、‥‥‥仕方ないなあ。
こんなんじゃ、大物政治家にはなれそうもないね。
とりたてて、りっぱなことも出来ないし、人のためになるようなことも、出来そうにないし、それなら、せめて、同じ痛みを分かち合います。
もっと上手に生きられたら、もっと楽だったろうな、でも、こうして生きてきたんだもの、これからも、こうして、不器用に生きていくよ。


苦難の道

2009-07-06 22:28:13 | Weblog
苦難を経なければ役に立たない物、それは、ほとんどそうかもしれません。

ずっと以前に、喘息で苦しんでいる人に、病院を教えてあげて、とても喜んでくれたことがあります。その病院は、私の命を救ってくれた病院だったのです。今はもうお世話になることはありませんが、私は、奇跡の病院と呼んでいます。この病院にたどり着くまでの車の中で、私は吐くのを、懸命にこらいていました。(アルコール中毒ではありませんよ) まさしく苦難の道でした。その苦難の道を経たからこそ、人にも自信を持って教えてあげることができて、その人の役に立ったのだと思います。
その人は、今だにときどきおやつを買ってきてくれます。今日は団子と最中をいただきました。おいしかったです。人の役に立つって、いいものですね。

先生より
『強い信仰は苦難の後に形成される
   苦難→神の助け→証し』

苦難の道を歩んで、歩みながら、きっと何かをつかんでいるのですね。

言葉って・・

2009-07-05 00:04:42 | Weblog

満面の笑みと、優しい声と、たくさんの労りとねぎらいの言葉と、そうして、人に近づいていく人は、私は嫌いです。言葉の多い人に対しては、私は、つい身構えてしまいます。たくさんの言葉の中から、その人の真実を見つけようとして、なかなか見つけられないからだと思います。
言葉巧みに、人間関係を作り上げても、心からの言葉でしか、人を裏切らない信頼関係はつくれないと思います。心のないうわべだけの言葉で作り上げていたのなら、それは虚しいはずです。
言葉を超えたところに在るものを、私はみつけたいのです。

自分の本心を隠す必要があるから、たくさんの言葉で、覆い隠さないといけないのでしょう。隠さなくてもいいのなら、取り繕う言葉は、要らないと思います。
耳に心地よい言葉を言われたら、誰だって、心を許してしまいそうですが、心地よい言葉であればあるほど、鋭い爪が潜んでいるように感じます。
人を感動させたり、信頼させたりするのも言葉です。言葉には無限のパワーがあると思います。言葉をもてあそんだり、言葉を軽んじる人は、いつか、そのことを、思い知る時がくるのではないでしょうか。