茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

利休遺偈(ゆいげ)

2009年02月25日 | Weblog
1591年2月25日、
自刃の3日前、堺に蟄居していた利休さんは、
以下のような辞世の偈と和歌一首を
したためていました。(400年忌にて初めて公開)

 人生七十 (じんせいしちじゅう) 
 力囲希咄 (りきいきとつ)
 吾這寶剣 (わがこのほうけん)
 祖佛共殺 (そぶつともにころす)
 堤る我得具足の一太刀 
(ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち)
 今此時ぞ天に抛 (いまこのときぞてんになげうつ)
  天正19仲春二五日 利休宗易居士

利休さんの年齢は、
ここにもある通り70歳というのが定説ですが、
様々な文献を読み合わせると
71歳であったのではないかという説もあり、
まだまだ研究の途にあるのか、
いろいろ公にならぬ史料があるのか、
今後どのような解釈が出るか
楽しみとしておきましょう。

2行目の「力囲希咄」も
五山禅林の解釈では
「船を出す時の掛け声」だそうですが、
「禅僧が忽然と大悟した時に発する声」というのが
定説です。
こんな具合ですから、
この辞世をどうよむかも実にいろいろ。
私は、
「この一太刀で神の裁きをいざ受けん」
という解釈が好きです。
自分の人生、
自分の死の決定(とりなしを拒否したこと)を
正しく判断し、正しく評価できる人(神仏)に
命を委ねる!
というような気分の偈に読めました。

同じ日に、
 利休めはとかくみやうかのものそかし
 かんせうしやうになるそとおもへは
という歌も詠んでいるようです。
   (『茶の湯お歴史』熊倉功夫 より)

利休は冥加の者(果報者)だ。
菅承相(同じように讒言で不遇の死を遂げた菅原道真)と同じ運命となろう
というような歌です。

確かに
道真は学問の神として祭られるようになりました。
そして、利休さんも
茶聖として世界中に茶の湯の心を伝え続けています。

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