武士の山野草と花達

ハッスル老人、残された日々を記録として残したい

能登の旅 後編 ⑪

2016-11-07 14:42:09 | Weblog

 

  海王丸散策後富山城に到着

  随分昔に来たままで周辺の変貌に驚きを感じる

   

  富山城は「浮城(うきしろ)」

  「安住城(あずみじょう)」ともいわれたそうな

   

          『富山城歴史ガイド参照』

  富山城は、天文元年に水越勝重によって築かれ、後に勝重は神保長職と名を改めた

  その後神保氏が3代に渡って居城した。

  天正4年上杉謙信は富山城の神保氏を追い

  家臣の小笠原長隆・上杉信定を置いた。
 
  天正7年、織田信長は佐々成政を富山54万石封じた

  成政は、城を改修し城下町の整備を行ったその後成政は 

  信長の死後の後継者争いで反秀吉の立場をとるが柴田勝家滅亡後

  秀吉の軍門に降った 天正15年の豊臣秀吉の九州征伐後 

  成政は肥後熊本城へ転封になった。 

   

  慶長5年の関ヶ原の戦功により金沢城主前田利長は

  加賀・能登・越中の3ヶ国120万石を得た 

  慶長10年に利長は隠居して富山城に移るが

  慶長14年に主要部の建物をことごとく焼失したため 

  高岡城を築いて移った。

  寛永16年、3代前田利常は、次男利次に10万石を与えて分家させた

  利次は、廃城と化していた富山城を修復、寛文元年に入城して富山藩が成立した

  以後富山前田氏13代の居城として明治に至った。 

   

  この二階には「郷土博物館」が有り富山城の歴史が

  展示されているそうな

   

  富山城の撮影には難儀コイタ……

   

  撮影ポイント(絶景)では

   

  背景にデカイビルが映り込む

   

  ビルが映り込まない場所を探すのに

   

  疲れた体にムチ打って周辺を歩き回るのデアル

   

  もうイイデショウと思って居ても

   

  急ぎ足で

   

  城内を巡るのデアル

   

  オイラはお城が大好きで

   

  家に帰ってから

   

  画像の整理が大変である

   

  爆撮りの為か

   

  似たような画像が次から次へと出て来て疲れ果ててしまうのである

   

   

  富山市佐藤記念美術館 

   

  美術館前には

   

  立派な庭園が観られる

    

   

  佐藤記念美術館  

                     

   

              ネット画像引用  

   

  まだ旅は続きます……

  

   

   

   

  


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